混迷の遁走曲(2)





ミッターマイヤーの部下たちは困惑していた。
彼らの敬愛する上官にはしては珍しく出仕時間ギリギリに駆け込んできたかと思えば、随分と様子がおかしい。
それだけではない。
なぜかその上官の親友であるロイエンタールが見張るようにしてミッターマイヤーの執務室で仕事をしている。
これにはロイエンタールの部下たちも大いに困惑しているのだが、この一部の隙もない男はだれにも一言も説明しないままに、まるで当然のように居座ってしかも仕事に滞りがない。
むしろ仕事になっていないのはミッターマイヤーの方だ。
ペンを走らせていたかと思うと、突然頭を抱えて唸り出す。
そしていきなり椅子から立ち上がった瞬間、ロイエンタールが「焦るな」と声を掛ける。
するとミッターマイヤーはいくらか逡巡した後、また席について仕事を再開するのだ。
これを朝から延々と繰り返している。
一体何があったというのだ。
お互いにどうしたものかと、ふたりの提督の部下たちが顔を見合わせていると、遅刻していた元帥の出仕とミッターマイヤーへの出頭要請が同時に知らされた。
このときの反応がまた、部下たちを驚かせた。
ミッターマイヤーへの元帥からの呼び出しというのは、別に驚くようなものではない。軍務尚書兼宇宙艦隊司令長官兼統帥作戦本部総長の元帥閣下は軍事を一手に握っていて、軍人の、しかも要職にあるキルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタールが呼び出されることは日常的なことだ。
だが今、彼らの上官はふたりともがその通達を受けた瞬間、音がするかというほど見事に顔から血の気が引いて腰を浮かしたのだ。
ただ事ではない様子のふたりはやり取りもただ事ではなかった。
「俺も一緒に行こう」
呼ばれてもいないロイエンタールの申し出に、全員の脳裏に「何故!?」と疑問が浮かぶ。
「いや………ことは俺の問題だ。卿にこれ以上の迷惑は掛けられん」
ミッターマイヤーの言う内容もただ事ではない。
迷惑ってなに!?
ミッターマイヤーの部下たちは泣きそうになりながら説明を求める視線を上官に送るが、当然ミッターマイヤーがそれに気付くことは無い。
「俺と卿の仲だ。今更なにを言う」
「……言いたくは無いが、俺が元帥府を去ることになれば、卿はキルヒアイスと公を補佐する重役がある。この件には関わるな」
「かっ………」
もう我慢できない!!
一同の心理を代表したバイエルラインが質問を口にする前に、ミッターマイヤーが片手を挙げてそれを制した。
「これ以上なにも言うな。行ってくる」
そう言って、まだ何も言っていない部下たちを呆然とさせてミッターマイヤーは執務室を後にした。
ミッターマイヤーが止めたのは実はロイエンタールであって、決してバイエルラインではないのだが、あまりに見事なタイミングだったので金銀妖瞳の提督と一緒に口を閉ざしてしまった。
「ミッターマイヤー………」
そうして、あのミッターマイヤーがついに一言も説明してくれなかったことについて、この苦悩する無愛想な男が話してくれるはずもない。
どうしたものかと顔を見合わせる部下たちの前で、ロイエンタールが突如として立ち上がる。
そのまま部屋を出て行こうとするので、副官のレッケンドルフが慌てて声を掛けた。
「か、閣下、どちらへ……」
「知れたことを……公の元だ」
どう知れたことなんだ!!というやはり一同の心の叫びは当然ロイエンタールに届くことなく、分厚い執務室の扉は閉ざされた。


新しくラインハルトの秘書官として勤めることになったヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは訪れたミッターマイヤーの硬化した表情に驚いて一瞬、声を掛け損ねた。
まだ知り合って間もないが、この男がこんなにも厳しい表情をするところを見たことがない。
「………フロイライン」
第一声は、ラインハルトが発した。
「すまないが少し席を外して欲しい。プライベートな話なのでな」
「は…はい、閣下」
プライベートな話で、どうしてこんなにミッターマイヤーが緊張しているというのか。
疑問は尽きないが、ヒルダは折り目正しく即座に部屋を退出した。
そこで更に驚くものを目にする。
足早にこちらへ向かってくるロイエンタールというものを。


「ミッターマイヤー……卿に返すものがある」
ヒルダが退出すると、ラインハルトはビロード張りの椅子の後ろから紙袋を取り出して机の上に置いた。
ミッターマイヤーが無言で確認すると、それはあのホテルに置き忘れた軍服の上着だった。
ミッターマイヤーの顔から一気に血の気が引く。
だが、それにラインハルトが気付くことなく続けた一言は、ミッターマイヤーにとてつもない衝撃を加えた。
「卿にはわたしの縁者が迷惑をかけたようだ。代わって礼を言う」
ミッターマイヤーは愕然としてラインハルトを凝視するが、顔を伏せたその表情は伺えない。
ローエングラム公の縁者?
それでは、旧貴族どもの残党による陰謀という深刻だが心理的には救われる一縷の望みは絶たれたということになる。
『代わって礼を言う』などという婉曲な表現を取らせるほどラインハルトの信頼を裏切り、踏みにじったのだ!
ミッターマイヤーは思わず一歩、よろけて後ろに下がった。
それに気付いたのか、ラインハルトは顔を上げて驚いたように眉を上げる。
「どうした、ミッターマイヤー」
「い……いえ………」
土気色の顔色で、なんでもないと首を振っても説得力の欠片も無い。
「そうか?だが顔色が良くない。リップシュタット戦役より繁忙な日が続いたからな。無理をするな。今日は帰って休むといい」
ミッターマイヤーは雷鳴に打たれたように立ち尽くした。
休むといい、とはそのまま二度と出仕すること能わず、ということか。
そうだ、身の回りの整理をしなくてはならない。
そう思った矢先、意外な言葉が耳を打った。
「あれも今日のところはさすがに卿に顔を会わせるのは恥じていてな。だが後日改めて礼に伺わせる」
「は……?」
礼に伺わせる?
いくら嫌味にしても、それはどういった意味だろうか。
疑問を氷解させる言葉は、半ばミッターマイヤーに語りかけ、半ば独白の形をとって発せられた。
「まったく、いい歳をした娘が夜中に出歩くから不埒な泥酔者に絡まれるのだ。卿がいなければどうなっていたか」
不埒な泥酔者。
絡まれて、ミッターマイヤーがいたからどうにもならずに済んだ、という意味が取れる話から推察すると、不埒な泥酔者はミッターマイヤーではなく別の人物と思われる。
「あ、あの……閣下」
どういうことだ。
だが、ミッターマイヤーが質問を発する先回りをしてラインハルトが微苦笑を漏らした。
「あのお転婆はわたしから叱っておいたが、朝までつき合わせたようで済まなかったな。今日はもうゆっくり休め」
なにがあったのですか、と聞くに聞けず、しかし最悪の事態はなかったことだけは確信できたミッターマイヤーは、きつねに摘まれたような感覚でそのまま部屋を退出した。
と、殺気立ったロイエンタールと、両手を広げて行く先を阻むヒルダの姿が視界に飛び込んでくる。
「そこをどけ!小娘!!」
「ローエングラム公は私的な話があるとミッターマイヤー提督をお呼びになられたのです。いかにロイエンタール提督といえどお通しするわけには参りません!」
親友の身を案じる帝国軍大将と、忠実な元帥の秘書官の両者一歩も譲らない戦いに、当のミッターマイヤーが暢気に割って入った。
「ロイエンタール!!」
親友の常には見られないほど切羽詰った様子に、悪夢がようやく終わったのだと実感したミッターマイヤーが晴々と片手を挙げる。
「ミ、ミッターマイヤー!一体どう……」
ヒルダを押しのけて駆け寄ってきたロイエンタールは、親友が片手に下げた紙袋に気がついて、更にその中身を見た瞬間、ラインハルトに執務室に入ろうとノブに手を掛けた。
「待て、ロイエンタール!誤解だったんだ」
「待てるか!!卿は図られたのだ!それは俺が保証する。俺の軍人としてのこれまでの功績とこれからの全てに賭けてもそれを公に理解して頂くっ」
「だから落ち着け。誤解だったと言っているだろう」
勢い込んだロイエンタールを扉から引き離すと、交代とばかりに警戒して扉に張り付いたヒルダの横で、ようやくミッターマイヤーの声が届いたらしく目を瞬く。
「誤解?」
「公からは叱責どころか礼を頂いた。正直俺にもよくはわからんが、とにかく誤解だったんだ」
自己嫌悪と自己不信から開放された爽快感とともに、ロイエンタールの疑いようの無いほどの極上の友情溢れた言葉に、ミッターマイヤーは上機嫌に親友を連れて去っていった。
「一体なんなの……?」
取り残されたヒルダの呟きは、数十分のちのミッターマイヤー、ロイエンタールの部下たちのものとまったく重なることとなる。








すみません。また名前変換箇所なしです(汗)
なにがあったのか、解決編はこの次から。
よ、ようやく話題の彼女の登場です。

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