「結局先に寝てしまって申し訳なかったね。じゃあ今度はが」
「いえ、大丈夫です。バッチリ目が覚めました」
ヤンが落ちた防寒シートを差し出しながら睡眠を勧めてきて、は右手を上げて断った。
「ああ……さっきの今だから。なら眠くなったらいつでも眠っていいからね」
「はい」
は素直に頷いたものの、眠る気は今のところない。上手くすれば明日には自力で戻れるかもしれないし、救出されるかもしれない。ならばせめて一日くらいは我慢したい。
なにしろ、疲れきっている今の状況を考えるとイビキのひとつやふたつ、かくかもしれない。ヤンの寝顔は可愛かったけれど、こと自分となると大口を開けて涎を垂らしてもおかしなくない……と思うとなるべくならヤンの前で眠りたくなかった。
遭難中という現状で、それどころではないことも重々承知はしている。してはいるのだが。
「せめて今日に気づかなければよかったなあ……」
は泣き言のように小さく呟いて、火にかざしていたヤンの上着の乾き具合を確認した。


眠れない夜の話(6)


「先輩どうぞ」
「ああ、ありがとう」
手渡された乾いた上着に袖を通して、ヤンは自分の時計を確認した。
「やれやれ、夜明けまではまだあるね」
「でも、吹雪はもっと弱まってるようですよ」
耳を澄ませてシートの向こうの様子を伺うに、同じようにヤンも口を閉ざして外をうかがった。
「うん、この調子だと朝には止んでるかな。よかったよ」
「では朝を待って移動しますか?」
平常心平常心と心の中で繰り返して、かなりの努力の上でなんでもないを振りをしている端から、ヤンは上着の前を閉じるとシートを広げての肩を抱き寄せた。
「先輩っ」
「ん?ああ、移動ね。うーん、だけどあまり落下現場から離れすぎるのもよくないかもしれないしなあ」
の悲鳴を、今後のことを真面目に考えてくれという叫びに取ったらしく、ヤンはまったく気にした様子もなく、との距離を肩をつけるほどまで縮めてシートに一緒に包まった。
は喉に力を込めて悲鳴を堪える。ヤンが眠る前までは何の意識もせずに当たり前にできたことなのに、今は心臓が激しく脈打って仕方がない。
そんなガチガチに緊張したには気づかずに、ヤンは窪地の低い天井を見上げて首をひねって考える。
「自力で戻れるに越したことはないけれど、ここが山のどの辺りなのかもさっぱり判らないし、明日になってここを中心に周囲の様子を見て回るのが無難かな」
「もう少し広い場所があったら移るとか……ですか?もちろん道が判って一気に戻れたら一番いいんですが」
は胸を押さえながら、それどころではないと呪文のように自分に言い聞かせる。
「道は……たぶん無理だろう。ここは狭くて足もろくに伸ばせないからつらい気持ちも判るけど、狭いほうが保温効率がいいという利点もあるからねえ。広いというより、ここより条件が良さそうなら移動、かな」
ということは、移動してもこういう距離のままの可能性は高いわけだ。
喜んでいいのか、暴れたいのか自分でもよく判らない。
ヤンにぴったりと寄り添える口実にはなるけれど、心臓の負担も大きすぎる。
だからそれどころじゃないのに、と心の中で繰り返すのだが、ヤンのことで必死過ぎて現状を悲観する要素がまったく湧き上がってこないことは喜ぶべきことかもしれない。
「……サバイバルにおいて、もっとも危険因子が高いのは弱気になること」
そしてそこからパニックになることだと、講義で聞いたことがある。そのことを考えると今の心理は悪いばかりではない……とでも思わないと、自分の不謹慎さが情けなすぎる。
「行軍マニュアルだね」
寄り添ったの呟きを拾ってヤンは感心したように唸り声を上げた。
は意外と勉強熱心だねえ。うん、こういうときこそ初心に返るのはいいことだ」
勉強熱心どころか、自分への言い訳に使っただけだ。は力なく笑うしかない。
「返る初心があるほど玄人じゃありませんけどね」
「なるほど、違いない」
ヤンも笑いながら頷いて、それからしばらく沈黙が続いた。
じりじりと固形燃料が燃える音だけが小さく響いていると、自分の心臓の脈打つ音が妙にうるさい。は困窮して話題を探す。
「ヤン先輩って、ラップ先輩とは士官学校で知り合ったんですか?その前からの友達じゃなくて?あの、すごくお互い理解し合ってるみたいに見えるっていうか」
「うん?ああ、そうだよ。元々私は惑星間を飛び回る父親について回っていたからね、それまで一所に落ち着いたことがなかったんだ。だからあちこちの星に友人がいることにはいるけど、親友とまで言える相手はいないな。そういう意味では、ラップは初めてできた親友だ」
ヤンは照れたようにシートの中から手を出して髪をまぜるようにして頭を掻く。
ヤンが星空間を行き来する商人だった父親についていて回っていたことは知っている。簡単にだけ聞いた話としてではなく、昔の思い出として。
もっとも、ヤンは記憶の中の少女がと同一人物だとはいまだに気づいていないので、が知っているとは思ってもいないだろうけれど。
だが小さい頃だけでなく、士官学校に入る前までその生活が続いていたというのは初耳だ。
は、アッテンボローとは古い付き合いなんだったね」
『付き合い』という単語に、思わず眉が動いてしまったが、ヤンが言っているのはこの場合は『人付き合い』だ。眠る前の会話が尾を引いているのか、幼馴染みとの話をヤンに振られると、どこか気にしすぎてしまうのかもしれない。
は気を取り直して、膝を抱えた。
「家が近所だったので、まごうことなき幼馴染みです。家族ぐるみの付き合いなんで、本当の兄弟みたいに遊んでました。ダスティには三人お姉さんがいるんですけど、知ってました?」
「へえ、お姉さんがいるとは聞いたことがあったけど、三人というのは知らなかった」
「末っ子で、おまけに一人だけ男の子なんで、何かあると『女なんて!』って叫んで口癖になってましたよ。弟が欲しいなんていいながら、あれは自分に下が欲しかったんでしょうね。うちの妹のことだけは可愛がっていたんですけど」
のことは?妹分だとか言ってるけど」
「そっちは上に立ちたいガキ大将の理屈です。同い年で妹分も何もないじゃないですか」
が飽きれて肩をすくめると、ヤンは口を押さえて小さく笑う。
果たしてそれは、アッテンボローの心理を笑っているのか、むきになるを笑っているのか。
「で、うちの妹にお兄ちゃん風を吹かせていたんですけど、ある日お姉さんたちによってたかって遊ばれて、お古の服で可愛く女装させられて……」
「それを妹さんに見られたわけだね?」
おちの見えた話にヤンが指を差して先回りすると、は軽く息を吐いた。
「そうです。そして一言『今度、女物の服の着心地のレポートを書くことになったんだ!』」
握り拳で力説するアッテンボローの真似をしたに、ヤンは堪らず吹き出した。
「そ、そ、そ、それは気の毒に………」
同じ男として同情するとか言いながら、ヤンは可笑しそうに笑い転げる。後輩の幼い頃を知らないヤンにとっては、恐らく今のアッテンボローの声でセリフが再生されたのだろう。
「いつかその写真を持ってきますね」
「あるのかい!?」
「ダスティは全部処分したつもりらしいんですけど、すべて消去されることを危惧したおばさんからうちでフィルムを預かってて。実は映像もあります」
「可哀想に!」
同情の声を上げならが、それでもヤンはまだ笑っている。子供の頃の恥は本人とってはとんでもないかもしれないが、周囲からするといい話題でしかない典型だ。
ヤンがあまりにも笑うので、勝手に一人で感じていた気まずさにも似た緊張がようやく解れて、は心の中で幼馴染みに感謝する。
「ダスティ、あんた本当にいい友達だわ」
幼馴染みが聞けば癇癪を起こしそうな感謝の仕方だった。


アッテンボローの話を切っ掛けに、最近のことばかりだった話題が古いものにも及ぶようになった。どうやらお互いに、無意識に相手にも判る話題を選んでいたらしい。
は昔から機械が好きだったのかい?」
お互いにいくつかの話をしているうちに、志望動機の話に至った。は頷いて、抱えた膝にシートの上から顎を乗せる。
「父が工場を経営していたんです。最初は、飛び散る火花が綺麗で通い詰めていたんですけど、そのうち機械の仕組みそのもののほうに興味が移っちゃって。先輩は歴史を学びたかったんですよね?」
「そう。私も父の影響というべきかな。いや、母親は記憶にないほど幼い頃に亡くしたから父の影響だけなのは当たり前かもしれないけれど。なかなか面白い歴史観を持つ人だったんだ。と言っても、本人はまったく歴史に興味はなくて、商売と芸術にしか情熱を注いではいなかったんだけど」
ヤンが天涯孤独の身だという話は知っていたが、母親は幼い頃に亡くしていたとはこれも知らなかった。そういえばあの頃メンテナンスで滞在していたときに、母親らしき人がいた覚えはない。話題の父親のほうも、はっきりとは覚えていないけれど豪快な人だったと思う。
「商売と芸術って……先輩のお父さんって美術商とかだったんですか?」
「いや、なんというか……何でも屋というのが近いかな。古美術品を集めるのが趣味だったんだ。『金は懐を、芸術品は心を豊かにしてくれる』が口癖でね」
「す……すごくためになる薫陶です」
判りやすいですね、とは言えずにが捻り出した感想に、ヤンは笑って手を振る。
「皮肉を込めて『金を育てる名人』なんて言われることに胸を張っていたような人だったからね。変人だよ」
「む、息子って容赦ないですね……」
実の父親を変人の一言で切って落とす息子にが呟くと、ヤンは肩をすくめて首を振った。
「商売は上手い人だったけど、こと芸術となると見る目はなかったね。親父が事故で急に他界して、残った財産の処分をしてみたら、ほんの一部を除いてことごとく贋作でねえ……ひょっとしたら、あの人のことだから判っていて贋作を集めた可能性もあるけど、とにかくお陰で私は金に困って、けれど歴史は学びたくて士官学校に入った次第さ。息子にこれだけの苦労をかけているんだから変人で十分だよ」
憎まれ口を叩きながら、それも父親への親愛があるゆえなのは、幼馴染みとそっくりだ。
はなるほどと頷きながら、くすくすと小さな声で笑った。
「先輩とダスティの波長が合うの、なんとなく判ります」
「おや、そうかい?」
「二人とも、お父さんのことが大好きなんですもの」
指摘されたことに、ヤンはばつが悪そうに赤面して髪を掻き毟る。
「困った親父だと思っているんだけどなあ」
「お父さんのタイプもちょっと似てますよ。豪快で、ちゃんと一本芯が通ってて。見た目は正反対ですけど」
アッテンボローの父親は一見、頑固で神経質に見える。記憶の中のヤンの父親は、話の判る大らかな人に見えた。だが二人とも、内面には近いものがあるのだろうと思い出しながら言ってみると、ヤンは驚いたように目を瞬いた。
「あれ、親父の写真なんて見せたことがあったかな」
「え……あっ!」
ヤンはその昔、と会ったとは気づいていなかったのに。ヤンの父親の見た目が判るのは、会ったことがある証拠だ。
慌てて口を塞いでどう言うべきかと考えている間にも、ヤンはふと眉を寄せて記憶を手繰るような表情になった。
「………のお父さんは、工場を経営していたって………」
「あの、先輩……っ」
「まさか、船舶の工場?…………あ……あーっ!」
を指差して、驚いたように絶叫するヤンに溜息をつく。
ヤンが気づかないなら、気づかないままでいいと黙っていたのに、うっかり自分から話してしまった。こうなると、気づいていたのに黙っていたことが今度は気まずい。
「どうして言ってくれなかったんだい!君は気づいていたんだろう!?」
「え、ええ……まあ……」
どうしてと改めて聞かれると、どう答えたものか迷う。
今考えると、恐らく初恋の相手だったことが妙に気恥ずかしくて黙っていたのだと思うけれど、今も好きになったと気づいてしまった以上、それを正直に説明する気にはなれない。
今のヤンのことも好きになったと気づく前なら、笑って言えたかもしれないけれど。
「さ、最初に言いそびれて、そしたら何となく蒸し返すまでもないかー、みたいに思っちゃって」
「君はいつから気づいていたんだい?」
「資料室で、二度目に会ったときに」
「あのスカーフを返してくれたときか。ほとんど最初からじゃないか」
入学直後の失敗談を掘り返す結果になって、は呻きながら俯いて手を上げた。
「そ、その話は忘れていただけるとありがたいのですが……」
「あんな面白い……いやいや、印象深いエピソードを忘れるのは難しいと思うよ」
「先輩がいじわるだ……」
うっかりスカーフを踏みにじり事件に関しては、ヤンもアッテンボローやラップに内緒にしてくれているので、知っているのはヤン一人しかいない。アッテンボローが知っていればここぞとばかりにからかわれたに違いないが、蒸し返すことになったのは今が初めてだ。
だって黙っていたんだから、お互い様だね」
「だ、だから故意に隠してわけじゃないです」
たぶん、と心の中で付け足しながら顔を上げると、ヤンは笑いながらの髪を撫でて懐かしそうな表情で覗き込んでくる。
「ああ、そうだった。あの子の髪の色も、私の話に一生懸命になる瞳の色も、と同じだった。今ようやく思い出したよ」
ヤンとの距離に、その表情に、真っ赤になって絶句する。
近いです!と絶叫するだけの余裕もない。心臓が破裂しそうなほど激しく動いて、耳に響く鼓動はヤンにまで聞こえているんじゃないかとさえ思う。
「せ、先輩っ」
何を言うのかまるで考えないままに、脳が沸騰しそうな状況をとにかくどうにかしたくて裏返った声を上げると、ヤンが突然顔を上げた。
「今、何か聞こえなかったかい?」
「は?」
思い切り先輩を呼びましたがと言う前に、今度はの耳にも外から声が聞こえた。
拡声器でとヤンの名前を呼ぶ声が聞こえる。
「救助だ!」
二人で声を揃えてそう叫ぶと、幕にしてたシートを払いのけて窪地から這い出した。騒いでいる間に吹雪は止んでいて、おまけに夜まで明けている。
まだ薄暗さが残っているので装備の不足したたちではヤンが言っていたような周囲の探索に出る時間ではなかったが、捜索隊は行方不明者二名を探す準備も万端だ。
雪の山を幾重にもライトが照らしていて、上空を飛ぶヘリコプターの機体まで見えた。
「助かった……」
の万感の思いの呟きは、ヤンとは違う意味もしみじみと込められていた。








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