「こんにちは、解説兼実況のグリエ・ヨザックです。猊下からご指名をいただきまして、先日起こった驚愕かつ不可解な事件に対する目撃状況をお伝えするとともに――」
「そういう前説はいいから、ちゃっちゃと説明してよ」
「酷いですよ、猊下。こういったことはちゃんと手順があって……」
「あー、はいはい、グリエ・ヨザック減俸希望っと」
「ちゃっちゃと説明させていただきます!」
「じゃあどうぞ」
「さて、ではどこからお話すればいいのか……待ってください猊下、査定表を作り始めないで下さい。そう、あれはオレが久々に血盟城に登城した昨日の夕方のことです」



それは、前触れもなく唐突に(1)



「いてっ」
グウェンダル閣下に報告に向かう仕事を後回しにして、先に宿舎に荷物を置きに行こうと裏庭を突っ切った罰が当たったのか、何故か上から靴が降ってきた。
「ったく、誰んだー?」
「あ、ヨザックさん、ごめんなさい!」
木の上の奴に聞こえるように悪態を吐きながらその赤い靴を拾ったところで、上から聞こえてきた声に、腰を屈めたまま硬直した。
この声は。
もしかして、もしかしなくても。
「怪我はないですか?」
「なんで姫が木に登ってんですか!?」
見上げると、姫は無防備にもスカートでゆうにオレの身長の二倍以上ある木の枝に登り、白い足をちらちらと覗かせて太い枝に座っていた。
「あのね、お気に入りのハンカチが飛ばされちゃって」
そう言って、白いハンカチをひらひらと振る。
「そういうときは、誰かを呼んでくださいよ!怪我でもしたらどうするんですか!ぶっ倒れる奴が出るでしょう!」
「木で引っ掛けた怪我くらいで倒れませんよー」
ケラケラ声を立てて笑う姫に言いたい。
ぶっ倒れるのはあなたのことじゃなく、主に妹のことが可愛くて仕方が無い魔王陛下とか、悲鳴を上げて駆けずり回りそうな麗しの王佐とか、こと姫が関わると冷静のレの字すらなくなる婚約者とかの話です。
こうして顔を合わせて会話までした以上、もし姫が今ここで怪我でもしようものなら、それらの人物の呪いがオレに降りかかることは間違いない。
特に、真顔で剣を抜きそうな男なんかが、怖い。
「姫、飛び降りてください。オレが必ずガッチリ受け止めますから」
「自分で降りられますよ」
「木登りは、登るより降りるほうが難しいんですよ!」
「うーん……でも………」
姫は難しい顔で、飛び降りるどころか逆にしっかり幹に抱きついた。
……そうですか、オレにキャッチされるのは嫌ですか。
「じゃあ隊長を呼んできますから、そのまま待っててくださいね」
「え、一人で降りられますよ」
「降りる途中で失敗して落ちてくるのが一番怖いんです」
それでもオレは受け止められる自信があるけどね。だがそれで悲鳴でも上げられようものなら……オレの運命は決定する。
「いいですね、隊長を呼んでくるまで待っててくださいよ」
「ダメですよ、コンラッドを呼んだら怒られちゃう」
「怒られるようなことだって自覚があるなら、やらないでくださいよ!」
「だってこれくらいで人を呼ぶほうが悪いですし!」
とかなんとか、また庶民的なことを言ってオレを困らせる。
「あーもー、じゃあいいですよ、オレが下でばっちり構えてますから、ご自分で挑戦なさってください。でも万が一落ちた時、オレがキャッチしても悲鳴を上げちゃいやですよ」
「下で構えられたらスカートの中が見えちゃう!」
「だったらなんでスカートで木に登るんですかー!」
「だって誰かに見つかるなんて……あ、ヨザックさん。ダメ、静かに!」
ふと、城の廊下のほうを見た姫が慌てて人差し指を口に当てて静かにしろと命令してきて、なんだろうと思う間もなく、呼びに行くつもりだった男の声が聞こえた。
「だから、何度頼まれても同じだと言っているだろう」
「ですが閣下、一日だけ、一日だけでいいんです!」
城の裏手の人通りの少ない廊下を、足早に歩くコンラッドの後を追って縋っている栗毛の男は確か……あいつの隊の部下だったような気がする。
オレには特に珍しいものでもなかったがふと上を見上げると、姫にとっては苛立たしげに声を荒げる恋人の姿に馴染みがないらしく、怯えたように木に縋りついていた。
今の状態で見つかったらいつにも増して怒られると思ったのだろう、オレの視線に気付くと必死で黙っていろとジェスチャーをする。
いや、他の奴に腹を立てたからって、あいつは姫にその気分を持ち越したりしませんよ。
逆は大いにありますけどね。
ちょっと遠い目をしたくなったオレの心情など知る由もない姫は、木の上でこのまま隊長が立ち去ってくれることを願っている。
姫に怒られるのは嫌だし、コンラッドにも気付かれずに済むならオレとしてもそのほうが安全といえば安全なので、大人しく木の陰に隠れてやり過ごすことにする。何しろ、姫はスカートで木に登っているから、素足がオレから丸見えってのがね、あいつの機嫌次第でどう映るか、わかったもんじゃない。
ところがそういうときに限って、コンラッドの奴は足を止めて、追いすがる部下を振り返る。
「どうして俺が、お前の思い出作りに協力しなければならないんだ」
「それは……仰るとおりですが……ですが、ずっと隊長をお慕いしていたんです!明後日、正式に除隊して田舎に帰る前に、一日だけでいいんです!付き合っていただきたくて……」
オレは悲鳴を上げたくなって、慌てて口を噤んだ。
オレ一人でこの場面に出くわしたなら、後でこのモテ男めとからかうだけで済むが、ここにはあいつの恋人で婚約者の姫がいる。
自分の男が、他の男に愛を告げられている場面を見るのは気分が悪いだろう。
「明日は……殿下と先約がある!」
あいつに同性とどうこうなる趣味がないということもあるが、きっぱりと断ったのはよかっただろう。あいつは知らないが、今ここには姫がいて……。
そろりと木の上を窺うと、姫は拗ねたり不愉快そうだったり、はたまた恋人のはっきりとした態度を喜んでもおらず、軽く首を傾げて困ったようにその愁嘆場を眺めている。
あーれー?
予想外だ。
「ではどうしても……」
「くどい」
隊長の眉間にその兄上殿並みのしわが寄って、栗毛の部下は涙を堪えて頭を下げた。
どうやら諦めたらしい。
コンラッドは突っぱねたし、相手は諦めたし、それで終わるはずだった。



「それで、なんで終わらなかったんだい?」
猊下の目が、窓際の姫に向かう。
ついつられてオレも姫を窺う。
姫は窓枠に頬杖をついて、ずっと城下のほうを睨みつけている。
「……姫が、隊長の逆鱗に触れちゃったんですよ」



「それで、そこにいるのは誰だ」
さっきの部下は相当何度も食い下がっていたらしく、今のやり取りだけなら割り合い諦め良く去ったというのに、コンラッドの機嫌は最悪だった。
ここは隠れても無駄というより、悪足掻きするとさらに事態は悪化すると踏んで、早々に隠れていた木の陰から顔を出す。
「ぃよ!」
「帰っていたのか……お前だけじゃないだろう」
「うん、まあ、ほら、そこはその」
上から無言の圧力をかけてきてますが姫、あいつに隠れていることがバレたのは、元々オレじゃなくてあなたです。どちらかというと、オレは連帯で見つかっただけ。
なので、売らせていただきます。
「こちらのお方……」
「ヨザックさんのバカぁー!」
自分の気配が気付かれたなんてちっとも気付いていなかったらしく、オレが両手で木の上を指し示すと、姫は幹に縋って悲鳴を上げた。
!?」
木の上にいることに驚いたのか、他の奴に愛の告白なんて受けた場面を見られたことが痛恨だったのか、コンラッドの表情に驚きと戸惑いが浮かび、そこに少し怒りに似たようなものが含まれたせいで、姫はますます怯えて枝の上で後退りする。
「きゃ……」
「姫、あぶなっ……」
姫の上体がぐらりと傾いで、蒼白になって駆け出した男を目の端に捉えながら、オレも咄嗟に目算した。
どこで構えたら、間違いなく姫を受け止められるか。
姫の手は幹を一瞬だけ掴んだものの、手が小さいから掴みきれずにすぐに滑り、オレの構えたところに真っ逆さまに落ちてきた。
!」
「おっと!」
いくら姫の体重が軽いとはいえ、結構な高さからの落下は衝撃があった。
取り落とさないように、腕にしっかり掴んで一度胸に抱き寄せる。
覚悟した悲鳴は耳元に来なかった代わりに、腕の中の身体は完全に硬直していた。
「大丈夫ですか、姫?」
「だ………だだだ、大丈夫、なんですけれども……」
姫は、高さじゃなくて、男に竦んでいた。
……ゆうにオレの身長二人分以上はある高さから落下したより、オレに抱きとめられたことが恐怖だなんて、さすがのオレもちょっとばかし悲しいんですけどねぇ。
「ヨザック、助かった」
さすがに落下場面を目撃していたから、コンラッドも姫を抱き寄せたことを怒ったりせず、蒼白の顔色で礼を言う。ただし、さっさとよこせとばかりに両手を突き出しているけどな。
「へいへい」
言われるままに差し出すと、まるで壊れ物を扱うかのような丁重さで受け取ったコンラッドに、姫もぎゅっと抱きついた。
だからそれも、高さじゃなくてオレが怖かったんですよねぇ?
グリ江、拗ねそう。
「無事でよかった……」
隊長が深く息をついて抱き締めて、だがその一瞬後にはオレを睨みつける。
「どうしてにあんな危険な真似をさせていたんだ」
「オ、オレ!?いや、オレは」
「あ、違うの。木に登った時は一人だったの。そのあとでヨザックさんに見つかって、受け止めるから飛び降りろって言われてたところで」
ちゃんと姫が説明してくれたお陰で、恐ろしい男の怖い視線は瞬時に和らいで姫に向かう。
ただし、それでも充分に姫には怒られている視線らしく、腕の中で小さくなって謝った。
「ごめんなさい……風で飛ばされたハンカチを取りに上がってて」
「そういうときは俺を呼んでくれ」
『誰か』じゃなくて『俺』限定か。
頬擦りしそうなほどに姫を強く抱き締める男から、居たたまれなくなって目を逸らす。
この場合、オレはこっそりいなくなるべきなのか。
どうやってもオレの動きに気付く男はともかく、コンラッドに集中している姫の意識を逸らしてしまわないように、姫の靴を地面に置くとじりじりと移動を始める。
隊長もそれを推奨しているようで、少しずつ離れようとしているオレに一瞥もくれない。
だが、そんなオレ達の暗黙の了解の中で、姫が恐ろしいことを口にした。
「あ、それでね、あの、さっきの男の人のことなんだけど」
オレとコンラッドが同時に固まる。
え、姫、それを掘り返しちゃいます?
だけど姫の声色には、怒ったり、不満そうだったりするところがないので、他の奴からの誘いを断ってくれて嬉しいとかそっちなのかと思ったら、とんでもないことを言い出す。
「先約って、わたしのは今度でいいよ。さっきの人、明後日でお城を出ちゃうんでしょ?明日は付き合ってあげて?」
「………」
「はぁー!?」
思わず間の抜けた声を上げてしまって、大人しく抱き上げられていた姫はびくんと大きく震えた。
「あ、ヨ、ヨザックさん!?わっ、ちょ、コンラッド、降ろして降ろして!」
オレの存在を思い出したら体勢が恥ずかしかったらしく、慌てて隊長の腕を叩いて地面に降ろせと繰り返す。
だが、よりによって恋人に他の奴とのデートを勧められた隊長は石のように動かない。
「ねえ降ろしてってば、コンラッド!」
「……は、俺が他の奴と付き合っても、何とも思わないのか?」
「へ?え、だ、だって……むしろ、わたしばっかり大事にされても困るし」
「ギャー!!姫、なんてことをー!!」
「え?」
ものすごい発言をしているのに、姫ときたら意味が判らないとでもいうように首を傾げる。
どれだけ器がでかい発言なんですか。
傍で聞いていたら羨ましいより憐れになってくるじゃないですか!
この、超絶美少女を恋人にしている男を憐れむ日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「……本当に、いいの?」
「うん。今度埋め合わせしてくれたら」
縋るように止めてくれという顔をしている男に、姫はあっさりと頷いた。
「……そうか、判った」
コンラッドはゆっくりと息を吐いて、姫を地面に降ろす。
本気で傷付いているのか、腹を立てているのか、姫の片足が素足なのに。
「ヨザック」
「あい!」
「なんて返事だ。を部屋に送ってくれ。俺はアルマーを……の言葉に従って、明日の打ち合わせに追いかける」
「ええ!?ちょ、ま、お、落ち着けよ。そう自棄になるな!」
「いいか、頼んだぞ。くれぐれも一人にするな。また木に登るようなことになったら大変だ」
「あ、おい、コンラッド!」
せっかくオレが引き止めているのに、コンラッドは無表情で他人行儀に姫に頭を下げると、さっさと踵を返して城に戻っていく。
鈍いにも程がある姫は、その怒った態度の理由が判らないらしくて、オレが地面に置いていた靴を履きながら首を傾げた。
「どうしてコンラッド、怒ったんだろう?」
「どうしてって……!」
恋人に男遊びを勧められたら、そりゃ普通の男はまるで執着されてないようで、悔しいんじゃないでしょうか。お互いに遊び公認関係ならともかく、隊長と姫のカップルはそれとは対照的だ。
「だって、慕ってくれた部下の人の最後のお願いでしょう?これからもずっと一緒にいるわたしより、優先したほうがいいと思ったんだけどなー……」
困ったような、寂しそうな表情で、姫はつま先で地面を蹴って履き直した靴を整えた。
「……姫、その『慕った』の意味、判ってます?」
ひょっとして、もしかして、と思ったら。
「え、だから、尊敬する隊長とかいうことでしょう?」
冷たい風が吹き抜けた。








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