「なぜ卿が俺宛ての手紙を持っている!」 ロイエンタールが青褪めて駆け寄ってくると引っ手繰るようにして手紙を取り上げたのを見て、ミッターマイヤーは最初目を瞬き、そしてにやりとほくそえんだ。 「ほー、俺にこそこそと内緒にしておきたくらいに、関係が進展していたのか」 「なんの関係だ、なんの!」 ロイエンタールが友人の背後にいる男の冷えていく視線に焦れば焦るほど、ミッターマイヤーには別の焦りに見えてしかたがないらしい。 「そう照れるな!はいい子ではないか。初めて会ったあの日も、お前にはあんなことを言ったがお前にはお前の良さがあるのだろうと、ちゃんと言っていたんだぞ。あの子の傍にいれば、お前のためになるだろうと思っていたんだ」 蒼白になったロイエンタールは、うんうんと一人納得して頷くミッターマイヤーの胸倉を掴んで今すぐ黙れと揺さぶりたい気分に満ち満ちていた。 故郷からの手紙(3) ロイエンタールは引っ手繰った手紙を裏返して、差出人が確かにの名前であることを確認した。筆跡までは知らないので本物かどうかは判らなかったが、キルヒアイスの物問いたげな視線を見る限り本物なのだろう。 一体何を考えているのだ、あいつは。 自身、幼馴染みに問い詰められて困窮したのはつい2ヶ月ほど前の話で、なのになぜまた、こんな疑惑を煽るようなものをよこすのだろうと手紙を握り潰しかけて、その前に封筒にかなり皺が寄っていることに気がついた。 「……なぜこんなによれているのだ」 「通信部の者が落としたらしいぞ。そのせいだろう」 「通信部の者が?」 ロイエンタールが思わず疑惑の眼差しをキルヒアイスに投げかけてしまったことは、仕方がないだろう。キルヒアイスが握り潰したのではないかと疑ったのだ。 ロイエンタールの視線を受けて、キルヒアイスはにこりと他意のない笑みを見せる。 「ええ、通信部の者が廊下に落として広げてしまったものをミューゼル閣下が発見されて、ご自分宛ての手紙と一緒に預かられたのです」 握り潰したのはキルヒアイスではなくラインハルトだったのかとロイエンタールは戦々恐々と冷や汗をかく。それ自体が誤解なのだがそれを解く術は今のロイエンタールにはない。 女が原因で降格処分をくらったことさえある身だが、事実無根でここまで睨みつけられる謂われはない。 絶対にミッターマイヤーが考えているような内容ではないということを今ここで証明しておかなければ、ミッターマイヤーから何を聞かされたのかが判らないだけにラインハルトがどのような反応を示すか恐ろしい。目の前の男も充分に恐ろしいが。 ロイエンタールはその場で手紙の封を切る。 と自分の間でやましいやり取りが起こるはずもない。今更あの口裏合わせの確認の手紙など送ってきているはずがないと、手紙を開いたロイエンタールはざっと目を通した。 「おい、いくら待ち遠しいからといって、こんなところで手紙を開ける奴があるか」 ミッターマイヤーがからかうように肘で小突いてきて、ロイエンタールとしてはこれ以上余計なことを言うな!と声を大にして叫びたい。 そして、手紙の内容はある意味では予想通り、ある意味では予想外のものだった。 ありきたりの社交辞令の後に、フレーゲルとの婚約に猶予ができたとあるのだ。あの晩の協力に感謝という内容で、詳しい理由は何も書かれていない。 見せても問題のある文章はどこにも見当たらず、ロイエンタールはキルヒアイスに手紙を差し出した。 「確認してくれ。閣下にご報告が必要だろう。なんなら持って帰ってくれ」 「何を言ってる、ロイエンタール?」 ミッターマイヤーが怪訝な表情を見せて止めようとしてくるが、キルヒアイスはにこにことどこかしら含みのある笑顔のままで手紙を押し返す。 「何を仰いますか。他人の手紙を覗いたり、取り上げたりするような趣味は閣下も小官もありません」 ことの経緯はどうあれ、今回の手紙に関しては中身がほぼ予想できているだけにキルヒアイスは別に読めても読めなくてもどちらでもいい。問題は手紙ではないのだ。 「あらぬ誤解を受けては迷惑だと言っているのだ!」 「では種明かしいたします。恐らくミューゼル閣下に届いたものと同じ内容でしょう。これは彼女の婚約についての話ですね?」 ロイエンタールは虚を突かれて一瞬唖然としたが、考えてみればがロイエンタールにだけ報告してくるはずがない。これはむしろ、幼馴染みたちに報告するついでの義理だったわけだ。 もしこの征旅に出ているのがロイエンタールだけなら、彼女は手紙など送ってこなかっただろうと思うと、少々むっと苛立つものがある。 「なぜからミューゼル閣下に手紙が……いやそれにしても婚約?……まさかフレーゲルの話が進んでしまったのか?」 ロイエンタールが差し出していた手紙を、ミッターマイヤーが取り上げて開く。 驚かされたのはキルヒアイスの方だ。 「ミッターマイヤー少将……どうして婚約のことまで」 キルヒアイスの視線が向いて、ロイエンタールは自分が漏らしたのではないと説明する。 「邸に『ミッターマイヤーが同行』して行った折、フレーゲルと鉢合わせただけだ。奴はその日のうちに、わざわざ自分が……フロイライン・の婚約者だと主張しに来た。その際にミッターマイヤーも側にいただけだ」 やたらとミッターマイヤーの名前を強調するのは、もちろん彼がラインハルトたちに信頼されているからだ。軍人としての能力はともかく、女性関係においてロイエンタール自身の信用がないことはすでに自覚している。 「なんだ!婚約が破棄になったのか!目出度い話じゃないかロイエンタール!……ん?しかし何故閣下にまでから手紙が送られて……」 破棄じゃなくて、延期だと訂正を入れる間もない。ミッターマイヤーがとラインハルトの関係に首を傾げたとき、更に別の声が割り込んできた。 「婚約が破棄とはどういうことだ!」 三人が振り返ると、目を血走らせたフレーゲルが髪を振り乱して鼻息も荒く立っている。 ミッターマイヤーは鼻白んだ表情で、キルヒアイスは無感動な目で、そしてロイエンタールは余裕の笑みでミッターマイヤーの手から手紙を抜き取った。 「そのままだ。から報告があってな。婚約はかなり先まで延期になったそうだ。もっとも本人の意思が優先という話ではあるらしいが……さて、自らの意思で選ぶというのならば、果たしてあいつは誰を選ぶかな」 「あいつ……?」 キルヒアイスの呟きが聞こえて、ロイエンタールは演技だ、これも協力の一環だと目配せをする。 予備役ではあるが既に中将に昇進を果たしているフレーゲルは一艦隊を率いている。 与えられた臨時の部屋はこの一角にはないのに、なぜこの場にいるのかはわからないが、フレーゲルに地団駄を踏ませることなら、ロイエンタールも協力を惜しむ気はない。 だがそれでの幼馴染みから睨まれるのは御免被る。 一方でキルヒアイスには、フレーゲルがこの場にいる理由は大体把握できていた。ラインハルトの話によると、フレーゲルは手紙が廊下に散らばったときにその場にいたのだ。 恐らくロイエンタール宛ての手紙を見たはずだ。気になって牽制にきたのだろう。 ロイエンタールの証言では、の邸で会ったその後もすぐに威圧に訪れたということだから、まったくもってすることに芸がない。 僅かに俯いてふっと息をつくように笑ったキルヒアイスに、ロイエンタールは背中に嫌な汗をかいた。 一体今、キルヒアイスはどちらを笑ったのだ。フレーゲルか、自分か。どうかフレーゲルであってくれ。そうに違いない。そうであるはずだ。 願望で真実を当てたロイエンタールは、だがそんな事実を実感することもできないまま、表面上は余裕の表情を浮かべて手紙をフレーゲルに投げつけた。 「その目で確かめてみるといい」 投げつけられた紙を危なげな手つきで受け取ったフレーゲルは、怒りに赤く染まった顔のまま、手紙を広げることも投げ返すことも出来ずに逡巡した。 「どうした、真実を知るのが怖いのか」 「貴様のでたらめに決まっている!」 挑発にあっさりと乗ったフレーゲルは、意を決したように手紙を開いた。 そして、すぐに青褪める。社交辞令の挨拶と用件のみの短い手紙なので、すぐに本題を見つけたのだろう。 「馬鹿なっ!こんなものはでたらめだっ」 「そう思うなら、敬愛する伯父上殿にでもお聞きしてみればいかがか」 「………くっ」 フレーゲルは手紙を握り潰すと廊下に叩きつけて背中を見せる。 「何をしたのかは知らんが、こんなものはただの悪足掻きにすぎんぞ!伯父上のお力を持ってすれば……っ」 足取りも荒く駆け出すことを辛うじて堪えたような早足のフレーゲルの背中に冷笑が叩きつけられた。 「まったく、人の手紙をこんなにするとは何事だ!」 憤慨したのはミッターマイヤーで、廊下の端に転がった手紙を拾って皺を伸ばしながら、ロイエンタールに差し出した。 「胸がすく思いだった!しかしそれにしても色気のない手紙だったな。こう……ご無事のご帰還をお祈り申し上げますの後に一言、早く会いたいとかを付け足すだけでも違うものなのに。まあ、まだ彼女は子供だからな」 輝くような笑顔で何を期待しているのかよく判る友人に、ロイエンタールはそれこそ問い正したかった。まだ子供だと思っている少女相手に、卿は一体俺に何を望んでいるのだ。 とにかく勘違い甚だしい友人を止めて、背後の男の誤解を解く必要がある。 「これはただの義理の報告だ。あいつ……フロイラインがフレーゲルに絡まれて困窮しているとき、それなりに親しいふりをしたことがあったから報告して来たに過ぎない。勘違いするな」 「またそのように照れずとも」 「そうですよ、ロイエンタール少将。ここ半年以上も特定の親しいお付き合いのある女性はいないそうで……そしてその例外が、彼女なんですよね?」 ロイエンタールは思わず呻き声を上げそうになった。 誰がその事実をキルヒアイスに教えられるかというと、ここにいる友人以外にはいない。 「………それは色々と時間がなかっただけの話だ。それに……」 ロイエンタールはごほんと咳払いをして間を作って自分を落ち着けようとする。 「フローラと……フロイライン・の従姉と関係があったことは本当で、その縁で紹介されただけだったのも事実だ」 「ああ、そういえば最初にそんな話をしていたな。ところでロイエンタール、なぜそんなにキルヒアイスにそんな言い訳がましいことを言っているんだ?」 「言い訳ではなく事実だ!そしてこの男とミューゼル閣下はの幼馴染みだ!」 「そうだったのか!」 驚くミッターマイヤーに、知らんふりで話を聞きだしていたキルヒアイスは先手を打った。 「申し訳ありません、少将。のことは幼い頃から知っていて、閣下も妹のように思っているものですから、どのような男性と縁があるのか色々と心配になってしまって……ですがミッターマイヤー少将のお話を聞けて安心しました。ロイエンタール少将は、それはもう彼女のことを特別に思っているようなので……」 一瞬、自分が何を口走ったか思い返そうとしていたミッターマイヤーは、キルヒアイスの笑顔にほっと胸を撫で下ろす。 「ああ、そうだろう。何しろロイエンタールから興味を示す女性など……」 「ミッターマイヤー!」 この友人にこれほど鋭く名前を呼ばれたことはなかったかもしれない。ミッターマイヤーが驚いて目を瞬くと、ロイエンタールはその両肩を掴んで鋭い目つきで睨みつけた。 本人は懇願の目をしたつもりだったが。 「頼むから、卿は口を挟むな」 「なんだ、そう照れずとも……」 「照れているわけではない!」 鏡を見なくても自分が蒼白になっているだろうと判るのに、何故正面から顔をあわせて気付かない!とロイエンタールは恐ろしいことばかり口走る友人を反転させて、背中を押し出した。 「先に部屋に行って酒を開けていろ。卿の証言は事態を混迷させる」 「そうでもないですよね、ミッターマイヤー少将。ロイエンタール少将のほう『から』興味を示して、『一方的に』押しかけるほど思い入れがあると聞くと、彼女を大事にしてくれそうな人だと思うではありませんか」 「そうだろう?」 「ミッターマイヤァァーーーっ!!」 良い友人に恵まれたオスカー・フォン・ロイエンタールはその後、要塞内では決して無駄に出歩かず部屋に閉じ篭り、凱旋の際も自らの戦艦に乗り込むまで無駄な時間は一切作らず、オーディンに到着したのちも巧みに戦後処理の忙しさを理由に、ラインハルト・フォン・ミューゼルとジークフリード・キルヒアイスとは生身で対面することを避け切った。 がどのような目に遭うかまでは知ったことではない。たとえその理由が自らの友人にあるとしても、彼女は結局のところ二人に大事にされているのだから、自分のように身の危険を感じることはありえないから同情もしない。 彼が再び二人と対面するのは、ローエングラム元帥府に招かれた半年後のことになる。 |
……可哀想なロイエンタール(^^;) 逃げることでとりあえずの危機を回避した彼ですが、彼女はどうなったかと言うと それはおまけというか小話でどうぞ。 |