求婚の練習曲(2)





「閣下から再び相談を受けたときは、煽るような発言は控えてください」
目の据わったキルヒアイスにビシリと指差されて、ミッターマイヤーはとにかく頷いた。
何がなんだかさっぱり判らないが、キルヒアイスがこの話を潰したがっていることだけは判る。
人の恋路を邪魔する奴は、などという古い格言もあるが、ジークフリード・キルヒアイスに限ってはラインハルトのためにならない無闇な反対はしないだろう、とは思う。
だがそれでは、ロイエンタールの「問題ありの女」発言に対する撤回要求が宙に浮くことになるのだが。
「ロイエンタール提督も、いいですね?」
「閣下も求婚の話題を俺に振ることはないだろう」
「そうは思いますが、一応」
「一応……そうか……一応か……」
自分から言っておいてなんだが、あっさりとそう返されてロイエンタールは少し傷ついた。
横でぶつぶつと呟く友人を慰めもせず、ミッターマイヤーは勇気を振り絞ってキルヒアイスに質問を投げかける。
「ところで……その女性のどこがそんなに反対なんだ?」
「そうですね……あえて言えば……」
少し考える仕草をしたキルヒアイスは、踵を返しながら重々しく呟いた。
「全部です」
「それは『あえて』なのか!?」
スタスタと歩き去るキルヒアイスは、ミッターマイヤーの今度の問いには答えなかった。
「しかし……一体どんな女性なのか非常に気になる……」
あのキルヒアイスをして、ああまで言わせるとはどんな女だろうと腕を組んで唸るミッターマイヤーに、僅かな落胆から立ち直ったロイエンタールが軽く首を捻る。
「なあミッターマイヤー。卿はあの状態のキルヒアイスに覚えはないか」
「あの状態?あの迫力で迫られたことと言えば……」
天井を見上げたミッターマイヤーは、脳裏に黒髪の少女が思い浮かんで青褪めた。
「……忘れた話だな」
「だがあの娘なら辻褄が合うとは思わんか」
ロイエンタールに真面目に指摘されて、ミッターマイヤーも考えてみる。
あの娘、キルヒアイスの妹は、ラインハルトとも面識があるどころか、非常に可愛がられているらしい。
しかし少々顔立ちが可愛いくらいでごく普通の元気のある少女だった。帝国宰相(未来の皇帝)の妻になどと、兄のキルヒアイスなら反対するだろう。どう考えても彼女には重責すぎる。
だが大切にしている妹を「問題あり」などと評されては、腹が立ちもするに違いない。
ミッターマイヤーとロイエンタールは顔を見合わせる。
「いやしかし、ごく普通の娘だったぞ?」
「うむ……それはそうだが」
キルヒアイスの態度と言動の辻褄だけなら、それで合う。
その少女の裸を見てしまったミッターマイヤーは青褪めた顔を両手で覆って、小さく呻く。
「頼む、気のせいだと言ってくれ」
ロイエンタールは、慰めるように親友の肩を二度叩いた。


執務室の手前の部屋には秘書官のヒルダがいるので、キルヒアイスもそこではごく自然を装って通り過ぎた。しかし扉を開けてすぐ、呼びかけた声はどこか焦って上擦ってしまう。
「ラインハルト様!」
閣下でもローエングラム候でもなく、名前で呼んでいる時点で動揺が伺える。
「な、なんだキルヒアイス。そんなに慌てて」
ヴィジホンの通信を切ったところだったラインハルトが目を瞬いて訊ねると、キルヒアイスは扉をきっちりと閉めて外に声が漏れないようにしてから、無言でラインハルトのデスクまで歩み寄って両手をついて身を乗り出した。
「ミッターマイヤー提督からお聞きしました!」
それで十分伝わったらしく、ラインハルトは目を細めて軽く顎を上げる。
「だからなんだ。これは俺との問題だ」
「しばらくは考えなくていいと仰ったのはどこのどなたですか!大体、は落ち着きもないし思慮も浅い。宰相たるあなたの妻には明らかに不向きです!」
「別に俺の妻が政治をするわけではないのだから、そこはそんなに問題じゃないだろう」
「大問題です!」
「そうか?なら政治向きの話は一切見向きもしないから、逆に揉め事にもならないじゃないか」
そう返されて、キルヒアイスの脳裏にも邸の掃除をしたり、洗濯をしたり、庭の手入れを手伝ったりして、能天気にラインハルトの帰宅を迎える妹の姿が思い浮かぶ。
「政治に経済、外交、軍事と殺伐とした職場で疲れて帰ると、そんなことを一切忘れさせてくれる妻の出迎え……理想の生活じゃないか」
ラインハルトの主張に、キルヒアイスは慌てて首を振って浮かんだ想像を追い払った。
「そんなことを仰って、あなたはご自分でプライベートですら職務を忘れないではありませんか!忘れさせてくれる妻など求めていないでしょう!」
「自分では忘れられないから、強制的に忘れさせてくれるがいいんじゃないか」
「そういう意味ではなくて、一時忘れるという必要性を感じていなでしょう」
僅かな間ですら騙されてくれないキルヒアイスに、ラインハルトは小さく舌打ちをする。
「キルヒアイスは一体俺のどこがそんなに不満なんだ。そこまで反対するなら、俺がにふさわしくない点を挙げてみろ」
「ですから逆です!あなたに問題があるのではなくて、に問題があるんです!」
「そんなおかしな話があるか!二人の問題なのに、だけに問題があるはずないだろう!」
「では逆にお聞きします!そこまでこだわるほどでなければならい理由はなんなんですか!?単に傍にいる異性を選んでいるだけではありませんか!」
「お前は自分の妹の魅力を認められないのか!」
「認めるもなにも、どこに魅力があるのか判りません!」
お互いにデスクに両手をついて、顔をつき合わせながら怒鳴りあった言葉に、ラインハルトが呆れたように、哀れむように眉を寄せる。
「……今のはさすがにに失礼だぞ」
それは認めるところだったのか、キルヒアイスも小さく咳払いして乗り出してた身体を後ろに引く。
「ですがラインハルト様、あなたがに対して最初に結婚を口にしたのは、あの子が他の男性の下へ行くことを考えてみたから……だったではありませんか」
「そうだ。キルヒアイスはがどこの馬の骨とも判らん男に取られてもいいのか」
「馬の骨……いえ、それはいつか来る話だろうと普通に思っていました」
来るだろうというよりは、あの能天気な妹を見ていると「どうかそんな日が来ますように」と星に祈りたくなるほどだった。だがそれはあくまで、平凡な妹が平凡な幸せを手に入れられるような、そんな相手を願っていたのだ。
素で白馬に乗った王子様なんて表現を使えそうな相手を望んでいたのではない。
「そこだ!実の兄のお前はそう思っていただろう。だが同じくあいつを妹のように思っていたはずの俺は、それを考えるだけで無性に腹が立った。どんな男ならにふさわしいと思う?俺はどんな相手でも認めんっ!」
「……ラインハルト様。私はそれに近い心情を持つ者を知っています」
「何!?どこのどいつだ!?なんの権限があってそんなこと主張している!」
「私の父です」
既に悪い虫が寄っていたのかと握り拳で詰め寄ったラインハルトは、その表情のままでしばらく止まった。
「……俺の心情は、父親のようなものだとでも言うのか」
「そうは申しませんが」
父親というよりは、子供の我侭に近いとキルヒアイスは考えている。
例え両手に玩具を手にしていても、別の玩具を他人にさらわれそうになれば、それも自分の物に囲う、そんな子供の独占欲だろうと思うのだ。
あの突発求婚事件以来、ラインハルトがと接触するときは注意深く観察していた。
考えなくていいと言われ、ラインハルトのことを異性として意識していないはともかく、ラインハルトの方も彼女に対する態度は以前となんら変わりがないようにしか見えなかった。
キルヒアイスは溜息をついて、少し口調を和らげた。
「それにラインハルト様はまだ二十二歳です。そこまで焦って将来の伴侶を決めてしまうこともないでしょう。と決めてしまわず、もうしばらくはもっと広い視野で周囲を見回してはいかがです?」
「俺の周囲と言うと……お前とかオーベルシュタインとかシュトライトとかミッターマイヤーとかロイエンタールとか……どう広い視野を持てというんだ」
「どうしてそこで男しか出てこないんですか」
キルヒアイスは男ばっかりの職場を、今初めて心の底から恨んだ。


日が暮れて、どうやってラインハルトにプロポーズを思い止まらせるかの課題を抱えたまま、ラインハルトと共に帰路につくことになったキルヒアイスは、送迎車の前で鞄を取り落とした。
「む、来たかキルヒアイス。遅いぞ」
「いえ、あの、ラインハルト様……その花束は一体……」
両手に抱えた大きな花束で、先に待っていたラインハルトの顔は見えないほどだった。
バラにガーベラにキキョウに、とにかく色鮮やかな巨大花束は一体なんだというのだろうか。
「ミッターマイヤーに指輪の用意を聞かれたのだが、の指のサイズが判らなかったんだ。だからせめて、あの後花屋に電話を入れて、代わりに花を用意したのだが」
僅かに上擦った声と、花束の向こうの緊張したような様子の赤い顔。
その答えはキルヒアイスをますます苦悩させた。同時にミッターマイヤーへの恨みが募る。そもそも彼が余計な入れ知恵をしなければ、ラインハルトはまだ二度目のプロポーズに踏み切ったりはしなかっただろうに。
車に乗り込んだキルヒアイスは、花束を抱えて緊張の面持ちのラインハルトをどう説得したものかと考える。
だが昼間のやり取りを思い出すと、何をどう言っても無駄なような気がする。
それに、花束を見てふと逆に頭が冷えた。
例えラインハルトがに求婚したとして、それを彼女が受けるかどうかは別問題だ。いくら考えなくていいと言われたからといって、の態度を見る限り、ラインハルトに対して今でも異性をまるで意識していないように見える。
ラインハルトに勘違いを諭しても無駄なら、に引導を渡させるという形でも、結果的には問題がないだろうと考えたのは、きっと昼間の攻防でこの問題に既に疲れ切っていたからだ。
手を組んでシートに身を沈めたキルヒアイスは、ラインハルトのガチガチに緊張した様子について、深く考えることはなかった。
車が邸に帰り着くと、執事たちと共に、今日はアンネローゼとパールピンクのドレスで着飾ったもホールで待っていた。
「お帰りなさい、ラインハルト、ジーク」
主人の帰りを迎えた家人たちは一様に、ラインハルトの大荷物に驚いていたのだが、アンネローゼの一言で揃って頭を下げる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「あ、ああ……」
常にないぎこちない返答を返したラインハルトが、機械のような覚束ない足取りでまっすぐにに向かうのを見て、キルヒアイスは仰天する。
まさか、帰ってすぐその場でプロポーズをするとは思っていなかったのだ。
こんな人目の多いところで求婚なんて、が断ったとしても目撃者が残る。
「ライ……」
「お帰りなさいませ、ラインハルト様」
巨大な花束越しに笑顔のに迎えられ、ラインハルトは思い切ってそれを差し出す。
「こ、これをお前に!」
「へ……?」
差し出された花束をつい反射で受け取ったに、ラインハルトはいよいよ顔を真っ赤に染めた。だが。
「すごい花束ですね!さすがにラインハルト様の誕生日なら、こんなプレゼントもあるんだ。これ、ラインハルト様の部屋だけで飾るのは大変だなー。アンネローゼ様のお部屋にも飾っていいですか?」
ラインハルトが何を言う前に、が大きな花束に興奮したように訊ねてくる。
完全にタイミングを失ったラインハルトは返答に詰まり、しばらくしてようやく声を捻り出した。
「いや……それはお前に……」
「わあ!わたしにもくれるんですか?見てください、アンネローゼ様!すごく綺麗です」
「ええ……そうね」
他の家人はともかく、さすがに姉のアンネローゼは弟の様子が少しおかしいことに気づいたようだが、彼女はラインハルトがに一度求婚をしたこと自体をまだ知らない。
今までのラインハルトとの様子から、そんなやり取りがあったことすら想像もついていないようだから、おかしいとは思ってもその理由までは判らないのだろう。
ラインハルトの様子をうかがいながら、見たこともない大きな花束に興奮するに微笑みかける。
せめて私室での会話ならともかく、玄関ホールなのでの話し方も人目を気にしているところが、ますますラインハルトには堪えそうだ。
キルヒアイスは、とにかく着替えてくるとギクシャクとした足取りで部屋へと向かうラインハルトの後を追う。
そんな兄と兄の友人の様子には露ほども気づかずに、は鼻歌混じりで花束の分解に取り掛かろうとして、同僚のメイドに笑いながら今日くらいは仕事は忘れなさいと止められていた。
キルヒアイスが後ろから聞こえる話に溜息をつきながら階段を上がると、曲がったすぐそこでラインハルトが膝を抱えてしゃがみ込んでいた。気力が部屋までもたなかったらしい。
「ラ……ラインハルト様?」
「………いくら使用人として雇っているからといって」
低く落ち込んだ声が、振り返ったと同時に一気に爆発する。
「着飾っている今日この日に!仕事を申し付けると思うか!?」
「あ、あの、ラインハルト様……」
「せめて俺の話を聞いてから判断するべきだろう!」
「お、落ち着いてください、部屋に、まず部屋に行きましょう」
バネを跳ね上げるように膝を伸ばして、胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄るラインハルトに、キルヒアイスは両手を前に出して押さえるようにとジェスチャーをする。
「どこの誰が男の誕生日にあんな花束を贈るというんだ!」
「あなたの立場ならそういうこともあると思ったんでしょう!落ち着いてください!」
「確かにもたもたした俺も悪かったかもしれないが、あれはないぞ!?」
胸倉を掴んで揺さぶられながら、昼はあんなに強気に言い合っていたラインハルトが、帰りの車の中でも、そして花束を渡すときにも、かなりの緊張をしていたことを思い出す。
「……のこと、本気だったんですか?」
つい訊ねてしまった言葉に、ラインハルトの怒りが爆発した。
「何度もそう言っているだろう!」
キルヒアイスの長身を放り投げる勢いで突き飛ばしたら、その後ろから悲鳴が聞こえた。
「ギャーーっ!」
!」
可愛さの欠片もない悲鳴はともかく、慌てたキルヒアイスが身体を捻って、片手で階段の手すりを掴みながら、転げ落ちかけた妹の腕を掴んだ。足元に花が舞い落ちる。
「な、なに!?け、喧嘩!?」
兄に引き上げられたは、激しい動悸に胸を押さえながら二人を交互に見た。
「あ、いや……喧嘩というわけでは」
「ダメだよ、こんなおめでたい日に!というか、階段近くでの喧嘩は危ないでしょ!」
に叱り付けられて、キルヒアイスは天井を見てラインハルトは床を見た。
誰が原因だと思っているのか。
「もー!聞き分けがない人にはアンネローゼ様特製ケーキをあげませんからね!」
「お前が決めるのか」
ぶつぶつと文句を零しながら、床の花を拾い集めて小さな花束を作ったは、澄ました顔でラインハルトの横を通り過ぎて先に行く。
「だってわたしも一緒に作ったんだもん。……クリームを混ぜただけだけど」
ラインハルトが求婚のために用意した巨大花束から抜き出した、小さな花の束を手に、は笑顔でラインハルトを振り返った。
「アンネローゼ様のケーキなのにって、ラインハルト様は不満かもしれないけど、わたしだって張り切ったんだから!」
淡いピンクのバラとガーベラの花を手に微笑むに、ラインハルトの手が伸びる。
バラを一本手にすると、刺を残さないように茎を折って、の結い上げた髪にそっと挿した。
「ドレスの色と合って、よく栄える」
唖然としたように固まったの横を通って私室に向かうラインハルトに、キルヒアイスは妹とその背中を交互に見る。
はみるみるうちに顔を真っ赤に染めて、花束で顔を隠すようにして俯いて小さく零した。
「びっくりしたー……なに?ラインハルト様、何かあったの?」
「いや……」
取り消されたと思っているとはいえ、一度は求愛を受けたのに「何かあったの」はないだろう。
キルヒアイスはそんな妹の様子に、安心するべきか、それともラインハルトの行動に頬を染めたことに不安を覚えるべきか、判断をつけかねた。
を置いてラインハルトを追いかけると、部屋に入ったところでまたしゃがみ込んでいる。
「……ラインハルト様」
ラインハルトは抱え込んだ膝に顔を埋め、振り返らないままに悪態をつく。
「あのタイミングであんな笑顔を見せる奴があるか!」
自分の行動に照れているのか、その行動を取らせたの笑顔に照れているのか。
勢いだと、ただの独占欲だと思っていたのに。
ラインハルトの誕生日を狙った求婚は、に思わぬ効果と、キルヒアイスの心労を付加して、一応は失敗という結果で幕を閉じた。








結果失敗ですが、大失敗というわけでもないような。
ちょこっと進展があったような、ないような、進展すれば漏れなく周りが苦労する
ラインハルトの恋でした(^^;)


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