まるで物語のように(1)



「マネージャーも大変だよね」
雨上がりの土手沿いを歩きながら、粉末ドリンクの袋を詰め込んだ鞄を下げて村田くんが軽くウンザリしたような溜息をついた。
今日は有利くん主催の草野球チーム、ダンディライオンズのマネージャーを勤めるわたしと村田くんで、チームで使う消耗品の買出しにやってきていて、その帰り道のことだった。
まさか、あんな不思議体験をすることになるなんて。
「まあ、でもチームのみんなのためだし」
さんはチームのみんなじゃなくて、渋谷のためだろ」
「そっ……」
村田くんにはバレバレだけど、確かにわたしは有利くんが好きで、傍にいたいからマネージャーを始めたという不純な動機ではありますが!
「それは……そうだけど……でも、ちゃんとチームメイトのみんなことだって考えてるよ」
「判ってるよ。渋谷は女の子の好意には鈍いけど、そういうところは鋭いから。君にやる気がなかったから、嫌な顔して辞めてもらうって言うはずさ」
タオルとかドリンクを渡すときに笑顔でお礼を言う有利くんの表情を、村田くんの言葉にならって置き換えて「もうこなくていいよ」と言われる図を想像してみた。
「………つらい……」
それだけで泣きそう。
「え!?なんでまた。渋谷、さんには好意的じゃないか」
「そ、そうよね?マネージャーとしては認めてもらえてるよね?」
確認するように言ってみて、それはそれで落ち込みそう。
有利くんにとって、あくまでわたしはチームメイト。それ以上でもそれ以下でもない。
「まあまあ。渋谷って、大事な人はすぐチームメイトで例える癖があるから、その範囲内に入ってるっていうのは、チャンスがないわけじゃないと思うけど」
「村田くん……ずっと思ってたけど、きみってホントいい人」
もともとマネージャーとしてチームに入れるように口利きしてくれたのは村田くんで、そのお陰で今の状態があることを考えれば、村田くんには感謝してもしきれない。
「いい人、ねえ……誉め言葉だし、ただの友達から言われるにはいい言葉のはずだけど、女の子に言われるとこれほど微妙なセリフってないよ……」
「え、でもわたしと村田くんは友達でしょ」
「きっぱりはっきり友達だけど、こう、ニュアンス的なものが……渋谷にいい人って言われたら素直にそっかーなんだけど、女の子に言われると安全野郎扱いで、男としては微妙に複雑なんだって」
「ふーん、そんなものなんだ」
「そんなものなんだよ。あ、でも誉めてくれてありがとう。それは嬉しいから」
後ろからベルの音が聞こえて振り返ると、自転車がこちらに向かって来ている。
「だから渋谷にはどんな状況でも『いい人』って言うのだけはやめなよ?圏外にされてるって勘違いされ……わっ!」
村田くんと左右に分かれて道を開けると、自転車はその間を通り抜けて行った。
それを見送って村田くんに視線を戻して驚いた。狭い土手の端に重い荷物を持って寄った挙句に、雨で濡れた斜面に滑って今にも転がり落ちそうになっていたのだ。
「村田くん!」
「わっ、とっ……まずい……!」
荷物を捨てて慌てて村田くんの手を掴んだけど、残念ながらひと足遅くもう半分転びかけていた村田くんをわたしでは支えきれなかった。
村田くんの足が滑って、そのまま一緒に濡れた芝の斜面を転がり落ちる。
「わーっ!」
村田くんの悲鳴を聞きながら、転がる合間に見える川が近付いてきて。
二人で一緒に、落ちた。


川が随分深い。ずっと沈んでいくばっかりで、なんだか落ちたというより引きずり込まれているような勢いがあって……。
怖くなって目を瞑ったまましっかりと村田くんの腕を掴んで、これが有利くんならよかったのに、とか考えていた辺りこの時は実は余裕があったのかもしれない。
引っ張られる感覚がなくなったと思ったら、今度は上に引っ張り上げられる。
かなり沈んだ感覚があったのに、上に出るのはほんの一瞬だった。あれ、しかも川の水が温かい?
「ぷはっ!」
「うえっ!水もお湯も両方飲んじゃったよ」
ごほごほと咳き込む村田くんの声に、ようやく目を開ける。村田くんは片手を口に当てて咳き込みながら、片手はわたしの手をしっかりと掴んでいる。
「む、村田くんありがとう……って……」
川に沈んだから全身水浸しなのは当たり前だけど、今は水底に座り込んでいる。それでようやく水位は胸の辺り。
これでどうやって沈んだんだろうとかいう疑問以前に、場所がまるで変わっていた。
浸かっているのも水じゃなくてお湯だし、外じゃなくて四方を天井と壁で覆われたどこかの大浴場みたいなところだし。
「……え、あれ?どっかのスパ?」
「……なんでさんまで来ちゃったんだろうねー」
村田くんはまだ少し咳き込みながら、しみじみ呟いた。
「ど………」
右を見ても、左を見ても、当たり前だけど土手の川じゃない。
「どうしよう!不法侵入だよ、村田くん!通報されるかも!」
人が蒼白になって慌てているというのに、村田くんは生温い笑みで天井を見上げる。
「あー……さんって結構大物かも……」
和むなー、ってなに!?和んでる暇があるなら、施設の人に見つかる前に逃げないと……ああ、でも入場料を払うのが筋かしら!?
左右を見回して迷っていると、一人和んでいる村田くんの後ろの水面が急に盛り上がって水中から人が飛び出してきた。
「だから呼ぶときに一言くれよなー!こっちは風呂入ってたってゆーのにさ!」
ぜーはーと肩で息をしながら出てきた人に、絶句してしまった。
だって……。
「あれ、村田?お前もこっち来たの?」
「や、渋谷。全裸で登場かあ。さすがだね」
「さすがってなんだよ、さすがって!しょうがないだろ、風呂から呼び出されたんだからさ!でもこっちでも風呂で助かった。全裸で街中の噴水に出たりしたら変態魔王のレッテルが貼られるところ……で……」
向こうのほうでドアが開く音がして、空気の流れで湯気が薄くなった。
胸に青い石を下げた有利くんの顔がはっきり見えて、立ち上がっていた有利くんの……。
!?なんでお前までこっちに?」
「ゆ……し、渋谷くんあの、待って!」
驚いたように一歩前へ出た有利くんに向かって両手を突き出しながら顔を背けると、村田くんがわたしたちの間で嫌そうな声を上げた。
「渋谷ぁ……君と僕は確かに友人だけど、あまりそういうものを突きつけられるとさすがに引くんだけど」
「は?突きつけ……って……うわああああぁぁぁっ!」
顔を背けている向こうで、有利くんが悲鳴を上げながらお湯から上がった音が聞こえる。
「うわっ!」
「陛下!」
聞き慣れない男の人の声が混じったけど、振り返るわけにはいかない。だって有利くんは全裸。
有利くんの裸を……見て、しまった。
ちょっとだけラッキーとか思ったりして……恋する乙女が好きな男の子の裸を見てラッキーってなに、ラッキーって!?
そんなのハレンチすぎるー!
「お……お嫁にいけない……」
「お嫁にいけない!?、見た?見たの!?これを!?ギャアアアァー!!コンラッド、おれをここから連れ出してくれーっ!穴があったら入りたいぃーっ」
「落ち着いて下さい陛下。とりあえず、そんなに気になるなら前を隠して」
「そ、そうか!タオル、タオルってそんな問題じゃないだろ!?嫁入り前の娘さんの前でタオル一枚なんて、それはそれで充分に問題だよ!」
「その娘さんですが、どなたですか?」
すごい反響だったお風呂が一瞬だけ静かになった。
「そういや、なんでがこっちに……」
「コンラート!またぼくを差し置いてユーリを迎えに!ユーリを一番に迎えるのはぼくだと何度言えば判るんだ!」
「おのきなさい、ヴォルフラム!陛下ぁ!私ギュンターがお迎えに上がりましたー!」
次に別の男の子の声が聞こえてきて、さらに男の人の声が続く。
また騒がしくなってきて、どんどん人が増えることに無断侵入を怒られたらどうしようとか、おまけにお風呂なのに服を着て靴も履いたままだーとか考えて、とりあえず靴だけでも脱いで浴槽から上げておくことにする。
「あっ、ユーリ!お前また裸で……し、しかも大賢者まで一緒じゃないか!お前はあちらで何をしていたんだ!?」
「何って風呂に……ああ、それよりだよ!なんでがここにいんの!?」
「それよりじゃないだろう!それよりじゃ……ああぁ!お、女!?女が一緒!?ユーリ、お前!」
「ぐえっ……首、首が絞まってるっ」
「よせヴォルフラム。今はそれどころじゃないだろう」
「まったくだ。ウェラー卿、君の上着を貸して。濡れたままの女の子をそのままにできないだろ」
「え、あ、はい」
「じゃあさん、立って……って」
後ろから肩を叩いた村田くんは、その途端に軽く吹きだした。
「く、靴……抱き締めて、なにやってるの」
「だって、お風呂に土足だし……」
「本当に大物だなあ。まあ、パニックになってるから逆にそんな些細なことが気になるのかな。さあ上がって。とりあえず風呂を出よう。渋谷、いつまで丸出しでいるつもり?」
「まっ……!」
「ぎゃあ!そうだった!」
「陛下!走ると転びますよ!」
「待て、ユーリ逃げるな!」
「陛下ぁ、お着替えはこのギュンターがご用意しております!お待ちを〜」
有利くんとその他の三人の男の人の声が一緒に遠ざかり、村田くんがまた肩を叩く。
「ほら、絶賛裸祭中の渋谷はもう行ったよ」
「……む……村田くん……」
水底に座り込んだまま、ようやくゆっくりと振り返った。
騒がしかったお風呂の中はすっかり静かになって、水滴が落ちてくる音まで聞こえる。
確かに残っているのは全身ずぶ濡れで髪を掻き上げている村田くんだけで、片手にはさっきまで持っていなかった上着をかけて首を傾げていた。
「立てる?」
「のぼせそう……」
「ああ、急にお湯を泳いだから……」
「……渋谷くんの裸……」
「……そっちが原因?」
浴槽の縁に手を置いてぐったりと呟くと、女の子ってタフだなーという村田くんの呆れた声が聞こえた。
だって見えちゃったんだもん!






たったの一歩〜のシリーズでは初の続き物です。
そう長引く予定ではないのですが、いきなり有利の裸からスタートって(^^;)

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