「こんな時間に女の子がひとりで外出するなんて」
先に立って階段を上がりながら、キルヒアイスはぶつぶつと不満を漏らす。
この時点でこれだと、部屋に入った後は説教の嵐がくるかもしれない。
心配してやってきたのに、それはちょっとあんまりな扱いではないだろうかと段々と腹が立ってきた。



08.青天の霹靂(2)



キルヒアイスに続いてふたりの共同の居間へ足を踏み入れたとき、ドアを閉めなかったのはむしろ防衛本能というやつだろう。
だがそれに気付いたキルヒアイスがにソファーを勧めながら閉めてしまう。
ぱたんと静かなその音は、には戦闘開始の合図にすら思えた。
先手必勝と口を開いたけれど、僅かな差で負ける。
「ケチな人間の注意は聞けないというところかな?」
キルヒアイスの先制攻撃に、は浅く腰掛けていたソファーから勢いよく振り返った。
「だって心配だったんだよ!」
「だからアンネローゼ様もラインハルト様も僕も……」
「姉様とラインハルトが無事だっていうのは嘘じゃないってわかったよ!でもジークは自分のことはすぐごまかしちゃうでしょ!?」
「だからって、せめて明日なら迎えに行くと言ったよね?どうしてたった一晩が我慢できないんだ」
「なんでこんな近くにいるのに明日までやきもきしなくちゃいけないのよ!」
いつも出兵があるたびに、その中にラインハルトとキルヒアイスがいるんじゃないかと、どれだけ人が心配していたと思っているのだろう。
戦場には手が届かないけれど、なぜオーディンの地表の上でまで手をこまねいて待っていなくてはいけないというのか。
どうしてこんなにも我慢できなかったのか、ようやくはっきりとした明確な答えが自分の中で出て、は俄然、強気になった。
「待ってるだけしかできないって、どんな気持ちかちゃんとわかってる!?自分たちは目的に向かって全力で走っててさ!祈るだけしかできない悔しさや無力感なんてわかんないんでしょう!」
キルヒアイスは唖然としたようにドアの側から動かないままでを見ている。
呆れているのか反論の言葉が見つからないのかはわからないけれど、今度こそ上から押さえつけるような説教が返ってこなくて、腕を組みながら兄のような大切な友人を睨みつけた。
「心配くらいさせてよ」
怒ってそう言ったのに、キルヒアイスは眉を下げて苦笑すると、頭を掻きながら首を振る。
「そんなことを考えていたのか」
「そんなことってなに!?」
「ああ、いや、そういう意味じゃないよ……うん、そういう意味じゃないんだ」
ゆっくりとの目の前まで歩いてくると、宥めるように肩を叩く。
「そんなに心配を掛けていたんだなあと」
「当たり前でしょう!?」
「ありがとう……」
眉を吊り上げたとは対照的に、キルヒアイスは困ったように微笑んだ。
それに満足して口を閉ざしたけれど、キルヒアイスの話には続きがあった。
「でもそれなら、僕がどれくらい心配しているかもわかっているよね?どうしてヴィジホンでそういう風に説得しなかったのかな?」
「……え?」
「ケチだなんて捨て台詞で短気を起こして通信を切ってしまう前に、そう言ってくれたら迎えに行ったかもしれないのに。こんな時間に女の子がひとりで家を飛び出すことにどれだけ僕が心配したと思っているのか、君は本当にわかっている?」
「………ケ、ケチって言ったの、怒ってる……の?」
恐るおそると訊ねてみると、キルヒアイスはとってもいい笑顔で応えるだけだ。
「そんなことでは怒っていない。だから君の短気なところを治しなさいと言っているんだよ。大体君は昔からそうだ。昔アンネローゼ様の誕生日プレゼントをラインハルト様と競ったときも……」
「か……勘弁してください……」
そんな昔の話まで引っ張り出されても、と逃げ腰で呟いたら、居間続きの部屋のドアがいきなり開く。
「うるさいぞ、キルヒアイス!目が覚めてしまったじゃ……なんでお前がここにいる」
収まり悪く寝癖をつけたラインハルトが、寝惚けているのか酒が残っているせいか、いつになく間の抜けた表情でを見下ろした。


最初、敵が増えたのかと覚悟したが、キルヒアイスの差し出した酔い覚ましの水を飲みながらソファーに腰掛けたラインハルトはの方に理解を示した。
「それは、お前が悪いキルヒアイス。いつもいつも自分のことは後回しにするから、こういうときにが言葉だけでは信用しないで無茶をするんだろう」
「ですが……」
「さすがラインハルト!よくわかってる!」
反論の言葉をが潰してしまったのでジロリと睨みつけてきたけれど、そちらは見ないようしてグラスを持っていない方のラインハルトの手を握る。
「当たり前だろう。俺の方がキルヒアイスとずっと一緒にいるんだぞ。こいつは自分の怪我や不調はごまかして告げない癖があるからな。気付かない俺も俺だが、キルヒアイスもキルヒアイスだ」
「そうだよね、心配するよね!」
にわか連合だろうとラインハルトがこちらにつけば、そう強い説教はできまいと勢い込んで頷くと、ラインハルトはわずかに眉を寄せる。
「そうだ。だがお前も悪い」
「……はい?」
「キルヒアイスが心配なのはわかるが、それなら俺に代わらせればよかっただろうに。俺から確認すればよかったんだ」
「だって酔い潰れて寝てるってジークが」
ばつが悪かったのかラインハルトは小さく咳払いして首を振る。
「とにかく、こんな夜中に若い娘が出歩いて、そのうち痛い目をみることになるぞ」
「今回だけだよー」
軽く手を振って答えながら、そういえばこれは二回目だったと思い出す。
夜に邸を飛び出したのは三回だが、そのうち一回はラインハルトとキルヒアイスの迎えがあった。そして今回と、それからオスカー・フォン・ロイエンタールの邸に衝動的に向かったときがある。
「………今回だけだよー」
言わなきゃバレない、と結論付けたは知らんふりすることに決め込んだ。
そうして、せっかく思い出したならついでに聞いておきたいこともある。
「ジークも怪我がなかったみたいでよかったけど、他の護衛の人も大丈夫だったの?」
「他の?ああ、特に大きな怪我人は出なかった。襲撃者の方は死人も出た……というか生き残った者も調査が済んだ時点で刑罰で恐らく死を免れてはいないだろうが」
皇帝の寵姫と仮にも帝国軍の大将を襲撃したのだ。死罪になっても無理はない。
気になったのはラインハルトとキルヒアイスとアンネローゼの他に、顔に見知りであるロイエンタールとミッターマイヤーのことだったから、襲撃者に対しての感慨は何もない。
「ふうん、そっか」
大きな怪我人は出なかったとのことでほっと胸を撫で下ろすと、ラインハルトは当然の疑問を持ったようだ。
「どうした、護衛に知り合いでもいたのか」
「知り合いというか……まあ顔見知り程度だけど。会場で見かけたから、きっと姉様の護衛だったんだろうなと思っただけ。怪我人がいなかったならいいや」
ロイエンタールの今の恋人なんて知らないが、ミッターマイヤー夫人が悲しんでいる姿は想像でもあまりしたいものではなかったので、無事だという話を聞くとそれで十分だった。
「それじゃ、ジークが怖い顔しているし、そろそろ帰ろうかな」
「怖い顔はしてないけど、帰った方がいいのは確かだね。送ろう」
「いいよ別に。すぐそこで無人車拾って帰るから」
「でも」
「なら無人車を拾うまでは見送るぞ」
ラインハルトがグラスを置いて立ち上がったので、思わずキルヒアイスと顔を見合わせる。
「ラインハルトも来るの?」
「私がを送りますからラインハルト様はどうぞお休みに……」
「夜風に当たれば酔い覚ましにちょうどいい。いいから行くぞ。ちょっと待ってろ」
ガウン姿のラインハルトが寝室の方に消えてしまい、は溜息をつく。
「頑固だよねー」
「本当に。君とそっくりだよ」
「わたしがラインハルト並みの頑固だって言いたいわけ!?」
冗談じゃないと睨みつけたのに、キルヒアイスはまるで何を今更と言わんばかりの視線を投げかけてきて、それから深い溜息を吐いて首を振った。


階下に下りると、偶然家主の夫人と顔を合わせた。夜分にすみませんでしたと挨拶をしておくと、ふくよかな顔に笑顔を載せてまた来てあげてちょうだいね、とまるでふたりの母親のように答えてくれる。
「家庭的で良さそうな下宿先だね」
春も終わりに近付いて来ていて、外に出てもそこまで肌寒いこともなく、当然暑いということもない。
家を出ながらがそう言うと、ラインハルトが悪戯めいた表情を見せる。
「ならお前もここに住むか?クーリヒ、フーバー家の歴史には詳しくなれるぞ」
「なにそれ?」
「クーリヒとフーバーは家主の夫人のお名前だよ」
キルヒアイスを振り返っても、そう苦笑するだけで回答を濁した。
大通りに向かって歩きながら、は空を見上げる。
空に瞬く光は街の灯のせいで美しいというほどではなかったが、それでも遠く届かないそれは幻想的な輝きに見えた。
ラインハルトとキルヒアイスは、軍人として何度も宇宙に上がっている。あの光も身近なものなのだろうか。
の思いを見透かしたというわけでもないのだろうが、ラインハルトが視線を追って空を見上げながら素朴な疑問を口にする。
「そういえば、はこのオーディンから出たことはあるのか?」
「ない。この間財産リストを見ていたら、どうもオーディン以外の惑星の一部にも領地があるみたいなんだけど、じい様も行ってないみたいだった。少なくともわたしがあの邸に連行されてからは、じい様も行ってない。そもそも旅行自体したことないしね」
「オーディンに居を構える貴族ならそんなものかもな」
これがオーディン以外の惑星を領地とする貴族ならば、留学であったり宮廷への参内であったり、あるいはより良き結婚相手を探す親に連れられて来た娘であったり、様々な理由で星空間旅行をしていた可能性は高い。
「行ってみたいけどな。ここから見上げても星は綺麗だし。オーディンを外から見てみたい気もするし」
「そうだな。俺も宇宙は好きだ。あの輝きを宇宙に上がって見れば、いつまでも飽きない」
いいなあと言いかけた言葉が、ふいに引っ込んだ。
ラインハルトが旅行で宇宙に上がるはずがない。
彼が宇宙に出るときは、常に出陣なのだ。
難しい顔をしたに気付いたのは、一緒に空を見上げていなかったキルヒアイスだった。
「どうかした、?」
「ううん……別に」
宇宙に行くなと言っても、軍人である限りはどうしようもない。ましてや、ふたりは目的のために常に出陣の機会を待っている。
人の気も知らないで……。
アンネローゼの弟という立場を利用して、安全な陰に潜むラインハルトという姿はどうしても想像できない。むしろ人事異動のせいで後方勤務になって憮然としている表情ならば簡単に想像できた。
もちろんも後方勤務を疎かに考えているわけではなく、単に安全か危険かだけで考えた上でのことだ。
そうして、その基準だけで言えばふたりには後方勤務でいて欲しい。
無駄な願いには違いないが。
「……ラインハルトとジークと、一緒に宇宙に行けたらいいなあって思ったの」
軍人でないが一緒のときなら、もちろん出陣のはずがない。
それはきっと旅行などでしかありえないだろう。
そんな考えがわかったのだろうキルヒアイスの苦笑はともかく、驚いたように見下ろしてきたラインハルトと目を合わせるのがなんとなく恥ずかしくて、少し離れるように大通りに向かって駆け出した。
「あまり先に行くなよ」
「わかってるよ!」
子供みたいな注意をされて、ますます恥ずかしくなったは更に足を速めてふたりと距離を開けると、大通りに出て客を乗せていない無人車を探して首を巡らせる。
ラインハルトとキルヒアイスが追いつく前に、車を捕まえられればいいのにと思っていたら、すぐ横に一台の車が停まった。
タクシーである無人車ではなくて、個人の車だ。
どこかで見たことがあると思っていたら、窓を開けて顔を出したのは、つい先ほどラインハルトたちに安否を尋ねた知人。
「どうしてお前はまたこんな時間に出歩いている」
呆れた顔をしたロイエンタールだった。








鉢合わせ五秒前……というところでしょうか。


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