唐突の奇想曲(1)
一週間に渡る演習から帰ってくると、妹は喜び勇んで兄に飛びついてきた。 「お帰りなさい、兄さま!」 「ただいま、」 楽々と抱きとめて応えると、親友で上官のからかうような声が聞えた。 「ふふん、やはり子供だな。は」 怒るかと思ったは、余裕の表情で顔を上げ、兄に抱きついたまま主人を笑う。 「ふーんだ、素直に動くわたしが羨ましいんでしょう?」 「な、なんだと!」 彼女を子供と言うなら、同レベルで張り合わないでください。 思わず溜息が漏れた。 食事を済ませ夜も更けて、久々に親友とワイングラスを傾けていたラインハルトは、思い出したようにソファから身を乗り出した。 「そうだ、キルヒアイス。お前、ミッターマイヤーに礼を言っておけよ」 「は?ミッターマイヤー提督にですか?」 「が世話になった」 何故この邸でメイドをしているがミッターマイヤーの世話になるのか。 理由がわからない。 問うより先に、ラインハルトがワイングラスを片手にソファにもたれ直した。 「俺が話してもいいが、理由は自身から聞くといい。どう説明するか見ものだな」 普段から妹とは喧嘩してばかりの親友は意地悪く笑う。 喧嘩しているといっても、お互いに心を許しあっているからこそのものではあるが。 ラインハルトはベルを鳴らしてメイドを呼ぶ。 ではない少女が現れたので、彼女を呼ぶように伝えると本当に楽しみなのかにやにやと笑ってワインを楽しんでいる。 どうやら本当に教えてはくれそうにないので妹を待つことにした。 しばらくして現れた入ってきた妹は、既に私服に着替えていた。私服というかナイトウェアだ。 いくら寝る直前で、それを主人が許すからといって、リラックスし過ぎの格好で参上するのはどうだろう。 「お呼びですか?」 「キルヒアイスがお前に話があるそうだぞ」 「え?なになに?」 は喜び勇んで部屋に入ってくると、キルヒアイスの隣に腰掛けた。 頭痛がしそうだ。 「」 期待に顔を輝かせる妹に、顔を顰める。 「いくら私の妹としてラインハルト様がお許しくださるからと言って、その態度は違うだろう」 途端に萎れる妹に、言い聞かせるように説教を続ける。 「まず主人の私室にナイトウェアで来るなんて、緊急事態でもないのに非常識だ。それに、部屋に入って座るのはラインハルト様のお許しを得てからするものだ」 「ご、ごめんなさい……」 「キルヒアイス」 呆れた声で呼ばれて振り返ると、声に相当した呆れた顔をしていた。 「そんなことを言うために呼んだんじゃないだろう。それに、はそれでいい。こいつにプライベートでまで畏まられたら気持ち悪い」 「ひどーい」 いま注意したばかりだというのに、もう忘れたように頬を膨らませて抗議する妹に、キルヒアイスは溜息をついた。 「口うるさいキルヒアイスに取りすがってないでこっちへ来い」 ラインハルトが手招くと、は素直に向かいのソファに移動した。 ソファに移動するだけならまだよかった。 だがはラインハルトが手を差し出すと、なんの疑問もなく誘われるままに膝の上に座る。 頭痛に加えて眩暈も覚える。 ひとり苦悩するキルヒアイスを放っておいて、ラインハルトはと戯れて手にしたワイングラスに口をつけさせている。 410年ものの一品。にその味わい深さが判るとは思えない。もったいない。 「、ラインハルト様の膝から降りなさい」 額に手を当てて言うと、きょとんとして目を瞬く。ラインハルトから誘ったからなのだろうけれど、理由がわからないというのはどうなんだ。兄の苦悩は続く。 「構わない。キルヒアイスは俺からを取り上げる気か?」 にやにやと笑う上官は確信犯だ。にワイングラスを持たせると、彼女の腹の上で両手を組んで抱え込む。 これらの行為が、ラインハルトがに対して恋愛感情があるゆえの行為というのなら、問題はあるが―――文句は無い。 問題は、キルヒアイスはラインハルトの親友であり、一番の腹心であるということだ。 その妹と主君が結ばれることなど、あまりいいことではない。 だがキルヒアイスにはラインハルトの気持ちこそが第一だ。だから、を妹のようにではなく、ひとりの女性として愛しているならなにも言うことは無い。 兄としては複雑ではあるが。 兄と雇い主を交互に見ていたは、視線に気付いたラインハルトに微笑みかけられて甘えるようにその胸に倒れ込んだ。 甘えられたラインハルトはとても嬉しそうに笑う。 姉はいるが妹はいないラインハルトは、甘えてくる存在というものが可愛く仕方ないらしい。同い年ではあっても、キルヒアイスにはプライベートでは面倒を見られる関係だから、ラインハルトが素の顔で甘えさせる相手といえば、だけなのだ。 両手でワイングラスを持つという正しくない飲み方で赤い液体を楽しんでいたに、キルヒアイスは諦めの溜息をついて、本題に入ることにした。 「それで、。話というのはミッターマイヤー提督のことなんだけど」 ビシリ、と音がしたのかと思ったくらい、見事には固まった。 は兄を見ずに、恐る恐る自分を抱きこむ男を見上げる。 「………い…言った……の?」 「ああ言った。お前がミッターマイヤーに迷惑をかけた、とだけな。詳しい話は自分でするといい」 「ひっどい!」 は爆発した。 「酷い!なにも告げ口なんてしなくたっていいじゃない!」 興奮しすぎてワインが零れてナイトウェアを汚しているが、そんなことにも気付いていない。 「ちょっとした過ちなのにーーー!」 「ちょっとか、あれが」 呆れながらラインハルトはワイングラスを取り上げてテーブルに置いた。 「大体お前が掛けた迷惑だぞ。俺からだけでなく、キルヒアイスが礼を言うべきだ」 「う………」 ラインハルトは当たり前のようにワインに濡れたの手をとって指を舐めてやる。 その行為もどうかと思うが、今聞き捨てならないことも言わなかったか? 「ちょ、ちょっと待ってください!」 キルヒアイスは驚いてふたりの言い合いに割り込んだ。 「のことで、ラインハルト様がお礼をしたんですか?どうして!」 「礼と言っても、本当に簡単に言っただけだ。『わたしの縁者が迷惑をかけたようだ。礼を言う』これだけ。なにか品物を届けたわけじゃないぞ」 「そういう問題じゃありません!しかも『縁者』ってなんですか!」 「そうだろう。お前の妹だ。俺にとってもは妹のようなものだ」 「あなたは宰相閣下ですよ!?軽々しく部下の妹を『縁者』扱いしてはいけません!」 「ああ、うるさい。それより話がずれてきているぞ」 ラインハルトが逃げたのは明らかだった。だがそれも確かに嘘ではない。 キルヒアイスはソファに座りなおしてラインハルトの腕の中で、このまま話が地すべりを起こして流れることを期待していた妹を睨んだ。 「それで、。一体提督にどんな迷惑をかけたんだ」 妹の話は、想像を絶していた。 「…………では……君はミッターマイヤー提督に助けていただいたんだね?夜中に邸を飛び出して。酔っ払いに絡まれて。その上ラインハルト様にご心配をお掛けしたまま、連絡も入れずに!」 「だ、だって………あの、その………ご、ごめんなさい………」 段々と語尾が小さくなっていく。 最初は面白がってラインハルトだが、小動物のように震えて涙ぐむ姿を見ているとどうにも庇護欲をそそられるらしい。 宥めるようにをぎゅっと抱き締める。 「俺も悪かったんだから、そう叱ってやるな」 「ミッターマイヤー提督にもご迷惑をお掛けしたんですよ!おまけにあなたを酷く心配させて!どうせラインハルト様のことです、一睡もせずにの帰りを待っていたんでしょう!」 見事に言い当てられて、ふたりそろって言葉に詰まる。 キルヒアイスは額に手を当てて溜息をついた。 「」 「は、はい!」 ラインハルトの膝の上で雷に打たれたように背筋を伸ばす。 「今度という今度は本当に呆れた。部屋に帰って荷物を纏めて、明日の朝一番で家に帰りなさい」 「それは厳しすぎる!」 小さく悲鳴を上げたより、ラインハルトの方が慌てた。 はそれ以上、声も出ないようだ。 「いくらキルヒアイスの言葉だろうと、を解雇する権限があるのは俺だぞ」 「ここまで常識がないのは我が家の恥です。一度実家に戻して、一から両親に躾け直させます」 の顔から見る見るうちに血の気が失せる。 真っ青になったに、ラインハルトが勇気付けるように頭を撫でる。 「心配するな。俺が帰したりしないから」 なんとか宥めようとしながら、一方でキルヒアイスを睨みつける。 「いくらなんでも言い過ぎだ。は仕事もできるし、常識だってわきまえている。ほんの少し子供なだけだ。俺からを取り上げると言うなら、たとえ兄とはいえ許さないぞ、キルヒアイス」 「メイドは主人の生活の瑣末なことを片付けるためにいるんですよ、ラインハルト様。にはその根本的なところが理解できているとは思えません」 キルヒアイスの厳しい評価に、ラインハルトはを攫うように抱き上げた。 「もういい。キルヒアイスがそんなことを言うなら、お前には返してやらん!」 もはや言っていることが支離滅裂だ。 を抱き上げたまま奥の寝室へ移動しようとしたので、さすがのキルヒアイスも慌てて立ち上がる。 「ど、どこへ行かれるのですか!?」 「決まっているだろう。キルヒアイスに酷いことを言われて傷ついたを慰めて寝るんだ」 ラインハルトの言う、慰めるも寝るも、言葉通りの意味だ。 裏に別の意味が隠されているわけでもない。 わかってはいるのだが、涙を浮かべてラインハルトに抱きつくを見ていると、キルヒアイスとアンネローゼ以外のだれがそれを信じるだろうという風情だ。 キルヒアイスですら、これだけ慌てるのだから。 「わかりました、わかりましたから。前言を撤回します。ですから妹を返してください」 「………本当か?」 「あなたに嘘はつきません」 「……ならいい。信じてやろう」 ソファに戻ってきたものの、少女をキルヒアイスの手には返さず相変わらず膝の上に抱き寄せたままだ。 「、分別をつけなさい。ラインハルト様の膝から降りて」 びくりと震えたが慌てて身体を起こそうとしたので、ラインハルトは後ろからぎゅっと抱き締めた。 「降りるな。主人は俺だぞ。キルヒアイスより俺の命令を聞いていろ」 困惑するに、ラインハルトは髪を撫でながらキルヒアイスに鋭い視線を向ける。 「見ろ、お前が余計なことを言うからが困っている」 「困ったことを言っているのはあなたです。もう一度申し上げますが、は妹のよう、ではあってもあなたの妹ではないのですよ!」 「そんなことは言われるまでもない」 ラインハルトはつまらないものでも見たように眉間に皺を寄せての頬にキスを落とした。 「ラインハルト様!」 「なら、俺がを妻に迎えれば文句はないはずだな?」 |
躾はきちんと。周りが甘やかすので兄としてキルヒアイスが毅然として対応したら 予想外の展開に。 売り言葉に買い言葉でそんなことを言われても困ってしまいますよね(^^;) |