狭い空間で、じっとして黙っていても、お互いに気詰まりを感じるような相手ではない。 とはいえ、暇と不安が混じり合った状態の長い沈黙は焦燥を煽ることになる。 とヤンはお互いに学校での講義や寮での話など共通の話題を語っていたのだが、学内でも会えば会話をするし、時には一緒に行動をする相手に対して目新しい話題が続くこともなく。 外は吹雪で空を見ても時間の感覚は持てないが、耐衝撃、防水加工の腕時計で確認した時間で夜も更けてきた頃には、すっかり話題が尽きていた。 時々、入り口の幕代わりにしているシートを叩いて雪を落としたり、シートを捲くって窪地の前に貯まった雪の量を確認する。一度は窪地前の雪を払う作業もした。 ヤンが倒木の枝に脱いだ上着を広げて括った簡易の雪かきを作り、がそれを持って雪がなだれ込んでこないように窪地の前を馴らしたのだ。 それでも夜明けはまだ遠い。 眠れない夜の話(5) 「吹雪は少し弱くなっているみたいです」 窪地に戻ったが濡れたヤンの上着を広げて火にかざして乾かしながらそう言うと、ヤンは首を前に倒すようにして頷いた。 「そうか……それなら、上手くすれば明日は止んでくれるかもしれないね」 普段からヤンの口調はのんびりとしているが、今はどちらかといえば張りがない。それはも同じだ。 二人とも、揃って同じ限界を薄々感じていた。 眠い。とにかく眠りたい。当然の欲求だった。 朝から重い荷物を背負って雪の山を登り、今日はもう休むか、それとも少しでも進んでおくかで揉めていたときに崖から転落したのだ。その時点で疲労困憊、体力は限界に近かった。本来なら、ぐっすりと眠って体力を少しでも回復させておきたいところなのに。 「……、少し眠るといいよ」 半分瞼の落ちたヤンに先に提案されて、はぼんやりとした頭で首を振る。 「まだ大丈夫です。それより先輩がお先にどうぞ。もう今にも寝ちゃいそうですよ」 「いや、だけど私のほうが年長者だし……人間の睡眠時間は八時間が理想とされているそうだけど、赤ん坊のうちは大半を眠って過ごし、成長するに従って段々と減っていくわけだから、私のほうが長く起きていても大丈夫……」 「……いえ、やっぱり先輩がお先にどうぞ」 よく判らない理屈を展開するヤンに、どうやら自分よりもヤンのほうが深刻そうだとが再度眠るように勧めると、頷いてそのまま眠りそうだったヤンは慌てて首を振った。 「そういうわけにはいかない。いいかい、人間には睡眠が必要なんだよ。ここで寝なかったせいで、君にもしもがあればアッテンボローに申し訳が立たない」 「はあ、そうですか………はっ!?」 ぼんやりと聞き流しそうになったは、ヤンの言葉の後半にぱちりと目を開けた。 「え、そこは親御さんにとかなら判るんですが、どうしてダスティなんですか」 人差し指を立てて、恐る恐るお伺いを立てるように訊ねたに、ヤンも半分瞼の落ちた眠そうな目で、同じように人差し指を立てての指先と合わせる。 「だって君たち、付き合ってるんじゃないのかい?」 「付き合ってませんっ!」 当たり前のように言われて、急に悲しくなって慌てて指先を合わせたヤンの指を押し返すと、自分を奮い立たせる意味で握った拳を見せる。 「ダスティとは単なる幼馴染みです!何回かそういう誤解は受けましたが、なんで先輩まで勘違いしてるんですかっ!」 「勘違い……なのかい?」 「そうです!もう先輩寝てください!眠いからおかしなことを言い出すんですっ!」 照れと腹立たしさと焦燥が入り混じり、はやや乱暴にヤンの肩を掴んで自分の膝の上に転がした。 「あ、いや、寝るのはが先ー……」 の膝を枕に横になると、起き上がろうと少しだけもがいたあとヤンの瞼はそのまま下りてしまった。一秒と待たずして、静かな寝息が聞こえ始める。 「やっぱり先輩のほうが限界だったし……というか、とんでもない話にこっちは目が冴えちゃったよ。ちょうどいいことに」 は溜息をついて、雪かきに上着を提供して薄着のヤンの上に防寒シートを毛布代わりに被せた。その分が寒いけれど、眠っているヤンが優先なのは当然だ。 狭い空間なので、ヤンは膝を抱えたような丸まった状態になるしかない。それでもぐっすりと深く眠っている。 「……この態勢で熟睡……起きたら腰とか首とか痛めてそうだけど……」 今更起こすのも忍びない。自分が眠る番がきたら、壁にもたれて眠ろうと割りと無情なことを考えながら、は溜息をついて窪地の低い天井を斜めに見上げた。 「それにしても……ダスティと付き合ってるって……」 顔が引きつるのはどうしもない。 幼馴染みとは確かに腐れ縁とも言うべき年数の付き合いではあるし、人間的には好きだが異性として意識したことはない。あの破天荒さは友人としては楽しいし頼もしいとは思うけど、恋人になんてなったら気が気じゃないに違いない。 同級生にも何度か同じことを言われたことがある。寮で仲のいい先輩にもだ。 おまけに士官学校へ入る前からの友人の、他の幼馴染みたちはその辺りは判ってくれていると思ったのに、二人揃って士官学校に入学すると知ったときは「やっぱり付き合ってたんだ」なんてことを言われもした。 「みんな目が節穴だわ……」 どこをどう取ったらそんなことになるのだろう。アッテンボローは父親に説得されて受験したのだし、本来の志望校は別にあった。は家の経済的理由で受験して、志望校は士官学校一本だった。 「一緒に通うことになったのなんて、どの側面から見ても成り行きじゃないの……っ」 そして幼馴染みが同時期に入学したから仲良くして、どこに不自然な要素があるというのだ。 「ヤン先輩にまでそう思われてたなんてショック……」 膝の上のヤンの髪をそっと撫でながら溜息をついたは、深く寝入る先輩をじっと見下ろす。 「世の中、幼馴染みでくっつく確率なんて、絶対大したことないに決まってるのに」 あまりにも同じ誤解が続くので、最近ではそう言われると腹が立ってくるのだが、誤解の土壌があることは、一応は認めているので笑って否定してすませている。 だけどそんな誤解を受けるたびに、男女の幼馴染みでも友情が成立している自分達の関係を否定されているようで、本当は悔しい。 「ん?」 ヤンの髪を撫でながら、ふとは先ほどのことを振り返る。 ヤンにアッテンボローと付き合ってると言われたときは、最近感じるような腹立ちは少しもなかった。なぜか泣きたくなるほど悲しくなっただけで。 「………先輩にまで誤解されて悲しかったのかなー?」 だけどこれは悲しほどの誤解だろうか。繰り返すが幼馴染みのことは嫌いじゃない。ワイドボーンに対して、好きだから突っかかっているんだなんて誤解なら、号泣ものだが。 膝の上のヤンの寝顔を眺めながら首を傾げたは、ふと自分の手の動きに気づいた。 「え、なんで勝手に頭を撫でてるのかな!?」 疲れているのに起こしたらどうするんだと慌てて手を引くと、ヤンが小さくうめいて頭の位置を僅かに変える。 驚いたとはいえ、つい叫んでしまった口を両手で塞いでいなければ、思わず再び叫んでいたかもしれない。 「せ、先輩……近いでーす……」 起こさないようにと思いながらも、ついつい小声で訴えかけて、最初よりの方へ寄せた顔を少し後ろに移動させた。そーっと手を離すと、ヤンは再び頭の位置を変えて元に戻す。 「先輩……」 今度はまったく別の意味で泣きたくなって、天井を見上げる。 唐突に、気づいてしまった動揺のせいだ。 膝枕が嫌なのでも、ヤンが太股の上のほうに頭の位置を変えることが嫌なのでもない。 むしろ、こんな非常事態だというのに、それが嬉しかったり恥ずかしかったりすることが問題なのだ。 「……だから、誤解されてたのが悲しかったんだ……」 とアッテンボローが付き合っていると、ごく自然に考えられていたということは、ヤンにとっては最初から対象外に弾かれていたということになる。 「対象外かあ……」 溜息混じりで呟いたは、ヤンが目を覚ますまでの間に何度も無意識にヤンの髪を撫で、それに気づいてひとり慌てるということを繰り返した。 数時間の睡眠で目を覚ましたヤンは、背中を丸めた状態のままで寝返りを打って、ぼんやりとした様子で真上にあるの顔を眺めていた。 「もう少し眠っていていいですよ」 寝ぼけている様子に睡眠の継続を勧めると、ヤンは髪を掻き揚げて息をつく。 「いや、交代するよ。も眠らないと。狭いからだろうね、腰と背中が痛くて……」 目を閉じてぼやいていたヤンは、いきなりぱちりと瞼を上げて跳ね起きた。 「………っ」 急の衝撃に、はどうにか声を飲み込む。数時間の膝枕で、すっかり足が痺れて半分感覚が消えていたのだ。ヤンが跳ね起きたので痺れが刺激されたのだが、恐らく本当の痛みはもう少し後に襲ってくるに違いない。 「す、すまない!そのひ、膝を借りていたようでっ」 「いえ……先輩を引き倒したのは、わたしですから……」 足の痺れの悲鳴を堪えていなければ、慌てたヤンが真っ赤になっていたことに気づけただろう。けれど今のは足のことで精一杯だ。自分を相手にヤンが照れたと知る僅かな喜びを逃してしまった。 とにかくヤンに気づかれないように足をどうにかしようと、まだ半分感覚がないうちに折り曲げて地面につけていた膝をゆっくりと伸ばしたのだが、痛みに息を呑むのはどうしようもない。 が何度も撫でていたためにぼさぼさになった髪を、そうとは知らずに掻き回して更に乱しながら、しどろもどろに謝っていたヤンもの様子に気がついた。 「……もしかして私のせいで足が痺れているんじゃないのかい?」 「そ、そんなことない……でぇーっ!先輩っ!」 指先で足をつつかれて、とうとうは悲鳴を上げた。 「やっぱり」 「そ、そ、そんな確認、鬼ですかーっ!」 半泣きになって訴えるに、ヤンは頭を掻きながら謝った。 「それは申し訳ない。私のせいだし責任を取ろう。はあっちの壁に背中を預けて」 「痛くて動けません」 既に痺れていることは知られているからと開き直って訴えると、ヤンはの肩と、痺れているといっているのに足を掴んで、シートの上でを半回転させた。 「先輩ーっ!殺す気ですかーっ!?」 「足の痺れくらいで人間死にはしないよ。でも血液の循環が悪くなっていることと、ここの寒さを考えると最悪のことがあるし、痺れを治すためにもマッサージが一番だろう」 「……マッサージ?」 涙目になっていたは、肩を押されて壁にもたれかかった状態で、胡座をかいたヤンの足の上に足を引っ張り上げられ、ふくらはぎを掴まれた。 「先輩っ!ギブ、ギブアップ!」 「我慢我慢。擦ったほうが早く血液が循環するんだから」 「せ、せめてもう少し優しく……っ」 「大丈夫、そのうち痛みが治まったら気持ちよくなるよ」 「それまでもちません……!」 身体を捻って壁を叩きながら訴えるが暴れなくなるまで、がっちりと足を掴んで押さえていたヤンは、ようやく抵抗がなくなった頃に靴の紐を解き始めた。 「あの、先輩……」 「足先のほうがより血の通いが悪いからね」 靴を脱がせて足の先まで揉むということだと理解して、は悲鳴を上げてヤンの手から自分の足を抜き取った。痺れが治まって力いっぱい動かせたからできたものの、代わりに勢いが付き過ぎて自分の膝で自分のみぞおちを蹴ってしまったのは完全に誤算だ。 咳き込みながら両足を抱え込むに、ぽかんと口を開いて驚いていたヤンは、しばらくして笑いながら顔を逸らした。 「せ、先輩……」 それは確かに、かなり間抜けな行動だけれども。が咳き込む合間に恨めしげな声を上げると、ヤンは片手をかざしながら笑いを収めようと努力する。 「い、いや……すまない……そ、そんなに嫌がるなら、やめ……やめるよ……」 まるで横隔膜が痙攣したかのように、途切れ途切れにしゃっくりのような笑いを混ぜながら、ヤンはそれでもと付け足した。 「あ、足の先まで、血を巡らせるのは、重要、で」 「はいはい、判りました。自分でマッサージします!」 一体どこの世界に、一日中雪の山道を歩き泥水だらけになった上に蒸れた足を、好きな人の前に晒したい女がいるだろう。 みぞおちを擦りながら、ヤンが途中まで解いていた紐を解いてブーツを脱いだは、自棄になって返事をしながら、ほんの僅かに足に残った痺れを解すようにくるぶしから足の先までを揉んでいく。 こんな状況で、ここまで笑ってもらえるなら本望だ……と思おう、思え、と自分自身に言い聞かせていたは、ブーツを履き直しながら溜息をついた。 こんな狭い場所で、二人きりで、何がどうあっても色気の欠片もない。それどころではないということを差し引いても、とことんない。 「これはダスティと付き合ってるうんぬんどころの問題じゃないわ……」 絶望的に女として見てもらえていない。もっとも、つい先ほどまではだってヤンのことを先輩としてしかみていなかったのだからお互い様ではあるのだが。 ようやく笑いを収めたヤンは、胸を撫でながら浮かんでいた涙を指先で拭う。 「といると楽しくて飽きないなあ」 は一旦口を引き結び、自棄になって言い返す。 「じゃあ先輩がつらいときは、いつでもお傍に上がります!」 「ああ、それはいい予約だ」 笑いながら頷くヤンに、この先もずっと、先輩後輩のものだとしても付き合いを続けるのだということを肯定されたようで、単なる会話のキャッチボールにも関わらずにほんのり幸せになってしまう。 「重症だわ……」 さっきまでは正真正銘先輩としか思っていなかった相手にこれかと仰け反って、壁に頭を軽くぶつけた。 |