14.


ナルサスの鋭い制止に、何事なのかと聞くまでもなかった。
それより早く、も事態を知ることになる。
生き残った馬を探し出して牽いて来たはずなのに、その馬から二、三歩離れたところにナルサスは立っていた。
油断なく何かの気配を伺うような様子で左右の地面を見ていると思ったら、突然地面を蹴って後ろに飛ぶ。
半瞬の差で地中から白刃が突き立つように生え、ナルサスの靴底を掠った。あのまま立っていたら、太腿の辺りを突き通されていただろう。
声も出ないとアルフリードの眼前で、ナルサスは踊るような足取りで白刃から遠ざかり、腰の剣を抜き放つ。
「地面から……手が」
アルフリードが呆然と呟く通り、地面から生えた剣は人間の手に握られていた。
地中から肘まで生えていた腕は病的なまでに青白く、剣と共にするすると地面に消える。
後には小さな窪みだけが残った。
「アルフリード!おぬし木に登れるか?」
ナルサスは剣を手に、地面を油断なく探るように見渡しながらアルフリードに訊ねる。
「簡単だよ、そんなこと」
「ではすぐ傍の棗の大木に登っていろ」
「あ、あんたは!?」
「……案じるな、銀仮面をおぬしから貰って銀貨に替えるまでは大丈夫さ。さあ早く」
アルフリードが井戸のすぐ傍にあった棗の木に取り付くと、ナルサスは再び跳躍した。
鋭く飛び出した白刃を飛び越えて、そのままが凍りつく家の軒先まで一気に駆け抜けてくる。
「あ……れは」
「ガーダック……地行術と言われる魔術だ。ああやって地中から剣や槍を突き立てて、地上の者を殺すという。噂には聞いていたが実物を見るのは俺も初めてだ……あれが村人を殺して回った正体らしい。おぬし、もう少し家の中へ入っていろ」
「ですがナルサス様」
は、ナルサスをアルスラーンの元へ無事に連れて行くと心に決めている。あんな人外の術を持ちいる相手を、ナルサスに任せるわけにはいかない。
「いいから……」
油断なく、軒先周辺のものを確認していたナルサスは、隣のかめを覗き込んで、それからを振り返った。正しくは、が手にしていた火打ち石を、だ。
「おうおう!我が術を知っているとは、小賢しいのう。だがどこまで保つものやら……」
地中から、しわがれた男の声が聞こえてぞっとする。
何者かの悪意をまざまざと突きつけられて青褪めたやアルフリードとは対照的に、その声はナルサスには逆に余裕を与えた。
どんな怪物であれ、口を利く相手ならナルサスは恐れない。
傍らのかめを音も立てずにそっと地面に倒し、を指先で招く仕草をしながら、自らも戸口に向かって目一杯身体を伸ばした。
出て来いということではなく、耳を貸せと意味だと正確に理解したが家から出ないようにしながら身を乗り出すと、可能な限りの小声で囁く。
「合図をしたら火をつけろ」
そうして、倒したかめから流れ出た液体を含めた布を手渡す。
重く湿った布に染みこんだそれは、ナツメ油だ。
それがすべて地面に染みこむと、ナルサスはに火をつける構えをさせる。
慎重に気配を探り、油の染みた地面に踏み出した。
「今だ!」
ナルサスが合図と共に飛び退り、やはり半瞬遅れで剣が伸びて靴を掠める。は言われた通りに布に火を点け、油の染み渡った地面目掛けて放り投げた。
油の染みた地面一面が一斉に燃え上がり、その直後耳を塞ぎたくなるような絶叫が響き渡る。
次の瞬間、地面の一部が破れるように割れて、炎に包まれた人影が踊り出てきた。
もアルフリードも、言葉を無くして悲鳴を飲み込む。
耳を塞ぎたくなる絶叫を上げながら、炎の塊となった男は戸口で凍りついたに掴みかかるように手を伸ばした。
だがその手がに触れるより先に横から長剣がひらめいて、炎に包まれた頭部が地面に転がった。髪や皮膚や、人の焼ける吐き気を催すような強烈な匂いが辺りに立ち込める。
「もういいぞ、降りて来い」
ナルサスは棗の木を振り仰ぎアルフリードに合図をすると、まだ戸口で固まったまま、燃え盛る切り離された頭部と胴体を凝視するに手を伸ばした。
「もう大丈夫だ。相手は奇怪な術を使っていたが間違いなく人間だ。これで死んだ。さすがにもうここは使えん。今夜の宿を変えるぞ」
伸ばされた手に恐る恐ると手を伸ばして重ねると、ナルサスは炎に気をつけながらまだ少し足の強張っているを引っ張り出してくれた。
「この者……ルシタニア兵でしょうか?」
「どうだろうな……ガーダックはイアルダボード教の秘術ではなく、闇の魔道のものだ。直接ルシタニア人だとは考え難いが……」
目の前の光景は恐ろしい。
だが、こんな奇妙な術で仕掛けてくるような者がアルスラーンの敵だというなら、にはそのほうがもっと恐ろしい。
「もし他の道にも、このような術を使う者がいたとすれば……」
見上げてきた不安に満ちたの瞳に、ナルサスは目を瞬き、すぐに苦笑をのぼらせた。
「おぬしは……」
の不安は、自らの身の危険に怯えてのことではないと、正確に見抜いたらしい。
「ナルサス、ナルサス!あんたすごいんだねえ!あんな化け物を、あんな策でやっつけるなんて!」
登ったときのように、するすると身軽に木を降りてきたアルフリードが興奮したように駆けて来て、傍で突然足を止めた。
「……
「え?」
「あんた、本っ当に、ナルサスは違うんだよね?」
アルフリードの視線を追って、引き寄せられて繋いだままの手が視界に入った。おまけに、アルスラーンの安否が気になって、自分からも距離を詰めていたことに気がついて、慌てて手を振り払いながら一歩後ろに飛びのく。
「違う!絶対に違うからっ!」
「本当に?」
「パルス中のありとあらゆる神に誓ってもいい!」
「……おぬし……そこまで言うと俺に失礼だとは思わんのか」
ナルサスが呆れたように漏らした笑いの上から、アルフリードは安心したように大きな息を吐いた。
「よかった。やっぱりね、友達と男を取り合うのはあんまり気分のいいもんじゃないし」
「……なに?」
何やら不穏な発言を聞いたような気がしてナルサスが眉を寄せると、アルフリードは形のいい顎にほっそりとした指を当てて、少し考えた。
「ナルサス、あんた、歳はいくつ?」
「二十六だが、それがどうした」
「へえ、二十五を越してるの。もう少し若いかと思ってた」
「……ご期待にそむいて悪かった」
ナルサスがやや及び腰に後ろに身を引いた。アルフリードは更に距離を詰める。
「まあいいや。ちょうどあたしと十歳違いだから覚えやすいし、年齢はある程度離れていたほうが、頼り甲斐もあるだろうしね」
アルフリードの言いたいことが判ったは、どうしたものかと頬に手を当てて首を傾げる。ナルサスがまだ判っていないのは、判らないというより気付きたくないのだろう。
ナルサスはアルスラーンの大事な臣下だが、その私的な生活にまで踏み込むつもりはないし、下手に間に入ればまたアルフリードにいらぬ疑念を呼びかねない。
は、離れたところで佇むナルサスが牽いて来た馬に気付いて、それを引っ張ってくることにした。
「あ、こら、どこへ行く!?」
「馬を牽いて参ります」
「待たぬか!」
「でもあと二年は待たなきゃね。あたしの母さんも祖母さんも曾祖母さんも、十八歳の九月に結婚式をあげたし」
「おぬしの家系に興味はない!」
すたすたと向こうへ行ってしまうと、傍に寄って来るアルフリードを交互に見るナルサスに、アルフリードは首を傾げた。
「もしかして、ナルサスはに気がある?」
「ない!」
は主君の幼馴染みだが、彼女の気持ちはともかく、どうも主君にとってもただの幼馴染みなのか、その辺りがはっきりしない。そんな相手に特別な好意を持っているなどと勘違いされるのはご免被る。
思わず力強く否定して、いっそ肯定してしまえばよかったと即座に後悔する。
「なーんだ、それなら問題ないね」
笑顔で両手を軽く叩かれて、ナルサスは目眩を覚えた。
「さっきからおぬしは何が言いたいのだ!?」
「判ってないの?本当に?あんた、案外にぶいねえ」
「………」
「とにかく、あんたの言った通り移動しようよ。途中まで調理してた材料を持ってくるよ」
黙り込んだナルサスの横を通り抜けて、アルフリードはさっきまで宿にするはずだった家に向かう。
は向こうで炎に興奮する馬を宥めて手綱を牽いている。
「……えらいことになったなあ……」
溜息と共に零れた心からの呟きは、見上げた夜の闇に掻き消えた。


更に予定が狂ったのは翌日のことだった。
いや、正しくは翌日からのことだった。
思わぬ同行者が増え、おまけに予想もしなかったことを望まれるようになってしまったナルサスだが、それはあくまで個人的な範囲に留まる。
問題は、それまでそれなりに統制がとれていたはずの追っ手が、無秩序になってしまったことだ。こちらは命に関わる話なだけに、ぼやいている場合ではない。
敵の数は不明だが、こちらはたった三人しかない。まともな数の追跡隊とぶつかれば、とにかく逃げることに専念するしかない。
遭遇した追跡隊を何度目か振り切った頃には、東に向かうどころか北への道に入りかけていて、とアルフリードに回り道ながらも西へのルートを示し直された。
「妙だな」
「何がだい?」
考え込んでいたナルサスが馬蹄の音の中、小声で呟いた言葉を、アルフリードは聞き逃さなかった。も振り返る。
わざわざ少女達を不安にさせるかもしれないことを説明する気はなかったのだが、ここで別にと答えても、余計に不安を煽るかもしれない。
特に、別の道に行ったアルスラーンをずっと心配しているは、その辺りに神経質になっている。
「敵の動きが妙だと言ったのだ。普通、待ち伏せするのに先ほどのような幅の広い道は使わぬ」
「そうかい?囲んで袋のねずみにしちゃうって手だってあるじゃないか」
「その手を使うとすれば、もっと包囲網を厚く出来るだけの人数を揃えていたときの場合だ。事実俺たちを取り逃した。あの人数なら、狭い道を使うほうが有効だろう……罠に追い込むつもりということも考えたが、結局それもなかった……。昨日までと違って、包囲に策の理論がない」
「だとしたら、楽に逃げられるんじゃないの?」
「逆だ。こうなると次にどんな手がくるか読みづらい」
考える様子のナルサスに、アルフリードは馬の足を少し速めての横に並んだ。
「良く判んないなあ。敵が馬鹿になったなら、あたしならやりやすいだけなんだけど」
「そうね、わたしも。先を見越して動くより、いつもその場の対処しか考えられないもの」
おまけに旅の知識ならまだしも、これは戦の範囲の話で、では完全に門外漢だ。
「頭がいい人の考えはよく判らないけど、妻たる者それですましちゃいけないね。せめてナルサスの考えどおりに動く気構えだけばいつもしとかなくちゃ」
後ろでナルサスの馬の足が僅かに乱れた。主が手綱を捌き損ねたのだろう。
「ははは……」
は微かに笑いながら、自分の気持ちに素直なアルフリードが少し羨ましかった。


この追っ手の無秩序さが、南の尾根を駆けるたちの足を、更に鈍らせることになる。








積極的な友人を羨みながら……ナルサスを見捨ててませんか?(笑)


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