「起きろっ!」 見舞いに医務室までやってきたアッテンボローに開口一番で言われたのはその一言だった。 疲れ切って深く寝入っていたところを叩き起こされたは、起き上がりながら不機嫌な様子でボサボサになった髪を掻き上げる。 「眠い……」 「何が眠いだ!」 ベッドの傍らに立つ幼馴染みに頭を叩かれた。掻き上げた髪がまた落ちての顔を半分隠す。 「……あれ、ダスティ?」 「あれ?じゃないだろ!?お前、本っっ当に、バカだよな!」 もう一発平手で頭を叩かれた。 「キレるなってあれだけ忠告してやっただろう!」 「……うん、ごめん……」 こくりと頷いて謝ると、アッテンボローは溜息をついて額を押さえる。 「本当に……この馬鹿……」 顔を覆った手を降ろすと、は座ったまま船を漕いでいた。 「寝るなって言ってるんだっ!」 眠れない夜の話(7) 無事に救助隊に収容されたあと、とヤンはそのまま校内の医務室まで移送された。 一通りの検査が終わり、凍傷などの問題がないことが確認されると演習指導の担当教官とそれぞれの学年主任の教官たちと、校長とに揃ってかなり絞られるはめになった。 どうやらワイドボーンを始め同じ班に振り分けられていた同級生や上級生は、救助要請を出したあとに求められた説明で、かなり正確な報告をしていたらしい。 ワイドボーンにも多少の非があったこと、ヤンは巻き込まれただけだったこと。 シトレ校長の提案により、その二点に加えて下級生をよく指導して重大な事故に発展させなかったということも考慮されて、実習のマイナス点はそれで相殺するという形で許された。 はその点ではほっと胸を撫で下ろした。ヤンを巻き込んだ挙句、もしも落第点でもつけられたらと、呼び出しを受けてから気が気ではなかったからだ。 だが自分の処分はそれでは済まない。 「ヤン候補生は下がってよろしい。だが後ほど体調の変化が起こる可能性も考慮して本日一日は医務室で過ごすように。候補生!」 敬礼したヤンの横で、が背筋を伸ばした。 ヤンは後輩を心配する視線を向けたが、教官に目で催促されて仕方なく踵を返す。 「軍において上官の命令は絶対である。そして士官学校における上級生は、正規軍の上官と同じと心得ておくべきものだ。いくつかの証言から、ワイドボーンにも暴言があったとの報告はある。しかし特殊な状況下において、私的に上官へ抗弁することは軍規を乱す元だ!しかも暴言は君に対してのものではなかったという。何か言いたいことはあるか」 「ありません」 「教官」 が即答したそのすぐ後に、後ろからヤンの声が上がった。思わず驚いて振り返ってしまったが、ヤンは扉の前で振り返って教官に意見する態勢を取っていた。 はヤンに小さく首を振って、庇う必要はないと信号を送ったのだが、ヤンはそれを無視してまっすぐに演習担当だった教官を見る。 「候補生の行動が軽率であったことは確かだと思います。ですが自分ひとりでは候補生はおろか、自分の身も守れていたか自信はありません。候補生は自分の指示に的確に従って、混乱することなく迅速な行動に移り、それを達成しました」 「……それで?」 教官は声を低く落として、眼を細めた。 「それだけです」 しんと沈黙が降りた室内の空気に、は冷や汗をかきながら胃がキリキリと痛み出したかのような緊張感に眩暈すら覚える。せっかくヤンはお咎めなしになりそうだったのに、人がいいにもほどがある。 「ヤン候補生!」 教官が傍らにあったテーブルを叩き、ヤンが次の言葉を待って背筋を伸ばしたその瞬間に、横から声が滑り込んできた。 「部下に尊敬されるということは、士官にとって重要な要素でもあるな」 一斉に室内の視線が、発言者に向かう。興味深げに顎を撫でて眺めていたシトレ校長は、軽く手を上げた。 「候補生に忍耐が足りなかったことは事実だろう。上級生への抗弁についても怒りを煽る内容であったことも含めて減点対象だ。だがヤン候補生の意見も考慮する価値はある。処分は追って通知する。二人とも、下がって医務室へ行き給え」 校長からの鶴の一声で訓告の終了となり、はぎこちなく敬礼を取ってヤンの後に続く。 「候補生」 「はい!」 廊下に出ようとした瞬間に呼び止められて、が慌てて身体ごと反転するとシトレ校長は苦笑の表情で軽く息を吐いた。 「君はもう少し、理不尽に慣れなければいかんぞ」 「……肝に銘じます」 もう一度敬礼をして、校長室の扉を閉めた。 「あの先輩……すみませんでした……それに、庇ってくださってありがとうございます」 深々と頭を下げるに、ヤンは困ったように頭を掻きながら手を上げる。 「気にしないでくれ。あれは事実を言っただけだよ。君がいなければ、私は凍死していたかもしれないんだしね。言っただろう?二人でよかったんだって」 優しい言葉に泣きたくなって、けれど泣けばヤンを困らせることになるのも判っているので、は涙の滲んだ顔を上げて、精一杯ヤンに笑顔を返した。 「それで?」 「それで医務室に戻ってきたら一気に緊張が解けて、あんたに起こされるまで爆睡してたんだよ」 だからシャワーも浴びてないと、野外演習用の制服のままのが両手を広げて見せたが、ベッドの傍らの椅子に座っているアッテンボローも同じく野戦服のままだ。 「じゃあ処分はまだ判らないんだな」 「んー」 「お前なあ……緊張感がないぞ」 「だってもうなるようにしかならないし……校長は先輩には好意的なことを言ってくれたし、わたしのことは最悪放校、マシなら減点と懲罰ってとこでしょ……今はとにかく眠い……昨日徹夜だったんだから寝かせて……」 ごそごそとベッドに潜り込んだに、アッテンボローは深い溜息をついて椅子から立ち上がる。 はふと思い出したように潜り込んだベッドから顔を覗かせた。 「先輩へのお見舞いは、もうした?」 「まだだよ。でも先輩もお前と似たようなものかもな」 医務室までは一緒に戻ってきたのだが、医務室のベッドルームはきちんと男女で分けられている。ヤンは隣の部屋にいるので、にはさっぱり様子が判らないのだ。 「あんたはちゃんと演習クリアできたの?」 「ああ。到着点についたら、お前と先輩が行方不明になったって噂が流れてて生きた心地がしなかった」 「家に連絡って行ったのかな」 「ようやくそれを聞くか?そりゃ行方不明になったんだから、連絡は行っただろ。発見の報告も行ってるだろうけど……おばさんには俺から連絡入れとくよ」 「ごめん、お願い」 「ああ、後で自分でも連絡入れろよ」 そう言っての髪を乱暴に撫でて、ベッドから離れようとしたアッテンボローは、制服を握られて軽くつまづく。 「今度はなんだよ」 は頭までブランケットを被って、手だけをベッドから出して幼馴染みの制服を握っていた。 「……心配かけてごめん」 それだけ言うと、ぱっと手を離してベッドの中に引っ込めてしまう。 ブランケットの向こうから、幼馴染みの呆れたような、苦笑の滲んだ溜息が聞こえた。 次にが目を覚ましたのは日が暮れてからのことだった。たっぷり半日は寝て過ごし、体力も回復した。ベッドの上に起き上がると、大きく伸びをして凝った筋を解していたところに、今度はキャゼルヌ事務局次長がやってきた。 「お、起きたか」 「キャゼルヌ事務官」 「お前さんたちが演習で行方不明になって、こっちも大変だったんだぞ」 「大変申し訳ありません……」 捜索隊を組んでヘリを出して、事務仕事が急に舞い込んだことは想像に難くない。 が恐縮しながら頭を下げると、キャゼルヌは軽く笑って昼に幼馴染みが座っていた椅子に腰掛けた。 「事務官は、医務室へは仕事で?」 「お前さんたちのメディカルチェック結果を受け取りにな。それだけなら内線でもよかったんだが、せっかくだから見舞いも兼ねてきた。だがヤンはまだ惰眠を貪ってるよ。やっぱりお前さんのほうが体力があるのかね。情けない」 「わたしはそれくらいしか取り得がないもので」 肩をすくめるに、キャゼルヌは笑いながら手にしていた書類をめくった。 「二人とも大きな怪我もなくてよかった」 「ご心配をおかけいたしまして……」 「いや、士官候補生が演習の事故で怪我をしたとなると、治療費だの見舞金だのが出る場合と出ない場合とがあったりしてややこしいからな」 それが冗談なのは軽口の口調と表情で判るのだが、キャゼルヌの冗談はときどきブラックジョーク過ぎて笑えない。 が引きつった笑いを浮かべているのを気にしていないのか、それとも書類を見ていて気づいていないのか、キャゼルヌはページをめくりながら話を変えた。 「心配と言えば、アッテンボローが大変だったらしいぞ。あいつがゴールした時点で、もうお前さんたちは無事発見されていたんだがな、また吹雪いてきたせいで山の向こうと上手く連絡の連携が取れなくて、あっちでは行方不明のままだったそうだ。演習直後でヘロヘロにくたびれているくせに、自分も捜索隊に加わると現場責任者に突進していたらしい」 「あらら……」 そこまで心配をかけていたとは思わなかった。たちは早朝に発見されていたから、アッテンボローには行方不明になっていたと過去形で伝わっていたものだとばかり思っていたのに。 そうなると、いくら眠たかったからといって、昼間の見舞いでは随分な態度をとってしまった。 「それをラップが宥めながら、『ヤンのことだから落下現場から離れていないはずです』との意見を具申したらしい。少々遅れた意見だったわけだが、ラップの指摘が正しかったことは事実で証明されたし、ラップは自班を脱落者なしでゴールさせたから、評価点はいいだろうな」 「えーと……その、ダスティは騒いだせいで減点なんてことには……」 「その点は心配ない。勝手に捜索に出ていれば減点されていただろうけどな。アッテンボローも好評価だよ。問題は、お前さんとヤンだ」 ずしりと背中に重石が乗ったようだった。自身のことは覚悟していたけれど、ヤンの処分はないか、随分軽くなると思っていたのに、ヤンも酷く減点されたのだろうか。 眉を寄せて不安そうな表情のに、キャゼルヌは苦笑してメディカルチェックの結果を振る。 「放校なんてことにはなってないから心配するな」 「いえ、わたしのことはともかく、先輩を巻き込んだのが申し訳なくて……」 キャゼルヌは目を瞬いて、軽く天井を見上げる。 「そっちか。まあ、確かに巻き込んだ挙句に大減点というのは居たたまれないだろうが……ヤンは減点はされていない。もともとの点数が低いんだ、あいつは。大減点はお前さんだけだ」 「よ、よかった……」 心底安心できる話ではないが、それでもヤンの減点を免れたことには息をついた。 キャゼルヌは軽く唸りながら頭を掻いて、視線を窓へと向ける。 「お前さんは実技教科の成績は元がいいから、減点でもギリギリ及第点で残れると思うぞ。ただ……」 「た、ただ?」 言いにくそうに言葉を濁されて、はブランケットを握り締めて身を乗り出した。 キャゼルヌは軽く息を吐いて、に向き直る。 「本当は、懲罰内容は校長から聞かされるんだが、校長室で奇声を上げないように先に教えておいてやる。演習において私的行動に走り、軍規を乱し、部隊の他の人員にも危険を及ぼしたお前さんの懲罰の内容は……」 「半年間、ドーソン教官の助手の一員として従事すること」 翌日、食堂にて正式にシトレ校長から通知された懲罰内容をが告げると、ヤンとラップは顔を見合わせて気の毒にと呟き、アッテンボローはストローを咥えたまま、それはきついと言いながら笑う。 本人は何も言わなかったのでも蒸し返してはいないが、キャゼルヌからどれほどアッテンボローに心配をかけたのかを聞いているので、は笑う幼馴染みを恨めしげに見るだけで、薄情だと責めることはできなかった。 「なるほどねえ……校長の最後の言葉はこれを指していたわけか」 「最後の言葉?」 ヤンが感心したように呟いて顎を軽く擦り、ラップが何のことと聞き返す。 一日の猶予があったおかげで、もヤンを好きだと気づいてしまった動揺をどうにか押さえることができて、今なら真っ直ぐにヤンを見ることができる。 当然平気とはいかなくてどこか落ち着かないし、こちらから見つめることはできても、正面から目が合うと内心では激しい動悸に襲われはするのだが。 「昨日の訓告で、退出直前にに言っていたんだ。『君はもう少し、理不尽に慣れなければいかんぞ』とね」 「あー……ドーソンの野郎は確かに理不尽に慣れるにはうってつけの相手ですね」 生活指導教官でもあるドーソンとはとことん相性の悪いアッテンボローが肩をすくめて、はテーブルに突っ伏した。 「というか、その流れだと、校長もドーソン教官が苦手なんじゃないのか?」 ラップの独り言に、さもありなんとヤンとアッテンボローは同時に頷いた。 |
ということで、50万ヒットありがとうございます企画で投票いただいた、青銅の蝶の続編でした。 この話はユリアンのイゼルローン日記の中にあった、 「士官学校時代、ヤンが演習で部隊からはぐれて凍死しかけた」 という話を膨らませてみました。凍死しかけた描写はなかったんですが(^^;) 小話はヤン側の視点でのお話を少しだけ。出番の少なかったラップを書きたかったのでした。 相変わらず目測を誤って7話もあるんですが、50万ヒット御礼企画としてフリー配布しております。 ダウンロードされる方はこちらのJava Script版をどうぞv |