第四次ティアマト星域会戦において大胆な敵前旋回を果たし、尚且つ混戦に陥った味方艦隊を救い出したラインハルトは、間違いなく今会戦における最大の戦勝貢献者だった。 総司令官のミュッケンベルガーは特に貴族派というわけでもなく、皇帝の覚え目出度いラインハルトをとりあえずのところ賞賛することも、最大戦功として報告することにも何の引っ掛かりもなかった。 だが、戦場のどさくさでラインハルトを亡き者にするというつもりでわざわざ予備役にも関わらず、最前線まで出てきたフレーゲルにはおもしろいはずもない。 オーディンへの凱旋前にイゼルローン要塞に一時帰投した際、両者にとって不愉快な偶然で顔を合わせてしまったとき、嫌味の応酬が繰り広げられたことも無理らしからぬことであった。 故郷からの手紙(1) 「これは……偶然と幸運にのみ恵まれた英雄殿は廊下を譲る必要はないということか」 非常にくだらないことに、このときラインハルトとフレーゲルは、廊下でわずかに横にずれてすれ違うということが出来ずに睨み合いになっていた。 特に狭い廊下ではなく、お互いどころかどちらかが一歩脇に寄るだけで充分すれ違うことができるのに、その一歩が必要な場所を偶然にもお互いが歩いていたことが悪かった。 まるきり子供の言いがかりのような喧嘩だが、この場合は譲ろうともしないラインハルトも同レベルだということになる。本人は決して認めようとはしないけれど。 「艦橋で震え上がって幕僚を無意味に腐らせることしかできぬ無能者は、威張ることでしか存在意義を保てないからな。脇に退くことすらできないようだ」 気の毒な、とまで付け足されてフレーゲルの顔が怒りに染め上がる。 「人の婚約者に手を出そうなどという盗人風情が、ふざけた口を利くなっ!」 「妄想の中の婚約を振りかざすような輩に盗人呼ばわりされる覚えはない!」 暗に本人に「妄想癖」と言われたことを示唆したラインハルトに、フレーゲルの怒りのゲージは振り切れる寸前だった。 「貴様ぁっ!」 フレーゲルが怒りのあまり拳を振り上げたちょうどその時だった。 角を曲がって通りかかった兵士は驚いて、持っていたケースを取り落としてしまう。 その音にラインハルトは、軽く見もしないでフレーゲルの拳を避けて振り返った。 廊下に様々な封筒やディスクが散らばっている。 「ああっ!た、大変だっ!す、すみません!すみません、踏まないでくださいっ!提督方への手紙が主なんですっ」 封筒もディスクも形や色がまちまちで、どうやら軍部の書類ではなく、家族や友人知人から兵士たちに宛てた手紙の数々らしい。この若い兵士はそれらを配って回っている通信部の者で、慌てたのはそれが階級の高い者宛てがほとんどだからのようだ。 ラインハルトは踏まなかった。フレーゲルも踏まなかった。 ただしフレーゲルはラインハルトに拳を避けられて、いくつかの手紙とディスクの上に、身体ごと転がった。 「ああーっ!」 若い兵士が悲鳴を上げる。 それはそうだ。手紙はまだしも、ディスクは壊れてしまう可能性がある。 落としたのは間違いなく兵士のミスだが、そこにフレーゲルが倒れたのはラインハルトにも1ミクロンほどの責任はあるかもしれない。 仕方なく、触りたくもない身体を足で蹴って廊下の脇に転がすと、身体の下からディスクと手紙を救出した。 壁に背中をぶつけて憤慨したフレーゲルが傍らの手紙を握り締めながら起き上がる。 「孺子!」 「ああ!手紙がっ」 もはやどうすればいいのかと卒倒しそうになっている若い兵士が僅かに気の毒になって、ラインハルトはフレーゲルが握り締めた手紙を指差した。 「おい、それがもしミュッケンベルガー元帥宛ての手紙ならどうするつもりだ」 とにかく手紙を放り出せばいいと思ったラインハルトの指摘に、さっと青褪めたフレーゲルが手の中の手紙を見て、驚いたように目を瞬いた。 「家の家紋……」 「からか?」 驚いたのはラインハルトも同じだったが、対応は素早かった。一歩で距離を詰めてしまうと、フレーゲルの手からさっと手紙を奪い取る。 「貴様!私宛ての手紙だぞ!」 「貴様宛て?」 ラインハルトは馬鹿にした目でフレーゲルを見下ろして、手紙の封筒に目を落とした。 裏面での名と家紋しかないが、これは間違いなくラインハルト宛てだという確信がある。もしくはキルヒアイスの名前に宛てているだろう。とにかく二人に対しての手紙だ。 他にが手紙を出す人物がいるはずもない。 ラインハルトは封筒を裏返し、宛名を読んで命名の妄想男に現実をつきつけてやった。 「貴様の名はオスカー・フォン・ロイエンタールだったのか!」 高らかに宣言したラインハルトは、その余裕に満ちた表情のままで、しばらく雪像のように固まった。 後で通信部に戻った若い兵士はこう漏らした。 「先輩、自分は身分も階級も高い人たちが、這いつくばって床に落ちた手紙を物色するようなところを始めて見ました!」 衝撃を伝えようとしたこの発言で、彼が配布しに行った手紙の数多くを廊下に落としたことが知られてこっぴどく叱られることになり、ラインハルトとフレーゲルの醜態は広まることなく彼の胸の内だけに留まることとなる。 床に這いつくばって手紙を物色した身分も階級も高いラインハルトとフレーゲルの二人だが、それでも、ラインハルトはまだほんの僅かだがフレーゲルよりは救われる。 彼は自分宛てのの手紙を見つけることができたからだ。 まさかがロイエンタールにしか手紙を出していないなんてこと、ありえない。 その考えは報われたが、フレーゲルはすべての手紙を舐るように探しても家の家紋入りで自分宛ての手紙を見つけることはできなかった。 しかもラインハルトはその結果を嘲笑うためだけに、フレーゲルがすべての手紙を一度は確認するまでその場に留まっていたのだから相当な暇人に見えただろう。 とにかくラインハルトは、それなりの満足は得た。 それなりだったのは、もちろん手の中にある自分宛ではない手紙のせいだ。 ついうっかり、こちらも自分の幕僚宛てだから届けてやろうと、半ば強引に持ち帰ってきてしまったが、一体どんな顔でロイエンタールに渡せばいいのだろうか。 要塞に停留中、大将以上の階級の者にあてがわれる部屋に二通の手紙を持って帰ってきたラインハルトの不機嫌そうな様子に、部屋で戦後のいくつかの事務作業をして待っていたキルヒアイスは驚いた。 「どうなさいました、ラインハルト様。ミュッケンベルガー元帥から何か言われましたか」 「いや……フレーゲルに会った」 「ああ……それは災難でしたね」 ラインハルトは今回の征旅だけでも、一度は会議中にフレーゲルとぶつかって、そのせいで惑星レグニツァに敵の探索、排除の任に当てられたほどだ。フレーゲルとはとことん気が合わないと知っているので、キルヒアイスは僅かに苦笑するだけだった。 そういうキルヒアイスもフレーゲルは気に食わない。 四ヶ月ほど前までは、ラインハルトのような強烈な不快感を特に覚えてはいなかった。 単にラインハルトのためにはならない、むしろ邪魔な存在と認識しているに過ぎなかった。 だが今では、ラインハルトのように感情を剥き出しにこそしないものの、内心では負けず劣らず蛇蠍の如く嫌っている。 もちろん、妹のように可愛がっているに婚約を迫って悩ませているからだ。 だがキルヒアイスは親友よりよほど冷静なので、そんな様子を外には見せない。 身体を投げ出すようにして椅子に座ったラインハルトは、手にしていた手紙の一通をキルヒアイスに向けてテーブルを滑らせる。 「からだ」 「ですか?」 表書きを見て、裏を見て、確かにからの手紙だった。 「どうしてラインハルト様が持って帰ってくるんです?」 手紙は普通、要塞内か戦艦内の部屋に直接届けられる。 「手紙を集配していた兵士が廊下でぶちまけてな……偶然、俺宛てを見つけたからその場で引き取った」 偶然に見つけたのはロイエンタール宛てであって、ラインハルト宛ては床に這いつくばって探し出したのだが。 「そのときフレーゲルの奴もいた。奴は俺宛てはあっても自分宛てのからの手紙がないことを信じられずに喚きちらして、床を這いずり回って探していた」 はっと鼻を鳴らして笑うラインハルトも、繰り返すが床に両手と両膝をついて手紙を探している。だがキルヒアイスはそうとは知らない。 「それは見物だったでしょうね……」 ラインハルトが通常の精神状態だったなら、うっすら笑ったキルヒアイスに恐怖を覚えたかもしれないが、このときのラインハルトはまだ手にしている手紙に気を取られていた。 「……それにしても不機嫌ですね」 それなら機嫌よく帰って来てもいいはずだ。キルヒアイスがそこに返りついて、まだラインハルトの手の中にある手紙に気がついた。 「そちらは……」 同じ封筒だ。ならばからの手紙だろう。 こちらがラインハルト宛てだから、それはキルヒアイス宛て……ならラインハルトは最初からそちらを投げてよこしたはずだ。 第一なら面倒がって二人分を一緒に送るに違いない。いや、一緒にというより、そもそも手紙そのものが、二人宛だろう。 ラインハルトは難しい顔で手の中の手紙の皺を伸ばしている。 「……なあキルヒアイス」 「はい」 「親戚の恋人に向けて手紙って書くものか?」 「……それは、つまり」 「いや、自身も友人付き合いをしているらしいのは聞いた。聞いたが、あいつがそれなりの付き合いなだけの奴に、わざわざ戦場まで手紙を送るような柄か?」 「つまり、ロイエンタール少将宛てなんですね?」 キルヒアイスは穏やかではない笑みで、ラインハルトの手の中の手紙に視線を注いだ。 |
義理立てしたことが裏目……になったんでしょうか?(^^;) |