部屋で大人しくしていろと散々言い含められたのに、さっそくサラレギー王の部屋へお邪魔することになって、ヨザックさんには申し訳ない気持ちで一杯だ。 コンラッドは先を行くサラレギー王とわたしの間に入って、ほとんどベッタリと言えるほどくっついて、手を添えて揺れから守っている。後ろを歩きながら、そんな光景をあまり見たくなくて俯いてそっと溜息をついた。 そんな風にして連れて行かれた先で、唖然として部屋の入り口で立ち止まってしまった。 サラレギー王は少し恥ずかしそうに微笑みながら振り返る。 「この揺れだろう?何か気晴らしをと考えていたら、大事なことを忘れていたと思い出してね」 「だ、大事なこと、ですか?」 「そう。この海域さえ抜ければ聖砂国まではあと一歩だ。あちらの皇帝との会談で、どのような衣装を纏うか。それはとても重要だよ。それでどうしようか迷っていたんだ」 サラレギー王の広い部屋には、所狭しと煌びやかな衣装が広がって散乱していた。 103.永遠なんて(3) うちのお母さんが着ていく服に迷うときだって、こんなに広げないよと言いたいくらいの状態の部屋に、顔を引きつらせないように軽く頬に手を当てた。 「どんな衣装がいいのか迷ってしまって。女性のの意見も聞かせてもらえるといいなと思ったんだ。ちょうど部屋に帰ってきていたようだから、お願いしたくてね」 「は……はあ……お、お役に立てるか判りませんけれど……」 「大丈夫だよ。さあ入って」 いくら気晴らしを兼ねているとはいえ、この揺れの中でよく衣装選びなんてできるなあと感心するやら呆れるやらで部屋に入ると、さっそく船の揺れでたたらを踏んだ。 「おっとっとっと……」 つまづいた先にあった椅子の背もたれを掴んだものの、その椅子ごと転びそうになったところを、反対から大きな手が椅子を押さえてくれる。 「お気をつけて」 「……どうも」 あまりコンラッドと目を合わせたくなくて、俯き加減で軽く会釈すると促されるままに椅子に座った。コンラッドはそのまま椅子の後ろに回って背もたれを掴んでいる。きっと椅子ごとわたしが揺れで転ばないようにという配慮だろう。サラレギー王は床に固定されているベッドに腰かけたから、大丈夫みたいだし。 たとえ部屋の端に避けていたって、目に映る範囲にいればつい見てしまうだろうから、わざわざ振り返らないと見えない位置にコンラッドがいるのは助かる。 船が揺れているから、都合上ということでサラレギー王とは少し離れた位置に座ることになったけれど、それもまた助かった。彼はスキンシップが好きみたいだから、正直に言うとわたしには鬼門に近い人なので……これだけお世話になってて失礼だとは思うけど。 「わたしはこの紫のローブなんか悪くないと思うんだ」 「は……はあ……」 紫色のサラリとした生地のローブは、銀糸でふちを縫いとり、スパンコールだかラメだか、とにかくローブ全体に銀色がキラキラと光っている。 「ね、の高貴な雰囲気にぴったりじゃないかな」 「わたしの!?」 驚きのあまり敬語を忘れてしまった。慌てて取り繕うに両手を振って言葉を続ける。 「あ、あの、陛下のお衣装を選ばれるのではなかったのですか?」 「そうなんだけど。けれども謁見用に服を見ておいてもいいんじゃないかな」 「わたしは陛下からすでに何着もお借りしていますから、十分です!」 いらない、そんな舞台衣装みたいな服は貸してくれなくていいとちょっと焦って言い募ると、サラレギー王は軽く首を傾げた。 「そう?女性は着飾ることが好きだと思っていたんだけどな。衣装とね、それに飾りも選ぼうよ。わたしのものだからには少し地味かもしれないけれど、髪飾りも耳飾りも首飾りもあるよ。ああ、そうだユーリとお揃いで指輪なんてどうだろう?母上からいただいた品はあれだけしかないけれど、別の指輪ならあるんだ。ウェラー卿、右端の衣装箱の中にある小さな箱を持ってきて」 「いえ、あの陛下、わたしは本当に……宝飾品の類はあまりつけないんです。それに、わたしはあくまで兄の添え物ですから控えているつもりですし……」 後ろでコンラッドが動いた気配がして、ひっそりと地味でいいと慌てて手を振ると、サラレギー王は楽しそうに肩を揺すって笑う。 「はもったいないことを言うね!隠してしまうのは惜しいじゃないか。女性の美しさは外交上では大きな武器だよ?」 う……まただ。わたしとサラレギー王では経験なんて段違いで、『国』レベルでものを考えることなんて、まるでできない。こういうところで本当にそれを思い知らされる。 日本の高校生と一国の王様では当然の違いなんだけど……当然といって納得して終わっちゃいけない。こうやってみると、国内では本当に甘やかされていたんだとよく判る。 ヨザックさんもグウェンダルさんもギュンターさんも、他のみんながそう振舞って盛り立ててくれるから、王の妹として未熟でも血盟城にいて居心地がいいんだ。ヴォルフラムだって公式の場では礼を尽くすような態度をとるくらいだから。 ここでは誰もいない。この部屋で限定すれば有利やヨザックさんだっていない。自分で頑張るしかない。経験不足なんて言ったって、時間は止まらないし、今この時が先送りになることだってない。 「ああ、でもを美しく飾り立てて、あちらの皇帝に気に入られるようでは困るな。引き止められたら大変だ」 「まさか。大袈裟です、陛下」 お世辞なのかそれとも天然なのか……こちらの世界の価値基準のせいかは判らないけれど、とにかく笑顔でそう首をかしげると、サラレギー王は長い白金色の髪を軽く耳に掛ける仕草をして軽く息をついた。 「ユーリのことだから、聖砂国の皇帝なんかにあなたをあげるとは思わないけれど……」 そうして、ゆっくりと口の端を吊り上げるような笑顔を見せて。 「のことは、わたしが欲しいのに……ね?」 どっと両肩に重い何かが降ってきたような錯覚に、押し潰されたように息が詰まった。 コツリ、と足音が聞こえて息を止めていたことに気がついた。背中にはびっしょりと汗をかいていて、少し覚えた肌寒さに血の気が引いていたのだと自覚する。 こういう話題は本当に苦手だ。でも最近ではこんなに過剰な反応が出たことはあまりないのに。なんだろう……苦手だと思ってる相手に、気に入られなくちゃという正反対の考えが、思った以上に自分自身でプレッシャーになってるのかもしれない。 でもそれって、わたしの問題であってサラレギー王は何にも悪くないんだよね……。 そんな風に一人で考えているうちに、コンラッドは床板にコツリコツリと足音を立てて、わたしの座った椅子から離れてテーブルにほうに歩いていく。 コンラッドが椅子を支えなくなったから、慌てて自分の足で踏ん張った。 「申し訳ありません、武骨者ゆえ今まで気が付きませんでした。どうぞお二人とも飲み物を」 水を注いだグラスを手にしたコンラッドは、そのひとつを面白くなさそうな顔をしたサラレギー王に手渡す。 「あなたのそれは武骨というより無粋だよ」 「それは申し訳ないことを」 コンラッドは軽く肩をすくめてこちらを振り返った。一瞬だけ目が合ってしまって、慌てて床に目を落とす。 コツリコツリと、ゆっくりとした足音が近づいてくる。 「それとも、わざとかな?」 サラレギー王の不愉快そうな声に、何がわざとなんだろうと内心で首を捻っている間に、床を見ていた目に靴先が映った。 「どうぞ。ご歓談で喉が渇いておられるでしょう」 「……ありがとう、ございます」 顔を上げて、でも正面からコンラッドの目を見る勇気がなくて、大きな手に握られたグラスだけを見て手を伸ばして受け取ろうとしたとき、船の揺れでコンラッドがバランスを崩した。 「あっ」 実際には、そのサラレギー王の声が聞こえたときには、それこそあっと言う間もなく、頭から水を掛けられていた。 ……わざとじゃない、わざとじゃないけど! 「ウェラー卿!何をしているんだ!、大丈夫かい?」 憤慨したように立ち上がったサラレギー王は、その勢いのせいで船の揺れにやっぱり体勢を崩してすぐにベッドに座り込む。 「申し訳ありません」 「え?え、ええ……ただの水だし、平気です」 頭を下げるコンラッドに困惑して髪から滴る水を指先で払いながら頷くと、サラレギー王はコンラッドを睨み付けた。 「あなたは大シマロンの者だが、ひとたびわたしの護衛を引き受けたからには、その立場があることも忘れないでもらいたいものだね、ウェラー卿」 「は……」 振り返って丁寧に腰を折ってサラレギー王に頭を下げたコンラッドは、すぐさま振り返ってわたしの腕を掴んだ。 「着替える必要があるでしょう。今すぐ部屋にお戻りになられたほうがいい。送ります」 そうか、それはラッキー。ちょっとしたアクシデントだと思ったけど、こうなると大歓迎のことじゃないの……って、まさか今の仕業はわざとじゃ……。 コンラッドに引き上げられるままに椅子から腰を上げつつ、すぐに考えを改める。 コンラッドがわたしを助けてくれる理由がないし、もしもこれがわざとだったとしても、大シマロンの者として、小シマロンの王と眞魔国の王妹の仲が近くなるのが困るとか、そんなところであって……きっとそうだ。 いちいちコンラッドの行動に期待してしまう自分が本当に嫌だ。 まして、わたしのこの口は『あなたを殺すわ』なんてことまで言ったっていうのに、なんて図々しい。 「待って。着替えると言っても、どうせわたしが貸した服じゃないか。この部屋のあるものから好きに選んで着替えるといいよ」 「え……いえ、ですがもうたくさんお借りしているのにこれ以上は」 「は遠慮してばかりだね。そんなこと気にしなくていいんだよ、わたしは仲良くなりたいんだから。……それとも、ひょっとして迷惑だっただろうか?わたしは押しが強すぎると、時々臣下たち怒られるんだ」 胸に手を当てて、寂しそうに俯いたサラレギー王に、まずいと慌てて手を振る。彼とは親しくなるべきであって、距離をとられてはいけない。 「いえ、まさかそんなことは」 「本当に?それならよかった!」 両手を軽く合わせて、嬉しそうに微笑んだサラレギー王は、ベッドから立ち上がってこちらに弾むように駆け寄ってきた。 なるほど!揺れが酷いなら揺れる前に大きく一歩出て間を詰める手が有効なのね! ……と感心するわけにはいかない。だって結局それでバランスが完璧に取れるわけもなく、そのまま前につんのめるようにサラレギー王がわたしに手を伸ばしてしがみつこうと……。 「危ないですよ、陛下」 コンラッドがわたしを後ろに押して間に割り込んできて、倒れ込んできたサラレギー王を抱きとめた。 押されたわたしは椅子にこけるようにして腰を落とす。お尻を打って痛かったんですけどね! ベッドから落ちたときと同じところだ。この短時間で二回も同じところを打つなんて。 支えられたサラレギー王は、何故か不機嫌そうに溜息をついて、コンラッドから起き上がる。 「ありがとう、ウェラー卿。……あなたは本当に無粋だな」 「申し訳ありません」 よく判らない会話でコンラッドが頭を下げると、すぐにわたしを振り返った。 「顔色も悪いようですし、部屋に戻りましょう。濡れたままでは風邪をひいてしまいます」 「そうだね。ウェラー卿のせいでが熱でも出したら大変だ。部屋に戻るよりここで着替えたほうが早い……」 「陛下。他国の姫君です。陛下の部屋で着替えを勧めるのは失礼ですよ」 わたしに口を挟む隙間も作らせず、コンラッドは脱いだ上着をわたしの肩に掛けた。こちらをろくに見ずに、まるで自然にごく当たり前のような動作で。 ……たったこれだけで泣きそう。 「おかしな噂が立てば陛下もお困りでしょう」 「この区画に入り込む者は滅多にいない。無用な心配だね」 「問答の時間が惜しい。彼女を部屋までお連れします。失礼」 強引に話を打ち切って、コンラッドはわたしの腕を引っ張って歩き出す。 「あなたは本当に強引な男だね」 振り返ると、サラレギー王は腰に手を当てて溜息をついていた。 そしてわたしが聞きたくもない一言を付け足す。 「まるで大シマロンを人の形に体現したみたい。あなたは大シマロンそのものだ」 コンラッドはまるで気にした様子もなく、一度も振り返らずに部屋を出た。 |
さっさと戻りたいという願いは叶ったようですが……。 |