唐突の奇想曲(2)
キルヒアイスが唖然として口を開けたまま主君を凝視する。 さすがのも驚いてラインハルトの顔を窺った。 ふたりの目から見ても、冗談や嘘とは思えない表情だった。 「冗談ではないぞ」 言われる前に制して、ラインハルトが胸を張った。 「俺は本気だ。を妻にすれば、お前も連れて帰るなんて言い出せないだろう」 「ラインハルト様………」 最初のショックから抜け出すと、キルヒアイスの目には呆れの気配が満ちていた。 「それは飛躍しすぎではありませんか?」 妹のような少女を連れ去られたくないから妻にする、というのはどういう思考回路になっているのだろう。 当のもこくこくと頷いている。 「いいや、そんなことはない。俺も常々考えてはいたんだ。だが、俺の妻となれば面倒なことも多い。負担もかける。だからこのままでもいいかと思っていたのだが、キルヒアイスがそんなことを言い出した以上、やはりを俺の側に置いておく、一番の方法はこれしかない」 「ですからそれは取り消すと……」 「今回は、だろう。そうだ、今回はそれでいいが、が他の男と結婚するなどと言って出て行ったらどうする。いやだめだ。俺は許さないからな」 まるで父親のようなことを言ってを抱き締める。 手放したくないから妻に、という発想は父親ではないが。 これがラインハルト・フォン・ローエングラムという人の発言でないのなら、これは男女の愛情だったのかと思うところだが、この人は目的達成のためにならあまりにも純粋だ。 「あなたは妻となるものは生涯ひとりしか持たないと常日頃おっしゃっていたではありませんか」 「当たり前だ。それが正しい姿だろう」 「ええ、確かに。それでを妻にすると?失礼ですが御世継ぎはどうされるのですか」 子供というか、その前段階の話だ。 要するに、を女として愛して抱けるのかという、そういうこと。 「もちろん、に産んでもらうことになるな」 キルヒアイスは再び口をぱかりと開ける。 まさかそう返してくるとは思わなかった。今まで、ラインハルトはのことを妹のようにしか見ていないと考えていた。 それに間違いはないと思う。 だが同じ兄でも、『兄』と『兄のよう』はまるで違うのだ。 兄のキルヒアイスとしては、天地がひっくり返ろうとも妹に情欲など湧かないのだが、ラインハルトは違うらしい。 そうなると話は変わってくる。 「!」 まさかの話をしてきた兄のような存在の膝の上で唖然としていた少女は、本物の兄の叱責で正気に戻る。 言われるまでも無く、兄の言いたいことはわかったし、それに異論は無い。 今まで寄りかかっていた腕から逃れて床に両足をつくと、向かいの兄のソファの後ろに回りこんだ。 「」 ラインハルトは空間の空いた両手を見て、不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。 「いけません、ラインハルト様」 キルヒアイスはを押し留めるように片手を挙げてから、ラインハルトを見る目に力を込めた。 「をそういった対象に見るとおっしゃるのであれば、なおのこと今までのような気楽な接触をなさってはいけません」 「そういったことを決めるのはだ」 キルヒアイスはゆっくりと首を振った。 「の兄として男女の付き合いを反対しているわけではありません。あなたの部下として臣下として、軽々しく妹をお側に上げることはできないと申し上げています」 「この俺がの同意も無しに無体な真似をするとでも言うのか!?あの下劣なフリードリヒ四世のように!」 「ですからそういう意味ではなく……」 キルヒアイスは一瞬、直言する事に躊躇する。だがラインハルトにまるで自覚がない以上、それを説明して自覚を促すのも部下として、そして友人としての勤めだろうと腹を括った。 「こういったことを言えばあなたのお気に障ることはわかっています。ですが、敢えて言わせていただきます。あなたがを伽にすること自体には何の問題もありません」 予想通り、話の半ばでラインハルトが立ち上がった。 「俺がを慰み者にするとでも!?」 「そうしていただけるのなら、反対はしないということです」 意味を吟味するように形の良い眉を顰めていたラインハルトは、やがて親友の言葉を理解するとともに恥辱にわなわなと震えた。顔も紅潮している。 「お前の言いたいことはわかった。」 兄の後ろで竜虎の睨み合いに怯えていた少女は、びくんと背筋を伸ばす。 怯えさせてしまったことにラインハルトは、困ったように苦笑した。 「そう怯えないでくれ」 「ご…ごめんなさい………」 兄の肩口に手を置いて、顔を伏せる少女に眉根を寄せた。 「今は返事を聞かない。いきなり言われてお前も戸惑っているだろうし、なにより環境が整っていない」 「か…かん…きょう………?」 「そうだ」 小首を傾げる愛らしい仕草に目を細めながら、ラインハルトは力強く頷いた。 「宰相ともなれば、婚姻相手も好きには選べない」 「待ってください、ラインハルト様……」 キルヒアイスの制止は無視して、ラインハルトは熱弁を振るう。 「ましてや皇帝ならなおさらだ。俺はもうすぐこの宇宙を全て手に入れる。そうしたら手順を踏んで、お前を皇妃に迎える準備を整える。そう遠い話ではない」 「え、えっと、あの………」 困ったようにオロオロと兄を伺い、ラインハルトと見比べる。 「それまでにはお前のことも振り返らせてみせる。だから今は、まだなにも考えなくていい。お前は、お前の思うままに振舞っていろ」 この黄金の翼を持つ獅子の情熱を止める手立ては、キルヒアイス兄妹には、ない。 「どーしてこういう話になったんだっけ……?」 ラインハルトの私室から、二人揃って辞去した兄妹は廊下を歩きながら二人揃って首を傾げた。 「………妙な具合になったな……」 溜息をつくキルヒアイスも、心底困り果てているようだ。 隣で半ば反射のように足を交互に動かしている妹を見下ろす。 当然だが、かなり呆然としている。 皇帝陛下(確定未来)の義兄。 かなり遠慮したい。 キルヒアイスの場合、叶えることを半ば諦め、それでも今なお希望を捨てきれない想い人がいる。 その人ともし万が一結ばれることがあれば、義兄という未来は一緒ではあるが……。 姉弟の姉と兄妹の兄、姉弟の弟と兄妹の妹が結婚……ある意味とてもシンプルで、多くの人が眉をひそめそうな組み合わせ。 なにしろ、皇帝陛下とその姉、腹心とその妹。ただの兄妹交換婚では済まない。 勘弁して欲しい。 心底願わずにいられなかった。 だけど、大切なのは両人の心。 キルヒアイスは答えを聞くのは怖いが、避けては通れないことを口にした。 「………は、ラインハルト様のことをどう思っているんだ?」 ラインハルトは、世の中の女性の大半が焦がれるような傑物である。 容姿は言うに及ばず、地位も名誉も揃っていて、今でも十分なのにその上に行く将来性も揃えている。 女性に対しては酷く不器用だが、それは手馴れていないだけでとても優しい。 「わかんない………」 の答えは予想通りで、安堵しながら安心しきれないものだった。 やはり、そうなるか。 「今までは……兄さまの親友だし…もうひとりの兄さまみたいに思ってたし…急にそんなこと言われても……よくわかんない」 ここで頬を僅かにでも染めていれば、今はそうでも近い将来にラインハルトの希望が通ること決定に違いないが、妹は子供っぽく拗ねて頬を膨らませている。 いきなり混乱させるようなことを言い出したラインハルトに、段々と腹を立て始めたのだろう。 「とってもいいご主人様だとも思うよ。わたし、このお邸でしか働いたことないけど、メイド仲間の人たちもみんなそう言うもの。わたしが兄さまの妹だから、よく言っている可能性だって確かにあるけど、そうじゃないって思う」 それにはキルヒアイスも大いに頷いた。ラインハルトは気紛れに家人に当り散らすなどということはないし、無理難題をふっかけたり、わがままなことを言い出したり、メイドに手をつけたりなんてしない。給金だって、相場でいえば破格に近いはずだ。 「でもそんな風に見たことないもん。大事なもうひとりの兄さまで、尊敬する旦那様。そうとしか思えない」 もうひとりの兄さま、という認識は少々どころでなく問題ではあるが、今これ以上妹を混乱させるのは酷だろう。今でも十分に混乱しているのだから。 この話はここで打ち切ろう。 ラインハルトがああ宣言した以上、明日からも恐らく今までと態度が大きく変わるということはないだろう。 問題を先送りにするだけともいうが、この先年月を重ねればラインハルトの目が今度こそきちんと女性に向く可能性だってある。 自分でもその可能性は低いだろうとは思うけれど。 何しろかつての存在を頭の片隅にも置いていなかった頃、休暇の時間が暇だと愚痴をいうから「恋でもして時間を過ごせばどうでしょう」と薦めたとき「してもいいが、相手はどうやって探す?」と尋ね返してきた人だ。 宇宙統一の偉業の前に、女性に目が向くとは思えない。 そう考えると、やはり妹のことは特別なのだろうか。 「今はそれでいいよ。そのうち、またこの問題が浮上するかもしれないけど、とりあえず今のところは今まで通りでいなさい。妙に避けたら逆にラインハルト様の負けず嫌いの闘志に火をつけることになるから」 は乾いた笑いで、主人の気性を思い出して納得したように頷いた。 |
取りあえず先送り。お兄ちゃんは苦悩ですね(^^;) |