の暴言を咎めることなく立ち去ったヤンを、やっぱり寛大だとアッテンボローが改めて感心している横で、第一印象とのあまりの差にが困惑して首を傾げる。
そこに別の人物が階段を上がって現れた。
「あ、ラップ先輩」
「ああ、アッテンボロー。さっそくヤンと話しに来たのか。やっこさん、中にいるか?」
「ヤン先輩なら、さっきこの資料室を出て行ったばっかりですよ」
「なんだ入れ違いになったな……ん、誰かいるのか?」
今まで全然見かけなかったのに、入学式当日に会った上級生とやけに立て続けに会う。
アッテンボローは幼馴染みの考えなど知る由もなく、陰からを押し出した。
「俺の妹分です。軍事技術工科に所属している……」
候補生か!驚いたな、狭い士官学校の中とはいえ、アッテンボローの知り合いだったのか」
「え、ラップ先輩もを知ってるんですか!?お前一体、どうなってんの?」
今にもずるいと言いそうな顔をする幼馴染みを軽く睨みつけて、はラップに敬礼をする。
「その節はお世話になりました」
あのときヤンの印象は最悪だったが、何かと気を遣ってくれたラップのことはそれほど悪く感じてはいない。
の挨拶に、ラップは苦笑して手を降ろすようにと言う。
「あー……ということは、もうヤンの奴にも、会ったかな?」
苦い顔で笑うラップの心情が判らないのは、もちろんアッテンボローだけだった。



青銅の蝶(3)



「ええ……はい、お会いしました」
複雑そうな表情で頷いたに、ラップは軽く右の眉を上げた。
「その様子だと、ひょっとしてあいつ、少しはまともに謝れたのかな?」
「う……え、えーと……は、はい」
の複雑な返答に、大体の事情を察したのかラップは両手を腰に当てて溜息をつく。
「本当に少しだったみたいだな……まったく不器用な奴……」
「謝るって何の話です?そういえば、ヤン先輩もすまなかったねって」
「あー……まあ、ヤンの奴が」
「どうだっていいでしょ。すーぐ個人的なことまで聞き出そうとするんだから!」
と親しいらしいアッテンボローにどう説明するかとラップが言い淀むとほぼ同時に、当の本人がピシャリと跳ねつけた。
としては、ヤンが謝った以上は彼に好意を持っているアッテンボローに告げ口をして話をややこしくしたくはなかったのだ。この幼馴染みは、結局なにかとの味方になってくれるから。
「ジャーナリスト志望もいいけど、幼馴染みのプライベートまで詮索しないでよね」
「詮索ー?純粋な興味だろ」
「それを詮索というのよ。スケベ」
「す、スケベ!?どうしてそんな話に……待てよ、もしかしてそういう話だったのか?」
「いや、アッテンボロー……」
友人がとんでもない誤解をされそうだと訂正しようとしたラップは、その誤解に上げた手を止めた。
「もしかして先輩を誘惑してあっさりフラれたとか!?お前、胸もろくにないくせに色仕掛けなんて無茶するなよ!」
「なんでわたしが、初対面の男を誘惑するのよー!」
驚愕して身を引くアッテンボローを、憤慨したが胸倉を掴んで前後に揺らす。
普通、艶めいた誤解をするなら、男女が逆ではないだろうか。まして、は下級生でヤンが上級生だ。
が、というよりヤンが後輩にどんな目で見られているのかと考えると可笑しくて仕様がない。
思わず吹き出したラップに、揺らしてくる幼馴染みを押しのけようと額に手を置いた格好のままでアッテンボローは唖然と先輩を見た。
ラップは腹を抱えて、廊下の壁を叩きながら激しく笑い転げる。
幼馴染みの二人は、掴み合った格好のまま、困惑したように顔を見合わせた。
「……なに?」
「え、お前の色仕掛けシーンを想像したとか?」
「まぁだ言うか!」
アッテンボローの駄目押しに、ラップの笑いの発作はますます激しくなり、どうにかそれが収まる頃には昼休みの時間が終わる直前になっていた。



午後の講義が終わると、冬が近いせいもあって既に完全に日が暮れている。電灯に照らされた廊下の窓は外が見づらく、弱い鏡のように室内を反射して映す。
寮に帰るべく、教本を抱えて友人と歩きながら窓に映った憂鬱そうな自分の顔を眺めていて、は溜息をついた。
どうしてヤンがに謝ったのか、アッテンボローが混ぜっ返したせいでラップに聞き損ねた。
いや、どうしても何もない。
あのヤンに喧嘩を売られた日、ラップはヤンの暴言は八つ当たりだと言った。それを謝ったのだろう。
問題は、暴言を謝ったのか、八つ当たりを謝ったのか、どちらかよく判らないことだ。
女の癖に工学を目指すなんて、という男尊女卑発言を謝ったのか、八つ当たりしたことが申し訳なかったと言いたいのか。
別にどちらでもいいだろう、とも思う。
幼馴染みはこれからも付き合いがある先輩だろうけれど、専攻も学年も違う、更には性別まで違うには、学校でも宿舎でも会う可能性の少ない相手だ。
ヤンの真意がどちらでも、ろくに関係のない相手の真意なんて知る必要もない。
「……けど、こっちの暴言は謝ってないんだよね……」
先輩を相手に気に食わないと言い切って、さらに言えば謝罪を受け付けたということさえ言っていない。急の謝罪にが呆然としている間にヤンが立ち去ってしまったから。
「あーもう!すっきりしないなあ!」
?」
急に頭を掻き毟り、唸り声を上げたに級友が驚いて声を掛けてくる。
それを切っ掛けに、腹を決めた。
「ちょっと行ってくる。これ、部屋までお願い」
「行くってどこに……あ、おーい、ちょっと」
友人に教本を押し付けて、幼馴染みがまだ校内にいないか探しに行くことにした。先輩本人を直接探すよりは、仲介がいたほうが早いと踏んだのだ。
「えーと、言うとしたら失礼なこと言ってすみません、かな。聞くのは謝罪の意味だよね」
会えるよう仲介を頼んだとして、会えるのは明日以降の話だろう。それまでに、言いたいことと聞きたいことをまとめればいい。
「明日……」
片手で頭を掻きながら、片手で話の内容を指折り数えて考えていたは、はたと足を止める。
どうして今日、ヤンに会ったのかと言えば、幼馴染みが情報を持ってきたからだ。
ヤンは昼休みに、あの資料室にいることが多い、と。
「なんだ、ダスティに頼む必要もないじゃない」
階段を上がろうと、足を上げたまましばらくつま先を宙に浮かせて考えた。
「……帰ろ」
体勢を変えて振り返るために、まずは宙に浮いていた足を階段の一段目に置こうとしたその一瞬前に、上階からふわりと制服のスカーフが落ちてきた。タイミング悪く、その上に音を立てて足を置いてしまう。
ダンッ、と大きな音を立てて、スカーフを踏みしめてしまった。
恐る恐ると足を上げると、思い切り靴底の跡がついている。
「……うわ……」
「あー、誰かいるのかい?すまないけど……」
聞こえてきた声に顔を上げると、階段を降りて踊り場を回ったヤンが、そこにいた人物に気がついて、氷のように固まっている姿があった。



時間にするとほんの数秒ほどだったのだろうけれど、お互いに気まずい沈黙が流れた。
一拍おいて、スカーフを直すところだったのか、一日の終わりで外してしまうつもりだったのか、制服の前をくつろげていたヤンが困ったように頭を掻く。
「……申し訳ないが、そのスカーフを拾ってもらえるかな?」
「え、あ、は、はい!」
ヤンが階段を降りながら指を差し、は腰を曲げて慌てて拾って……蒼白になった。
ヤンが目の前まで来て、慌ててスカーフを背中に隠す。
今にも手を差し出そうとしていたヤンは、その所業に再び驚いたように目を瞬いた。
「えー……と、それを返してもらえるとありがたいんだが……」
ありがたいというか、返せと言うべきだろう。
後ろ手に足型のついたスカーフを握り締めながら、は困り果ててじりじりと後退りした。
「あ、ちょっと……スカーフを……えーと……」
ヤンはくしゃりと顔をしかめて、困ったように指先で頬を掻く。
「その、あの時は、すまなかったと思うよ。だけどそういうやり方はあまり感心しないな」
「え!?あ、いえ、これは嫌がらせではなく!」
慌てて否定するように片手を激しく振ったものの、スカーフを握った左手は未だに後ろに回したままだ。
「それなら、返してもらえないだろうか」
「そ、それはできません」
いやにはっきりスカーフの返却を拒否したに、ヤンは唖然として手を差し出したまま口を開けた。
上級生のスカーフを踏みつけて靴の泥をつけた挙句、それを返せと言われて理由も説明せずにひたすら突っぱねている。
これではどう見ても、ただの嫌がらせだ。
唖然としていたヤンの表情が、段々と驚きから不愉快なものへと変わっていく。
の混乱は頂点に達した。
「こ、これは明日お返しします!昼休み、あの資料室で!」
「は……?」
「それでは、失礼します!」
右手で敬礼をして、ヤンの返答を聞く前には脱兎のごとく逃げ出した。
「あ、ちょっと……」
後ろから呼び止める声が聞こえたものの、足を止めることはできなかった。
の足が止まったのは、校舎内どころか隣接した士官学校女子宿舎の入り口に飛び込んでからだ。
ここまで全力疾走で、入り口を潜った途端に激しく息を乱したままガクリと床に膝と両手をつく。
入り口にはさすがに人通りが少ないが、少ないゆえに視線がに集まっている。
だがの視線は、床についた手が握ったままのスカーフに釘付けだ。
「ど……どどど、どうしよう……」
持って帰って来てしまった。しかも、何の理由も説明せずに。
せめて言えばよかったのだ。
踏んでしまったから、明日洗って返します、と。
「どーしよぉっー!」
絶対に嫌がらせだと思われている。
そんな相手に、しかも上級生に、明日会いに行かなくてはいけない。
「……いっそダスティに返してもらおうかな……」
だが、自分で明日資料室に来いと言ったのに、そのほうが取り返しがつかない気もする。
「あああ……どうしたらいいの……」
「こんなところでなにやってんの、
嘆息しながらその場で頭を抱え込んで伏せたは、可愛がってくれている上級生に愛情を込めた踏み付けをもらうまで玄関先で悶え苦しんでいた。








と、とことん間が悪い子……(^^;)
アッテンボローは幼馴染みをからかうのが好きなようです。


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