休憩時間が終わりそうだとを探しに廊下に出てきた同行者に気付いて、一緒にいるところを見られないようにとアンネローゼたちには慌てて挨拶をして別れた。 それでもは上機嫌だった。 面倒なばかりだと思っていたピアノ鑑賞に連れ出してくれたお陰で、アンネローゼに再会できたことを思うと、同行者の夫人には感謝してもし足りない。 帰りに駐車スペースで何気ない顔での方を伺っていた顔見知りの金銀妖瞳の軍人には、何もなかったことを示して閉じた扇をひらり振って見せた。 がすこぶる上機嫌なので、夫人の方も上々の手応えを感じたらしく、機嫌よく邸まで送ってくれた。 邸では執事がてぐすね引いて待っていて、出掛けのフレーゲルとの騒動の理由を聞かれたが、そんなことにだってわかるはずもない。 そもそもアンネローゼと会えたことですっかり舞い上がっていて、そんな気分の悪い話などすっかり忘れていたほどだったのに。 09.青天の霹靂(1) 「ふーん、事故があったんだ」 翌日、朝起き出して電子新聞を眺めていたらひとつの記事が目に止まった。 「新無憂宮の近くじゃない。姉様、巻き込まれたりしてないよね……」 グリューネワルト伯爵夫人が事故に見舞われたなんてことになれば大騒ぎになるはずだが、状況によっては検閲が入って情報操作される可能性だってある。 「うーん……でも昨日は親しい友人や弟と音楽鑑賞だし、規制が入るような状況じゃないよねー……」 大丈夫だったんだろうなという予測は、昼過ぎに飛び込んできたニュースで吹き飛んだ。 「ベーネミュンデ侯爵夫人が亡くなられたそうよ。それも陛下から死を賜ったとか!ご自害ですって!」 ざわざわといつもなら色々な噂が飛び交う親戚のご婦人方のお茶会の話題は、本日それひとつだった。 それだけの大事であることには間違いない。 間違いないが、ではなぜそんな事態になったのかと考えたの脳裏に、朝読んだニュースが点滅した。 アンネローゼが外出した日に新無憂宮の近くでの事故、その翌日に侯爵夫人の皇帝の指示による自裁。 思わず立ち上がったに、親戚の夫人たちの目が集まったがそれに頓着している余裕はない。 アンネローゼの身に最悪の事態が起らなかったことだけは確実だが、怪我などはしていないだろうか。ラインハルトは、キルヒアイスは。 じっとしていることなどできなくてサロンを飛び出すと、書斎からリンベルク・シュトラーゼのふたりの下宿先にTV電話かけた。 程なくしてキルヒアイスがディスプレイに出る。 「、どうしたの?」 現時点では世間的にあまり表立って会える間柄ではないことになっているので、直接的に連絡を取るのは珍しい。キルヒアイスが驚くも無理はない。 ディスプレイに映っている姿には怪我など欠片も見えなかったけれど、あくまで映っている範囲でしかわからない。 「ジーク!怪我はない?姉様は、ラインハルトは!?」 挨拶もなしにいきなり勢い込んで身を乗り出すに、キルヒアイスは些か面食らったようだが、すぐに意味がわかったのだろう。穏やかに微笑む。 「大丈夫、ラインハルト様もアンネローゼ様もご無事だよ。僕も怪我なんてしてないから」 画面から伺える限りは、嘘をついているという様子もない。あくまでもそう見えるだけだが。 「よかった……」 ほっと肩の力が抜けて深く息を吐き出したに、キルヒアイスは目を細めて苦笑した。 「耳が早いね」 「噂好きの親戚には事欠かないんでね。侯爵夫人の話……」 「ああ……」 キルヒアイスは僅かに困惑した表情で後ろを顧みる。 「ラインハルト様はその場に立ち会われたのだけど、戦場ならともかくこういう場面はご気性に合わないのだろう。今はブランデーを飲んで眠ってしまわれたよ」 「まだ夕方なのに?」 よほど気分が滅入る仕事だったに違いない。 ラインハルトは戦場で勇を競うことには高揚しても、宮中で女性陰謀家の破滅を見ることなど望みではないのだから、当然といえば当然の話だ。 少し考えて、やはり気になって思い切って言ってみる。 「……今日、そっち行っていい?」 「もう日が落ちるよ」 即座に否定的な答えが返って来て、少し腹が立った。 こっちだって心配しているから言っているのに。 「だからでしょ!日が暮れてからしか落ち着いて抜け出せないんだよ」 「駄目だ。今日はもうラインハルト様も外出できそうにないし、迎えに行けない。だからせめて明日にしなさい」 「いいよもう!ジークのケチ」 言うだけ言うと通信を切って、書斎から部屋へ帰る。 身軽な服装をクローゼットから引っ張り出すと夜を待つことにして、突然席を立った言い訳をしなくてはと先ほど飛び出したサロンに頭を捻りながら戻った。 ふたりは現在下宿中だからあまり遅い時間に訪問するわけにはいかない。 親戚たちの帰宅で邸内が慌しくなる時間を狙って、メイドのユメリアの協力を得てそっと邸を抜け出した。 邸の方は彼女がどうにか誤魔化してくれる手筈になっているから、問題はリンベルク・シュトラーゼに着いたときのキルヒアイスの対応だった。 まあいいか。 は街角で車を拾いながら楽観して結論を出す。 キルヒアイスは夜に女の子ひとりでと怒るかもしれないけど、着いてしまえばこっちのものだ。 無人車の窓から流れる夜の街の風景を頬杖で眺める。 幼馴染みの心配をしてなにが悪いというんだろう。キルヒアイスが注意したのはそういう意味ではないとわかっていても不満だ。 怒られてもいいから、本当に怪我なんてひとつもない姿を見れば安心できるのに。 アンネローゼに怪我があれば、キルヒアイスの態度に出ていたはずだから、アンネローゼとラインハルトに怪我がないというのに嘘はないとは思うけど、自分のことでなら嘘をつくかもしれない。護衛についていただろうことを考えると、キルヒアイスが最もその心配があるというのに、夜になるから駄目だなんて理由で納得できると思っているのだろうか。 怒られたらそうやってまくし立てて煙に巻いてしまおうと思いながら、目を閉じてシートに身を沈める。 そういえば、昨日あの場にいた顔見知りは間違いなくアンネローゼたちの護衛役だったのだろうと思い出す。 「………大丈夫だよね」 金銀妖瞳のふてぶてしい笑みを思い出すと、そう簡単にどうこうなるとは思えないけれど、キルヒアイスの心配をしたように、護衛対象のアンネローゼやラインハルトに比べて護衛役の男の身の安全ははっきりとはしない。 「大丈夫だよね………?」 安心するための呟きだったのに、繰り返すと妙に落ち着かなくなってしまった。 「別にそんな心配するような間柄じゃないしー……」 口に出すと更にそわそわとしてくる。 「そうだよ……ミッターマイヤー少将も一緒だったんだ」 あの非常識な男の常識的な友人も怪我なんてしていないだろうか。まさか怪我どころでは済まない事態だなんてことはないと信じたいけど……。 リンベルク・シュトラーゼのふたりの下宿先に着くと、飛びつくようにして呼び鈴を鳴らした。 「はいはい、どちらさま?」 出てきたのは恰幅の良い人の良さそうな老婦人だった。家主だろう。 「あの、わたし・レーベントと申します。ジーク……ジークフリード・キルヒアイスとラインハルト・フォン・ミューゼルのふたりがこちらでお世話になっていると聞いているのですけれど」 「まあ金髪さんと赤毛さんね。こんなに可愛らしいお嬢さんがお友達だなんて、心配しなくてもちゃんと青春もしているのねえ。ちょっとお待ちくださいね」 青春をしているって、一体どういう知り合いに見えたのか、は一瞬だけ顔をしかめかけたがどうにか留まった。 それにしても金髪さんと赤毛さんとはこれまた可愛い呼び方だ。 穏やかに返答するキルヒアイスは容易に想像がついたが、苦々しい顔で舌打ちするラインハルトもまた容易に想像できてちょっと笑ってしまった。 だがそれも、二階のドアが開く音が聞こえるまでだった。 取りあえず昔の偽名の方で名乗ったものの、当然キルヒアイスには誰が来たかなどすぐにわかるだろう。大家の前でいきなり怒鳴りつけたりはしないだろうけれど、難しい顔をするのは目に見えている。 心配だったんだという点に絞って押し通す。嘘ではないのだから後ろめたくもなんともない立派な理由じゃないか! 玄関先で自分を奮い立たせていただったが、階段を降りてきた青年らしき足が見えたときには思わず一歩下がってしまった。 そうして、現れた赤毛の下に笑顔があった日には。 「やあ………こんな夜遅くによく来たね」 「お……遅いって時間でもないよ?」 更に二歩下がってしまったのも無理はないと思う。 |
相変わらずの衝動ですが、お兄さん(代わり)の説教は怖いですよ。 上手くかわせるといいのですが…。 |