「陛下は既に王宮にはおられません」
大シマロンからの使者への対応に出てきた大臣は、きっぱりとそう言い切った。
言われた使者は、意外な話に驚きと不愉快を混ぜたように表情を曇らせる。
使者とはつまり、俺だ。
「王宮にいらっしゃらないとはどういうことか。本日、陛下をお訊ねすることは事前に報せていたはずではないか」
「存じております。ですが、こちらにも時間的な都合がございまして……」
「都合?」
「潮流の関係です」
「……サラレギー王が外洋に出られるというのは真の話のようだな。一体いつ王宮を出立されたのか」
「十日ほど前に」
無表情を保とうとする俺に、目の前の大臣はしてやったりとばかりににやりと笑う。
殴りつけてやりたいと思った瞬間だった。



EXTRA7.選べなかった未来(1)



小シマロンが聖砂国と国交を開こうとしている。
その情報は大シマロンの王宮を震撼させた。
こういうとき、俺はここにいてよかったと思う。
小シマロンの単独の行動に対する、大シマロンの対応を正確に知ることができる。
ベラール二世と四世が揃った御前会議の行方は、小シマロンの暴走を掣肘すべしというものが大勢を占めていたが、とある貴族の発言で様相が大きく変わる。
「お待ちください、皆様方。確かに小シマロンが聖砂国と誼を結ぶとなれば捨て置けません。しかし、その縁を我々にも献上する……すなわち、我が大シマロンと聖砂国の仲立ちをするということになれば、殊更に押さえつける必要もないのでは?」
以前から小シマロン寄りだった男だ。どうせ金でも掴まされているんじゃないだろうかと胡散臭い目で見ている者は、俺以外にも少なくない人数がいた。
「ふむ……」
だが、それでもベラール二世がその意見を考慮するとなれば話は別だ。
冷や汗が背中を流れる。
大シマロン、小シマロンの両国が、あるいはどちらか一方だとしても、本当に聖砂国と国交を開くとなると、眞魔国には脅威だ。
「クロード卿の意見には聞くべきものがある。まず事の真偽を問い、そして真実、小シマロンが聖砂国と連絡を取れる体勢にあるのならば、宗主国としてその縁が正しいものかどうかを見定めねばなるまい。だれぞ使者を……」
「わた……」
「私にお命じいただきたい」
意見を出した男を差し置いて、抜け抜けと手を上げた。
意見を出した者が実行するべきものを、提案が採用された途端にしゃしゃり出るような輩は他人の功績を盗む者と見られても仕方がない。
だが、ここは他人には譲れない。
「ウェラー卿、貴方はまだ我が国での日も浅く、功を焦る気持ちは判らんでもないがね……」
「この度の小シマロンの勝手な振舞いは、大シマロンに対する隔意があるとも取れること。大シマロンの使者として赴いたからと言って、危険がないとは言い切れないでしょう。失礼ながらクロード卿はあまり武術がお得意ではない。貴方の知略は我が大シマロンには貴重なものだ。危険のある任務に赴かれるべきではない」
会議場に小さなざわめきが起こる。
小賢しい論法だ。それは俺も充分に判っている。だが小石でも投げられるときに投げておくべきだ。小さな波紋も、伝わり広がれば大きな揺れになる。
小シマロンが、大シマロンに対して含むところがあることは、誰の目にも明らかだろう。
だがそれがはっきりとした形で現れるとは、まだほとんどの者が考えてない。
俺はその可能性を口にしたのだ。ある意味では正直すぎる危険な発言だった。
「こ……これだから軍人は困る。すぐに何でも争いごとと繋げて考えようとする。国交を開くとは元来、軍事協定の意味合いよりも貿易などの文化的交流が主となるものだ」
「正論です。ですが常に正論が現実となるわけではない。事が起こってからは遅いでしょう」
「両者ともそこまでだ」
ここで割って入るのは常に国王であるベラール四世ではなく、その叔父の二世だった。
誰が国主だか判らないのが大シマロンの現状だ。
「使者にはウェラー卿を派遣する」
「殿下!」
席を立つ論争相手を無視して、俺は拝命を受けて一礼をする。
「まあ待て。私はなにも、そなたの考えを退けたつもりはない。卿には私の……陛下のお傍にあって、常にその知略を役立ててもらいたいと思えばこそ、あまり王都から出て欲しくないのだ」
ベラール二世の腹は読めている。恐らくベラールもこの男が小シマロンと個人的な繋がりがあることを警戒しているのだろう。何でもいい、俺には好都合だ。
臣下を宥めるベラール二世の白々しい言葉を聞き流しながら、この話が事実であった場合にどうやって眞魔国に伝えるべきかに思案を巡らせていた。



思った以上に早い小シマロンの動きに、王宮を出て街に降りる長い階段を下りながら忌々しい思いで舌打ちをした。
ランベールからここまで、早馬で駆けて来たから従者は一人しか連れていない。
サラレギー王は俺一人で追うから、小シマロンの動きを国許に伝えるため先に帰るようにと指示を出すと、従者は慌てて先に駆け下りて行った。
その後姿を見ながら溜息が漏れる。
大シマロンや小シマロンに潜り込んでいる眞魔国の諜報員の耳に入るように噂を流すのでは遅すぎる。白鳩便は裏切り者の俺からでは匿名と同じくらい信憑性に欠ける。
あるいはグウェンダルなら信じてくれるかもしれないが、情報元が俺では表立って動くわけにはいかないだろう。
早足で王宮から遠ざかり、荷物を取りに宿に向かっていると激しい水音が聞こえた。
顔を上げると、時間帯の問題なのか大通りなのに人の少ない広場の噴水に人影があった。
この季節に水浴び?
不審な影に警戒しながら近付いて、足が止まった。
あまりの事態に、思考も止まる。
「うえっ、また水飲んじゃった……」
苦しそうに咳き込みながら落ちかかる水の陰から出来てきた人物は。
………」
呟きは流れ落ちる水音に掻き消されて、噴水から這い出ようとしている彼女の耳には届かなかったようだ。
何かを手にしていたのか、が急に勢いよく転んで噴水に頭を突っ込む。
……」
思わず一歩足が踏み出したのに、そこで硬直して足が止まった。
あの夜のように、再びに拒まれたら。
そうしている間に、は自分で起き上がって頭をさすりながら落ちる水の真下から這い出てくる。濡れて見えにくいのか目を擦りながら周囲を見回して、それが街中だと気付いた途端にあっと声を上げて両手で頭を抱える。
黒髪を晒せば大変なことになる。
それが判っているのだろうの行動に、俺もそれどころではなかったと気づいて慌てて上着を脱いで噴水に入った。
は近付く人影に驚いたらしく俺を見上げようとして……その前に視界を遮るよう脱いだ軍服を頭から被せた。
「わぷっ……!って……」
予告もない一方的な行為に、が小さく呻いた。
その手が、被せられた軍服の裾を握る。
「ありが……」
「なぜ……」
何かを言おうとしたと、声が重なった。
たった一言だ。
だがそれで相手が判ったのだろう。
の言葉が止まった。
俺の上着を握った手に、震えながら力が込められる。
恐ろしいものを見るようにゆっくりと顔を上げ、軍服の隙間から窺うような視線。
その驚愕に見開かれた目に、次に浮かんだのはかつてのような喜びではなく、大きな不安だった。
「コ……コン……ラッド……?」
首を傾げながら、掠れて不安に満ちた声で俺を呼ぶ。
どうしてここにいるのかという考えがありありと見えた。
だが俺にとっては、こそどうしてこんなところにいるのか、だ。
少し考えるようにしていたが、何かを思いついたように息を飲む。
「コンラッド!」
その両手が伸ばされて、自然に抱き留めそうになる。
慌てて肩を掴んで引き離した。ここで抱き締めたりすれば、大シマロンでのあの夜の意味がない。
「どうしてあなたがこんなところに……いや、愚問か……。巫女が呼び寄せに失敗したのでしょうね」
よほど動揺していたのか、質問を口にするまで回答を思いつかなかった。
がこんな寒い季節に自ら噴水に飛び込むはずがない。
とユーリの移動はほとんどの場合が水を通って行われる。
つまり、そういうことだ。
そんな簡単なことも咄嗟に判らないほど動揺した自分に呆れて溜息が漏れる。
巫女の失敗なのか、眞王の采配なのか、どちらにしてもなんて恐ろしいことをしたんだ。
もしも今日でなければ……あるいはほんの少しでも時間がずれていれば。
は、よりにもよって小シマロンの首都で一人放り出されたことになる。
まさかユーリまで同じ目にあっていないだろうかと少し不安に思ったが、そう立て続けに失敗ばかりはしていないだろうと考えることにした。
そう思う以外にない。俺にはもう、巫女からユーリの到着する場所を聞く術がない。
が寒さに震えて、この寒い中で考え込んでいたことに慌てての手を取った。
「とにかく、水から上がりましょう」
ごく自然な行為だった。
それを力一杯に振り払われる。
急激に血の気が引いたように感じて、それこそ背筋に寒気を覚えたほどだ。
こうなるように自分で仕向けたというのに、俺だって何度もの手を振り払ったのに、たった一度のことで、苦しくて一瞬息が詰まる。
「ひとりで、立てます」
冷たく凍えた声は強く俺を拒絶していて、再び手を差し出すことができなかった。
なんて情けない。
は震える足を叩いて叱咤しながら、無理に力を込めて立ち上がる。
今までなら、断りもなく抱き上げた。
今だってそうすればいい。
いつまでも水の中にいたくないから、だから荷物を運んでいるだけだと言って抱き上げればいいのだと……判っているのに、拒絶されることが怖くて手が出なかった。
はあんなにも繰り返し俺に手を伸ばしてくれたのに。
何度も崩れそうに膝を落としながら噴水から出たは、俯いたままずっと無言だった。
俺も何を言えばいいのか判らなくて、しばらく逡巡する。
だがの身体が冷たい風に震えている様子を見て、今度こそ自分の意志での手を取った。
「こちらへ」
当たり前だが再び手を振り払われる。
だが今度は予想していただけ、傷付くことはなかった。
だからわざとらしく、深く溜息をつくだけの余裕もある。
「そんな姿でどうするおつもりです。こんな季節に噴水に入っていたと周りにも奇異の目で見られています。すぐにその髪と目をさらして、人間たちの手に掛かりたいんですか? こちらにおいでなさい」
「だ……だって……」
言い淀むその先は判っている。
俺の手は借りたくないんだろう。
はこう見えて、かなり頑固で意地っ張りだ。
こんなところまでユーリと似ていなくてもよかったのに。
「……裏切り者が信用ならないと、どうやら学習されたようだ。大変結構。だが非常事態においては、事情を知る者を利用する強かさもお持ちになられるとよいでしょう」
「違う!」
が時々見せる合理的な考えを引き出そうと嫌味を含んだ口調で言うと、途端に大声で否定される。
何が違うのか、思わず口を閉ざしてしまったが、はまるで今にも泣きそうな顔をするだけでそれ以上は何も言わない。
苦しそうな、哀しそうな、その黒い瞳を見つめることができなくて、後ろにずれて落ちかけた俺の上着を引き上げる。髪が外に零れて見えることのないようにするふりで、何かを含んだような視線を遮った。
とにかく、早く着替えないとが風邪をひく。
ただでさえ病気なんてさせたくないのに、おまけにこんな人間の土地でとなると心配どころの話ではない。
強引に、振り払ったり出来ないように強く二の腕を掴んだ。
それをも感じたのか、今度は振り払う素振りもなく俺に引き摺られるままに歩き出す。
小シマロンの首都に、変装することもその道具もなく現れて、味方は誰一人おらず、目の前には裏切り者がいるだけ。チキュウから来たばかりなら、金だって持ってないはずだ。
本人はまだ何も把握出来ていないだろうけれど、こんなに過酷な条件はない。
だからせめて今は、今だけは。
俺がこの手を引くことも、仕方がないと受け入れてくれたらいいのに。







めざマのコンラッド視点のお話。
原作では判りませんが、うちではコンラッドは使者の役をもぎ取ってきた設定です。

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