13. たちが危険な待ち伏せを潜り抜けて、小さな村にたどり着いたのは太陽が遠くの山の稜線に沈みかける時刻であった。 随分と遠回りをすることになったが、ここまで来ればペシャワール城塞は目前のはずだ。 村の入り口を望んだナルサスは、馬の首を撫でながら考える。 「あまり人目に触れたくはなかったのだが……馬の疲労が激しい。それにできればもう一頭、馬が欲しいところだな」 ナルサスの馬は主とアルフリードの二人の人間を運んでいるので、の馬よりも消耗が激しい。追っ手に足取りを残すことになるよりも、ここまでくればどれだけ早く進めるかを図ることにしたい。 結局、村に立ち寄ることにした。 「馬を買うにしても、あんたお金は持ってるの?」 アルフリードの遠慮のない質問に、が止める前にナルサスは無造作に羊皮の袋を渡した。中を確認したアルフリードは驚きで目を見張る。 「馬が百頭は買えそうだ。あんた何でこんなに金貨を持ってるのさ」 「なぜと言われても、最初から俺のものだが」 「へえ、じゃああんた見かけによらず、まともな人間じゃないんだね」 「アルフリード!」 が大声で咎めると、ゾット族の少女は軽く肩を竦めた。 「だって金貨なんてまともな人間が持ってるはずないじゃないか。自由民が金貨なんて持ってたら、役人が飛んできて鞭で打たれるくらいさ。どこかで盗んだか、悪徳商人かのどっちかだよ」 「アルフリード、助けてもらったのに失礼だよ」 「ごめん、の雇い主だっけ?」 「そういう意味じゃなくて……」 「の雇い主は、俺の主であって俺ではない」 頭痛を覚えたように額を押さえるの危惧とは裏腹に、ナルサスは僅かに笑うだけで特に気を悪くすることもなかった。彼自身、諸侯の家柄というのは確かにまともな者ではないように思えるからだ。改めて指摘されるとますます強くそう感じる。 三人は村の入り口で馬を降りて、違和感を覚えて首を傾げた。 「人の気配がない……」 「そろそろ夕食時だっていうのに、どこの家も釜に火を入れてないみたいだ」 二人の少女の会話を聞きながら、ナルサスも眉をひそめる。食事の準備どころか、家の明かりすらどこからも漏れていない。 「……先に行って、様子を見て参ります」 馬を引いて先に村の中へ踏み込んだは、周囲を見回して人影を探す。 拓けた村ではないが、家々の様子からしても決して無人の廃村ではないはずなのに、話し声どころか物音ひとつ聞こえない。 背筋に冷たい汗が伝って、一件の家を回りこんだところで息を飲んで足を止めた。 納屋の前で男が血を流してうつ伏せに倒れている。息がないことは、ぴくりとも動かないことと、地面に広がった血の広がりと乾き具合が示していた。 は唾を飲み込んで、そっと血に濡れた地面に指先で触れた。湿った赤い土が付着する。死んですぐではない。だがそれほど長く時間が経っているようでもなかった。 息を殺して周囲の気配を探ってみたが、無粋な剣戟や甲冑を纏った足音は聞こえない。 広くない村を見て回ると、至るところに死体が転がっていた。子供や老人も含めた、いたって普通の村人達だ。 真っ青な顔色で戻ってきたに、入り口で待っていたナルサスとアルフリードは答えを聞くまでもなく、深刻な表情をする。 「……この村は死体だらけです。皆、斬られた跡があります。おそらく、全滅しているかと」 「周囲に犯行を犯した者らしき影もなし、か……」 「血が半分乾いていました」 が僅かに赤い跡が残る土を触った手を差し出すと、ナルサスは指先を触って考え込む。 「すでに犯人が近くにいないのなら、一晩だけ宿を借りるか。皆殺しにした村にもう一度犯人たちが戻ってくることもあるまい」 もアルフリードも死体や戦場とぶつかったことがないわけではないが、死体の溢れる村で一晩を過ごすというのはあまり歓迎し難かった。 黙って顔を見合わせる少女達に、ナルサスは馬を引いて村に入りながら理由を説明する。 「この山の辺りは、夜になると食屍鬼が出るとも聞く。そんな噂はともかく、食屍鬼に扮した輩に襲われることになってもつまらん。夜の山道は危険も多いし、どこか比較的荒らされていない家を借りるほうが安全だ」 ナルサスの言うことはもっともだ。気持ちがよくなくても追われている以上、今は効率を優先するほうが先決だった。 夕闇が迫り始めた薄暗い村の中で、あちこちに転がる死体にアルフリードは眉をひそめた。先にから聞いていたとはいえ、男も女も子供も老人も関係なく殺されている。 地面に散らばる銅貨と家々の戸口を見渡して、ナルサスは僅かに首を捻った。 「殺すために殺して回ったとしか思えんな」 「え?」 ナルサスは振り返ったを見ておらず、息を飲むゾット族の少女を見て、倒れ伏した男の脇に散らばる銀貨を指差す。 「財布を盗らないのか?」 があっと思う間もない。 アルフリードは怒りに燃えた目でナルサスを睨み上げ、地面を踏みしめた。 「ゾット族は、死人と病人からは奪わない!見損なうな!」 「悪かった」 他から見ればどの盗賊も同じに見えるに違いないが、剽盗にはゾット族のように弱き者から奪うことを恥とみる民もいれば、死人や病人などからこそ容赦なく奪う者もいる。 死者に物は必要なく、弱い者も弱肉強食の自然の掟に敗れるだけというのが、彼等の言い分になる。それぞれの流儀があるのだ。彼らはそれぞれのやり方を否定しているから、ひと括りにされることを極端に嫌う。 ナルサスが素直に詫びてくれて、はほっと息をついた。 ナルサスが頭を下げたのを見ると、アルフリードもすぐに怒気を収める。 三人で手分けをして、生存者はいないか、荒らされていない家はないかと村を見て回って、はナルサスが何に首を捻ったのかようやく気付いた。 「略奪の跡がない」 死体は五十に上ったが、そのどれも斬り殺された以外には身なりは荒らされておらず、家の中にいたってはどこも踏み込まれた形跡はない。村人たちはみな外で殺されている。 略奪のためでない虐殺。ナルサスが「殺すために殺して回った」と言うはずだ。 「きっと噂に聞くルシタニアの蛮人どもの仕業だよ。あいつら、信仰のために人を殺すっていうじゃないか!とうとうここまでやってきたんだ!」 アルフリードが憤慨して地面を蹴った。 ルシタニア人はイアルダボート神を奉る一神教の国で、改宗しない異教徒は殺してやることにのみ救済があるとの教えを説いているという。 また異教徒を殺すことで神の国に近づけるとも言われているそうだが、が以前訪れたマルヤム国は、同じイアルダボートを信仰していても、もっと穏やかな教えだった。 ルシタニアは、そのマルヤムも間違った教えを説いていると決め付けて侵略し、併呑している。 ルシタニア兵の仕業かもしれないと思うと、は不安に駆られて東の空を見上げた。 アルスラーンが行った道が、東か北かは判らない。だがどちらの道を進んでいたとしても、ペシャワールへ至るにはここより東に向かっているはずだ。 「……アル……」 まだ僅かに赤く光の残る西の空に背を向けて、暗い東の空に向かって小さく祈るように呟かれた声。 ナルサスはその背中を眺めて開きかけた口を、結局は何も言わずに閉ざした。 ダリューンが随行しているのなら、こちらよりは心配いらないと言ってやろうとしたのだが、恐らく慰めにもならないだろう。そんなことは彼女自身も判ってはずだから。 一晩の宿を借りる家はすぐに決まった。戸口に死体がなければどこでもいいのだ。ナルサスは村の入り口に近い棗の大木の傍にある家を選んだ。 戸口にある二つの大きなかめの中身を確認していたアルフリードは、思い出したようにナルサスを振り返る。 「そうだ、あんた。一晩過ごすって言っても、あたしは身持ちの堅いゾット族の女だからね。部屋は別々にしてもらうよ」 「……異存はない」 「あ、それにも駄目だよ。この子は踊りと音楽だけが売り物なんだから」 「アルフリード!」 「それも承知している……」 友人をぎゅっと抱き締めて念を押すアルフリードに、ナルサスは妙な疲れと脱力感を覚えながら、無事な馬はいないか探しに一晩の宿から踏み出した。 同行者の男が出て行くと、アルフリードはと共に夕食の支度に掛かりながらナイフを軽く回す。 「あんなのが今の雇い主?」 「あんなのって……ナルサス様は立派な方だよ。アルフリードのことも助けてくれたわ」 「それは感謝してるよ。でも不思議。は芸事だけで傭兵の仕事はしてないだろ?なのになんで二人旅やってんの?」 「道案内よ。本当の雇い主とははぐれちゃって、ナルサス様はその方に仕えているの」 「じゃあ、あの男に惚れてるんじゃないんだ?」 あまりにも突拍子もない話に、驚きで鍋を取り落とした。 「そんなわけないじゃない!」 慌ててしゃがみこんで鍋を拾うに、アルフリードは笑みを浮かべる。 「あれ、あやしい?ひょっとしてあたし、さっきいらないこと言っちゃった?」 「本当に違うってば!」 がやや乱暴に竈に鍋を置くと、アルフリードはナイフの腹で豆を潰しながら笑う。 「そういやあんた、年上はあんまり興味なかったっけ。せいぜい兄者くらいまでだよねえ」 「メルレインは友達!」 「そんな必死になって否定しなくっても、兄者となんか疑ってないって!あーんな根性曲がりみたいな顔した無愛想な男がいいって女、いるのかな」 身内ならではの酷評に、は溜息をついて竈の横から薪を引っ張り出した。 「メルレインは無口なだけで優しいよ……そんな顔して笑ってないで、水汲んできて!」 軽く眉を上げて興味深げな笑みを浮かべた友人に、は家の外にある井戸を指差した。アルフリードは笑いながら水を汲みに出て行く。 は少々荒く息を吐いて、竈に火をかける火打ち石を探した。ちょっと庇うだけで、疑われてはたまらない。 がゾット族の集落に滞在したのは、エクバターナを出てすぐの頃だ。 大切な少年と二度と会えないのだと落ち込んでいたは、だがゾット族と行動を共にしていた間は商売として笑顔を忘れないようにしていた。 族長であり父親であるヘイルターシュに可愛がられていたアルフリードとは違い、メルレインはその無愛想な顔が「何か企んでいるように見える」だの「俺を馬鹿にしている」だのと、酒が入るととにかく理由をつけられては殴られることも多かった。 そんなときは必ずアルフリードが止めに入り、勢いで一緒に殴られる時もあったが、娘を殴るとヘイルターシュはすぐに正気に返って謝った。だがメルレインに謝ったことはない。 は彼が酷く痛めつけられたとき、手当てをしたり、ただ傍に寄り添っていることがよくあった。 同情などではなく、理不尽な境遇にあってもまるで荒ぶることのないメルレインの傍は、居心地がよかったのだ。 それにメルレインは、酒の入った他の大人たちのようにをからかうように構うこともなかったし、無邪気なアルフリードといると時折エクバターナを思い出してつらくなる、そんなこととも無縁なほどに、いつも面白くなさそうな顔をしていた。それが当時のには楽だった。 集落の外れの誰もいない焚き火の傍で、二人で背中合わせで無言のまま座っていた静寂の時間を思い出していたは、馬のいななきにはっと顔を上げる。 戸口から外を見ると、アルフリードが井戸の傍で水の入った桶をひっくり返して硬直していた。 「アルフリード?」 どうしたのだろうと、ちょうど見つけた火打ち石を手にしながら戸口まで戻ったところで、ナルサスの鋭い制止の声が上がる。 「出るな、!」 戸口に手を掛けたまま、驚きで足が止まった。 |
物騒な村で回想する、アルスラーンとは違う幼馴染みの少年との思い出。 |