身体がふわふわと浮くような感覚があって、それから温かさに安心してしまった。 目が覚めたのは、ベッドが大きく軋んだときだった。 「ん……」 手の甲で擦りながら目を開けると、ベッドのシーツは日の光で赤く染まっていた。 もう夕方なんだ。 「やだ……わたしまで寝ちゃった……?」 ベッドで寝ているということは、きっとヨザックさんが運んでくれたんだろう。 うーん、当たり前だけど眠っていればコンラッドと有利以外の人に触られても平気なんだなと思うと、少し複雑だったりする。 「ああ、じゃなくてお礼を言わないと」 「……」 「はい?」 ベッドから起き上がりながら、呼びかけられた声に返事をする。ふと見ると、ベッドの足元の方で慌てて羽織ったように釦も留めずにシャツを全開に肌蹴たままのコンラッドが、真っ青な顔色で息をつきながらへなへなと力なく両手をシーツについた。 小さなコンラッドじゃない。 いつもの、わたしの恋人の大人の方のコンラッドが。 can I kiss you?(5) 「コンラッド!戻ったの!?」 「……よかった」 コンラッドは心底安心したように深く深く息をつく。 「……うん、本当によかったね」 わたしとしては、実はちょっと残念のような。 小さいコンラッドにちょっとだけ未練が残っていたけど、元に戻れたことは本当によかった。 もうちょっとだけなら子供のままでもよかったのに、なんてそういう未練は言わぬが華ってものでしょう。 いつもなら大騒ぎしそうな色っぽいコンラッドにも、慌てるよりもちょっとだけ落胆して釦を留めてあげようと手を伸ばしたら、コンラッドにぎゅっと抱き締められてしまった。 「コンラッド?」 元に戻れて嬉しいのかしら。でもわたしの時は子供になっていた間の記憶はなかったんだけど、と思っていたらコンラッドは変なことを呟く。 「服を着てた……本当によかった……!目が覚めた時は、俺はもう本当に心臓が止まるかと……!」 「服を着てるって、ちゃんと着てないじゃない。もー、子供じゃないんだから釦もちゃんと留めて、それから……」 隙間なく抱き締められて、釦を留めてあげることもできないとシャツの裾を握ったら、コンラッドの素肌に手が触れた。 ……素肌に。 待って。ここって脚……ですよ、ね? 恐る恐ると下に視線をずらすと、コンラッドは本当にシャツ以外は何も着てませんでした。 ブランケットに隠れて大事なところが見えなくて幸運だったと、心の底からしみじみと思うくらい、何にも。 「い………いやあああぁっ!な、なんて格好してるのよ!ちょっ、だ、抱き締めないで!服を着てよ、服をっ!」 慌てて突き飛ばすとコンラッドがびくともしなかった代わりに、わたしの方が反動でベッドから落ちかけた。 「!」 はしっとコンラッドが腕を掴んでくれたものの、だから体勢が悪い。ブランケットがはらりと落ち……。 「コンラッドの変態っ!」 そんなもの見せるなー!と絶叫しながらコンラッドを蹴ると、息を詰めたように腕を離されベッドから落ちて頭を床に強かに打った。 「……っ」 鳩尾に入った蹴りにコンラッドが息を詰めながら、それでも心配そうに掛けてくれた声が聞こえたけど、絶対に上を向けない。上を向けば見える。見えてしまう。 すぐに床に伏せて家庭内害虫のように這いずって逃げると、テーブルの方から爆笑するヨザックさんの声が聞こえてきた。 そっちはコンラッドがいる方向じゃないから振り仰ぐと、ヨザックさんはお腹を抱えて笑い死にしそうなくらいになってテーブルに突っ伏している。 「……ヨザックさん?」 「あの、あの、あの顔!見ました、姫!?記憶がないまま姫とヤッちゃったと勘違いしたときのあいつの顔!」 ……つまりなんですか?ヨザックさんはもうとっくにコンラッドが元に戻っていると知っていて、あのままの状態のコンラッドが寝ているベッドにわたしを上げたと。ひょっとしたら逆で、わたしを寝かせてからコンラッドが戻ったのかもしれないけど、とにかくわざとそのまま置いていたと。 「ヨザ……」 コンラッドが低ーい声と共に素足で床を踏んだ音が聞こえて、慌てて近くに置いてあったヨザックさんの鞄を、目を瞑ってコンラッドのいる方向へ投げつけた。 「そのままこっちに来ちゃダメっ!」 「それにお前の着替えが入ってるからな」 ヨザックさんはまだヒクヒクと肩を揺らして笑いながら、わたしの腕を取って一緒に部屋から逃げ出した。 「ヨザックさん……」 部屋から出てすぐにじろりと睨み上げると、ヨザックさんは手に掴んでいた剣を腰に差しながらひらひらと手を振る。 「だって、たまにはこれくらいさせてもらわないと、あいつにはいつも痛い目に遭ってるんでー」 「だからってわたしをダシにしないでくださいよ!」 「だからそのままあいつが発情して襲わないようには、見張ってたじゃないですかー」 「は、発情!?」 真っ赤になったわたしがおかしかったのか、ヨザックさんはまた発作が起こったかのように笑いながら、わたしの拳をひょいと避けて廊下の向こうの階段まで逃げてしまった。 「オレ、このままトンズラしますんで、姫はコンラッドから離れないでくださいね」 「え!?トンズラって!」 「だってこのままここにいたら、どんな目に遭うか。あいつが元に戻ったならオレがいなくても平気でしょ」 そう言った途端にわたしの背後で壊れるほど乱暴にドアが開いて、ヨザックさんは階段を駆け降りるどころか飛び越えて行ってしまった。 「ヨザっ!」 「もう行っちゃったよ」 コンラッドはちゃんと服を着て、ヨザックさんが部屋に置いて行ったコンラッドの剣を握り締めて、殺気立った様子で飛び出してくる。 「……くっ!」 いつもわたしや有利には涼しい顔しか見せないコンラッドが、珍しく本当に悔しそうに歯軋りしている様子を見ていると、わたしの怒りなんかどこかに消え失せてしまった。 だって、コンラッドの新しい一面を見られたことの方が嬉しい。 くすくすと笑い出したわたしに、コンラッドは毒気を抜かれたように目を瞬く。 「?……あいつに怒らないのか?」 「うん、でもコンラッドが元に戻って嬉しいから」 小さいコンラッドはとても可愛くて、わたしが見たことのないコンラッドの姿を見ることができて嬉しかったけど、やっぱりわたしの恋人は今のコンラッドだから。 今のコンラッドのわたしが知らない顔を見ることができたのは、小さなコンラッドを見た以上に嬉しいかもしれない。 「元に……やっぱり子供になっていたのか……」 コンラッドが決まり悪そうな様子を見せるから、腕にするりと抱きついて楽しくその顔を見上げる。 「あのね、すっごく可愛かったよ」 「……嬉しくないな」 「そう?すごく可愛かったのに」 「なんだかは俺が元に戻らなくてもよかったみたいだ」 「そんなことないよ。だって……ねぇ、キスしていい?」 「え……」 驚くコンラッドの返事を待たずに背伸びをして、コンラッドの服を掴んで引き下ろしながら軽く唇を重ねた。 「可愛かったよ。でも、こんなことはできなかったからね」 「……」 さっきまでものすごく怒っていたコンラッドは、苦笑するとわたしを抱きしめようと腰に手を回してきて……腕の中の閉じ込められる前に、コンラッドを横に押しのけて部屋に戻る。 「……?」 ベッドサイドの小卓に載せていた、小さなコンラッドからのツェリ様とお父さんへ向けてのプレゼントを手に取ると、入り口で戸惑っているコンラッドを振り返る。 「帰ろっか、血盟城に」 「……俺にはここがどこだか、事情もさっぱりなんだけどね」 「ちゃんと説明するよ。でもヨザックさんがもういないから、まずは帰らないとね」 大人のコンラッドとふたりきりでお泊りなんてなったら、有利が知れば卒倒ものだし。 「ヨザックなら、ここから遠くないところにいるさ」 「え?」 「俺はアニシナの薬を飲んだわけだから、もしも副作用が残っていたとき、を護る必要があるからね。俺にはどこにいるか具体的な居場所は悟られないようにしながら、どこかから城に帰るまでは見てるだろう」 「ふーん」 コンラッドがこう判っているのだと、ヨザックさんも知っているんだろう。 やっぱり信頼だなあ。 かなり羨ましくて、ちょっと悔しくて、入り口のコンラッドのところまで戻ると二つの包みを手渡した。 「これは?」 「これはね、小さいコンラッドが買ったお土産なの。渡すときは、わたしも一緒に行くって約束したのよ?……だから今度、連れて行ってね」 いつの日か、きっと。 コンラッドの故郷に。 コンラッドのお父さんが眠る土地に。 「よく判らないけど、とならどこへ行くのも大歓迎だ」 「……コンラッドのその話術は天然のものだったんだよねー」 自然にそんな言葉が出てくるところは、子供の頃からだったんだと判っただけでも今回の騒動はわたしには結構、意義のあるものだったりして。 「……子供の俺は一体に何を言ったんだ……」 「コンラッド、ひょっとして自分に嫉妬ー?」 「俺のに色目を使うのは、例え俺でも俺の意識がないなら許せないからね」 「変な理屈!」 澄まして答えるコンラッドがおかしくて、その頼りがいのある腕に抱きつくと、背伸びをしてもう柔らかくふっくらとはしてない、大人の男の人の頬にキスをした。 混血の劣等感は根深いのだとヨザックさんは言っていた。コンラッドは、今はもう乗り越えたのかもしれないし、本当はまだ抱えたまま、覆い隠しているのかもしれない。 ただ判っているのは、コンラッドの中には、あの小さかった、寂しそうな子供がかつて確かにいたことだけ。 あの小さなコンラッドの寂しさを、恐れを。 少しでも和らげることができますように。 これ以上はコンラッドにも……誰にも、広がることがありませんように。 わたしにできる努力は、きっとまずそこからなんだとコンラッドの腕を強く抱き締めた。 |
予想外に長くなったちびコンラッドの話は終了です。 コンラッドには「愛された記憶」と同時に「迫害された記憶」もあるだろうということで。 有利が来た時でさえ、ヴォルフもその裏に愛情を持っていながら表には憎まれ口や 侮蔑しかまだ出せなかった状態ですから、コンラッドが子供の頃、しかも家族じゃ ない貴族に囲まれていたのは苦痛の記憶だっただろうという想像です。 テーマが重くなるので、軽く流しましたけれども、それでも長引いてしまった……。 そして今回はヨザックが珍しく、恐ろしい目に遭わない話でした。 その後はどうなったか判りませんが(^^;) |