襲来の輪舞曲(4)





「おお、キルヒアイスも帰ったか!卿には可愛い妹がいるんだな!」
蒼白になったと、困惑しているヒルダ、わずかにキルヒアイスから距離を取っているミュラーと、何か様子がおかしいと気付いて眉をひそめたロイエンタールと、同じくやってきた三人の様子に首をかしげたワーレンの中で、ビッテンフェルトだけが陽気に声を上げた。
「可愛いなどと言っていただけると恐縮です。不出来な妹で」
心持ち低い兄の声に、は小さな悲鳴を上げて思わず横に居たワーレンの服を握り締める。藁にも縋る思いだ。
「今からいろいろと卿の話を聞こうと思っていたんだがなあ」
ビッテンフェルトだけがの異変に、というより部屋の中の異変に気付いていない。
縋りつかれたワーレンは僅かに困惑したが、それもその後のキルヒアイスの行動に比べるとまだずっとましだった。可愛い女の子に縋りつかれても嫌な気分にはならない。
だが。
「どうも、提督方にはご迷惑をおかけしました」
そう言いながら、赤毛の長身の提督が隣の少女の首根っこを掴んで引き摺り上げれば、呆気に取られるしかないだろう。
あの温厚なキルヒアイスの乱暴な行動に、さしものビッテンフェルトも声を詰まらせた。
遅まきながらようやく異様なキルヒアイスの様子に気付いたらしい。
一緒にやってきたヒルダとミュラーが驚いてキルヒアイスの左右に展開して宥めようとする。
「お、落ち着いてください提督!」
「そうです、が怯えていますわ」
「………怯えている理由を聞かせてもらえるかな、
底冷えのするような声色に、残りの三人の提督は絶句した。
猫の子のように襟首を掴まれたは、虚ろな目で振り返ることもできずに弱々しい声を上げる。
「だ、だって……に、兄さまが怒ってるし………」
「そうか。じゃあ今からミッターマイヤー提督の元にご挨拶に伺おう」
「い、いやーっ!!」
そうくるとは思っていた。思っていたけれど、まさかこの段階でここまで怒っているとは思わなかったのに。
これでミッターマイヤーが過剰反応すればどうなるのだとが色をなして逃げ出そうとすると、キルヒアイスは僅かに屈んで引き摺り上げた小さな身体を米俵のように肩に担ぐ。
五人とも自分が驚いている理由が、キルヒアイスの行動にか、ミッターマイヤーの名前に鋭く反応したにか、どちらが原因なのか判別がつけ難かった。両方かもしれない。
だがそのうちヒルダとミュラーのふたりは、どうやらにもミッターマイヤーの奇行の理由に心当たりがあるのだということだけは理解できた。
「お世話になったんだからお礼を言うのは当然だろう」
「じゃ、じゃあせめてひとりで行く!兄さまはまた改めてお礼を言って!」
「どうして別々に行く必要があるんだ。何度も同じことで提督に時間を取らせるほうが失礼だろう。それとも」
それとも、に込められた力に暴れていたはぴたりと止まる。
「あの話にはまだ何か、隠していることがあるんじゃないのか?」
「………ぐー」
キルヒアイスの肩の上でぐったりと、わざとらしいと言うよりもはや涙ぐましい寝たふりをしたに、五人は逆に感心してしまった。
ここまで怒らせた兄を相手に、火に油を注ぐようなまねができるなんて、ある意味勇者だ。
「……言いたくないならこのまま提督の元へ連れて行くだけだ」
「ま、待って!ごめんなさいっ!事情は言えないけど行きたくないの!」
「そんなことが通じるとでも思っているのか?四日前に一体何をしたんだ!」
「……四日前?」
見たこともないキルヒアイスの様子にミッターマイヤーが関わっているとなると、まったくの他人事と傍観に徹し切れなかったロイエンタールは、限定された日付にぽつりと呟いた。
四日前というよりは、ロイエンタールにとっては三日前のことだ。
ミッターマイヤーがこの上ないほどに狼狽して、早朝から家の前に呆然と突っ立っていた。
その原因となった出来事は前日に起こっていたのだから、日付的には四日前だろう。
思わず呟いた声を、妹を叱り付けていたはずのキルヒアイスは聞き逃さなかった。
「ロイエンタール提督」
キルヒアイスのみならず、他の四人の視線がロイエンタールに集中する。
キルヒアイスの視線に思わず怯みかけたが、それを顔に出さなかったのはロイエンタールの矜持の問題だ。
「………何かご存知なのですか?」
「いや……」
否定した途端、温厚に凪いでいるところしか見たことのなかった青い瞳に冷たい光が宿り、ロイエンタールはわずかに視線を逸らしながら両手を組んで発言を訂正した。
「ミッターマイヤーから聞いた話だが……」
「いやー!待って、待ってくださいロイエンタール提督っ!!」
ロイエンタールからは、米俵のように担ぎ上げられたの足がじたばたと泳いでいるかのように上下していることしか見えなかったが、ドンドンと響く鈍い音で逆さになりながら彼女が兄の背中を殴っていることがわかる。
「降ろして!兄さま降ろして!も、もし違うことだったら、理不尽に責められたくない!先に提督に確認させて!逃げないからっ」
逃げないからと保証するまでもなく、入り口方向にキルヒアイスがいる限り、逃走を図ってもうまくいくわけがない。
「構いません、提督。そのまま……」
そのまま話してくださいと言おうとしたキルヒアイスは、ビッテンフェルトとワーレンとミュラーとヒルダに笑いかける。
「申し訳ありませんが、一時だけ席を外していただけますか?」
ミッターマイヤーのあの様子からいって、妹がしたことは只事ではないはずだ。キルヒアイスの申し出に、四人は即座に頷いた。
「もちろんだ。いや、そろそろ戻ろうかと思っていたところでな」
ワーレンがいち早く立ち上がり、ビッテンフェルトがそれに続く。
「じゃあな、ロイエンタール、!」
見捨てないでと言いたくて、でも残ってもらってもキルヒアイスの追及の手が緩むはずもなく、それなら席を外してもらった方がいいのも確かだった。
の涙の滲んだ翠色の大きな瞳は大層憐れではあったのだが、見たこともないキルヒアイスの様子もまた大層恐ろしい。
「あの、キルヒアイス提督。私は閣下から彼女の案内を命じられているのですが……」
こんなとき、強さを見せるのは男より女性か。の目が期待で輝き、四人の提督たちの尊敬の眼差しがヒルダに注がれる。
だが、残るひとりの提督は冷静に、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ご心配には及びません、フロイライン。閣下には私からご連絡いたしますので、どうぞ執務室にお戻りください」
はがくりと項垂れた。


犯人は現場に戻る……ではなく、ミッターマイヤーがキルヒアイスと接触した場所に戻ることは、いわば必然であった。
何しろ書類の一部をここで失くしてしまったのだ。
紙切れなので近くの部屋にドアの下の隙間から入り込んでしまったのだろうかと、廊下をうろうろと探していると、その側をビッテンフェルトらと別れたミュラーが通りかかった。
「あ、ミッターマイヤー提督」
「ああ、ミュラーか」
ここにもないかと出てきた部屋のドアを閉めたミッターマイヤーには、を見かけたときやキルヒアイスの前で見せた不審な行動はない。
「すまんが、俺の書類を見なかったか?」
「それでしたらロイエンタール提督の執務室に……」
いる、キルヒアイス提督の手にあります。
そう続けるより先に、ミッターマイヤーが目に見えて狼狽して悲鳴を上げた。
「な、なに!?そこにはキルヒアイスの妹がビッテンフェルト達といるのではないのか!?」
「あ、いいえ。もうビッテンフェルト提督とワーレン提督は執務に戻られましたが……」
彼女はまだ、キルヒアイス提督と一緒にそこにいます。
またもやそう続ける前に、ミッターマイヤーがほっと息をついてミュラーに礼を言う。
「そうか、わかった。すまなかったな」
「あ、提督……」
普段ならありえないほど妙に落ち着かないミッターマイヤーは、人の話を最後まで聞くことなくロイエンタールの執務室の方へと足早に歩き去ってしまった。
廊下でキルヒアイスに会う確立を減らすために、できるだけ急いで移動したかったのだろう。
「………まあいいか」
ミッターマイヤーの消えた方向に手を伸ばしていたミュラーは、気を取り直したように首を振った。
どうせキルヒアイスから逃げ続けるわけにもいかないのだから、遅かれ早かれ会わないわけにはいかない。
そう結論付けて、自らの執務室に帰るべく足を向けた。


ロイエンタールに内線を借りてをヒルダから引き取った旨をラインハルトに告げると、キルヒアイスは改めて妹と同僚に向き直った。
妹は椅子の上でほとんど身体を折りたたむようにして両手で顔を覆っており、ロイエンタールは決して目を合わせようとしなかった。
二人の反応を気に留めることなく、キルヒアイスは妹の正面に座る。
「……それでは、心当たりをお聞かせいただけますか、ロイエンタール提督」
ロイエンタールはちらりと傍らの少女の旋毛を見下ろし、溜め息をつくと重い口を開いた。
「先に言っておくが、あの夜なにが起こったのか、ミッターマイヤーはなにも覚えていない。俺はそのミッターマイヤーから翌朝の出来事の説明を受けただけだ」
「翌朝……ですか?」
両手で顔を覆ったままがわずかに呻いた。
ロイエンタールの話が当たりである可能性が増えたのだろう。
キルヒアイスはの自己申告による話を思い出してみる。確か、恩人をひとりホテルに放っておくのが忍びなくて一緒に泊まったという話だった。
………忍びなくて、一緒に泊まった?
そちらの方がおかしいのではないだろうか。
むしろ、翌朝見知らぬ少女が同じ部屋で寝ていたほうが驚く。状況は書き置きをしておけば済む話で、例えミッターマイヤーが泥酔してなにも覚えていなかったとしても、自分の持ち物がすべて無事ならそれで取りあえずは書き置きに納得しただろうに。
昨日はショッキングな出来事があったせいで気がつかなかった疑問にようやく行き着いた。
考え込むキルヒアイスをどう受け取ったのか、ロイエンタールは一度息を吐き出してから徐に話を切り出した。
「ミッターマイヤーが朝目覚めると、そこは見知らぬ部屋だったそうだ。ホテルの一室だな。俺も人のことを言えた義理ではないが、あいつは飲み過ぎると記憶が飛ぶことがあってな」
キルヒアイス自身はそこまで泥酔するほど飲んだことがないので、記憶が無いという状況がいまいちピンとこない。だが、取りあえず頷いて先を促した。
「見知らぬ部屋に泊まっていた、それ自体は問題ではない。問題は、同じベッドに、見知ぬ娘が寝ていたことだ」
キルヒアイスは驚いて間が抜けたように大口を開けた。
同じ部屋に泊まったとは言っていたが、同じベッドでとは聞いていない。普通、恩人に義理立てして泊まることにしたというのなら、ツインの部屋を取るか椅子で寝るかするべきではないのか!?
「しかも、その………」
だが衝撃の話はまだ続いた。本当に、衝撃的な。
ロイエンタールは何とも言い難い表情で、顔を伏せたまま小さく震える少女を少しだけ見て、それから視線を逸らした。
「裸で」
「待って!違うの、事故なのよっ!」
は途端に顔を上げて、蒼白になった兄に訴えかけた。
「あんなことになるなんて思ってなくて!帰るに帰れなくなったから、仕方なしに泊まっただけなの!」
「帰るに帰れなくなった?」
覚悟を決めたというよりは、とにかく言い訳が必要だと思ったのだろう。は貝のように固まっていた様子から一転して、饒舌にその夜の話を語り始めた。
「部屋を取ったまでのことは本当に話した通りだよ?ミッターマイヤー提督に酔っ払いから助けてもらって、でも提督もひどく酔ってらして、喧嘩で酔いが回ったのか倒れてしまったから近くのホテルに部屋を取ったの」
「それで?」
「……うん、それでね……その…部屋にお連れして、書き置きしてそれから一応軽く説明して帰ろうと、提督にお声をかけたら………介抱者の洗礼を受けて……」
「具体的に!」
泥酔経験の無いキルヒアイスはわからないようだが、ロイエンタールはそれで理解した。
友人に呆れて額を押さえる。
「つまり……嘔吐されたの……思いっきり」
は嫌なことを思い出したとげんなりとした表情になる。
「は?」
「だから、服がその、吐瀉物にまみれてしまったので、着る服がなくなって仕方なく一泊……その格好じゃ新しく部屋を取ろうにもフロントにも行けないし……」
キルヒアイスが額を押さえたのは、どちらに呆れているのだろう。妹と、同僚と。
多分、どちらにも。
「それで、じゃあ裸だった理由は?」
「あーうーとー……ほら、わたし寝相が悪いからぁ………」
「つまり?」
まったく緩まない追撃の手に、はがくんと首を折るように倒した。
「つまり…たぶん恐らく、寝ている間に……自分でバスローブを脱いだと思われマス……」
沈黙が部屋を支配する。
ロイエンタールがかなり真剣に、なぜ自分がこの場に居合わせなくてはならないのだろうと考えたところで廊下からノックがあった。
「ロイエンタール、俺だ。入るぞ」
ああ、ミッターマイヤー。何故自ら死地に飛び込んでくるんだ。
あまりの要領の悪さに、同情するよりもはやこれは喜劇だな、とどこか達観した思いで開かれるドアを眺めていた。








ミッターマイヤーの受難は終わらないわけで……お酒って怖いですねー!
(騒動の張本人は素面でしたが^^;)


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