どうにか砂熊の巣穴から抜け出した時には、隣の弟は息も絶え絶えだった。 無理もない。 地上に出るまでは、吸っているのが空気なのか砂なのか判別がつかないくらいだった。 だがほぼ全員が五体満足で地上に戻れたのだ。 幸運にか眞王のお恵みかに感謝すべきだろう。 砂を吐き出しながらしなびた感じの馬に上がった弟を尻目に、スヴェレラの首都の方角に目を向ける。 あの兄が一緒にいるのだから、滅多なことにはなっていないだろうけれどユーリとが心配だ。 別れ際のの不安そうな表情が脳裡に残っている。 あんな顔をさせたことが申し訳なくて心苦しいのに、あんなにも心配してもらえたと思うと嬉しくて、やっぱり苦しい。 苦しさの種類は、まるで違うけれど。 「申し上げます!」 部下の声に、意識を今に戻した。 「聞こう」 EXTRA2.不安な時は(1) 重傷者はないという報告と、俺の部下のライアンが隊を離脱したという話を受けて、思わず苦笑した。 そういえばライアンは無類の動物好きだった。たぶんあの瀕死の砂熊を介抱して芸でも仕込むつもりだろう。史上初の砂熊使い誕生というわけだ。 兵士が前方に着くのを見届けて、隣のヴォルフを見やる。 ムッとした表情は、怒ったふりで拗ねているのか。 「そんなに落ち込まなくても」 「なじぇぼくが落ち込まなくてはならないんじゃり!?」 「……まずは口の中の砂を全部吐き出せよ」 「うるさい!お前なんかにわからないじゃり!今頃ユーリは兄上と…兄上と…っ」 「陛下とグウェンが?」 嫉妬とは恐ろしいものだ。どうしてあの二人でそんな想像ができるのだろう。 「どうだろうヴォルフ、婚約者と公言しているんだから、もう少し信じてさしあげては」 「だが兄上はあのとおりの可愛いもの好きで、ユーリは自覚のない尻軽だっ」 どこから先なら浮気なんだ。浮かんだ疑問は咳払いでごまかした。 「ぼくは自力で脱出できたのに、お前が戻ってきたりするから……だって兄上と一緒なんだぞ!?」 「だから安心なんだろう。グウェンダルがついていれば、滅多なことにはならない」 反論のしようもないことを言ったはずなのに、弟の目は疑わしいものでも見るように険しくなってしまった。 「どうした?」 「……ぼくより、お前こそ取り乱すべきじゃないのか」 「だからどうして」 「が兄上と、浮気していたところを見たやつがいるんだぞ」 「がグウェンと?まさか」 一笑に付して終わるはずだった。 だが、ヴォルフラムはまだ喰らいついてくる。 「本当だ。兄上の部下が見ていた。夜中にふたりでベッドで抱き合っていたと」 「なにかの間違いだろ。でなければ、なにか理由があるんだろう」 なんでもないふりをして笑いながら、心臓の鼓動が早まった。 手綱を引いて馬を進ませると、後ろからついてくる弟はまだの浮気を訴えている。 抱き合っていた? それこそまさか、だ。 は男が怖い。ヴァン・ダー・ヴィーア行きの船の中では、そのためにヨザックが腰に手を回しただけで見事な拳を見舞われたのだ。事故だったが。 ギュンターなどは出会いの最悪さから今でも敬遠されている。 抱き合うほどの触れ合いで、ユーリ以外にが拒否しなかったのはひとりだけ。 すなわちそれが、俺だ。 ヴォルフラムはまだマシなようだけど、あれはヴォルフがユーリの婚約者だからだ。 にとっては男じゃない。 その点グウェンは容姿といいユーリとの親密度といい、の許容ラインに達しているとは思えない。なにかの間違いだ。 でなければ、なにかの事故だ。 だけど。 再会した時から、は少し様子がおかしかった。 今まで婚約のことや、俺からのプロポーズのことで、照れているのか困っているのかと思っていたけど。 ヴォルフとは普通に挨拶をしていたのに俺からは逃げるようにユーリに隠れて。 そういえば、俺とはなにもなかったと言ったに、ユーリが「コンラッド以外のことでなにかあったのか」と聞いたとき、俺を見て視線が合うと目を逸らした。 ……馬鹿馬鹿しい。 そう思うのに、の声が耳に蘇る。 「有利、もっとグウェンダルさんを信用しないとだめだよ」 「グウェンダルさん、とっても優しくしてくれたよ」 なにを考えているんだ、俺は。 の背中を思い出す。 俺から顔を背けると、グウェンダルと並んで馬を進めていた。 違う、だからって、そういうわけじゃない。あのが。 が俺以外の、ユーリ以外の男と、触れ合えるはずがない。 ああ、そうだ。 俺が砂熊の巣穴へ飛び込むとき、あんなに心配してくれていたじゃないか。 俺の方へ手を伸ばそうとして、それを我慢してぎゅっとユーリの服を掴んでいた。 今にも零れそうなほど涙を浮かべて、俺のキスにも嫌がらなかった。 ……は男が怖い。 ユーリは、兄だ。 ヴォルフラムは、の中で男に分類されていない。 では、俺は? 俺は求婚までして、にとって間違いなく男に分類されているはずなんだ。 だけどは怯えないし、逃げない。俺だけは、抱き締めることだってできる。 だからこそ、の好意をだれよりも得ているのだと思っていた。 ひょっとして、それ自体が勘違いだったんじゃないのか? は待っても無駄だと言った。 それはもう会えないからとは言っていたが、俺のことをずっと好きにならないという意味も込めていただろう。 男が怖いが、男と意識しているはずの俺が平気なわけは? 結局、の中で俺は男のカテゴリーに入っていない。 これが正解なんじゃないだろうか。 つまりはヴォルフラムと同じ立場。ヴォルフより踏み込めるのは、ユーリがより俺を頼りにしているから。 ただ、それだけ。 「聞いているのか、ウェラー卿!!」 横合いから蹴りつけられて、ブーツ越しに衝撃が来た。痛くはなかったが。 はっと意識を引き戻されて横を見ると、ヴォルフが憤懣やるかたないといった顔で俺を睨みつけている。 「ぼくを無視するなっ」 「あ、ああ、すまない。そんなつもりじゃなかったんだけど」 「つまりだ!なぜ戻ってきたということだ!そんなにぼくの剣の腕が信用ならないのか!?」 「そうじゃないさ。ただ俺が初めてあいつと対峙したときに、弱点を知らなくて随分苦労した覚えがあるからな。でも、俺が戻らないともっと複雑だったんじゃないか?」 「なぜ」 「がいれば、陛下は自然とと一緒に行動するだろう。俺がいれば、俺と、陛下とグウェンという組み合わせになっていると思うけど?」 が男を苦手としていることを、ヴォルフラムがどこまで理解しているかと思ったのだが、心配は無用だったようだ。 複雑そうな顔をしている。 「確かに……一層不安な気がする」 水の補給と馬のために、間違いなくあの街に寄ったはずだ。 荒び始めた砂嵐の向こうに、街を見つけ俺たちは全員ほっと胸を撫で下ろした。 だれもがユーリとグウェン、それに小さくて可愛いの無事な姿を確かめたいと願っていた。は、あれで案外逞しいんだけどね。 運がよければあそこで合流できるかもしれない。 ……合流、したい。 とグウェンの仲を疑うわけじゃないけれど、俺の自信は自惚れた勘違いだったのか、それともこの不安こそが杞憂だったのかを、本人に聞きたい。 いや、聞くことができなくても、せめての顔を見ることさえできれば。 「俺が様子を見てくる。全員、この岩陰に隠れて風から身を守って待っていろ」 「閣下が斥候などなさらなくとも……」 「いいんだ。俺が一番、打ち解けやすいからね。こういうときこそ、庶民的な外見を役に立てないと。それに知っての通り、俺は人間と仲がいい。身体の半分が同じだからな」 「コンラート!」 ようやく本調子を復活させたヴォルフが気に食わないとばかりに声を張り上げる。 「ユーリとと兄上がいたら、すぐにぼくも呼べ」 「了解」 左腕で目を庇い、右手で剣の柄を押さえながら街の入り口まで辿りついた。 夕暮れ時で店じまいの様相を見せているが、入り口を固める警備の数は結構多い。 さて、最初のひとことはどれでいくべきか。 「スヴェレラの男たちの屈強さをわけてもらいたいよ」 隊長らしき男がにやりと笑う。良好だ。 「俺の連れときたら、どいつもひ弱でね。この街に宿はあるか?」 「水と女は足りてねえが、酒と寝床なら十分あるぜ」 「そいつは助かった。このまま砂漠で一泊なんてことになれば、明日には全員使いものにならなくなるところだった」 「そんなにひ弱なのか」 兵士が笑うと、部下たちもにやにやと笑みを浮かべる。声を立てているのは隊長格の男だけだ。 「ところで、子供ふたりと背の高い男ひとりの変な組み合わせがこの街にこなかったか?」 「ああ?さあて、記憶にねえな」 隊長格の男が首を捻る。どうやら金の力の問題ではなくて、本当に覚えがなさそうだ。 この街には寄らなかったということか? 「来たのは、まだ子供みたいな女と、背の高い魔族の男だ」 ぴくりと俺の食指が動く。背の高い魔族は、グウェンかもしれない。 「どんな容貌だった?」 「女は茶色の髪でえれぇ可愛い顔をしてたな。顔に似合わず随分威勢はよかったが」 がつけていたかつらは、たしか茶色い髪だったはずだ。いざという時の彼女の勇ましさは、よく知っている。 「男は灰色髪の目つきの鋭い奴でな。見た瞬間にピンときたね」 「なにに?」 「手配書にさ」 男が見せた紙切れに書かれていた手配書は、到底人間の似顔絵とは思えない出来だった。子供の落書きレベルだ。 これに間違われているとは思い難いが、逆にこれならどんな人間と魔族だって当てはめて考えることが可能だろう。ただ、二人組みというのが……。 「そういえば隊長、あいつら逃げていくときにあっちの岩陰でだれか拾ってましたよ」 後ろにいた兵士が思い出したように付け足す。 「本当か?」 つい身を乗り出してしまって、隊長格の男ににやりと笑われた。 「なんだ、あんたあいつらを追ってるのか?だとしたらあれか、女房だか恋人だかを寝取られたのか?」 「寝取られ……」 思わず絶句してしまう。ヴォルフの言葉を思い出してしまったからだ。 ――が兄上と浮気したところを見た奴がいる……夜中にベッドでふたりで抱き合っていたんだぞ……。 「無理もねえ。あんたもかなりの男前だが、あの魔族の男は妙に迫力があったからな」 落ち着け。 寝取られたなんて何かの間違いだ。 確かに俺と再会したの様子はおかしかったが、それをしたかどうかは別の話だ。 ユーリは別として、の男との距離の取り方は間違いなく変わっていなかった。 グウェンとしたはずがない。 「まあ、遠くまで逃げられやしねえよ。手鎖でがっちり繋げてやったからな。あんたには悪いが、あいつらは俺の仲間が先に見つけるぜ。なんせ駆け落ち者を捕まえれば国から報奨金がガッポリ出るからな!」 駆け落ち者!?それに手鎖だって? ズシンと肩に重荷が掛かったように感じた。 |
男ふたり、女ひとりで駆け落ち者に間違われたとなると、組み合わせはこうだと 勘違いするでしょう、ということで(笑) |