「わあ、ラッキー。ちょうどいいところに」
このときは単純に移動費がタダになるということだけしか考えず、指を鳴らして開けられた窓に手を掛けた。
「わざわざ停まったってことは送ってって頼んでもいいよね?」
「……さすがに図太いな」
「なんとでも。あ、ラインハルト、ジーク、もうそこでいいよー。知り合いが通りかかったから送ってもらうー」
振り返ってまだ少し距離のあった幼馴染みたちにそう言うと、後ろで上擦った声が上がる。
「今なんと言った?」
「あ………」
慌てて口を押さえたが、一度口にした言葉が消えてなくなるわけではない。
初対面の頃よりは良好な関係とはいえ、珍獣に毛が生えた程度の認識をされている相手に、ラインハルトの知り合いだということを知られるのは、ラインハルトにとって不味いかもしれない。
そう思って以前、名前を出すことを控えたのに、ここで自分から言ってどうする。
だけどラインハルトなんてそこまで珍しい名前でもないし、キルヒアイスの名前まで知っているとは思えない。だったら大丈夫かもしれないと振り返ろうとしたら、ロイエンタールが車から降りてきた。



08.晴天の霹靂(3)



「ミューゼル閣下!」
「ロ、ロイエンタール!?」
「え、嘘、知り合い?」
唖然とするロイエンタールと、その場で立ち止まったラインハルトとキルヒアイスを交互に見ても目を丸くする。
だが、三人とも軍人だから顔見知りでもおかしくはない。
最初に気を取り直したのはだった。
「なんだ、お互い知ってるんなら話は早いよね。じゃあまたね、ラインハルト、ジーク。わたしロイエンタール少将に送ってもらうから」
「待て!ちょっと待てっ!!」
傍らで唖然としている男の腕を叩いて車に乗り込もうとしたら、そこでもういいと言ったのにラインハルトとキルヒアイスが泡を食ったように駆けて来る。
「一体どういう知り合いだ!」
目の前で興奮するラインハルトと、心持ち青褪めたキルヒアイスには目を瞬いた。
「どういう……どういう知り合いになるんだと思う?」
見上げられたロイエンタールは返答に窮した。が答えを見出せなかったように、ロイエンタールにだって明確な言葉が出てくるわけがない。
「……顔見知りだな」
「だよね」
「だからどういう縁の顔見知りだ!」
「な、なんでそんなに怒ってんの?」
一瞬、フレーゲルのように仲が悪いのかと思ったけれど、見上げたロイエンタールは困惑しているばかりでラインハルトに負の感情を持っているようには見えなかった。
の視線に気がついたロイエンタールが目を落すと、ふたりでラインハルトの剣幕に困り果てる。
それがラインハルトの目にどう映ったのか、突然鋭い声が上がる。
「ロイエンタール!」
「はっ!」
条件反射のようにビシリと背筋を正したロイエンタールに、今さらながら軍人なんだなあと納得してしまう。
そのため、しみじみとロイエンタール見上げていた。
はあくまでそう感心しただけだ。だが幼馴染みのふたりの目にはそれが上官に叱責されたロイエンタールを心配している視線に見えた。
は私の大事な友人である。そのことを念頭に置いてもらおう。その上で重ねて訊ねる。彼女とはどういう関係だ?」
ラインハルトの強硬な姿勢にロイエンタールが閉口したのも無理はない。どういう関係と問われても、繰り返すが顔見知り程度。それ以上でも以下でもない。だがその言葉では上官の疑問を納めることができないらしいので、仕方無しにそれに近い言葉に切り替えた。
「友人です」
「えー!?」
頭の天辺から上げたような裏返ったの大声に、三人の視線が集まる。
「ゆ、友人!?そうだっけ、いつの間にそんな関係に?」
のイメージする友人といえば、もうちょっと親しいものだ。少なくとも、お互いに連絡を取り合う気などまったくなく、こうやって偶然会うくらいでしか縁のない相手は決して友人ではなく、単なる顔見知りだ。
単純に苦肉の策で口にしただけのロイエンタールの友人の定義の広さに、ただ驚いただけだったのセリフは、どうやら二人の幼馴染みを完全に誤解させたらしかった。
「……ロイエンタール」
ラインハルトの声が確実に一オクターブは下がった。心なしかキルヒアイスの視線にも冷気が篭っているような。
「私は卿の私生活にまで口を出す気はない。そんな権利もないからな。だが、私の友人に関することではその限りではないぞ!」
「え……い、一体何の話……?」
には意味がわからずその場にいる自分以外の三人の顔を均等に見回しただけだったが、ロイエンタールはとんでもない誤解に渋面を作った。
「ミューゼル閣下、誤解があるようですが小官とこいつ……いえ彼女は」
「こいつ!?」
ラインハルトとキルヒアイスの声が重なる。
誤解を解こうとして口が滑ったとロイエンタールの眉間に皺が寄った。
「フロイライン・は本当に友人でしかありません。小官には彼女のような子供に手を出す趣味はありません」
「……はあ!?なに、一体なんの誤解なわけ?わたしがこの男と付き合ってるとでも思ってんの!?冗談じゃないよっ」
ことここに至ってようやく二人の幼馴染みの危惧を理解したは、精一杯の不満を顔に表した。
自分にはそんなつもりさらさらなかったのでうっかりしていたが、オスカー・フォン・ロイエンタールといえば有名な漁色家だ。通りすがりでわざわざ車を停めて声をかけてくる間柄で、ただの顔見知りと言っても説得力がないだけでなく、言い訳のように響いたのだとようやく気付いた。
「本っっ当にただの顔見知りだってばっ」
「だからどういう縁で知り合ったのか聞いているんだ!お前とロイエンタールでは重なる部分がないじゃないか!」
「街中で拉致されただけだって!」
っ!」
ロイエンタールの悲鳴のような叱責に、は今の発言を考えてみた。目の前のラインハルトとキルヒアイスは青褪めるを通り越して紙のように白い顔色になっている。
街での初めての対面は、とある喫茶店でだった。の貴族の令嬢らしからぬ言動にいい玩具を見つけたとばかりに無理やりミッターマイヤーの家まで連れて行かれた。
思い返すほど拉致という言葉はぴったりだ。
ただし、この場では少しも相応しくなかったが。
「あ、いや……冗談という意味の拉致なんだけど……いい遊び道具というか……」
「遊び道具!?」
「頼む、もうお前は黙ってくれ」
ロイエンタールは広げた掌で目を覆うようにして溜め息をつく。が口を開くごとに状況が悪化しているのだから無理もない。
「いや、でもそんな誤解されたままってのは冗談じゃないよ!?ああ、そうだ!だってまだ会って五回目だよ、今日!ほとんどはミッターマイヤー少将も一緒だったし!」
「ミッターマイヤー?」
恐ろしい形相になりつつあったラインハルトが、気の抜けたような声になった。
「ミッターマイヤー少将って、ウォルフガング・ミッターマイヤー少将だよね?」
確かめるように問いかけたキルヒアイスに、ようやく風向きが変わったかとはほっと息をつきながら腰に手を当ててリラックスする。
「そう。この男と親友をやっている奇特な常識人のウォルフガング・ミッターマイヤー少将」
三人の様子を傍で見ているロイエンタールとしては、の随分な言い様とミッターマイヤーの名前になら納得するような気配を見せたラインハルトとキルヒアイスに、どこか釈然としないものがあった。
だがこれで丸く収まるなら口を噤んでいるのが得策だろう。
ロイエンタール自身、自分の周囲からの評判に対する自覚はある。
「……そうか。疑うようなことを言ってすまなかったな、ロイエンタール少将」
「いえ、ご友人を心配なさってのことですので」
こんな小娘までその範疇に入れるかと言いたかったことは、この際は自業自得だと思って諦めることにする。
四人が四人とも、安堵したその空間を切り裂く声が割り込んできたのはこのときだった。
!とうとう現場を押さえたぞっ」


突然の不穏当な発言に、四人ともが渋面を作ったが、より顕著だったのはとラインハルトのふたりだ。
「しかもこの下級貴族だけでなく、成り上がり者の金髪の孺子も一緒だとはどういう了見だ!私の婚約者だという自覚はあるのか!」
「事実でもないのに自覚があるわけないだろ、おかっぱめ」
は吐き捨てるように呟いて、侮蔑の色を隠すことなく高級車から降り立った自称婚約者を振り返った。
「まったく……毎度毎度、人を不愉快にさせる才能だけは豊富なようで、存在そのものが鬱陶しい人ですね、フレーゲル男爵」
「不愉快なのはこちらのセリフだ!このような時間にこんな下賎な者どもと、みすぼらしい格好で言葉を交わしているなど、私の顔に泥を塗る気か!?」
「なんでわたしの行動であんたの顔に泥を塗ることになるっていうの!いい加減、妄想の世界から現実を見ろ、このおかっぱ!」
一転して激しい悪態をフレーゲルへ向けたに、一度なりとも似た場面を目撃していたラインハルトはともかく、キルヒアイスとロイエンタールは唖然として小柄な少女を見下ろした。
本人がいないところでならば、どんな態度で辛辣な批判をしても特に驚くことではないが、まさか自分たちの前で取っていた悪態を、そのまま本人にぶつけているとは思いもよらなかったのだ。
あれでもフレーゲルは権門の一族だ。ブラウンシュヴァイク公爵に甥として目を掛けられており、無能なりに虎の威を借りて地歩も固めているというのに。
「現実を見るべきはお前の方だ!お前が好いているのはその下級貴族か?それともそこの金髪の孺子か!?侯爵家の血を引くお前が、わざわざ栄えある帝国貴族の血に下賎の血を混ぜるつもりか!」
「あんたのそういうところが我慢できないの!人の貴賎が血筋で決まると思ってんの!?少なくともラインハルトとオスカー・フォン・ロイエンタールはそんな馬鹿なことだけは言わない!それだけでもあんたよりずっと上等だね!」
「認めたな!?そこの下級貴族と通じたことを、今認めたな!」
「………は?」
は唖然として、フレーゲルが指差した方向を確認した。その指先は、まっすぐにロイエンタールに向いている。
ラインハルトとキルヒアイスは怪訝な顔でとロイエンタールを見比べた。
ロイエンタールにとっては、気に食わない男に指で差されたことも腹立たしいが、それ以上に言いがかりをつけられたことが不愉快だった。
「お前は上手く隠したつもりかもしれんが、十二日の晩に邸までその男がお前を送ってきたことはわかっているのだぞ!この売女めっ」
「そ、そのことだったの……?」
昨日、突然怒鳴り込んできて売女だとかなんだとか、甚だ心外な言いがかりをつけてきた理由がわかって、は思わず脱力して肩を落とした。
「ばっかじゃないの、なんでそれだけで売女呼ばわりされる理由になるわけ?単に夜に会ったってだけでなにをやっていたかまで決め付けないでくれる?」
「………では、十二日の『晩』にロイエンタールと会っていたことは本当なんだな?」
失言を悟ったところで、既に遅い。
晩、と強調した地を這うようなラインハルトの声に、は振り返る勇気を持てず、ロイエンタールは星を見上げた。やはり振り返る気になれない。
特ににとっては、低く唸ったラインハルトよりもその隣で無言のまま、きっと見るのも恐ろしい無表情になっているだろうキルヒアイスを想像することは、下手な怪談以上の恐怖だった。








ペラペラとよく喋る男が全部暴露してしまいました……。


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