扉が背中に当たったのはコンラッドが傾いだのではなく、扉の方が薄く開いたためだった。 「!どうしたんだよ、大丈夫か!?」 有利が薄く扉を開いて顔を覗かせたに素早く反応して、コンラッドを押しのけながら飛びつく。 「う、うん、え、ゆ、有利なんで?」 訊ねながら、ある心当たりにの顔色がさっと悪くなる。 窓際のあれを見られたのかと思ったのだ。 「なんでって、がコンラッドに連れて行かれたって聞いて何かあったのかと思ったんだろ!調子悪いって、大丈夫か!?」 「調子……?え、あ、う、うん。大丈夫だけど……えっと……ちょっと心細いから、コンラッドに部屋にいてもらってもいい?」 有利の言葉に心配は外れていたと安心しながら、あまり大きく扉を開けないで手袋をはめた手だけを部屋の外に出してコンラッドの服を掴んだ。 「おれは?おれも一緒にいようか?」 「だ、大丈夫。コンラッドがいてくれたら」 途端に有利は不満そうな顔をしたものの、軽くコンラッドを睨みつけるだけで引き下がった。 「わかったよ……じゃあコンラッドは今日はの側にいてくれ。これ魔王命令ね」 少し不機嫌そうな有利の様子に、今のコンラッドは苦笑することもできない。有利の気持ちは痛いほどよく判る。 何しろ、有り余る愛情を暴発させたばかりの身だ。 とにかくありがたい命令で、おまけにの調子が振るわないと思っている有利はそれ以上の立ち話を好まず、コンラッドがを連れ去った理由を聞き出すことなく、ヨザックと兵士を連れて帰って行った。 精神安定剤(7) 扉を閉めて部屋の中に二人きりになった途端、コンラッドは床に膝をついて頭を下げた。 日本でいうところの土下座だ。 「すまない!」 は目を瞬いて驚いて、それからすぐに踵でくるりと回って背中を見せる。 首を完全に覆う淡いピンクのドレスと何故か肩にかけているケープの裾を翻し、腰の後ろで指を組んだ手には白い手袋をはめている。 「どうしようかなー?」 酷い真似をしたことを許すか許さないかとポーズをとるに、コンラッドは冷や汗を流して床を見詰めたままだ。 「もちろん、あんな真似をしたこともだけど、その……俺の勘違いも……」 「え?」 振り返ったは、だけどコンラッドが平身低頭しているのでその旋毛しか見えない。 「今、陛下があの兵士をお連れになっていたんだ。全部聞いた。本当に迷子の親だったと」 「あ、そうか……コンラッドはあの子の親はお母さんだと思ってたんだっけ?」 ようやく話が噛み合わなかった部分を考える余裕が出来て、も行き違いに納得した。 納得したところで、コンラッドの前にしゃがみ込む。 「じゃあコンラッドは、わたしが迷子の子のお母さんに会ったと言ったと思ってたんだ。本当はお父さんとだったんだけど」 が説明した時は「迷子の子の親」と言ったのだ。母親とも父親とも言っていない。 そしてコンラッドは、あの子供がママと泣いて呼んでいるところしか知らなかった。 どうやら説明が足りなかったのは自分にもあるとは判ったものの、だけどコンラッドの行為は酷すぎる。 それに昨日、はもっと色々と話そうとしたのに、コンラッドが服を脱がせようとしたから話が途中で終わってしまったのだ。到底イーブンとは言えない。 「ど・お・し・よ・う・か・なー?」 はしゃがんだ格好で頬杖をついて、一区切りごとに指先でコンラッドの旋毛を突いた。 突かれるのを堪えているコンラッドに、吹き出したいのをどうにか堪える。 無理やりに抱かれそうになったのは怖かったし……の言うことを、ちっとも聞いてくれなかったのは悔しかった。 何故怒っているのか判らなかったから、恐怖も怒りもますます大きかった。 だけどすれ違いのカラクリが全て解けると、納得してストンと落ち着く。 それが優しく触れてくれるのなら、コンラッドの手は、とても好きだから。 優しく抱いて、本当に愛しているのだと示してくれたから。 「……ねえ、コンラッド……許して欲しい?」 コンラッドは希望を得たように勢いよく顔を上げる。 「許してもらえるなら」 突いていた手を引いて、は努力して無表情を作った。 「今から言う条件を全部飲んでくれたら、許してあげてもいいかも」 「本当に?なんでも言ってくれ」 コンラッドが真顔で勢い込んで言ったので、は立ち上がってコンラッドの手を引いた。 「じゃあね、まず手紙を書き直すから字を間違えてないかチェックしてね」 「……うん、わかった」 書き直すのは、コンラッドが破り捨てたあれだろう。 文机に移動すると、は引き出しから一通の手紙を取り出して差し出した。 「書いている間、これをどうぞ読んでいてくださいな。これの返事だから」 が紙とインクとペンを取り出してカリカリと文字を綴る音が聞こえる中、渋々手紙を開くと、やはりどう見ても文字を覚えたて、覚えている途中という拙い線が綴られている。 その幼い子供の字で、姫様ありがとうございますとか、姫様のことが大好きですとか、そういった言葉が並んでいた。辛うじて文章として繋がっているのは、恐らく子供の親が手を貸した結果だろう。 「子供の好きって、純粋で可愛いよねー」 手紙を書きながら言われたことに、コンラッドは諾々と頷くことしかできない。 どうせコンラッドの好きには不純なものが多分に含まれている。 「イベントの次の日に、あの子のお父さんに呼び止められてお礼を言われたの」 それが有利が見たという中庭の会話だろう。 「それから昨日になって、もしも許されるのなら子供のお礼を受け取ってほしいって言われたの。それで手紙と指輪を貰って、これはそのお礼と返事……はい、チェックして」 ちゃんと読んでみると、確かに何の変哲もない文章だった。 指輪のお礼、それがすごく嬉しかったこと、もう迷子にならないようにねという言葉に、好きと言ってもらえて嬉しい。 「わたしもあなたのことが好きです………眞魔国のみんなが好きだから」 その一文を音読して、コンラッドは手紙を手にしたまま再び床に膝をついた。 「綴りに間違いはない?」 項垂れるコンラッドが頷いて、は手紙を取り上げると折りたたんで封筒に入れた。 「明日また渡すから、もう勘違いして怒らないように一緒についてきてね」 「……はい」 頷くコンラッドに、はよしと頷いて席を立つ。 「じゃあコンラッド、服を脱がせて」 「え?」 思わず弾んだ声に、は胡乱な目を向ける。 「エッチなことじゃないよ。お風呂に入るの。慌てて着たから紐が絡まっちゃって」 が肩に掛けていたケープを落すと、確かにドレスの背中の紐も釦もめちゃくちゃだった。 「勘違いしたままあの子のお父さんを締め上げるつもりじゃないかと思って、慌てて追いかけようと思ったの」 「ま、まさか……」 絶対にしないとは言い切れないで床にしゃがみ込んだまま視線を彷徨わせるコンラッドに、も目の前にしゃがみ込んだ。 「お風呂、コンラッドもまだ入ってないでしょ?」 「あ、ああ……時間がなくて」 ちょっと期待した声になるコンラッドに、にっこりと微笑む。 「そうよね、だってウェラー卿はまだお仕事の時間だもの」 コンラッドは情けなく眉を下げた。 「エッチだけしたら、さっさとお仕事に戻らないとねー?」 「そ、そういうわけじゃ……その……」 しどろもどろに視線を彷徨わせるコンラッドに、は今度こそわざとらしいものではなくて、おかしそうにくすくすと声に出して笑う。 「冗談だよ。ちゃんと書置き読んだもん。帰って来てくれるつもりだったのは判ってる」 「……」 その笑顔に、許してもらえたのだろうかとコンラッドが愁眉を広げると、は笑顔のままで付け足した。 「でもね、一緒には入らないから。コンラッドはわたしの後」 コンラッドががっくりと項垂れると、はまた旋毛を指先でつつく。 「ねえ、だから落ち込んでないで服を脱がせてってば。コンラッドがいっぱい無茶するから身体中が痛いし、他にも色々で早くお風呂に入りたいのー」 「す、すみません……」 に腕を引かれながら立ち上がり、寝室へと連れて行かれる。 交わって寝乱れたベッドは何をしたか一目瞭然で、これもコンラッドが片付けてねと、ごく当たり前のように付け足される。 それに異論はない。 命じられるままドレスを脱がせると、身体のあちこちにコンラッドがつけた跡が赤く残っていて、それに少し喜びを感じてしまうのは男の性としては仕方がない。 身体にバスタオルを巻きながら、は更に驚くべき条件を出してくる。 「それとね、今日からしばらく一緒に寝てくれる?」 「え……」 またつい声が跳ねてしまう懲りない男に、はにっこりと、とてもいい笑顔を見せる。 「一緒に眠ろう?ぎゅっと抱き締めてね。でも、エッチなことはやっぱり全部ダメよ」 「……え?」 半分にやけた顔のまま固まったコンラッドは、が指差した首筋を見た。 今日、跡をつけた中でも、特に濃く赤黒くはっきりしっかりとついたひとつがそこにある。 「これが『完全に』消えるまで、一切全部ダメ。胸とかお尻とか撫でるのも揉むのも当然ダメ。キスは首より上からだけ。でも唇にはダメ」 「ちょ……それは……」 一緒のベッドに入り抱き締めて寝て、だけど健全におやすみなさいと眠るだけだと。 今日はともかく、そんな生活が続くのはコンラッドには少々……かなりつらい。 「……完全に?」 「そう、完全に。薄くなっただけじゃダメよ。完全に消えるまで、一切そういう接触はなし!……最後まで守れたら、許してあげる」 つまり完全に許しを得るまでに、一週間程度の期間を試されるということか。 「毎朝コンラッドが服を着せてね。それから毎晩脱がせてね。こんなドレスは自分だけじゃちゃんと着れないし、だからってエリスさんにキスマークを見られるのはイヤ」 は毎朝自分付きの侍女の手を煩わせるのも、人に服を着せてもらうというのも苦手で、普段は簡素なワンピースを好んで着ている。だがそれらの服は、襟が詰まっていない。 首筋にもつけられたキスマークを隠す為にはこのタイプのドレスを着るしかない。 着せるのはいい。まだいい。 夜、入浴前に脱がせて、一人寝室で水音を聞きながら待ち、そして一緒のベッドには入るけれど……性的接触は一切禁止……。 「、その」 もう少し条件が緩くならないかと情けない顔と声でお願いしようとしたのに、はさっさと寝室続きの脱衣所に行ってしまった。 「本当に反省してるなら、コンラッドの誠意を見せてねー」 三日後、深夜に叩き起こされたグリエ・ヨザックは、強制的に酒に付き合わされて、酔って涙ながらに苦労を語る男の話を延々と聞かされた。 さっきとうとう我慢できずに夜中に部屋を抜け出してきたことから始まって、服を脱がせるために紐を解きながらこのまま風呂に誘ってくれないかとつい期待して撃沈し続けているとか、水音を聞いているうちに色々と想像して反応してしまう自分を宥めようと経済白書を念仏のように唱えているとか、風呂上りの芳しく瑞々しい肌に触りながら服を着せるときについ視姦しそうになって、こんなことをしていると有利に知れた時にどうなるのかと想像して乗り切ったりとか(しかもあとで恐怖のために本当に気分が悪くなる)、共に入ったベッドで抱き締める柔らかい身体に欲情して腰を引き気味に無理やり眠って翌朝、腰を痛めているとか、おやすみの笑顔とか、おはようの少し寝惚けた顔とか、それらを見ながらキスですら頬や額にしかできないという窮状を訴える。 「それなのに、まだあの跡は全然消える気配がないんだ……!擦り消したくなる……っ」 「………擦るとますます消えねーぞ」 「そうなんだ!どうやっても待つしかない……俺のこの苦労が判るか?の白い肌に俺がつけた跡があるのを、毎日見てるんだぞ!?あの白い肌に赤い跡が……それがどれほど扇情的か……は判ってない!」 いや、判ってるから罰なんだろう。 まだまだ子供のような反応をしておいて、恋人の興奮ポイントをよく心得ているのかとヨザックは考えたが、実はこのことに関しては恋人の方がよく判っている。はそこまでコンラッドがキスマークに興奮しているとは気付いていない。 ヨザックは話を聞きながら、とにかくコンラッドを酔い潰そうと必死だった。 勝手にベラベラ喋ってからに、酔いが醒めればの身体の状態を話から妄想しただろうとか、剣を突きつけられることになってはたまらない。深酒で何を語ったかの記憶を吹っ飛ばしておきたい。 なぜこの男の暴走の割を、オレが一番食う羽目になるのだろうと、ヨザックは眠い目を擦りながら頷いて話を聞き続けた。 ただ長年の付き合いで考えると、がどんな条件を持ち出そうとコンラッドがその気なら、上手くかわすだろうという確信がある。素直に許される日を待っているのなら、それは確かに誠意を示したいのだろう。それほど深く反省しているというわけだ。 翌朝、目覚めとともに友人のベッドを占領して眠っていたことに驚いたコンラッドが慌てての部屋に戻ると、彼女はとっくの昔に起きていて、冷ややかな目で約束を破ったから跡が消えても三日間延長ね、と淡々と宣告した。 グリエ・ヨザックは昼間のうちにちらりとその話を聞いて、その日のうちに上司に泣きつき、国外任務に当ててもらい、早々に血盟城を出奔した。 |
人の話はちゃんと聞きましょうという話。 何故か最終的にヨザックが一番可哀想な気がするのですが、上司と一緒で被害者体質……。 でもこういう罰の時点で、彼女は許してると思うんですけどね……(^^;) 心の狭い次男に最後までお付き合いいただき、ありがとうございましたv |