ミューゼル一家が越してきてから、がジークフリードと遊ぶ時間は極端に減った。
今までは、たとえジークフリードが友達と遊ぶ日があっても、日が暮れて家に帰ってくれば、母親が娘を引き取りに来る時間まではと遊んでくれた。
なのに夜などの時間を気にせずに遊ぶことができる友人ができたせいで、に構ってくれる時間が確実に減ったのだ。
それでも隣家にいるときは、いい。も一緒になってお邪魔して、アンネローゼの周りをちょろちょろしては、でもできる手伝いをさせてもらえたから、完全に疎外されたという気分を味わうことはなかったからだ。
だが昼はラインハルトとジークフリードの二人でどこかへ遊びに行ってしまうことが多い。
稀にのことも連れて行ってはくれるのだが、五歳も年少の女の子が居ては行動範囲が著しく制限されてしまうため、置いてけぼりをくらうことがほとんどだった。



小さな紳士(2)



「キルヒアイスはあいつを甘やかしすぎだ」
今日も一緒についていくと駄々を捏ねたを無理やり振り切って、近くの公園までやってきたラインハルトは不満を露わにした。
ジークフリードがを連れてくることを了承しかけたことが、気に入らなかったらしい。
「でも、ずっと一人で家にいるんだから、たまには遊んであげないと可哀想だよ」
「お前の家のおばさんがいるじゃないか」
面倒を見てくれる人と、遊び相手はまるで違う。これは完全なこじつけだとラインハルトにもわかっていたが、こちらから受け入れてやらなくとも、晩になって家に戻ればアンネローゼからの遊び相手を拝命するのだ。昼間くらいは男同士で自由に遊び回りたい。
ラインハルトは当初、はジークフリードの妹だとばかり思っていた。自己紹介で違う姓を名乗ったことは、軽く聞き流していたからだ。
次の日、斜向かいの家からに少し似ている女性に伴われて出てきて、キルヒアイス宅に預けられるところを目撃して、初めてあの少女が隣家の娘でなく、斜向かいの家の娘だと知ったのだ。
片親しかいないということは、ラインハルトには特に同情を寄せる理由にはならなかった。
ラインハルトも母親を幼くして亡くしているし、父親だってとっくの昔に親としての義務など半ば放棄している。
自分を育ててくれたのは、姉のアンネローゼだ。
ラインハルトにとっては片親どころか両親ともに揃っていないようなものだったが、家族は姉がいるから十分だったし、姉の存在だけで自分は恵まれているとも思えた。
ならば、だって母親がいるのだから条件は同じだ。
だから遠慮もしないし、ジークフリードのように特別な保護欲を刺激されることもない。
はいい子だよ。ちょっと元気が良すぎるだけで」
「あれがちょっとなものか。ぼくが一体、何回あいつに喧嘩をしかけられたか!」
それはラインハルトがむきになって言い返すせいではないだろうか、とも思ったが賢明なジークフリードは曖昧に笑うだけで済ませた。
ラインハルトもも我が強く、おまけにお互いに第一印象が最悪だったせいもあって、譲り合うということがない。
だが、恐らくラインハルトの一番の不満はと衝突することではなく、その度にアンネローゼが幼い少女の味方をすることにあると思う。
で、ジークフリードが中立なのが少し不満らしいが。
「大体、あいつだって同じ年頃の女の子と遊べばいいのに!」


「ラインハルトのばかぁー」
二人の少年が振り切るように走って行ってしまったために、自宅から一つ目の角で二人を見失ってしまったは、諦めて長い直線距離をとぼとぼと戻った。
その後姿を、夕食の材料の買い物に出かけていたアンネローゼが見つけて声をかける。
、一人なの?ラインハルトとジークは?」
あるいはジークフリード以上に懐いているともいえるアンネローゼの声に、はぱっと表情を輝かせて振り返った。
「ふたりとも遊びにいっちゃったー」
「まあ、またあなたを仲間はずれにしたのね」
アンネローゼが呆れたように、少し怒ったようにいつもそう言ってくれるので慰められる。
そうして、置いていかれたを家に招いて話をしたりお菓子を作ってくれたり、ちょっとしたお手伝いをさせてくれる。
「じゃあは、私のお手伝いをしてくれるかしら?」
「うんっ、やる!」
はいつも仕事を任されると、いきいきとしてそれをこなそうとする。
ラインハルトに言わせれば、簡単で確実なものしか任されないから失敗することなく必ずこなせてゲームのようで楽しいのか、相手をしてもらえるから楽しいのか、そのどちらかだろうということになる。
はいつも喜んで手伝ってくれるから、私も嬉しいわ」
「だって、はたらかざる者、くうべからずなんだよ」
アンネローゼは、五歳の少女が口にするにはそぐわない言葉に笑みを固めた。
「……え?」
「おかあさんが言ってたの。なんにもしないでいて、ごはんは食べられないって。はたらかないと、がししちゃうから、おかあさんがはたらくんだって。わたしもいつか外に出てはたらかなくちゃいけないから、世の中のり……り……りふじん?に、たえられる子になれって」
餓死ってなあに、と訊ねられてアンネローゼは説明に窮した。せめて理不尽の方を訊ねてくれれば、答えようもあったのに。
の母親とは数えるほどしか顔を合わせたことはない。越してきてすぐの頃に、娘から新たに遊んでくれる人としてアンネローゼとラインハルトのことを聞いたらしく、お礼にとシチューを鍋ごと作って持ってきた、それが初対面だった。
から母親の話を聞くたびに、第一印象と実像は、あまりかけ離れてはなさそうだと思う。シチューのジャガイモは皮を剥いただけのほぼ丸のまま入っていた。
から聞いた話によると、普段からなんでもぶつ切りで、もう歯も生えているのだから噛み切ればいいだろうと言われているそうな。
「お腹を壊さないように、よく噛みなさい。そうすれば逆に顎の発育にいいし、脳も活性化して万々歳よ!」
と笑い飛ばしているらしい。
そういう話を聞くたびに、いつも思う。
弟はに不満を零してばかりいるけれど、彼女は十分可愛らしく育っていると。
「……じゃあ今日は、袖の長いシャツの畳み方を教えてあげるわね」
「わあ、せんたく物をたためるようになったら、おかあさんよろこんでくれる」
そうして、大変な努力家でもある。


ラインハルトが日暮れまでジークフリードと二人で思う存分遊んで帰ると、やはり姉から小言を食らった。
叱り付けられれば反発もできるが、悲しそうな顔でどうして小さな子に優しくできないの、と言われてしまうと口ごもるしかない。
「だって……あいつを連れていると、遠くまで遊びにいけないんだ」
「いつもいつも置いていくことはないでしょう。たまには一緒に連れて行ってあげなさい、と言っているの。あなたたちは学校や遊びにあちこちへ行っているけれど、あの子はずっと家のそばにいるのよ」
そんなのは友達を作らないあいつが悪いんじゃないか、とは心の中で思うだけで口にしなかった。本格的に姉を怒らせることになる。
「明日はも連れて行ってあげるか、家で遊びなさい。いいわね?」
が幼いということは確かだが、ラインハルトだってまだ子供だ。冒険心にも溢れる年頃で、外を走り回りたいという欲求を発散できないのは面白くない。
だが明日一日の相手をすれば、しばらくは強制されないだろう。それに遊ぶと言っても、基本的にのことはジークフリードに任せておけば問題はない。
ただ外を駆け回ることができないのが不満なのだ。
「……わかった。明日はあいつも混ぜるよ」
だがこの約束は、まったくもって失敗だった。
なぜなら翌日、ジークフリードは急に家の用事で親戚を訪ねることになり、おまけに姉も壊れた時計を修繕に持っていってしまい、と二人きりにされたからだ。
今までは、姉か友人が一緒のときしかと接触したことがなかったら、ラインハルト一人だと、どう扱ったらいいのか戸惑うばかりだ。
常に一定の距離を保とうとするラインハルトに、は早々に遊んでもらうことを諦めて庭に出ると、ミューゼル家の庭の花壇の雑草をむしり始める。
いつもしつこく遊んでとせがんでくるくせに、キルヒアイスがいないとそれか。
相手をしなくていいとわかってほっとするような、自分をことごとく軽視されているような、微妙な気持ちでラインハルトは庭にしゃがみ込むの後ろに立った。
ひとりを庭に出していたら、帰ってきた姉をそれこそ怒らせかねない。
「……楽しいか?」
後ろからさして興味もなさそうにラインハルトが訊ねると、は振り返らずに頷く。
「あのねえ、いいことをしたら、ねえさまがほめてくれるんだよ」
そういう動機は果たして純粋というべきなのだろうか、不純というべきだろうか。
ラインハルトが馬鹿馬鹿しくも本気で考えての横に腰を降ろした。
「本当にこれ、全部雑草なんだろうな?」
もし姉が育ている花でもあったら目も当てられないと、恐々に花壇の周りの草を抜き始めたラインハルトには目を瞬いた。
「ラインハルトもするの?」
「……姉さんに褒められるんだろ?」
ラインハルトの本心としては家のことを手伝って褒めてもらうことよりも、に一人で草むしりをさせたことを怒られないための行動だった。だからといって草むしりを中断させて家に入っても、どう相手をすればいいのかわからない。一緒に草むしりに勤しんだ方がずっとましだ。
花壇の中の草は本当に雑草なのか育ている花なのかわからないため、その周囲だけ綺麗に草を抜く。
黙々と打ち込む作業は思いのほか早く進んでしまい、すべてを終えても、アンネローゼはまだ帰ってこない。
庭の伸びている芝を刈り込むには刃物を使うので、五歳のにさせるわけにはいかない。
いよいよの相手に窮したラインハルトは、とにかく時間が潰れることを考える。
「……散歩にでも出るか?」
「うん!」
特に素晴らしい提案をしたつもりもなかったのに、が目を輝かせて頷いたのを見て、昨日の姉の言葉を思い出した。
「あの子はずっと家のそばにいるのよ」
散歩くらいでこんなに喜ぶのなら、明日から近所を一周するくらいはしてもいいかもしれない。犬を飼っていると思えば、そこまで面倒でもないだろうし。
が聞けば憤慨しそうなことを考えて、ラインハルトは家に鍵をかけると少女を連れて散歩に出かけた。







子供の相手をしたことがないと、こんなもんですよね……(^^;)


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