猫に戻ったはキルヒアイスの肩に乗り、一行は酒場の扉を潜った。
オーベルシュタインは迷わずカウンターに向かって歩いて行く。
「この店の店主は、以前私の部下だったものが勤めております。今は民間に降りましたが、ここで得た情報を私の元へ送るようになっているのです。フェルナー」
早口に小声で説明された話に、ラインハルトとキルヒアイスが顔を見合わせていると、カウンターの向こうにいた男が振り返った。
「これは閣下。ご自身で足を運ばれるとはお珍しい」
酒場の店主、フェルナーはオーベルシュタインの後ろに続く金髪の青年に目を留めると、一瞬息を詰めて三人をカウンターの端の席へと案内した。
「驚きました。まさか皇子殿下をお連れとは。今日はお忍びで城下の視察ですか?」
「そのような安穏とした事態ではない。皇女殿下が何者かによって浚われた。その行方を追っている」
フェルナーは今度こそ驚きのあまり、手にしていたグラスを取り落としかけて、慌ててそれを掴み直した。
「国家的な大事件ですな。犯人も随分と大胆なことだ」
グラスを布で拭きながら、すぐに軽口に近い口調に戻った言葉に、キルヒアイスの肩でが威嚇するような声で怒りを表す。
、よしなさい」
「おっと、猫連れですか、閣下。一応ここは飲食店なんですがねえ」
フェルナーが猫に怒るなと手を翳しながら、元上官を見たがオーベルシュタインは肩を竦めるだけだった。
「それは皇女殿下の愛猫だ」
「それはそれは……」
猫なのに犬並みの忠誠心だと感心しているのか、馬鹿にしているのか、判別のつけがたい、だが奇妙に腹の立たない口調で呟きながらフェルナーは記憶を辿るような様子で天井を見上げる。
「しかし皇女殿下絡み……ねえ……このところ貴族達はそんな大胆な真似はしそうもないほど成りを潜めていますし、かといってそれなりの人物でなければ王宮の殿下には手も足もでませんし……」
首を捻っていたフェルナーは、軽く息を吐いて首を振った。
「だめですね。犯人と思しき相手を断定するだけの情報はありません。ですが、そういえば昨日の夜半に、慌てた様子の馬車が二台、北と南へそれぞれ走っていく姿が目撃されています。北へ行ったのはベーネミュンデ侯爵夫人、南へ行ったのは、誰だか不明だそうです」
「ベーネミュンデ侯爵夫人?皇帝の寵姫だった女だな。皇帝の寵愛が薄れたのは、姉上が美しく成長 したからだとか、言い掛かりをつけて一方的に嫌っていたあの女か。可能性はあるな……」
「しかし、所属不明というのも如何にも怪しいと思われますが……」
ラインハルトとキルヒアイスが顔を見合わせて唸り声を上げる。
一人、出された水を一口だけ飲んだオーベルシュタインが席を立つ。
「殿下、なんのためにその猫を連れてきたとお思いですか」
「あ」
二人は顔を見合わせて、キルヒアイスの肩の上でが一声鳴いた。
酒場を出ると、オーベルシュタインが杖を一振りしてさっそくを人間の姿に戻す。
、姉上がいるのは北か、南か?それともまったく違う方向なのか?」
早速急き込んで訊ねたラインハルトに、は首を傾げた。
「人間の言う方角は判んない」
「……おい」
ラインハルトとキルヒアイスが同時にガクリと肩を落とす。
「でもどっちなのかは判るってば!姫様はあっちにいるよ!」


が指差した方角は。
1.所属不明馬車の進んだ南。

2.アンネローゼを嫌っていた父の後妻の居城のある北。





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