大学からの帰り道、歩いているうちにずれてきた鞄を肩に掛け直しながら角を曲がったところで、渋谷勝利は全身ずぶ濡れの妹と行き会った。
「なっ……ちゃん!?い、一体どうしたんだ、その格好は!?」
「あ、お兄ちゃんお帰り。これはえーと……転んで公園の池にダイビングしちゃって……」
えへへと誤魔化すように笑う妹に、勝利は放り投げる勢いで鞄を道路に下ろして上着を脱ぐ。
「笑ってる場合じゃない、風邪をひくだろう!」
「いいよ、もう少しで家だし、その格好だとお兄ちゃんのほうが風邪ひいちゃうよ」
厚手のデニムシャツの下はインナーにしている半袖のTシャツ一枚で、確かにまだそれでは肌寒い気候だが、ずぶ濡れの妹よりはずっとましだ。勝利は無理やりの身体に着せて袖を通させた。
「いいから着てなさい!公園の池に落ちるだなんてそんなゆーちゃんみたいなことをして!」
「有利だって自分から落ちたことはないと思うけど……あったかーい。ありがとう、お兄ちゃん。ごめんね」
は兄に笑顔で礼を言いながら、着せられたシャツの前をぎゅっと掻き合わせる。それなりに体格のいい兄のシャツは大きくて、袖丈などは袖口から僅かに指先が覗く程度だ。
「………………萌えなんて言わないぞ。そんなありきたりな表現なんてするもんか」
鞄を拾いながらぶつぶつと呟く兄の言葉に首を傾げながら、は少し遠慮気味に家に戻れば驚くだろう兄の背中に小さく声を掛ける。
「それでね、お兄ちゃん。今、うちに帰るとちょっと大勢お客さんが来てるんだけど、その人たちしばらく泊まることになると思うから……ねえお兄ちゃん聞いてる?」
「でもあれだな、やっぱりここはデニムシャツだといかんな。白か。やはり白のシャツがベストか。なぜ俺は今日、白シャツを着てこなかったんだ!」
「おーい、聞いてるー?」



ふれた指先から(1)



外で兄の勝利が驚愕していたころ、弟の有利は家の玄関で困窮していた。
「まあ待てってコンラッド!」
「ですがユーリ、まだが帰ってこないのに」
は近所の公園からスタツアしたって言ってたじゃん。あんた着替えただけで髪も濡れたまんまだろ。乾かしてるうちに帰ってくるって!」
現在、渋谷家の洗面所にてドライヤーで髪を乾かしているのは彼の弟ヴォルフラムだ。兄のグウェンダルは熱風を送り出す機械にどこかのマッドマジカリストを思い出して使用を拒否しているので、弟の後にドライヤーを使って、それでもが帰ってこないときは探しに行こうという有利の提案にも、コンラッドは渋い顔をする。
が世界を越えるときは、いつでも一番に迎えに行きたいんです」
「……ゴチソウサマ。ってそうじゃなくて。あっちに行った時とは違って、今回は慣れた場所に戻って来てるんだから心配ないってば!」
「もうすっかり髪が乾いた。あのどらいやーとかいう道具はなかなか便利だ……」
洗面所から出てきたヴォルフラムは、婚約者の帰宅の遅れを心配するコンラッドを、腰にタックルした状態で引き止めていた有利の姿に足を止める。
「何をやっているユーリ!こ、こ、こんな場所で!いや、お前、ぼくというものがありながら、母上のいらっしゃる場所で!よりによってコンラートにじゃれつくなんて!」
「これのどこがじゃれてるんだよ!お前もコンラッドを止めろって……ぐぇ、おれじゃない、おれの服を引っ張るな、首が絞まる!!」
「……なにやってるの、君たち」
「あらー、ゆーちゃんってば楽しそう。それとももしかして修羅場?やーん、ゆーちゃん、やっぱりママの子ね。もてもてじゃない!」
リビングからポットとカップを手に顔を出した親友と母親に、有利は首が絞まって息苦しい状態で助けを求める。
「お……前ら……この状況を、どうにかしようという、気は」
「ただいまー」
騒ぎの中、婚約者の心配の素だったが呑気な声で玄関の扉を開けて、驚いたように足を止めた。
「……なにやってるの」
!お帰り、よかった……帰りが遅いから心配していたんだ」
が帰ってきたからもうコンラッドも出て行かないと安心して手を離した有利は、まだ引っ張っていたヴォルフラムを巻き込みながら後ろに派手に転ぶ。
廊下に転がった有利の耳には聞き慣れた怒声が、目には笑いを浮かべて面白そうな顔をした友人が逆さに映る。
「貴様!うちにに触れるな!何者だ!」
帰宅したに手を伸ばしたコンラッドを、兄の勝利が威嚇しながら追い払おうとするなんて、誰が予想できただろう。
「あれ!?なんで勝利も一緒に帰ってきてんの!?」
「重いユーリ!どけっ」
押し潰されたヴォルフラムからの抗議で慌てて起き上がった有利に、勝利の背中に隠されたが横から顔を出して困ったように肩を竦める。
「さっきそこで偶然会ったの。ねえお兄ちゃん、だからコンラッドのことはさっき言ったじゃない。今、大勢お客様が来ているからって……くしゅっ」
ちゃん!ごめん、寒かったな!母さん、風呂沸いてるか!?」
振り返った勝利は慌てたようにを抱き寄せながら玄関の扉を閉めた。
後ろで廊下に座り込んでいた有利とヴォルフラムは、コンラッドの手が僅かに反応したのを見て、横目でちらりと視線を合わせる。
これで相手が勝利以外の男だったら、今すぐ拳が横っ面に入っただろう、と。
「沸いてるわよ。さっきまでゆーちゃんと健ちゃんが入ってたもの。まさか息子と息子の友達が入ったお風呂から、あと三人も男の人が増えるなんてびっくりだったわー。うふふ」
「ビックリで済むお袋におれがビックリだよ」
「む、弟のお友達まで入っていたのか。できれば一度洗って湯を替えたいところだが、そんなことをしていたら、ちゃんが風邪を引いてしまうな。とにかく今は温まることが先決だ」
「一度洗ってって、まるで僕がばい菌の塊みたいだなあ」
母の言葉の意味不明な部分と、弟の友達の不平は見事に聞き流して、勝利はを抱き上げた。
「ひゃあ!お兄ちゃん!?」
「それで歩いたら廊下が濡れるだろう。じっとしてなさい。運んであげるから。有利、の靴を脱がせ……なんだ」
両手を差し出したコンラッドに、勝利が眉をひそめる。
「どうぞ、あなたの手を煩わせるまでもなく、は俺が運びます」
「笑止!家族以外の男がに触ろうなんて図々しいにもほどがある!」
「笑止なんて言葉遣う奴初めて見たよおれ。コンラッド、今は勝利の好きにさせてやって。今揉めるとがどんどん冷えちゃうし」
兄に言われた通りにの靴を脱がせながら有利が仲裁に入り、コンラッドは渋々といった様子で手を引かざるを得ない。
「そもそも自分で歩けるんですけど……」
有利と同じく、諦めて兄の好きにさせていたがせめてもと呟いた言葉は、長兄と婚約者には綺麗さっぱりと黙殺された。


大きな力を秘めた禁忌の箱の最後のひとつ、鏡の水底が地球にあると判明した。
そのために魔王である有利、大賢者の村田、魔王の妹であるがこちらに帰るのと合わせて、箱の回収と魔王たちの護衛としてグウェンダルとコンラッドとヴォルフラムの三人が眞魔国からやってきた。
玄関での騒動後に帰宅してきた父の勝馬も交えて説明した話を、驚くほどあっさりと勝利までが受け入れた。
夢見がちな母やコンラッドと面識があった父とは違い、二次元の世界は好きでも現実主義の勝利のこの素直な反応には、有利だけでなく、村田とと両親も一緒に驚いた。
「地球の魔王を知っている」
というのがその理由で、それもまた充分に驚く話だ。とりわけ父親の勝馬はショックは大きかった。
「し、知らなかった……ボブが勝利にも接触していたなんて……」
「ボブの人選基準は一体なんだろう?まあいいや。それで友達のお兄さん、ボブと連絡が取れるのかな?」
「この間のメールでは、今アリゾナにいると言っていたな」
「大学生とメル友の魔王って……」
有利が遠い目で呟く中、勝馬が椅子から立ち上がる。
「勝利がメールなら、俺のほうがまだ連絡がつくかもしれないな。ちょっと待っててくれ」
そう言って電話に向かった父親に、全員に紅茶を配り終えたが溜息を吐きながら有利の隣に腰を降ろした。
「そしてうちの電話が魔王の元にも繋がるホットラインみたいだよ、有利」
双子は揃って頭を抱える。
「知らなかった……」
「何に苦悩しているのだ?」
カップを持ち上げながら首を傾げるグウェンダルに、村田は肩を竦めた。
「そりゃあね、家族に隠してた秘密を、すでに皆知ってたこととか、似たような秘密を家族が別に持ってたとかさ。拍子抜けで衝撃が一緒にくるんだから頭のひとつも抱えたくなるんじゃないの?」
「他人事みたいに……」
「だって僕には他人事だろ?」
恨めしげに友達を見た有利は、正論で返されて言葉に詰まる。
「だめだった。ボブは今、連絡がつかない場所に仕事で行っているらしい。しばらくは帰ってこないということだったから、向こうからの連絡待ちになりそうだ」
電話を切って戻ってきた勝馬の話に、有利は深く息を吐いてソファーに沈む。
「そっかー……じゃあ当面手掛かりなしか。どうしたもんかなあ……」
「考えても仕方ないことなんだから、しばらく待ってみたら?今日はもう遅いからこのまま休むとして、せっかくだから明日はみんなで外で遊んでいらっしゃい。焦っても解決しないわよ」
「それもそうか……」
母からの提案に少し考えてから有利が頷いて、当面の方針が待機に決まったところで、が手を上げて起立した。
「ちょっと待って。解散前にお母さんとお父さんとお兄ちゃんに報告が」
「報告?」
「個人的なことだから後回しにしてたんだけど」
立ち上がったがソファーの後ろを迂回して、コンラッドの隣に立って両肩に手を置いたことで、有利と村田は話の内容を理解して横目でお互いを見る。
「じ、実は今、この人とお付き合いをしています」
家族の反応は、ほとんど有利と村田が予想したとおりだった。
母の顔が輝き、父が驚きで唖然としてように大口を開け、兄は無表情で両手を組んだまま微動だにしない。
コンラッドも、顔には出していなかったが、今の今までがそのことに触れなかったことを、実は密かに気にしていたらしい。表情がぱっと明るくなって、肩に置かれたの手に自分の手を重ねて、三者三様の反応を見せる渋谷家の面々を見回す。
「箱の話を優先したのでご挨拶が遅れましたが、今結婚を前提に……」
「結婚!?」
「まあ!素敵!」
両親の驚愕と歓声の声が合図だったかのように、彫像と化していた勝利が突然立ち上がる。
「話にならんっ!!」
そうくるだろうと予め耳を押さえていた有利と村田以外は、窓硝子が震えるほどの勝利の怒りの叫びに反射的に目を瞑って肩を竦める。グウェンダルとコンラッドでさえ、思わず唖然として立ち上がった勝利を見上げたほどだ。
「け、結婚だと!?はまだ十六歳だぞ!?高校生と結婚を前提に!?ふざけるな!不純異性交遊など、俺は認めんぞ!」
「さっきからときどき言い回しが古いな、勝利……不純異性交遊って」
「じゃあ不純同性交遊だとどうなんだろうね、渋谷」
「おれは同性と交遊してないっての!」
「えー、自分だって婚約者連れてきてるくせにー」
「なにぃ!?」
「それはぼくです、ユーリの兄上!ユーリの婚約者です!」
「不純同性交遊もいかんぞ有利!」
「してねえよ!」
大騒ぎになったリビングに、は頬を膨らませて拗ねた声で呟く。
「『不純交際』なんてしてないもん」
傍にいてその呟きを聞いたコンラッドは、小さく笑ってを見上げた。
「そうだね。俺たちは真剣な交際だ」
ぎゅっと手を握られて、は嬉しそうに笑ってコンラッドの肩に寄り添う。
「うん。真剣なお付き合いだもんね」
隣で仲睦まじく語り合う弟とその恋人に、グウェンダルはカップを手に息を吐いて席を立った。
「あ、こら!そこ!何をしている何を!」
グウェンダルの予想通り、勝利の怒声が再びとコンラッドに向いたのはそのすぐ後のことだった。








今回の話は、マニメ沿いパラレル話になります。
「魔族地球へ」と「お兄ちゃんの悩み」をベースに考えていますので、
前回のコンラッドがプロポーズに来た話とはまた別モノということで。
お兄ちゃんの衝撃再び……(^^;)


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