ユーリの朝のロードワークには、いつもも同行する。 そのため、俺の一日はまずを部屋に迎えに行くことから始まる。 ユーリはときどき俺が起こしに行くまで寝過ごすが、が寝過ごしたことはない。 ドアをノックすれば、すでに用意を整えていてすぐに出てくる。残念だ。の寝顔が見たいのに。寝ぼけた姿も見たい。ヒルドヤード船で見たあの寝ぼけたはこの上なく可愛かった。 この日もいつものようにの部屋のドアをノックしたが、返答がない。 珍しい。 とうとうも寝過ごしたのだろうかと、不埒な期待で部屋に入るがやはりはいなかった。ということは、まだ寝室の方にいる。 バチが当たったのかもしれない。 これは起こしてあげないと、という立派な名目を掲げて寝室へ移動した俺は、ベッドの傍らに移動して、硬直した。 My little lover 「………なにごと?」 小さな女の子を抱えて部屋にやってきた俺に、ユーリはソファに座ったまま呆然と呟いた。 それはそうだろう。 この世界に、双黒を持つ者はユーリとしかいない。なのに、俺が抱えている少女は紛れもなく、双黒を宿しているのだから。 それにユーリなら。 「……わー、ちっちゃい頃のにそっくり……」 「棒読みですよ、陛下」 小さい頃のも知っているから、一応確認してもらおうと思ったのだが、やはりそうか。 艶やかな黒い髪も、大きな黒い瞳も、そうでなくともの面影があったから。 女の子は興味深そうに、キョロキョロと室内を見回して、ときどき「ゆーちゃん」と呟いている。 「なにがどうなってんの!?」 「俺が聞きたいです。先ほどいつものようにを部屋に迎えに行って、ベッドの中で眠るこの子を見つけたんです。……やっぱり、ですか?」 「ま、間違いないよ。四、五歳くらいの頃かな?……おれみたいに隠し子がいたっていうなら別だけど……」 「残念ながら、この子が生まれた頃ならまだ俺とは会っていません」 「あんたの子に限定かよ」 「当然です」 ここだけ力を入れて言い切ると、ユーリはがくりと肩を落す。 「……ここはやっぱり、あの人に原因がある気がするな」 「間違いないと思います」 こうして、当たり前だが朝のロードワークは中止となって、血盟城の地下にある赤い悪魔ことフォンカーベルニコフ卿アニシナの研究室へ、朝から赴くことになった。 「おや、これはどうしたことでしょう」 今日も徹夜で研究に勤しんでいたらしいアニシナは、俺の腕の中でやっぱりキョロキョロと周りを見回してるに目を瞬いた。 「おかしいですね。わたくしが昨夜殿下に差し上げたものは、美容液であって決して若返り薬などではなかったのですが」 やっぱりか。 俺とユーリは同時に項垂れる。 まあお入りなさいと通された研究室の中で、アニシナは俺の膝の上に大人しく座っているの脈をとったり、舌を見てみたり、目のチェックをしたりする。 「これはツェリ様に製作依頼された代物でして、元はグウェンダルで試そうと思っていたのです。ですが、グウェンダルは逃げ足だけは速いので取り逃がしてしまいまして、そこに通りかかった殿下が美容液ならもにたあを買って出るとおっしゃられたのです。確かにわたくしとしても、お肌つやつやなグウェンダルなど見てもしょうがありませんから、殿下にお願いしたのですが……」 「そういう実験段階のものをに使うというのは無用心だ。どうしてグウェンダルを捕獲しなかった」 「グウェンならいいのか……?」 「ですから、お肌つやつやグウェンダルなど、だれが見ても嬉しくないでしょう。殿下がより一層輝かれれば、あなたも喜んだでしょうに」 「そんなものに頼らなくても、はこれ以上ないくらいに可愛い」 「さ、寒気が……背中が痒い……」 「確かに、外見にばかり気を取られるというのは愚かですが、殿下は偉大な研究の一歩への協力をあえて申し出てくださったのです。グウェンダルとは大違いなこと」 アニシナがなにかをメモしながら立ち上がると、それと同時にも俺の膝から飛び下りた。 「ゆーちゃん!」 「!?」 今まで大人しくしていたから少し慌てたものの、ぶかぶかのシャツを着ていたおかげではろくに歩けず、数歩も行かないうちに捕獲できた。 「ゆーちゃんどこ!?ゆーちゃぁん!」 「落ち着いて、」 「あああ、大変だ。コンラッド、を貸して」 ユーリはそう言って両手を差し出してきたが、暴れるを渡すのはあまりにも危険だ。 「ですが陛下」 「陛下言うな名付け親。この頃のおれとはずーっと一緒だったの。ほとんど離れたことなんてなかったんだよ。そろそろ不安になったんだろ。ほっとくと泣き叫ぶぞ」 「ですがユーリ、今のユーリではもユーリだと気付かな……」 「ゆーちゃん!?」 俺が口にした「ユーリ」に反応して、は忙しくユーリを探して首を巡らせる。 「えーとえーと、この時分なら確かー……」 抱き上げた俺の腕から飛び降りようとじたばたと暴れるに、ユーリは慌てて俺に指をつきつけて、変なことを叫んだ。 「ちゃん!これおいくらですか!?」 「じゅーえんです!」 なんの呪文ですか? とりあえず、件の美容液を解析するから出直せと研究室から追い出された。 ユーリの部屋へと戻りながら、ユーリは先ほどの呪文の解説をしてくれた。 「あれは、の十円屋さんなの」 「ジューエンヤ?」 はユーリと手を繋いでご機嫌で歩いている。あれからは、ユーリがユーリであることを、驚くほどあっさりと認めた。 ユーリが「おれは未来からきた有利だよ」と言ったら、あっさりと。 こんな無茶な話まで簡単に信じる子供だったなんて、小さい頃のはこれで無事に過ごしたのだろうかとちょっと心配になる。有利曰く、小さい頃はオツムのレベルも似ていたとかなんとか。 「そう、十円屋。聞けばなんでも十円の値段をつけるんだ。お袋のネックレスも、使いかけのクレヨンも、全部十円。だからコンラッドも十円」 「……俺はジューエンで売られたわけですね……?」 それがどれほどの単位なのかは知らないけれど。 簡単に売られてしまって、馬鹿馬鹿しいながらもちょっとショックを受ける。今のに俺に執着してくれと求めても無理な注文だとはわかっている。 それでも、試しに聞いてみた。 「、ユーリはおいくらですか?」 「ゆーちゃんはだめぇ」 はぎゅっと眉をしかめてユーリの腕に抱きつく。やっぱり、俺は売ってもユーリは売らないんだね。 ユーリは大人気ない俺に乾いた笑いを上げながら、の頭を軽く撫でた。 「気にするなよ。親父も十円で売られてたから」 家族のショーマでもそうだったなら、今の時点の俺が売られるのも仕方ない。 ……と諦めよう。 「今なら血盟城だって十円で売るよ、は」 ユーリが笑いながら(笑うしかない心境なんだろう)帰ってきた部屋のドアを開けると中ではヴォルフラムとギュンターが争っていた。 「ですから!なぜあなたが陛下の寝室にいるのです!」 「毎日うるさい男だな!ぼくとユーリは婚約者なんだから当然だろう!」 そうして、開いたドアに一斉にこちらに気がついて、一瞬にして顔色を変えた。 ギュンターは青褪めて、ヴォルフラムは紅潮して。 「ユーリっ!貴様!!」 「へへへへ、陛下!?」 「え、な、なに?」 ユーリが気圧されて後退ると、手を繋いでいたが庇うようにユーリの前へ出て両手を広げる。 「ゆーちゃんをいじめたらだめっ!」 この頃から、はユーリ第一だったらしい。 「お前………っ!自分の子供を盾にするのか!?」 ヴォルフラムが紅潮した顔色でユーリに詰め寄った。隠し子疑惑の再燃だ。 「こ、子供!?なに言ってんだよ!どう見たってだろ、これは!!」 「ユーリ、常識で考えればこの子がというより、ユーリの隠し子という考えにたどり着くかと思いますけど」 「剣が生きてる世界で常識とか言うなよ!おれがすごい馬鹿みたいじゃん!」 「だと……?」 ユーリが俺に抗議するとほぼ同時に、ヴォルフラムはグウェンそっくりに眉間に皺を寄せて両手で自分を突っ張ってユーリから引き離そうとする少女に顔を近づけた。 「……た、確かに……面影はあるが……だが、そんな馬鹿な!」 「アニシナさんの研究成果だってさ……」 ギュンターの悲鳴が響き渡った。 がユーリと離れることを断固として拒むので、一緒に執務室で仕事の終わりを待つことになった。 は現在、どこからかグウェンダルが持ってきた淡いブルーのレースをふんだんに使った子供用のドレスに着替えている。動きにくくて、はあまり気に入っていないようで、グウェンダルはちょっとがっかりしていたが、それでもの愛らしさに頬を染めたりしたものだから、ついを抱き上げるときにグウェンダルの足を踏んでしまった、まあ、それは些細なことだ。 は、ヴォルフラムがユーリをいじめないとわかると俺よりヴォルフラムに懐いてしまった。悲しい。 ギュンターは小さくなったに嘆きながらも、その愛らしさに崩れるほどに顔を緩めてしまって怯えられた。今は床で泣き崩れていて使い物にならない。 グウェンダルはこの事態に自分に否はないとしながらも、黙って仕事に勤しんでいる。 それでも可愛いもの好きの血が騒ぐのだろう。俺の膝の上で子リスのようにクッキーを食べるが気になるのか、ちらちらと視線をよこしてきた。 「グウェン、早く仕事を終えてアニシナのところに成果を聞きに行ってくれ」 「なぜ私が行かねばならない!?」 「当然だろう。元々は、グウェンダルが実験台になるはずの薬だったんだ。はいわば恩人だろう?」 「い、いや、しかし、それはアニシナの責任……」 「グウェン?」 「………そうだな……ちょうど一区切りついた。行ってこよう」 少しだけ顔色を悪くしたグウェンダルは、そそくさと部屋を出て行く。その背中を見送って、クッキーを食べ終えたはユーリを振り返る。 「ゆーちゃん、まだ?」 「もうちょっと待っててな。あ、コンラッドこれなんて読むんだっけ?」 書類を指で弾かれて、膝からを降ろすとユーリの元に移動する。 「ぼるふ、あそぼ」 はっと気付くと、は同じくソファでユーリの仕事終わりを待っていたヴォルフラムの膝にとりついていた。から側に寄るのは、ユーリとヴォルフラムだけだ。 ユーリがふざけてヴォルフラムを天使などと紹介したものだから、はそれを信じきってしまったのだ。 俺のことも別に拒否したりはしないが、それでも悔しい。 ……なんだか今日の俺はギュンターみたいになっている気がしないでもない。 「もう少し大人しくしているといい。きっとユーリが誉めてくれるぞ」 そう言いながらもヴォルフラムが膝の上に抱き上げると、は喜んでその首に抱きつく。 「!」 「ちゃん!それは、めっ!」 俺とユーリが同時に叫んで注意すると、ヴォルフラムが白けたような、哀れんだような顔で俺たちを一瞥して、に視線を戻した。 「あっちは気にするな、。くだらない嫉妬だ」 ものすごく悔しい。ああ、本当にギュンター並だ。 そういえば、ギュンターが仕事をすれば俺はにつきっきりでいられると、床に転がっている脇腹をつま先で蹴り上げる。 「いつまで寝ているギュンター。が心配なのはわかるが、陛下もお困りだぞ」 「はっ!陛下!!」 海老のように床から跳ね起きたギュンターに怯えて、はヴォルフに強く抱きついた。しまった、逆効果だった。 「へんなひとこわい!」 「怖くない。心配するな。あいつをには近寄らせない」 「ほんと?」 「怖いのなら、外で待っていようか?」 に変な人と呼ばれて、カーテンに縋り付いて泣いているギュンターは放っておいてヴォルフラムの膝からを抱き上げると、は目にいっぱい涙をためながら首を振った。 「ゆーちゃん、まつの」 ギュンターは怖いけれど、その怖い人とユーリを置いて行くことはできないらしい。 「ユーリが心配なんだね?はいい子だね」 「いいこ?」 「とってもね」 綻ぶような笑顔を見せてくれたを抱きしめると、後ろでユーリが呟いた。 「なんかその絵面ヤバイよ、コンラッド……」 いくらだとはいえ、ここまで子供相手に俺が何をするというんですか。 |