「まったく……お前と再会してからは驚かされてばかりだ。どうしておかしな所でばかり会うのか……」 「そう言われたって」 ラインハルトの後を早足で追いながら、は肩をすくめた。 再会の場所はブラウンシュヴァイク公の館で、祖父に連れて行かれた宴席のことだ。 次にラインハルトがおかしな所と言ったのは、恐らく国立劇場であるに違いないが、それだって後見人となった親戚に連れて行かれたもので、今回の新無憂宮での鉢合わせもフレーゲルに捕まったせいだ。 「どれもこれも、自分で行った所じゃないのに」 すべて不可抗力であり、だからこそがいるはずのない、おかしな所ということになるのだろうけれど。 上流貴族の館、国立劇場、宮中と、貴族のがいたからといっておかしな所とまで言われる筋合いではないはずなのに、当の本人もそのことには気付いていなかった。 11.偶然の遭遇(3) 後ろから追ってくる忙しないヒールの音に、ラインハルトは自分の歩調が早かったことにようやく気付いて歩く速度を落とした。 キルヒアイスやミッターマイヤー、それにロイエンタールや……あのフレーゲルですら当たり前のように、ごく自然に歩調は女性に合わせている。 ラインハルトがそれに気付かないのは、きっと女性と歩く機会が少ないないからだろうと、置いていかれそうになった身でありながらはやや同情的だった。 「人のことは言えないけど、さもしい青春だったのね、ラインハルト……」 「何か言ったか」 「ううん。なーんにも」 ようやく無理せず横に並んだを見下ろして、ラインハルトは後回しにしていた件について問い質してきた。 「それで、ファーレンハイトに助けられたという不幸な事故とやらを聞かせてもらおうか」 ラインハルトに特に詰問するような様子はなかったので、は後宮でのやり取りから気軽に説明をした。 だがフレーゲルと言い争いになって扇をぶつけたところをフェルナーに見られた、という辺りでラインハルトの様子が変わった。 「見られた!?あの、乱暴で品のないところを見られたというのか!?」 「……ラインハルトのその言い草も大概ひどいと思うのは気のせい?」 「だが事実だろう!どこの世界に宮中で乱闘をする女がいるんだ!」 「そんなこと言ってたらファーレンハイト少将になんて、足を振り上げておかっぱの顔面に靴をシュートしてやったところを見られたけど」 「な、なに!?」 ラインハルトは完全に足を止めて、片手で顔を覆いながら溜息をつく。 「呆れて物も言えん……」 言ってるじゃないか、とは思ったもののラインハルトの気持ちも判るのではむっつりと口を閉ざして黙り込んだ。 見られたと知ったときはだって、宮廷に出入り禁止になるかもしれないと考えていたのだから、自分がどれだけ常識外れなことをしでかしたのかくらいは判っている。 それに、そんなと友人だと名乗ってしまったラインハルトの立場もあるだろうと思うと、少々申し訳ない気にもなってくる。 特にファーレンハイトは今度の出征でラインハルトの麾下に入るということだから、ラインハルトの人間性を疑われたりしたら大変だ。 だがラインハルトは自己の保身で溜息をついたわけではなかった。 顔を覆っていた手を降ろして、呆れたような表情での頭に置く。 「お前らしいと言えばあまりにもお前らしい行動だが、初めて見た姿がそれというのは、あまりにも印象が強烈すぎるだろう……黙っていればそれなりに整った容姿でそれなりの令嬢に見えるというのに、お前はどうしてそう凶暴なんだ」 どうやらの立場を慮ってくれてのことだったらしい。 それなりという、喜ぶべきなのか怒るべきなのか微妙に判断を下しにくい表現が混じってはいるものの、ラインハルトなりの心遣いを感じては安心させようと首を傾げる。 「でも、心配しなくてもお二人とも笑ってらしたし、おかっぱが倒れた理由は転びかけたわたしを庇ったからだ、なんて嘘話にまで協力してくれたから大丈夫だよ」 「ファーレンハイトは食うために軍人になったなどとうそぶいているほどだからな……冗談が通じる相手かもしれんが、もう一人のフェルナーとはどこの者だろうか」 「ハゲ公爵の参謀だって」 一拍の空白があった。 ラインハルトは目を見開いて、の鼻先に指を突きつける。 「どうしてお前はそんな相手に弱味を握られるような真似をしているんだ!」 は突きつけられた指先を、閉じた扇で横にずらす。フレーゲルに投げつけた衝撃で要が壊れてしまって、修理の必要が生じている品だ。 「大丈夫でしょ。大佐は嘘言い訳を考えてくれたくらいだし、笑って見てたし。おかっぱが蹴り倒されたなんてところを見てもいいことなんてないってファーレンハイト少将が言ってたくらいだから、主君に言いつけたりしないって」 「気楽なやつめ……」 「気に病んでも、もうやっちゃったものはしょうがないじゃない」 「少しは反省しろっ」 あまりに楽観的なに、ラインハルトは首を振って友人の不在を嘆く。 「ここにキルヒアイスがいれば、一緒に説教してやるのに」 こんな事態でキルヒアイスがいればどうなったか。 はこめかみに青筋を浮かべた笑顔の友人を想像して、旅行に行っててくれてよかったと思わず心から安堵した。 「そういえば、お前の足はどうした」 宮廷へ参内した士官の使う駐車スペースに着いてから、ラインハルトは思い出したように振り返る。 「うちの車?おかっぱに捕まったときに帰しちゃった。あ、でもわざと怒らせようと思ってリンベルク・シュトラーゼのラインハルトたちの下宿先に向かわせたんだけど。姉さまに会った帰りにラインハルトの所に寄ろうと思ってたから、ちょうどいいやって」 「俺のところか?だが俺はこれからこのまま宇宙港へ直行する予定だぞ」 「え、嘘!?今日出発だったけ?」 キルヒアイスから聞いていた日程を指折り数えて、ラインハルトの車に手を着いて引きつった笑いを漏らす。 「ま、まあいいや。じゃあ途中まで乗っけてよ。運転手には家に帰っとくよう連絡しておけばいいし」 「……お前、その格好で町中を歩いて帰るつもりか?」 華美なものではないが、後宮のアンネローゼを訪ねた帰りのは見るからに貴族と判る正装のドレス姿だ。供の一人も付けずにこの格好で町中を歩いているような人物を見かけたことなど、ラインハルトももない。 「だってラインハルトはシャトルの時間があるでしょ?裸じゃないんだから、別に問題ないよ」 「はだっ……お前の例えはいつもどこかおかしい!」 「あらやだ、ラインハルトってば顔を赤くして、何を想像したんでしょうねー?」 にやにやと淑女らしからぬ笑みで突いてくるに、ラインハルトは指先を払いながらドアを開ける。 「さっさと乗れ!誰が何の想像をするというんだ!お前みたいな上から下まで直線の身体で、図々しいにも程がある!」 「直線ですってー!?失礼な!確かにあんまり出てないけど、せめて引っ込むところはちゃんと引っ込んでるよ!」 「大声でそういうことを言うな!」 怒鳴り返したラインハルトに、突き飛ばすようにして助手席に放り込まれる。 シートに強かに打ちつけた腰をさすりながら起き上がっている間に、ラインハルトは運転席に移動して車に乗り込んでいた。 「なんて乱暴な!」 「俺の作法をうんぬん言う前に、お前が常識を学べっ」 ラインハルトと言い争いながらシートにきちんと座り直して、まだ車外に出ていた足を中にいれたところで、駐車スペースに入ったきた人影が目に映る。 「うっ、あれは……」 小さく怯むような声を上げたに気付くことなく、憤慨したままのラインハルトは自動開閉で車のドアを閉めた。 後から入ってきた人影の無感動な眼がエンジンの掛かったラインハルトの車に向いて、助手席から見ていたと、しっかりと視線が合う。 だがすぐにラインハルトが車を出したおかげで会釈する暇もなく、顔見知りの男を後ろに残して駐車スペースを抜けてしまった。 「まあいいか」 宮廷と外を繋ぐ門で簡単な退出チェックを窓越しに受けたラインハルトは、その小さな呟きを今度は聞き逃さずに拾った。 「なにがだ?」 「さっきね、ラインハルトが車を出す直前にオーベルシュタイン大佐がいたんだけど」 「なに?」 アクセルを踏んだところだったラインハルトが思わず振り返り、は慌てて手を振る。 「危ないな!前見てよ、前!」 宮廷前の道路は広いし交通量は多くはないが、余所見運転が危険なことに変わりはない。 ラインハルトもすぐに前を向いてハンドルを緩やかに動かした。 「オーベルシュタインというと、例の遺言状の男だったな」 「そうそう。一瞬だけ目が合ったけど、一瞬だったから会釈する暇すらなかったよ。まあいいでしょ。じいさまの知り合いなんてろくなことないし。向こうから接触してきた時以外は……」 他界した祖父のことを口にしてみて、はふと眉をひそめる。 「どうした?」 途中で切れた言葉にラインハルトが横目でちらりと見て促すと、は手袋をした指先で顎を軽く擦って考える仕草をする。 「今ね、なんか、こう、ちらっと思い出しそうな」 「お前の祖父のことか?それともオーベルシュタインとかいう奴について、何か覚えでも」 「違う違う、大佐じゃなくて……じいさまに聞いた話……がちらっと……」 しわを寄せた眉間を指先で突いてみながら記憶を掘り返して、ようやく頭に過ぎった祖父の言葉を思い出した。 「判った!思い出した!シュターデンって人!聞いたことがあると思ったんだよ!」 「シュターデン?そういえばお前を知っている風だったな」 「わたしというか、お母さんを知ってたんだよね。あー、判った判った。これは確かに嫌われるはずだわ」 は乾いた笑いでシートに背中を預けて、靴を脱ぎ捨てると足を上げて膝を抱えた。 「お前のじいさんじゃなくて、母親の知り合いか?」 「知り合いといえば、じいさまの知り合いかな。あのね、あのシュターデンって人の弟が、お母さんの婚約者だった人なわけよ」 「なに!?」 それほど速度は出ていなかったとはいえ急ブレーキの掛かった車に、行儀悪く不安定な姿勢でいたは、シートから転がり落ちかけて、ダッシュボードに額を打ち付ける。鈍い音がした。 「いったぁーっ!」 「おばさんの婚約者というと、結婚が嫌で逃げ出した相手ということか!なるほど、弟をこけにされたなら、それは恨みもするだろうな……」 「納得する前に!急ブレーキをかけるなーっ!」 額を押さえて怒鳴りつけたに、ラインハルトは呆れた半目を向けるだけだ。 「何を言う。そんな格好でいたお前が悪い。ちゃんとシートベルトをつけろ」 ぐうの音も出ず、はぶつぶつと文句をこぼしながらシートに座り直して、今度こそシートベルトを締める。 それを確認してから再度アクセルを踏んだラインハルトは、ふと気が付いて首を傾げた。 「待てよ、確かお前はおばさんと婚約者の間にできた子供ということになっているんじゃなかったか?」 「そうだよ。じいさまがお金だとかコネだとかで、どうにかシュターデン家に納得してもらったって、わたしにぶつぶつ恨み言を言ってたのを思い出したよ。だからねえ、さっきのあの人は、戸籍上では血の繋がったわたしの伯父さんということになってるの」 「あのシュターデンが……?」 今までの出陣に備えた会議上などの発言などを思い出しても、いかにも神経質そうな男だった。今日、予定になかった作戦会議が行われたのも元はといえば、シュターデンから要望があったからだ。 それを思いながら、隣の型破りの少女を横目で見る。 書類上のこととはいえ、の実態を知れば血縁という話になっていることに、シュターデンの怒りが三割くらいは増しそうだった。 「しかし……それは公文書偽造になるんじゃないのか?本当はシュターデンの弟とは血も繋がっていないはずだろう」 「地獄の沙汰も金次第。どんな経緯でも当人同士が納得してれば、あとはお金で何でもできるのよ、この貴族社会は」 「ろくでもないことだな」 「だからラインハルトが変えるんでしょ?」 確認でもなく、何でもないことのように言ったに、ラインハルトも小さく笑う。 「ああ。すべてを変えてやる。この帝国も、宇宙そのものもだ」 それはラインハルトにとって、願望ではなく予告にすぎないのだと、とキルヒアイスだけが知っていることだった。 |
ということで、シュターデンは戸籍上の伯父さんでした。 どんどん後の貴族連合側と縁が深くなっていきます。 |