唖然としたラインハルトとキルヒアイスを尻目に、は両手を離して軽く広げた。 「だってさあ、婚約破棄なんてされたらかっこ悪いじゃない」 「おい」 ラインハルトが、呆れた顔での頭を軽く叩いた。 04.その先にあるもの(2) 「というのは、冗談で。ちょっと考えたんだけどさ、ラインハルトはアンネローゼ姉様を取り戻すために力がいるんでしょ?」 叩かれた頭を不満そうに撫でながらそう言うと、ラインハルトの不快はそれ以上だったようだ。 「お前を利用しろと言うのか!?」 「わたしにも協力させてと言ってるだけだよ」 言い方ひとつで、行為は一緒でも、意味は全然違う。 「確かにうちは斜陽を迎えた家だけど、だからってまだ没落とまではいってないし。ハゲが手を伸ばしてくるくらいには、利権があるのよ」 「だけど」 言いよどむ様子からして、キルヒアイスも反対のようだ。 「あのねえ、婚約止まりだろうと結婚までいこうと、わたしだってハゲに喧嘩売ることになるのは変わんないわけよ。じゃあいいじゃん。ラインハルトは爵位だか金だかを手に入れて、わたしは姉様のためになにか少しでもできて満足。どこに問題があるっつーのよ」 「問題だろう」 ラインハルトがどこか焦ったように、妙な手振りでを説得しようとする。 「なにが」 「本当に結婚したい相手ができたらどうする?」 「そんときゃ離婚すればいい話でしょ。だーいじょうぶ、男の離婚暦はそこまで不利になんないからさ」 「お前に出来たら、だ!」 「わたしぃ?」 は驚いて自分を指差す。 そんなこと、考えてもみなかった。 四歳のときに家へ押し込められて、来る日も来る日も勉強に勤しんだ。 会う男は老人か中年男ばっかりで、年頃の男の子といっても、尊大で選民意識の凝り固まった子供ばかりだった。 どうせ政略結婚をするんだと、最初から恋や愛なんて、幻想も抱いていなかった。 はたと気がついてみれば、初恋すらまだしてない。 「……我ながら貧しい青春を送ったのね……」 「送ったって……にはまだこれからだろう?」 キルヒアイスが苦笑して訂正してくれる。 「う〜ん……恋とか愛とか、そんなの考えたこともなかった。ラインハルトとの結婚だって、これがなにかの役に立てばと思っただけだし」 「……それは、遠回しに俺を否定しているのか?」 ラインハルトが不機嫌そうな顔をして睨みつけてくる。 「はあ?なんでまたそうなるの……」 今度はの方が訝り気な顔でラインハルトを覗き込んだ。 ラインハルトが少し身を引く。 それがなんとなく面白くて、は更に身を乗り出した。 ラインハルトが引く。 が追う。 「お、おい!」 「……」 ラインハルトの焦って上擦った声とキルヒアイスの呆れた溜息で、はようやく今の態勢に気がついた。 いつの間にやら、車の窓まで逃げたラインハルトに半ば乗りかかっている。 「あ、ごめん、重い?」 が笑ってラインハルトから降りると、襟元を正しながらラインハルトは乱れた髪を整える。 「ああ!押しつぶされるかと思った!」 「なんだとー!?乙女に向かって!この細身のわたしのどこが重いってーのよ!」 「ほ、細身だと?どこが!」 「ラインハルト様……引っ込みがつかないからって、無理に押し通さないでください。はときどき驚くほど鈍感なんですから」 キルヒアイスがにはわけのわからない、けれど失礼な発言をした。 「鈍感とはなによ!馬鹿にされてることくらいはわかるよ!ほら、触ってみなさい!この驚異的にほっそいウエストに!」 肥満を是としない祖父の方針で、はコルセットなしでも十分なくらいの体型維持を要求されていた。 宣言するや否や、ラインハルトの両手を鷲掴みにして自分の腰に押し付ける。 「お前………っ」 「!」 冗談だったのに、ふたりの只事ではない悲鳴に、さすがのも驚いた。 気がつけば。 目の前でラインハルトが俯いて茹蛸になっている。 ラインハルトの手を腰に押し付けていたの手を、キルヒアイスが叩き落とした。 「女の子なんだから、もう少し恥じらいを持ちなさい!」 「へ?え………?」 ラインハルトが、凄い勢いで解放された手を引っ込める。 キルヒアイスには届かなかったほうの手も、驚きでの力が緩んだ拍子にラインハルトが逃げてしまう。 「えーと………」 ラインハルトがなにか照れていて。 キルヒアイスは怒っていて。 「え?だ、だって今更でしょ!?一緒にお風呂だって入ったじゃない!服の上から触るだけで、なんでこんなに過剰反応!?ダンスを踊るだけでも、腰なんて触るじゃない!」 「それは昔の話だろう!?今はラインハルト様だって十九歳の青年だし、君だってもう十四歳の女の子なんだよ?」 目の前のラインハルトは、まだ俯いている。 そんな反応をされると、まで照れてくる。 「胸を鷲掴めっていってるんじゃないだから……そんな照れられるとこっちも困る」 「胸!?」 「!」 キルヒアイスの雷が落ちた。 思わず震えて、つい側にいたラインハルトに抱きついてしまう。 おかげでラインハルトは硬直してしまい、キルヒアイスは本気で説教態勢に入った。 「ラインハルトめ……」 は俯いてキルヒアイスの説教の嵐が去るのを待ちながら、八つ当たり気味に小声でラインハルトを恨んだ。 ラインハルトが過剰反応するから、本気で怒られるはめになってしまった。 心の底からそう信じていると知ったら、キルヒアイスは怒るより嘆いたかもしれない。 キルヒアイスの説教の合間に、車内時計をちらりと見ると、日付はとっくに変わってもうかなり深夜になっていた。 キルヒアイスはの視線に気がついて、まだ説教し足りなさそうにしてはいたけれど、ようやく終わりにして地上車の自動操縦を家へと操作する。 「もうこんな時間だ。送るよ」 「え、もうそんな時間なのか!?」 キルヒアイスの説教の間、居たたまれなく窓の外を見ていたラインハルトが驚いて腕時計を確認した。 「とんだ面会になった」 「それはわたしのセリフ……」 キルヒアイスに懇々と怒られて、は疲れきってシートに身体を沈めた。 「それこそ僕のセリフだ」 キルヒアイスはまだ少し怒っている。 「大体、は危機管理意識が無さ過ぎる」 また説教が再燃してしまった。 「うわ、もう勘弁……それに、危機管理意識って言ったって、ラインハルトだよ?なにするっていうのさ」 だって、だれにでもあんな真似はしない。 例えば、フレーゲルとか。 嫌でも話題にのぼらざるを得ない男を想像して、それだけで気持ち悪くて鳥肌が立つ。 もう少しマシな人選を、と考えて出てきたのは昨日会った不快な人物だった。 オスカー・フォン・ロイエンタール。 「うーん、腹立たしい……」 は小さく呟いて腕を組んだ。 気持ち悪いとまではいかないが、あの人を小馬鹿にした冷笑を考えると腹が立つ。 色々シミュレーションしていたら、目の前の男が静かに怒りを燃やしていることに気がつかなかった。 「俺は、だと?」 妙に低い唸り声に、顔を上げてようやく気付いたのだ。 「あ、あれ?ラインハルト?」 「俺ならなにも起こらないと?なにを以ってお前はそんなことを考えているんだ?」 「え、あの」 考えてみれば、確かにちょっと失礼な発言だったかもしれない。 「いや、あの……ほら、妙齢の他のお嬢さんならともかく、ってことよ?わたしとラインハルトで、なにが起こるって言うのよ」 はっはっはっ、とわざとらしい笑いで誤魔化そうとしたら、いきなり肩を掴んでシートに横倒しに押し倒された。 「ラ、ラインハ……!?」 見上げた相手は。 肩を掴む大きな手のひらも、押さえつける力強さも、そして射るような蒼氷色の瞳も。 紛れもない男、だった。 「見ろ。挑発するだけして、こうなればもうお前は抵抗一つ出来ない」 これがただの懲らしめだとわかっていても、一瞬、本当に息が詰まった。 |
時間だけは万人に等しく経過しています。 子供の頃と同じ感覚で接していること事態が、子供なのかもしれません。 |