とにかく、一旦街で宿を取ることになった。強行軍で進もうにも、もう日が落ちる。 砂熊の巣穴に落ちたりして馬も限界だ。 本音で言えば、俺ひとりなら馬を替えてこのまま首都まで行ってしまいたい。 だがヴォルフラムにはきついだろうし、砂漠で夜間の行軍は危険だ。砂熊のような罠が他にもないとは限らない。 それにしても、どこまでヴォルフラムには話したものだろう。 ヴォルフはを気に入っている。グウェンダルと駆け落ち者と勘違いされて鎖で繋がれたなんて知れば、騒ぎ出すに決まっている。 グウェンなら、冷静に対処して追いつく頃には鎖もどうにかしている可能性も高い。 余計なことは言わない方が賢明というものだ。 おれも、今はヴォルフに揺さぶられたくない。 EXTRA2.不安な時は(2) 翌朝早く、出発というときになってヴォルフラムは驚いた事を言い出した。 「もしお前がつらいのなら、魔笛探しに同行しなくてもいいぞ。ここから引き返せ」 驚いて目を瞬いた。 「また、どうして」 「だってお前は、あいつと顔を合わせたくないだろう。魔笛のある場所には恐らく、ゲーゲンヒューバーがいる」 相変わらずお前呼ばわりだが、少しは気を遣ってくれているらしい。数ヶ月前と比べたら格段の進歩だ。 「お前がいなければ、ユーリもぼくに頼るだろうしな!」 本音半分、照れ隠し半分の付け足しに、思わず笑みが漏れる。 「はいはい……俺は大丈夫だ。私情に囚われてすべきことを見失いはしないよ」 「だといいが………」 「それに、がいる」 スヴェレラの首都の方角に首を向けながら、吐き出す息とともに声を零した。 「必ず戻ると、約束したんだ」 「………なら仕方ないな」 ヴォルフラムは、口の中で小さく言って馬に上がった。 言えば怒るから絶対に口にはしないけれど、可愛い弟だ。 スヴェレラの首都についた頃は、もう日暮れだった。 明かりがついている店といえば、酒場か娼館くらいのものだ。 それにしても、その花街にまで活気がない。 ユーリが眞魔国に召喚されるようになってからは王都に落ち着いたが、それまでの十数年間、俺は結構あちこちを旅していた。 だが大抵、どこの町でも夜の花街は活気に満ちているものなのだが。 酒場にこんなに客が少ないとは誤算だったが、とにかく手分けをして開いている店で聞き込みをすることになった。 調子が悪そうで部下に押し付けるのは忍びなかったヴォルフラムとは俺が行動する。 「気分が悪い…この街には法力に従う要素が満ちている。しかも法術士の数も多い」 久々に呟いた声は、今にも吐きそうだ。 「俺には魔力の欠片もないから、そういうことは判らないけど。辛ければ宿で……」 「うるさい。ユーリとをお前ひとりに任せられるか」 憎まれ口をきく気力があれば、いきなり倒れたりはしないだろう。放っておこう。 人の声のしない娼館の前を通り過ぎるときに見ると、ヴォルフの顔色の悪さは増していた。 「そんなに法力に従う要素が多い街で、グウェンダルは力を使えるだろうか」 「魔術や魔力に頼らなくても、兄上は十分に立派な武人だ。だが、正直なところこれだけ魔族に不利な土地で、魔術を自在に操れるのは、母上と……」 ヴォルフラムはらしくなく逡巡する。それだけで、続きはわかった。 「……スザナ・ジュリアくらいしか、思いつかない」 「そりゃ大変だ」 この弟は、自分でポーズを取っているほど冷たくはないのだ。嫌いだと公言している俺にこんな気遣いをする。 そんなに気にすることはないのだと軽く言うと、二階建ての建物の角を曲がった。 表通りから一歩はなれて路地に入ると、たちまち光が少なくなる。 「他の隊の誰か一人でも、陛下と接触できればいいんだが」 「首都で合流と言ったんだから、ぼくらを待っていないはずがない。宿屋に泊まっていないのは、例によってユーリの我が儘だろう。あいつは旅を娯楽かなにかと勘違いしている」 それはお前だろう、という笑いは何とか堪えた。 ちょうど娼館の裏手に来たとき、地下室に通じる石階段から小柄な影が走り出てきた。 避ける間もなくこちらにぶつかる。 「あ、ごめんなさ……」 「ユーリ?」 どうしてその名前が口を突いて出たのか、俺自身が驚いた。 声も背格好も、まったく似てないのに。 「似てないぞ。何を勘違いしているんだ」 ヴォルフラムの不満そうな声を、相手が遮った。 「待って!あなたたち、ユーリを知っているの!?」 相手は被っていた布を後ろに取り払う。ユーリやと同じくらいの年の頃の少女だった。 「知っているもなにも、ユーリはぼくの婚約者だ」 ヴォルフラムがなぜか自慢げに胸を反らす。 「え、あ、じゃ、じゃああなたがあの………」 ユーリが知り合ったらしい少女に自分のことを話していたことが嬉しいのか、ヴォルフは口の端に満足気な笑みを浮かべた。けれど、どうも相手は様子がおかしい。 いけないものを見てしまったかのように、口元に手を当てて小さく呟いた。 だがその呟きは、静かな夜の裏路地では十分に俺たちの耳に届いた。 「ユーリをお兄さんに奪われたという婚約者なのね?」 「なにぃ!?」 月と星の仄かな明かりでもわかるほど、ヴォルフラムの頬が紅潮していく。 驚いたのは俺も同じだ。 前の街で聞いた話、あれはとグウェンのことじゃなくて……。 「どういうことだ!どういうことだ、コンラート!?兄上がまさかそんな、いややっぱりというかあの尻軽!」 「落ち着けヴォルフ。ちょっとした誤解だから」 ユーリとグウェンのことだったのか。 人事となると、俺は冷静に宥めようとする。 まあそれに、女の子のならともかく、心の隅から隅まで男のユーリがグウェンとどうにかなるとは思えない。 「あの、いえ、誤解じゃないわ。あたし二人に直接会ったんだもの。気の毒に、あの人たち追われていたの。お互いに手錠で繋がれて離れられないのよ」 「手錠だとぉー!?」 決定打。やはり前の街での情報は、じゃなくてユーリのことだったのか。駆け落ち者と間違えたから、ユーリを女の子と勘違いしたのだろう。わからなくもないけどね。 「ああ、でもどうかもう許してあげて。二人はお似合いの偽名まで名乗って、末永く幸せになりそうだったもの」 「……その場しのぎとかなんじゃ……」 「そんなことないわ!だってユーリとあの人、ヒューブの従兄弟の人はとても息が合っていたもの。ああでも、もう二人のことは許してあげて。そして助けてあげて。あたしが力になれれば良かったんだけど、一人で抜け出すのがやっとで」 話に出た名前が気にはなったが、それ以上に大事なことが聞けそうだ。 ヴォルフラムは怒りのあまりに我を忘れて、ゴミ箱に八つ当たりしている。しばらく蹴らせておくことにして、俺は泣き出しそうな少女の肩に手を置いた。 「ではきみは、陛……ユーリ達の居場所を知っているんだね?」 「少なくとも何処に連れて行かれるかは、判るわ。正式に別れると誓えなかった場合……寄場送りにされてしまう」 「寄場?」 少女はサイズの合っていない服に掌をこすりつけて汗を拭うような仕草をした。 「法石を採掘している、女が収監される収容所のようなところよ」 「……女が、だよね?ユーリはその……」 「ええ、男の子よね。そういうのが最近はあるって聞いていたけれど、本物を見たのは初めてだったわ。でも想像したみたいにむさ苦しくなんてないのね。ユーリは可愛いし、あの人はヒューブに似てかっこいいし、とてもお似合いだったわ」 後ろでゴミ箱を蹴りつける音が高くなる。あ、壊れた。 「……それで、ではグウェンダル…男の方は」 「監獄行きよ。どこの監獄かまではちょっと、わからないけれど……でも、駆け落ち者ならたぶんあそこ」 ふたりの居場所のアテはできた。ところで、もうひとりの重要な人物の話が先ほどから一度も出ないのはどうしてだ。 ゴミ箱を破壊して、当たるものがなくなったヴォルフラムが戻ってくる。 俺は焦燥を抑えながら、少女の顔を覗きこんだ。 「さっき一人で抜け出すのがやっとだった、と言ったね」 「ええ……優しくしてくれたユーリを置いてくるのは忍びなかったけれど……」 「いや、そうじゃない。ユーリたちともうひとり、ユーリくらいの歳の女の子が一緒だったはずなんだけど」 隣でヴォルフが息を飲むのがわかった。 そう、さっきからこの子は一度ものことを話していない。まさか、会っていないのか? 「ああ、ユーリの妹さんね」 よかった、一緒にいたんだ。 そう、安堵する間もなかった。 「とってもお兄さん想いの素敵な子。追われたユーリたちを逃がすために、馬で追っ手を蹴散らそうとしたの。そこではぐれてしまって……ユーリもとても心配していたわ」 馬で追っ手を………。 「なんだって!?」 今度は、ヴォルフだけじゃなくて、俺も絶叫した。 追っ手に馬で突っ込んだというから、も捕まって寄場に連行されたのだと思っていた。 だけど、グウェンの馬に同乗している姿を見たときは、一瞬呼吸を忘れてしまった。 後悔と、嫉妬で。 ようやくその側に駆けつけると、呆然としたように俺を見上げたまま、微動だにしないに酷く焦った。どこか怪我でもしたのかと思えば、俺に両手を差し出して。 ああ、そうか怪我ではなくて、辛かったのだとようやく思い至る。 抱き締めると、の細い手が俺の背中を掴んで胸が痛んだ。 同時に、至極満たされた。 は、グウェンじゃなくて、俺に手を伸ばしたのだ。 今までの焦燥が全て解けてなくなったような爽快感だった。 やはりは、俺を求めて頼ってくれる。 例えそれが恋ではなくても。 「……会いたかったよぉ……」 その一言で、俺の全てが報われる。 報われて、こんなに満ち足りながら。 だけどやはり足りないと。 欲望には際限がない。 その言葉に込められた意味を知りたい。 ……きみのすべてを、手に入れることが出来たらいいのに。 |
コンラッド側の事情でした。 長くなったので2話に別れましたが…裏側が出るほどに次男の黒さが滲むよう(^^;) 駆け落ち相手と間違われているのが有利だとわかった途端にこれですから…。 |