「……まさかとは思うのだが」 テーブル中央に置いた他人宛ての手紙を二人で見下ろして、ラインハルトが恐る恐る呟く。 「は、親戚の恋人に横恋慕しているわけじゃないよな?」 「まさか、に限って」 しかもよりによって漁色家で名高い男に想いを寄せるなんて、自虐的なことをするようには思えない。 だがロイエンタールに恋焦がれている他の女性たちも、自虐などではなく恐らくは自分だけを愛してくれる、愛して欲しいと思って彼に寄り添っていたはずだ。 「……さすがに中を見るわけにはいかない……な?」 「それはさすがに……とりあえず、ラインハルト様に宛てられた手紙を読んでみてはいかがです?内容によってはこちらの手紙の中身も推測できるかもしれませんよ?」 「そうだな。がわざわざ機嫌伺いの手紙を送ってくるとは思えないし……」 あの不精者が、と付け足してラインハルトは自分の手紙の封を切った。 故郷からの手紙(2) そうは提案したものの、キルヒアイスはそれほどラインハルト宛ての手紙に期待してはいなかった。恐らく、ロイエンタール宛てもラインハルトがないだろうと言ったちょっとした無事を尋ねるような内容だと考えていたのだ。 どちらの手紙の内容も、無事ですか、元気ですかと尋ねているだけなら、ロイエンタールに手紙を送ったということは、意味が深いような気がする。いや、出征前にフレーゲルの一言を気にしていただから、それもおかしくはないということになるだろうか? ところが予想は大きく外れた。 最初、もう一通の手紙の内容を気にして緊張したように目を通していたラインハルトは途中から真剣な様子でむっと眉間に皺を寄せて片手で口元を軽く撫で始めた。 何度も往復して読んで、何も感想をつけずにキルヒアイスに差し出す。 「読んでみてくれ」 渡された手紙は、やはり二人に連名で元気にしているかとか、怪我をしていないか等から始まっていた。 だが一枚目の中段辺りからの近況について語られており、そこにはフレーゲルのことを知っているにも関わらず、婚約者候補が増えた、とあるのだ。 新しい婚約者候補に上がったリッテンハイム候の甥は、がラインハルトやアンネローゼと懇意にしていると知っていると記されている。 「リッテンハイム候の甥、ですか」 「明らかにあの妄想おかっぱに対抗した相手だな」 ラインハルトはにやりと笑って鼻を鳴らした。 「わざわざ俺と姉上と懇意にしていると知られた……と書いてきているくらいだ。奴が出てきたのはその辺りが原因なんだろう」 「そうですね……リッテンハイム候としては、ラインハルト様とアンネローゼ様がブラウンシュヴァイク公と近付くのは面白くない……」 「なんにしろ、助かったのはその遺言書とやらだ。だがの話からすると、そんな殊勝な言葉を残すような老人ではなかったはずだ」 ラインハルトが指差した箇所には祖父の友人が訪ねてきて書斎で遺言書を見つけたとの件がある。遺言書の内容は、二十歳までは婚姻に関しての意思が優先されるというものらしい。 その都合の良さが、またその不審に拍車を掛ける。 「……この不自然に出てくる祖父の友人、が気になりますね」 「なんにしろ細かい話は帰ってから本人に聞くしかないな。あいつも危ない橋は渡らないよう、手紙ではぼやかしている」 先ほどまでの不機嫌はどこかへ飛ばしてしまい、ラインハルトは鼻歌でも歌いそうな様子で足を組んで僅かに揺らす。 「わざわざ手紙をよこしたということは、妙に何度も出して強調している俺や姉上との関係の問題を気にしているのだろうな。古狸共の争いは、恐らくそれがあってこそだ。遠慮するとはらしくもない」 「お二人を自分のことに巻き込みたくないのでしょう。の気持ちもわかります」 「だが好機だ。姉上の存在にフリードリヒ四世の寵を期待していることは気に食わないが、ちょび髭がハゲを牽制するというのなら、勝手にさせればいい。がおかっぱと婚約するなどとおぞましいことを回避できるのなら、姉上も協力してくださるだろう」 ラインハルトは上機嫌で簡単な返事を書いた。 すぐに凱旋するとはいえ、オーディンに戻れば戦後処理でしばらく忙しい日々が続く。 にすぐに会いにいけるとは限らないため、手紙でも大いにこの関係を宣伝しろと言っておくことにしたのだ。 「いい事尽くめだな、キルヒアイス。俺達は武勲を上げ、はおかっぱの問題を当面クリアした。ついでにおかっぱがどれほど悔しがるかと思えば、笑いが止まらない」 「そうですね」 キルヒアイスは今にも高笑いそうなラインハルトに苦笑して、ふと考える。 「ですがフレーゲル男爵は、一体どうしてにこだわるのでしょう」 「どうせ珍獣をコレクションしたいだけだろう。爵位にも魅力はあるだろうし、他にも一族の権益があるんじゃないのか」 「珍獣……」 後半はともかく、前半の言葉にキルヒアイスは頭痛を覚える。 ラインハルトが人のことを言えるものではないと思うのだが……本人は気付いていないのでそれでいいのだろう。 気になるのはからの手紙を這いつくばってまで探したという話だったが、あえてラインハルトを不機嫌にすることもないので黙っていることにした。 本当に権益や変り種を手元に置いておきたいだけなら、そんな醜態をさらしてまで、彼女の手紙にこだわるとは思えなかったのだ。 キルヒアイスは軽く息を吐いて、ロイエンタール宛ての手紙を手にとった。 「では恐らくこちらも婚約が先延ばしになったことに対する報告でしょうね」 「そうだな。ロイエンタールにはあのとき協力してもらったから、いくらでも報告くらいはしておこうと思ったんだろう」 思いがけず、本当にラインハルト宛ての手紙で中身が推測できてしまった。 二人揃って気持ちが落ち着いて、キルヒアイスは手紙を片手に立ち上がる。 「ではこれは、私から事情を説明してロイエンタール少将へお渡ししてきます」 「悪いな、頼む」 こうして手紙は、ラインハルトからキルヒアイスの手に渡った。 ロイエンタール本人を探すより、要塞内の臨時個室か彼自身の戦艦に届けるのが早いだろう。 そう考えて部屋番号を確認してから廊下に出たキルヒアイスは、出征してきた士官用の臨時の個室に向かう途中でロイエンタールではない、もう一人のラインハルトの幕僚を見つけた。 「ミッターマイヤー少将」 「ああ、キルヒアイスか」 廊下を行くミッターマイヤーの手にワインの瓶があるのはご愛嬌だ。戦闘が終わり、あとは凱旋を果たすだけなのだから、祝杯をあげていても問題はない。 「これからロイエンタール少将のところへ行かれるのですか?」 「そうだ。早くオーディンに帰りたいのだが、まだ待機命令が解けないからな。要塞から出ることもできんし、かといって戦闘が終わったばかりだというのに真面目にシミュレーションで戦術の模索というのも芸がない上に飽きた。酒でも飲んで無聊を慰めるわけだ」 士官クラブの酒場は貴族のドラ息子たちの溜まり場になっているから近寄る気にもならない……とは廊下なので小さく付け足す。 「では、部屋までご一緒させていただいてよろしいですか?ロイエンタール少将に手紙をお届けするところだったので」 「手紙か?なら俺が預かってもいいぞ。しかしなぜ卿が配達屋の真似事なんぞしているのだ」 「通信部の者が廊下で手紙を落として広げてしまっているのを、偶然通りかかったミューゼル閣下がご覧になったそうです。ご自分への手紙もあったので、ついでにと引き受けられたそうですよ」 「ほう、そうか……ん、これはからか」 受け取った手紙の差出人がちらりと見えて、ミッターマイヤーは驚いたように呟く。 「ミッターマイヤー少将――」 をご存知で、と聞きかけて思い出した。そういえば、ロイエンタールと会ったときは大体ミッターマイヤーが一緒だったと聞いて、ただの知人という説明に納得したのだった。 キルヒアイスは少し考えて、質問の角度を変えてみた。を疑っていたというわけではないのだが、第三者から見た二人の関係も知っておきたかったのだ。 差出人を見て微笑むミッターマイヤーの横から手紙を覗いてみる。 「……もしかして、ロイエンタール少将の恋人、ですか?」 「いいや、そこまでは進んでいないと思うぞ。俺はそうなってくれれば、ロイエンタールも少しは落ち着くんじゃないかと思って……ああいや、何でもない」 余計なことまで喋ったと思ったのか、ミッターマイヤーが軽く手を振った。 「ですがロイエンタール少将には、別の恋人がいませんでしか?確か……侯爵家に縁の女性とか、お噂を」 「さあ?細かいことは俺も知らないが、だが今は誰とも付き合ってはいないようだ。そうだな、ここ半年以上はいつでも捕まえられたから、恋人はいなかったのだろう。色々と忙しかったからな」 「……半年、以上……」 何も知らないミッターマイヤーは、あっさりと真実を話してしまった。漁色家と有名なロイエンタールの色事についてなど、今更特に騒ぎ立てるほどのものではないという考えがあるから余計にただの世間話程度で済んでしまう。 「だが俺はここ最近まったくもって女性の影が見えないのは、の影響もあるのではないかと思っているのだ。多少は個性的な娘だが、それだけにロイエンタールの奴にも印象深いだろう。俺がエヴァと出会って得たようなものをあいつはと出会って得たのでないかと……ああいかん、余計な話までしてしまったな」 「……いいえ、とんでもない。ミッターマイヤー少将は友情に厚いのですね」 「世話が焼けるほど放っておけないというかな」 力を込めて笑顔が穏やかに見えるよう振舞う、というキルヒアイスの努力は実を結んだらしく、ミッターマイヤーは目の前の男の焦燥に気付かず、手の中の手紙をまるで自分が受け取ったもののように上機嫌で眺める。 「気持ちの良い娘だったな。ロイエンタールから興味を示す女性というのは初めてだったから彼女と上手く仲が進んでくれれば思っていたのだが……そうか、戦場にまで手紙を送ってくれるくらいにはなっていたか」 「……ロイエンタール少将から、興味を示す?」 キルヒアイスは低く呟いて、だがすぐに穏やかに世間話のような口調で先を促す。 「ですが今の仰りようからすると、ミッターマイヤー少将がご存知の二人の仲は、手紙をやりとりするようなものではなかったのですね」 「ロイエンタールが一方的に押しかけているだけだったからなあ」 「遅いと思って見に出てみれば、卿らは一体何故そんなところで立ち話をしているのだ」 ミッターマイヤーは背後から聞こえた友人の声に、上機嫌で振り返る。 「喜べロイエンタール、からの手紙だぞ」 「なに!?」 ミッターマイヤーからまだ十歩ほど離れたところで、ロイエンタールの足が止まった。 そろりと友人の後ろに立つ長身の男に視線を動かして……見なければよかったと心底思った。 |
涙で前が見えません……ロイエンタールの心情を慮るとそんな気分(^^;) ミッターマイヤーは友情に厚いわけですが、かなり主観の入った解説を かましてくれました(笑) |