自分の作ったクッキーが元でコンラッドが大変なことになったので、恥を忍んで裸エプロンなんて格好もした。コンラッドがして欲しいということも頑張ってみた。 「だってあのままだとアニシナさんが何するかわかんないんだもん……」 地下の研究室を目指して階段を降りながら、は誰もいないのに言い訳するように赤面して呟く。 それもこれも、薬の副作用で男性機能が低下しているだけなのか一時停止しているのか、アニシナが調べようとしたという話を聞いたからだ。 結局、朝の時間では直接コンラッドを刺激するところまでは時間が足りずに視覚的な刺激を提供しただけで、機能の回復は見られなかった。その代わり、夜にまた協力することを約束している。 「だけどその前に、昼の間にコンラッドが連れて行かれないように交渉しなくっちゃ!……ごめんなさい、ギュンターさん」 午前中は有利と一緒に語学の勉強をするはずだったのだが、こちらが急務なのとまたも言い訳するように呟きながらアニシナの研究室の扉をノックした。 幸せについて各々の考察(7) 有利との本日午前の予定は、ギュンターを講師に語学の勉強だ。 二人をギュンターに預けると、コンラッドは少し練兵場に顔を出すと言い訳をして部屋を出た。 ただし、本当の目的は練兵場ではなく昨日の目撃者のヨザックと、そして薬の開発者アニシナだ。に嘘がばれてしまわないように上手く二人を言いくるめておかなければならない。 ヨザックが何かを知っているかどうかは不明だが保険はかけておくに越したことはない。 ヨザックは少し『説得』すれば簡単に沈黙を約束するに違いないが、問題は元凶であるアニシナのほうだった。 「……グウェンに餌になってもらうかな」 考えながら地下の階段に差し掛かったところで、逆に下から這いずり上がってくる人影が見えた。 一瞬、ギュンターだろうかと思ったが、彼は先ほど部屋にいた。では誰が。 地下から地上に近付くほどに、オレンジ色の髪と階段を這い上がる立派な上腕ニ頭筋がはっきりと見えてくる。手間が省けた。 「ヨザック、いいところに。アニシナはまだ起きているか?」 階段を這っていたヨザックは、顔を上げて幼馴染みの顔を確認すると残りの階段を一気に昇って、わっと嘆きながらその足に縋りつく。 「おい」 気持ちの悪い真似をするなと顔をしかめて振り払おうとしても、ヨザックはなかなか腕を放そうとしない。 「あんたが逃げたりするから!オレがどんな目に遭ったと思ってんだ!」 「ああ、身代わりにされたのか。どうりでアニシナが追ってこなかったはずだ」 「今連れ戻したらあんたじゃなくて姫が可哀想だからって……うぇぷぅっ」 縋りついていた手を片方外してえづきながら口を押さえたので、コンラッドは咄嗟に足を引いてヨザックの手を振り払った。 「ここで吐くなよ」 「お……鬼め………」 ずるずると這いずりながらヨザックは再びコンラッドの足に手を伸ばしたが、簡単に逃げられてしまう。 「オ……オレがどんな目に遭ったと思う……えぇ!?」 「確かギュンターは嘔吐と痙攣が交互にやってきたとか」 「オレは痙攣はしなかったよ!しなかったけど何を要求されたと思う!?自分でヤレって言われたんだぞ!?」 何をかは、聞くまでもない。コンラッドの症状の身代わりにしようとしたのだから、そういうことだ。 「お前と同じ症状かどうか確認したいって言われてさあ!アニシナ様が手伝ってくれるなら喜んでしたさ!幸せだったさ!でも研究室の端っこで自分でやれって……たとえこの吐き気があろうとなかろうと、勃つものも勃たねーよ!」 「……したのか」 同じ男として同情はする。 同情はするが、聞きたくはない話だった。研究室の端で丸まった哀愁漂う背中を想像してしまって、げんなりと青褪めながら視線を遠くへ飛ばす。 「してねえ!やったことにして、してない!せめてなあ……じっと監視してくれたらそれも一種の快感なのにさあ……」 「よせ」 その口を塞ごうと廊下にのびている背中を上から踏みつける。 「ぐぇっ……そ、それが傷心の友人に対する行為か!くそー!姫に言いつけてやるっ!隊長がこんな酷い男なんだって姫に……」 「になんだって?」 上から指の骨の鳴る音が聞こえて、ヨザックは口を閉ざした。 しかし黙っていると、吐き気が込み上げてくる。 「うえっ……」 コンラッドは溜息をつくと踏みつけていた足をどけて、友人の腕を掴んで廊下から引きずり上げた。 「部屋まで連れて行ってやる。お前が解放されたってことは、アニシナはもう今頃眠ってしまったんだろう?」 「とりあえずのデータはとれたから用済みだそうだ……ひと寝入りされるそうだぞ……」 ヨザックの腕を肩にかけ引き摺るようにして兵舎の方へ歩き出したコンラッドは、僅かな差で自分が角を曲がってすぐにが地下へと向うべく階段にやってきたことに気付かなかった。 「アニシナさん、ちょっといいですか?」 ノックの返答を得て扉を開けると、髪を下ろして就寝の準備を整えているところだったアニシナが驚いたように目を瞬いた。 「これは殿下、どうなさいました?」 そう訊ねて、が返事をする前に早朝の出来事を思い出す。 「今朝のことでしょうか。あれはウェラー卿にも薬の症状が出たという話でしたので、検査をするつもりだったのです。ですが思わぬ抵抗に遭いああいう結果に……」 さすがにあの場面は不味いと思ったのか、珍しく少し焦った様子があって、も慌てて手を振った。 「ああはい、コンラッドにもそう聞きました。話はそのことじゃなくて……」 ある意味ではそのことだが。 コンラッドとアニシナがあれから口裏合わせをする時間があったはずもなく、同じ答えで返ってきて、疑っていたわけではないがそれでも少し安心しては胸を撫で下ろした。 「あ……あの、ですね……その……け、検査のことなんですけど」 が言いにくそうに後ろに回した手の指を絡めながら、どう話すべきか考えていると、誤解が解けていると知ったアニシナはもういつもの調子で軽く頷いた。 「ああ、そのことでしたらもう別の検体を手に入れましたので、ウェラー卿をどうこうするつもりはありません。彼を実験に使うと殿下もご心配でしょうし、グウェンダルもうるさいですからね」 「そうですか!」 はぱちんと手を合わせて喜んだ。 もちろん一番嬉しいのはアニシナがコンラッドに妙な真似をしないという保証をくれたことだが、それともうひとつはが素人手で色々としなくても、その別の検体の実験で解決する薬を作ってくれるかもしれないと考えたこともある。 その検体になった人物には非常に気の毒なことではあるけれど。 「それで、薬とかはいつくらいにできそうですか?」 「薬?アカイキャンディーなら、あれは過熱したために起こった事故ですから、元の薬の実験はこれからグウェンダルで行うつもりですが」 「え、そうじゃなくて、その…えーと……コンラッドに出た方の症状をどうにかする……」 「ウェラー卿の?ああ、勃起不全ですね」 がなかなか言えない言葉も、研究者の立場のアニシナは気にした様子もなくさらりと口にして、が赤くなっていることなど気にも留めない。 「それは昼頃にはもう回復しているはずですよ」 「……え、そうなんですか?」 過熱で変質した薬の分析はもう終わっていたのかと驚いた。 同時にそれなら夜にするとコンラッドと約束したことも無効になるかもしれないとほっとする。 大切なコンラッドのためにすることだから嫌だというわけではないのだが、どうしても恥ずかしいという気持ちが先に立ってしまう。それにいつもしてもらうばかりだから、からもコンラッドに何か返せるいい機会だと思っても、しなければならないというのは言い訳にできると共に義務のようで少し重い。 コンラッドに伝えて安心してもらおうとが喜んだのは、この一瞬だけだった。 「ウェラー卿からお聞きになりませんでしたか?変質した薬は丸一日も経てば効果が消えると説明していたのですが」 「…………え?」 「だから検査を急いだのです。おや、どうやらその説明はなかったようですね」 呆然とするに、アニシナは軽く首を傾げただけだった。 「なんかさー、今日のコンラッド、ものすごく上機嫌じゃなかった?」 羽ペンをインクの瓶につけると、有利はミミズの這ったような自分の字を見て首を振る。 日課のロードワークをして朝食を一緒に取ると、コンラッドは有利とをギュンターに預けて一旦練兵場へ顔を出しに行っている。 その後が急に部屋に忘れ物をしたと出て行って、ようやく起き出してきたヴォルフラムがグレタと一緒に入れ替わりに入ってきて、現在この部屋には有利とギュンターとヴォルフラムとグレタがいた。 麗しの王佐と魔王の婚約者は、ぴくりと眉を動かす。 「知るものか、あんな奴」 「いや、お前まだ今日は顔合わせてねーじゃん。なあギュンター?」 「ええ、そのような様子ではありましたが。それよりも陛下、今はこちらの文字について」 二人とも今はこの場にいない、普段は有利の側にずっといる男の話を持ち出されたくないらしい。 「ああ、うん。でもさー、昨日はアニシナさんの薬を食べちゃってえらい目を見たはずなのに、変じゃないか?」 アニシナの名を聞いて、傍らのギュンターがびくりと震える。 だが紙に向っている有利とヴォルフラムの横で毒女アニシナシリーズを読んでいるグレタはそれに気付かず、ヴォルフラムだけが僅かに同情を込めた視線で王佐を見た。 「まあギュンターもこうして復帰してるし、薬の影響はなかったのかもしんないけどさ」 「私は陛下への『愛』!……を糧に復活したのです。赤い悪魔の実験はまるでこの世の終わりのような苦痛でしたが、陛下への『愛』!……がそれを凌駕いたしましたので」 妙に愛に力を入れた力説も、既に慣れたもので有利は軽く受け流した。 「じゃあコンラッドもへの愛で復活したのかな。昨日はあれから二人きりだったわけだし、いちゃいちゃしまくったのか」 それなら機嫌がいいのもわかる気がする。 自分でにコンラッドの看病をするように言いつけたものの、が子供のうちは節度のある付き合いを!と力説している有利としては少々面白くない。 インクから出したペン先が紙に押し付けられて黒い染みが広がった。 ノックがあって、ギュンターが入室の許可を出すと扉が開く。 「ただいま戻りました、陛下。……ギュンター、は?」 部屋に入るなりの不在に気付いてコンラッドが見回すと、有利は溜息をついて染みができただけの紙からペン先を離した。 「忘れ物をしたそうで部屋に戻っておられます。すぐに来られるでしょう」 「そうか」 やはりどこか上機嫌のコンラッドに、有利は白けた視線を送る。 「……なあコンラッド、あんたなんで今日はそんなに機嫌いいの?」 「え?そう見えますか?」 にこにこと笑顔全開で問い返されても、呆れる他はない。 「じゃあ昨日の薬は影響なかったんだな?」 コンラッドは即答しかけて、一瞬だけ考えた。 「ええ、大丈夫です。ご心配をおかけいたしました」 何ともないと答えて、それがの耳に入った場合のことを考えたのだ。だが、有利に大丈夫だと言ったとしても、それは有利に話しても仕方がないことだから黙っていたと言えば怪しくもないはずだ。 「が献身的に看病してくれたので、もうすっかり元気です」 「……なんかあんたって、ときどきギュンターと同類……」 そんなことをしみじみ言われて、ちょっと傷ついた。 「単純なやつめ」 ヴォルフラムがぼそりと不機嫌そうに呟いたのを聞きとめて、コンラッドは苦笑しながら肩を竦める。 「そうは言うがヴォルフ、お前だって体調を崩したときに陛下が心配してくだされば嬉しいとは思わないか?」 「ユーリがぼくの心配をするのは当然だろう。ぼくは婚約者なんだからな」 「……婚約者はともかく、まあ仲間の心配はするよ」 「グレタは?」 いつの間にか本を閉じていたグレタが顔を上げて聞いたので、有利はにっこりと笑顔で頷く。 「もちろん心配するに決まってるじゃないか!可愛い娘のことは、健康な時だって離れてるだけでも心配したり会いたくなって寂しかったりするもんな!」 有利が笑顔でそう言うと、グレタは嬉しそうに照れたように分厚い本で顔を半分隠した。 「ほら、ヴォルフ。グレタは素直な反応だ。誰かのためを思うこと、思われることは素晴らしいんだよ」 「そんなことお前に言われるまでもな……」 ヴォルフラムの話の途中でドアを叩く音が聞こえる。 ちょうど扉の側にいたコンラッドがすぐに開けると、がポットとカップを載せた大きな盆を持って立っていた。 「、それは……」 一瞬だけの表情が曇ったように見えてコンラッドが言葉を切ると、はすぐに笑顔を浮かべて盆を掲げた。 「よかった、コンラッドももう戻ってたんだね。お茶が飲みたくなったから、部屋に帰ったついでにティーセットを用意してもらったの」 「ああ、俺が持つよ」 コンラッドが大きな盆を軽く持ち上げて部屋に入ると、はその背中に隠れて部屋の中のメンバーに見えないところでそっと懐から赤い液体の入った試験管を取り出して袖に忍ばせた。 コンラッドがテーブルに盆を置くと、有利は目を瞬かせてを見やる。 「お茶って、さっき朝飯食ったばっかだろ」 「だからお茶請けはないでしょ。ちょっと喉を潤すだけ」 その笑顔に、長年ともに生活してきた勘が働いたのか、なぜか有無を言わせぬものを感じて口を閉ざす。 どういうつもりかはわからないものの、毒女ならともかくが何かするはずはないかと気を取り直して有利が紙に文字を綴ると、ギュンターは既に書き終えていた別の紙の添削を続ける。グレタが毒女シリーズを広げ直し、横から覗いてみた一文に教育的にこの本は問題がないのかとヴォルフラムが真剣に考えて、コンラッドはに手伝いを申し出た。 「じゃあこれを有利とギュンターさんに運んであげて」 指差した二つのカップをコンラッドが手にして背を向けると、は袖の中の試験管を傾けて残るカップのうちのひとつに、赤い液体を投じた。 「カップとお湯も多めに用意していてよかった。ヴォルフラムはいるかもとは思ったけど、グレタも来てたし。みんなでお茶を飲むと楽しいよね」 赤い液体を入れたカップを避けてヴォルフラムとグレタの前にも紅茶を差し出す。 「ああ、すまない」 「が入れたお茶はおいしいから、グレタ好きだよ」 「きっと愛情が篭ってるからだね」 コンラッドが振り返ってそう言うと、その後ろで有利ががっくりと肩を落としている。 「やだな、コンラッドってば」 そこでいつもなら照れそうなが、くすくすと笑いながらコンラッドにも自然な動作でソーサーごとカップを差し出したので、有利とコンラッドは僅かに違和感を覚えた。 たがそれは些細なことだ。 それほど気にも留めず、コンラッドもグレタと同じく笑顔でそれを受け取る。 「あれ、の分のお茶は……?」 「うっ………!」 グレタがカップがひとつ足りないことに気付くのと、コンラッドが詰まったように小さく呻いたのは同時だった。 なんの疑問もなく紅茶を口にしたコンラッドは口を押さえながらカップを取り落として、ガチャンと音を立てて陶器の欠片と紅い液体が床に広がった。 「コンラッド!?」 有利とヴォルフラムが同時に立ち上がり、ギュンターですら大事な陛下の字が綴られた手にしていた紙を取り落とす。 「どうしたコンラート、一体なにが!?」 いつもは邪険に扱うはずのヴォルフラムが傍らに膝をついたことにも気を回す余裕もなく、コンラッドは震える手で口を押さえながらを見上げた。 この味には覚えがある。 部屋にいるすべての人間が一様にコンラッドの心配をしている中、だけはにっこりと微笑んだ。 「アニシナさんからね、薬をわけてもらったの」 「アニシナから!?」 グレタとコンラッド以外の声が唱和する。 「一体何の薬を入れたんだよ!?」 「心配しなくても、コンラッドにだけしか入れてないから」 「だから一体何の薬を入れたんだ!?」 有利の悲鳴に、は笑顔できっぱりと言い切った。 「嘘をホントにする薬」 それからしばらくの間、ウェラー卿は恐怖のあまり愛する婚約者から手渡される品は一切、口にすることができなかった。 |
隔離部屋TOPにも注意書きしましたが、過去最低のダメ男の話でした(^^;) |
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