「ところでこちらのお嬢さんは?」
息子と顔を見合わせて、気が抜けたように笑い合うに、女性が首を傾げてもう一度訊ねてる。は曖昧に笑って手を振るしかない。
「ただの通りすがりですから」
「ああ、そうだ!墓参の最中に申し訳なかった」
赤子を抱いたまま男に頭を下げられて、ますます大きく手を振る。
「気にしないでください。もう帰るところでしたから。それじゃあこれで」
男と女性に頭を下げて、最後に指先で男の腕の中の赤子の頬に触れた。
「バイバイ。元気に大きくなってね」
大きな瞳がを見つめて、にっこりと微笑む。
「む、お前、今からそれとは……将来、女好きにならんでくれよ」
男が笑顔の息子を見て軽く肩を竦めて、と自分の母を失笑させた。



12.繋ぐものは(2)



親子と別れて、墓地の入り口に向かいながら、これからどうしようと考える。
母の命日にはまだ早いし、家代々の墓がある墓地はこことは別の場所だ。
帰るか、前倒しで母の墓参りも済ませてしまうか。
駐車スペースまで戻ると、車では運転手が暇そうに待っていた。シュターデンの姿は当然ながら、見当たらない。
帰ってきた主に気付いた運転手が、車を降りて後部座席のドアを開ける。
「シュターデン提督は?」
「先にお帰りになるとのことで、無人車を拾われておりましたが?」
同行していたはずのが知らないのだろうかと運転手は軽く首を傾げた。
「そう。いいの、ありがとう」
あんな啖呵を切っておいて待っているとは思わなかったが、万が一トイレにでも行っていて、置き去りにしたなんてことになったらまた煩いことになりそうだと、一応確認しておいただけのことだ。
「お帰りですか?」
席に戻った運転手に行き先を尋ねられ、少し考えて窓から墓地を振り返る。
静寂の場所とは正反対の生命力に満ち溢れた子供と、その存在を大切に懐に抱いていた父親の姿を思い出した。
子供の世話に、まったく慣れていない様子だった父親。
あれは、かつての自分と母の姿なのだろうか。たったひとりで、自分を育ててくれた母。
「……うちの墓地に寄って。ああ、でもその前に供える花も買いたいから、どこか適当なところで花屋にも寄ってね」



その適当に寄った花屋で、見覚えるのある背中を見つけては目を瞬いた。
「なんたる偶然」
花屋の店員から花束を受け取った男がコートの裾を翻して振り返り、車から降りたところでうんざりしたような顔をすると目を合わせて足を止める。
「お前か。こんなところでどうした」
「花屋の前なんだから、花を買いに来たに決まってんでしょうが」
そのまま顔見知りの男ロイエンタールの横まで歩み寄り、待っていた店員に墓前に供える花を作ってくれるように注文する。
「墓参りか?」
「お母さんの命日が近くって」
「……ほう」
そこで会話が途切れた。話すことがなければさっさと行けばいいのにと思いながら、何気なく隣に立つロイエンタールが提げた花束を見る。
色とりどりのバラに、白い小さな花をつけるかすみ草をあしらった花束。
綺麗な、けれどそれだけにありふれたその組み合わせに、思わず乾いた笑みが漏れる。
「帝国きっての漁色家って、つまりお約束を外さないということなのかな……」
「これは、ミッターマイヤーの奥方へ贈るものだ」
聞かせるつもりのなかった呟きに、ロイエンタールは手にした花束を持ち上げて小馬鹿にしたように返してくる。
だがその答えに、は驚愕で思わず後退りした。
「親友の奥さんを誘惑する気ー!?」
「人聞きの悪いことを大声で叫ぶなっ!」
ロイエンタールが勢い込んで花束を振って、花弁がいくつか宙に舞う。
「他意がないという証明に、何かを贈るときは常に同じものにしているだけだ!ミッターマイヤー本人は気にしないだろうが、くだらん下世話な話を創作する者はいくらでもいるからな。そんなことになれば俺はともかく、夫人に迷惑が掛かる」
「ふぅん、それでバラの花束。でもバラって、綺麗だけど毎回だとクドいよね」
「……つくづく一言多い奴だ。毎回同じ花というわけではない!」
ロイエンタールは疲れたように息を吐き出して、から離れて別の店員にまた何か注文している。
それを見ながら、は肩を竦めた。
「他意がないならバラなんてやめとけばいいのに」
後ろめたくないことを強調するための贈り物がバラの花束では、逆効果なんじゃないだろうか。バラといえば恋人に贈る定番の花の気がする。
「でも花言葉って、色々あるんだっけ」
バラが恋人に贈る花の定番になっているのは、その見た目の美しさや優美さの他に、花言葉もそれを指しているからでもあるだろう。
が知っているバラの花言葉は「愛情」だけしかないから、余計にそんなことを思ってしまうのだろうか。同じ種類でも色ごとに花言葉の違う花もあるというし、そもそもロイエンタールが花言葉を気にして贈る種類を選んでいるかも謎だ。
ぼんやりと花を眺めながらバラの他の花言葉を思い出そうとしているうちに、の前に白いユリの花を中心にして作られた花束が用意された。
が会計をしようとしたところで、向こう側で別の買い物をしていたはずのロイエンタールが戻ってきて、横から花束を受け取った。
「俺がまとめて払っておいた」
「は……?」
なんで、とが驚き訊ねる前に、バラの花束を右手に提げたまま、左手でユリの花束を押し付けるようにして差し出してくる。
思わず受け取りユリの白い花を見て、またロイエンタールを見上げるが、相手はにこりともせずに家の車に向かって歩き出す。
「ここで偶然会ったのも何かの縁だ。俺からの弔花だと思えばいい」
「いや、でもあんたはお母さんと面識すらないのに」
背中に店員の挨拶を受けながら慌てて長身の男を追いかけると、ロイエンタールは呆れたような表情で肩越しに首を捻って振り返った。
「葬儀や墓参など、元より生きた人間のためのものだろう。死者が求めて行うものではあるまい」
「まあ、それはそうかもしれないけど……」
「そんな辛気臭い顔をしてまで、わざわざ墓に行く気はしれんがな」
「墓参りって笑顔で行くもんじゃないでしょう?」
何の話だとが首を傾げると、ロイエンタールは溜息をついて身体ごと反転して、正面からと対峙した。
「な、なに?」
そうして、驚いて足を止めたに手を伸ばし、指先でいきなり眉間をついてきた。
「なによ!?」
「そんなに眉間にしわを寄せるほど、不愉快なことを自ら進んでするのは愚かだと言ったのだ」
ロイエンタールの手を払い、突かれた眉間を左手で押さえたはきょとんとして目を瞬く。
見上げたロイエンタールまでなぜか不機嫌そうで、ようやく言われた意図に気がついてあっと声を上げた。
「違う違う!お母さんのお墓に行くのは別に憂鬱じゃないよ!」
「違うのか?」
「尊敬する人のお墓参りが嫌なわけないじゃない。あー……もし落ち込んで見えたんなら、その前の『父親』の墓参りのほうで、ちょっとね」
「両親の墓が別々に?」
「ちょっと複雑な事情で……」
ロイエンタールには色々と深い部分まで世話になっているし、話を外に漏らすような男ではないと思っているので特別に隠し立てするつもりもないのだが、一口で説明出来る話でもない。
それにシュターデン側は簡単に吹聴されたくないだろうとも考えると、濁した言い方になってしまった。だがロイエンタールはそれ以上は追及しなかった。
「……そうか、母親のことは尊敬しているのか」
それだけ呟くと車外に出て待っていた運転手を制して、後部座席の扉を開ける。運転手は気配を消すかのように足音も立てずに先に運転席に戻ってしまい、は軽く肩を落とした。
違う、この男はそんなのじゃないから、そんな気遣いはいらない。
こうなると勘違いされるようなエスコートを、無駄にし慣れている男の習性が恨めしい。
「お前のような子供を育て母親なら、一度会ってみたかったものだ」
そんな人の気も知らず、ロイエンタールはドアを開けたまま乗るように促してくる。
「恐らく素晴らしい猛獣使いだったのだろう」
「いちいち一言多いのはあんたも一緒だ!」
憤慨して足取り荒くが車に乗り込むと、ロイエンタールはわざとらしく恭しい仕種でドアを閉めた。
ドアの向こうでこれまた慇懃な礼を取る男に、思い切り舌を出して目を丸めさせてから、運転手に車を出すように告げる。
車が滑り出す直前、ユリの花束を手に窓の外にもう一度向かった。
異なる色の双眸を真っ直ぐに見上げて、声を出さずに口の形だけで言い損ねていた言葉を伝える。
―――ありがとう。
窓の向こうで相手が小さく笑ったところを見ると、メッセージは伝わったのだろう。
車が滑り出し、前を向いたがサイドミラーを確認すると、ロイエンタールも背を向けて自分の目的地へ歩き出す姿が映った。
「それにしてもキザな男……」
憂鬱な気分が少し晴れてほっと息をつきながら、ロイエンタールからということになった弔花をシートに置いたとき、白い花が花束から離れて零れ落ちる。
「おっとっ……と?」
包み方が甘かったのかと思ったら、それは弔花の花束とは別のものだった。
一輪だけを透明のセロファンで包んでリボンで括っているだけのシンプルな贈り物。
シートから落ちたその一輪を拾い上げ、は思わず笑いを漏らす。
「本っっ当に、キザな男!」
一輪だけの白いバラは、美しい花弁を広げて優美な姿を誇っていた。







ミッターマイヤーがプロポーズ時に黄色いバラを贈ったのは後の笑い話として有名ですが、
実は黄バラの花言葉には「嫉妬」や「薄れゆく愛情」以外にも、「君のすべてが可憐」など、
いい意味もあるんですよね。
白バラも花言葉が多数ありますが、ロイエンタールもやっぱり意識してないと思います(^^;)


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