「今日はバレンタインだな」

キッチンから漂ってくる甘い匂いに、大学から帰ってきた勝利は嬉しそうに一人で頷いている。
そう言いながら、の顔を見にキッチンに行かずにそのまま部屋に帰ったところをみると、チョコを貰って来てて部屋に置きに行ったのだろう。
勝利の癖に。どうせ義理ばっかに決まってる。
自分が義理ばっかりだったのでそう決め付けていると、エプロンを外してがリビングに移動してきた。
「できたのか?」
「あとは焼くだけ。今年はココアクッキーだよ」
「大量に作ってたよな」
毎年は男に義理チョコは渡さない。渡す相手がいないともいう。居合と弓道の道場では配るとキリがないらしい。同性の友達に友チョコというのはあげていたけど、当日の今日焼いているのはおれと勝利と親父の三人分のはずなのに。
「……コンラッドの分?」
「渡せるかわかんないけどね。あとヴォルフラムとグウェンダルさんとグレタとヨザックさんとギュンターさんにも」
ヨザックさんとグウェンダルさんには会える確率がさらに低いけど、と笑って付け足した。
「グレタ?グレタにも?」
「お菓子だし。可愛い姪っ子に友チョコみたいなもんでしょ」
「そりゃそうか……ん?」
一度は納得したものの、ふと一人抜けていることに気が付いた。
、村田には?」
「渡しに行くの、面倒」
「さ、さみしいこと言ってやるなよ……」
他人事ながらちょっと不憫になる。本命というならおれも阻止するが、義理ならあげてちょうだいという気分になるから不思議だ。
「じゃあ、近いうちに会ったら有利が渡しておいてよ。義理チョコなんだから人づてでもいいでしょ」
ますます寂しいお言葉だった。


そういうわけで、おれが持っていたのは村田宛てのチョコレート菓子だった。
それが防水ばっちりの袋に入れられていたのも、単にコンラッドたちのために用意した物を流用しただけで、はっきり言って村田に対する扱いはぞんざいだ。
だけどおれだけがスタツアした現状では、の作ったバレンタイン菓子は眞魔国にこれひとつ。
村田宛て、ひとつ。
現れたのが噴水だったので、身体を温める意味だけですんだ風呂から上がってきたおれは悩んだ。
これを誰にあげるか、だ。
「……まあ、普通に考えればコンラッドかグレタだよな……」
おれがこっちに来ちゃった以上、村田に渡すのは無理だろう。
なら恋人のコンラッド。
……だけどこれ、別の男宛てなんだよなあ……。
「ユーリ!」
決めかねているうちに、グレタとヴォルフラムが脱衣所に飛び込んできた。
「おわっ!こ、こらグレタ、女の子がいけませんっ」
「ユーリはグレタのお父様だからいいんだもん」
ズボンだけは履いてて助かった……。
「なんだ、ユーリ。風呂に菓子など持ち込んで」
ヴォルフラムがおれの手にあった半透明色の袋の中身を見て眉をひそめた。
こいつは育ちがいいから結構礼儀作法とかこういうことにはうるさい。
「別に陛下が持ち込んだわけじゃなくて、こちらに来た時に持っていらしたのだろう」
一緒に入ってきていたらしいコンラッドが苦笑しながらフォローしてくれた。
「そうそう、に頼まれて預かってたやつだよ。あっちではちょうど昨日がバレンタインだったからね」
「バレンタイン?」
「あちらの風習で、恋人同士でプレゼントを贈り合う日だ。花や菓子なんかを……」
「ああ、そっか。アメリカなんかじゃそういうふうなんだっけ?」
微妙に地球の風習も知ってるから、とコンラッドを見たら真っ青になっていた。脱衣所は風呂の暖気が流れ込んでてあったかいくらいなのに。
「陛下……は一体誰に……」
「え、村田だけど………あっ!」
ますますコンラッドの顔から血の気が失せて、おれは慌てて両手を振った。
「待て、違う!誤解だ、コンラッド!」
「猊下に……そうか……そうですよね……俺はチキュウでは一緒にいられない……」
「あー!待て、コンラッドーっ!誤解したまま行くなー」
こんなことでこじれたら、おれがに嫌われてしまう!
……もとい、コンラッドが可哀想だ。
フラリと脱衣所から出て行くコンラッドを追いかけようとしたら、ヴォルフラムに掴まった。
「こらユーリ!外には服を着てから出ろっ」
「ああ、もう判ったよ、判りましたよ!服着るからお前は、コンラッドを引きとめてろよ!」
「止めなくても、どうせ外で待っている。あいつはユーリの護衛だぞ。そのままいなくなるはずがないだろう」
「あ、そう……」
焦ることはなかったか。
服を着て脱衣所から出ると、確かにコンラッドは待っていた。
待っていたけど、ものすごく複雑そうな顔で、目の前の男と対面していた。
「やあ、渋谷」
「村田!?お前、来てたの!?」
「僕も午前中についたところだよ。ところでそのお菓子」
「あ……いや、これは」
「これはから猊下にだそうです」
「いらんこと言うな、ヴォルフっ!」
「ああ、バレンタインだもんねー」
村田は至極当たり前として頷いたけど、それは今のコンラッドにはとどめの一言だった。
壁に押し付けた拳に額を当てて、その背中は今にも何か叫び出しそうな雰囲気だ。
「義理だからな村田、義理チョコだかんなっ!?」
「判ってるよ。何強調してるのさ。変な渋谷だなー」
この状態で本当に村田に渡していいものか迷っていると、村田はおれの手からさっと奪い取って袋を開けるとグレタに差し出した。
「食べるかい?」
「いいの?」
「せっかくの真心だから、みんなで分けた方が彼女も喜ぶよ」
喜んでいるグレタを見ると、それはコンラッドにあげてちょうだいとは言えなくなった。
第一、村田宛てともう判っているものを回されるのは嫌だろう。
だというのに村田はヴォルフにもおすそ分けして、さらにコンラッドの背中に声をかけた。
「せっかくだからウェラー卿も食べる?」
ビシリと壁が音を立てたのはきっと気のせいだと思う。
思うけど、そんな雰囲気が漂っているのが恐ろしい。
「コココ、コンラッド!あのさあ、日本でバレンタインっていえば、義理チョコっていうのがあるの。義理なんだよこれ!」
「ああ、ウェラー卿は欧米式しか知らないんだっけ?」
ようやく気付いてくれたらしく、村田はヘラヘラ笑いながらコンラッドの肩を叩いた。
「あのねえウェラー卿。渋谷の言うとおり、日本では恋人にだけじゃなくて、家族や日頃世話になっている相手にもチョコレートなんかをプレゼントする風習になっているんだ。
友達とか、会社の上司とか同僚とか」
ようやくコンラッドが振り返った。その表情は一見落ち着いているけど。
「きっとウェラー卿の分もあっちで作ってるよ。でも、彼女が来ないことには食べられないんだし、『僕に宛てた』お菓子で我慢したら?せっかく彼女のバレンタイン菓子なんだし、食べておいたら彼女も喜ぶと思うなぁ」
今、「僕に宛てた」に妙に力が入っていなかったか?
コンラッドは拳を下ろして、ゆっくりと首を振った。
「……いいえ、俺は結構です。それは『猊下に宛てられたもの』ですから、どうぞ猊下がお召し上がりください」
まるで抑揚のない声でコンラッドが突っぱねる。
「そう?」
村田は首を傾げてグレタと、こんなところで食べるのかとちょっと渋い顔のヴォルフラムと一緒にその場で食べてしまった。元々少量だったからすぐになくなる。
おれも勧められたけど、コンラッドが憐れでいらないと断る。
「そうだよねー、渋谷は渋谷で焼きたてをもらってるもんね」
コンラッドが再び壁に手をついた、そのとき。
おれの後ろで脱衣所の扉が開いた。
「お風呂に出てラッキーって思ったけど、着替えがないと意味がなーい……って有利!ちょうどいいところに。着替え持ってきてくれない?」
!」
!」
おれとコンラッドの喜びに満ちた声が重なった。よかった、これでコンラッドが報われる。
大歓迎を受けて驚いたは、脱衣所に引きながらおれとコンラッドを交互に見た。
「な、なに?」
!コンラッドにチョコレートを!」
「え、あ、ごめん、持って来てない」
濡れた髪を後ろに払いながら、はあっさりとそう言った。
「持って来てないっていうか、持って来れなかったの。だってお風呂掃除してたんだもん。あ、グレタ!グレタにお菓子作ったのに、持ってこれなかったよー」
コンラッドより遭遇回数が貴重なグレタに気が付いて、はそっちの方が残念だと言うような言い方をする。は今までのこっちのやり取りなんて知らないから。
「クッキーでしょ?猊下に分けてもらったよ」
「ほんと?よかった、ごめんね村田くん、ありがとう」
「せっかくの『バレンタイン』クッキーだからね。彼女達に渡せないと、君が残念だろうと思ったんだー」
村田。お前、わざとだろう。
横にいるコンラッドが今どんな格好でどんな顔をしているのか、見ないのが武士の情けだと思った。おれ武士じゃないけどね。








あまりにコンラッドが可哀想なので、続編を予定しております……。

追記で続編です。
隔離部屋な内容なので(年齢制限はありません)、隔離部屋のご注意を
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続・青い鳥はどこに


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