乗船するとすぐに出港前の慌しさを利用して、船の中を一通り回っておいた。 出港準備が完全に整い落ち着いてからでは人の目があり、王の許可が降りたとはいえ所詮は他国の者である俺の行動は制限される恐れがあったからだ。 船倉の、さらに奥まで確認してその積荷に絶句する。 なるほど、貢ぎ物は金銀財宝だけとは限らないものだ。 「……ユーリたちがこちらにいなくてよかった」 こちらの船にいたからといって船倉まで降りてくるとは思えないが、別の船なら絶対にこれを目にすることもないだろう。 陰鬱な気分に首を振って甲板に戻る階段に足をかける。 すでに船は動き出した様子だが、出港直後の慌しさにしても上が妙に騒がしい。 甲板に上がってみると、いるはずのない姿があった。 淡い金の髪を潮風に弄らせて、サラレギーが旗艦に向けて微笑みながら手を振っている。 不審に思って旗艦に視線を転じて、その船尾に見つけた姿に声を失った。いや、叫びたかったのかもしれない。 「……」 甲板に伏せろと、叫ぶ間もなく船と船が衝突する衝撃で、が海へと投げ出された。 EXTRA7.選べなかった未来(11) 「ーっ!」 甲板の端まで駆けつけて、柵を掴んで身を乗り出して海を覗くがその姿はどこにも見えない。戦場になっている旗艦の戦場から木箱や樽が落ちて海に沈んでいく。 ぞっと身体中の血の気が引いた。 すぐにでも飛び込みそうになる身体を、どうにか甲板に留める。身一つで俺まで飛び込んで、それで俺に何かあればを助けることもできない。飛び込んで俺がどうかなってしまった場合でも、が助かる確率を上げなくてはならない。 全身が心臓になったのではないかというほどの鼓動の中で、甲板に設置されていた救命道具を探して海に放り投げ、飛び込む位置の目安が欲しくてもう一度の姿を探すが、どこにも見当たらない。 これ以上我慢なんてできなくて、柵に足を掛け今度こそ飛び込もうとしたとき、海面に黒い影が浮かび上がった。 「っ!」 海面まで上がってきたが救命道具に手をかける。 「!そのまま掴んで!絶対に放さないでくれ!」 俺の声が聞こえているのかいないのか、は救命道具に手をかけたまま俺を見上げる。 「、掴んで!」 ひょっとして気を失ってこそいないものの、水面に叩きつけられた衝撃で意識が朦朧としているのだろうかと、もう少し身を乗り出した。 俺の声が聞こえていなくても、気をしっかり持っていれば近くにある救命道具を掴みそうなものなのに。 俺が海に飛び込もうする寸前に、は救命道具を抱き締めるようにしてしがみついた。 よかった、どうやら意識もはっきりしている。 救命道具と繋いだロープを握り柵に足を掛け、とにかく急いでそれを手繰り寄せる。ロープに先に掛かる重みが失われる前に。 連日の強行軍に続き、二日も連続で横になって休んでいない。その上船の甲板から落ちて海に叩きつけられるなんて、の体力や握力にいつもより不安がある。 早く早くと急くばかりの心が空回りしているようで、酷く焦燥に駆られた。 柵に擦りながら引き寄せるロープの先に人影が見えて、手にしていたものを放り出す勢いでその襟首を掴む。 力の限りに引き上げ、その勢いで甲板へ転びながら引き上げた身体を腕の中に抱き寄せた。 「っ……無事で……!」 腕の中に、確かにあるその存在に安堵で涙が滲む。 が船から落ちたとき、その姿を海面に見つけられなかったとき、そして引き上げている最中ですら、生きた心地がしなかった。 今ここにいるのだと、それを実感したくて強く抱き締める。 が咳き込みながら水を吐いて、抱き締めたまま慌ててその背中を擦る。 「ああ、海水を飲んだのか。全部吐き出して」 は飲んでしまった海水を吐き出しながら、震える手で俺の腕にしがみつく。 いくら俺でも、こんな状況では喜ぶよりもそれほど怯えていることが何よりも痛ましい。 海に落ちたのだ。それも戦端の合図でもある船同士の衝突の反動で。 どれほど恐ろしかっただろう。 左腕はが抱きつくのに任せて、自由の利く右手で肌に張り付く濡れた髪を後ろへ流して頬を撫でる。そのまま背中まで手を滑らせて再び擦りながら、少しでもの恐怖が和らぐように優しく声をかけた。 「もう大丈夫だ、。ここは船の上だ。君は無事、ここにいるよ。大丈夫だろう?冷たい水の中じゃない。俺の体温を感じて」 「……コ…ン……ラ……」 震えて掠れた声で俺の名を呟き、すぐにまた咳き込む。 「……」 怒号の飛び交う外野の声など聞こえないように、俺の声だけを聞いて、もう助かったのだと実感して欲しい。 は震えながら、ただ俺にしがみついていた。 「ご……めん、なさ……」 まだ震えの残る手で、身体で、俺に手をついて俯いたままがゆっくりと離れた。 「いいえ、ご無事でよかった」 「……ゆ……り、は」 「ヨザックやヴォルフがついています。滅多なことはないでしょう。大丈夫ですか?」 は無言で頷いた。 こんなときまでユーリが優先らしいに、濡れた外套のその下に着ていた、大シマロンの軍服を脱いで肩に掛ける。 「立てますか?」 頷いたに、それでも立ち上がるのに手を貸して、さり気なくその肩を抱き寄せた。 やはりまだ足が震えている。 その自覚があるのか、も少し俺に身を寄せるようにしながら炎上する船へと視線を巡らせる。 「有利……」 「大丈夫です、ギュンターもいますから」 それはに言っているのか、俺自身に言い聞かせているのか判らない。 炎上する甲板から次々と飛び降りる人影が見えるが、その中にユーリの姿がなくて焦燥が募る。ヨザックは何をしている。 「あっ!」 が俺から離れてふらつく足で一歩前へ出た。 「、危ない」 「有利!」 それ以上は前へ行かないでくれと後ろから肩を掴むと、が炎上する船を指差す。 の指の先に、ユーリを小脇に抱えたヨザックがロープを片手に船の縁を蹴り出した姿が見えた。 「有利!ヨザックさん!」 「ここを動かないで!」 を後ろに引き戻して、ロープの慣性の動きでこちらに飛び移ってくるヨザックたちの着地点を目算しながらその地点へと走り込む。あの状況ではユーリが危険だ。 「ヨザック!」 俺を確認したヨザックは一瞬だけ考えたようだった。 「早く!」 促すまではなかったのかもしれない。 ヨザックがすぐに俺に向かってユーリを手放して、三つ数える間にその身体を抱き留めることができた。 勢いがついていたこともあるが、より重い身体を腕にして、やはり同じようにその存在に安堵の息が漏れる。 「お怪我は」 「……ないよ。それよりは……」 やはりユーリもまずなのか。 抱き留めた身体を甲板に降ろすと、を捜すように首を巡らせる。 「有利!」 俺の後ろから、転びそうな勢いで駆けつけたがユーリに抱きついた。 「よかった!無事でよかった!」 「うわっ、冷てっ!ってお前まさか……」 駆けつけてきたを抱き留めたユーリは、濡れたに海に落ちたのだと気付いたのだろう。蒼白な顔色でを覗き込む。 「無事でよかったのはお前のほうだろ?」 互いの無事を確認し合いながら、波の合間にヴォルフラムとギュンターの姿を見つけて息をつくと、ユーリはの肩を抱いてマストから降りてきたヨザックのほうへと歩き出した。 「ヨザック!」 ユーリに肩を抱かれたは、俺を振り返って何か言いたそうな顔をする。 だが結局、何も言わないまま背を向ける。 その向こうで、小シマロンの船が二隻、轟音を上げて海へと沈み行く姿が見えた。 「ウェラー卿」 とユーリの姿が湯を使うために扉の向こうに消えて、護衛にはヨザックが残るので俺は退散しようと背を向けたところで呼び止められた。 船の持ち主は、もう船を沈めた衝撃から立ち直ったのか微笑みすらたたえている。 本当に衝撃を受けていたというのなら、大した切り換えようだ。 「ねえウェラー卿。聞きたいことがあるのだけど」 「なんでしょう」 「あなたととの関係」 立ち止まった俺の横を通り過ぎたサラレギーの背中から目を外して後ろを見ると、まだ充分な距離が空いていなかったせいでヨザックもこちらを見ていた。 そんな目で睨まなくても、俺が迂闊なことを言うはずがないだろう。 「関係と仰られましても、特には」 「そう?でもとても大切にしているように見えたよ?彼女が海に落ちたときは、わたしもひやりとしたけれど」 ゆっくりと歩く後ろに従いながら、一部始終を見られていたのかと出そうになった舌打ちを堪える。 あの時はとユーリのことばかりで頭が一杯になってしまって、その間この男が何をしていたのか注意しておくことをすっかり失念していた。 「単に海に振り落とされた者を宥めていただけです。か弱い女性にはさぞ恐ろしい体験でしょうから」 「本当に、それだけ?」 「と言われましても」 「それが本当なら、わたしとしても安心できるよ」 「安心、ですか」 「そう。安心だ」 貨物船に急遽用意させたという王の自室へ着くと、サラレギーは楽しそうに目を細めて振り返る。 「だって彼女はとても魅力的な女性だろう?眞魔国の王妹が大シマロンの一介の将を相手にするとは思えないけれど、やはりね……あなたが彼女を特別視しているとなると落ち着かない」 眉一つ動かさず楽しげなその視線を受け返したつもりだが、それでもサラレギーは微笑をたたえたままだ。 「せっかくわたしを護ると言ってくれたあなたにも、申し訳ないしね」 わざわざたちの前で護ると言わされたことを思い出して、腹の底から不快感が込み上げる。 「ねえ、じゃあ本当に彼女とは何でもないんだね?」 「邪推は女性に失礼ですよ」 「ああ!そう、そうだ。おかしな誤解を受けると彼女が気の毒だったね」 「ええ」 納得したように手を打ったサラレギーは、俺を見上げたまま軽く首を傾げる。 「それなら、あなたにはわたしに協力してほしい」 「……協力?」 「そうだ。だって彼女のことを、わたしよりは知っているのだろう?あなたの知るのことを教えてもらいたいと思うんだ。わたしも彼女に興味を持ってもらいたいからね」 「……残念ですが、私はそれほど親しい間柄ではありませんでしたので、お教えできるほどのことはないのです」 「そうなの?意外だな。随分親しそうに見えたのに」 「それはきっと、殿下が私のような身分の者にでも気安くされるお優しい方だからでしょう」 「なるほど、確かに彼女はとても優しい女性のようだったね」 部屋に入るその背中が、後ろから蹴りつけてやりたいほどに憎らしかった。 俺が蹴りつけてやりたいと心の底から沸きあがる衝動を堪えているとは気付いていないはずだが、振り返ったサラレギーは俺を見上げて楽しそうに笑う。 「美しく、心優しい王妃……なんて、とても絵になるとは思わない?」 この航海にはヨザックも付いてきている。 だが、あいつ一人ではユーリと、二人共を護りきるのに充分とは言えないだろう。 俺にできることなど限られているが、それでも傍にありさえすれば、もしものときはこの身を盾にくらいはできる。 閉じられた扉を前に、長い船出を思うと、心配でたまらない。 それなのに、が同じ船にいることに幸せを覚えてしまう自分が何よりも卑しく思えて仕方がなかった。 |
敵の本心が判らないだけに不安で一杯の次男の孤独な戦い。 出発前からサラレギーとは牽制のし合いが始まりました。 |