まるで置物だな。 最初に受けた印象はそんなものでしかなかった。 黒い髪と青い瞳。人形のように無機質な変化のない表情。 湧き上がる不快感の正体がわかったのは、少女を伴って本邸に戻ったときだ。 彼女は、死んだ母親を幼くしたような……つまり故人の面影があったのだ。 父親の死の報にはなんの感慨もなかった。アルコール中毒の果てに肝臓を壊して入院しているということは以前から聞いてはいたが興味はなかった。父も息子の面会を望まなかった。 だがどうでもよいからといって、親子という血縁がある以上は無視するわけにもいかない。 あともう少し早く死んでくればイゼルローンに駐留していたから、すべて執事に任せきりに出来ただろうにと、面倒な思いだけで行った葬儀の席でオスカー・フォン・ロイエンタールは初めて妹がいることを知った。 「養女だと?」 「はい。昨年旦那様が正式に手続きをなさいまして……こちらが書類になります」 執事の差し出した書類には正式な捺印とサインが施されていて、役所の方で受理された旨もはっきりと記載されている。 それと同時に渡された遺言状には、財産の相続に少女の養育を必須とした項目が条件の最初に記されていた。 書類から正面のソファーに座る少女に視線を送った。 黒い喪服に身を包んでいる黒い髪の少女は、ロイエンタールの胡散臭げな感情を隠しもしない視線を真正面から見返して目を逸らすこともない。年の頃は十二、三歳というところか。 ロイエンタールにはどうでもよい父ではあったが、少女にとっては恩ある養父であろうに、その死を悲しむ様子も見えないことには少々鼻白む。 別に金を惜しむつもりはないが、相続権を放棄して財産を国庫に収めるというのも馬鹿馬鹿しい。少女に重大な借金があるというのならともかく、孤児院から引き取られたという娘にはそれ以上の過去も一切ないという。 一切だ。 三年前に孤児院の前で拾われた以前の記憶がないらしい、と執事に告げられた。 「ほお……」 ロイエンタールはつまならいような顔で書類を指で弾いてテーブルに放り投げた。 「と言ったか」 「………はい」 儚く消えてしまいそうなほどの繊細な顔立ちと細い身体だが、返答は意外とはっきりした声で返ってきた。 だが一拍返事が遅れたのは何故だ。 隣で執事が僅かに表情を動かしたのも気になったが、興味のない娘のことを問い正す無駄な労力を惜しんでそのまま流してしまうことにする。 「お前がどういった手管であの男を篭絡したのかは興味もない。お前を養えという条件が付いている以上、放り出すつもりもない。今のところはな。目に余る所業さえしなければ、成人して他家に嫁ぐまでこの家で好きに過ごすが良い」 「はい」 瑠璃色の瞳はガラス玉のように無機質だった。 不仲だった父親の死去に伴い、ロイエンタールは居を官舎から邸へと移した。邸ならば日常の雑事をこなすメイドがいるからだ。 たかがそれだけの理由だったというのに、邸に越して一日目の帰宅で顔をしかめることになる。 「おかえりなさいませ」 執事とともに置物の少女が出迎えたからだ。 「……別にお前をメイドとして置いているわけではない。そういう真似はよせ」 冷たく言い捨てたが、少女は特に傷ついたというような表情も見せず、淡々と静かに頭を下げて部屋に引き取った。 「お嬢様はお寂しいのでしょう」 主からコートを受け取りながら執事が控えめに口を開く。 「ならば外で友でも作れば良い。外出を禁じているわけでもあるまいに」 知ったことではないとロイエンタールは切り捨てた。 「以前、オスカー様にお会いできる日を楽しみなさっておられたのですが」 「あれでか?」 「きっとまだ緊張なさっているのでしょう。とても綺麗に笑う方ですよ」 「そうか」 まるで興味ない主に、執事は困惑したように黙り込んだ。 それからの一週間は平穏に過ぎた。 その間、最初に出迎えるなと言ったとおりに少女が玄関先でロイエンタールを待つことはなかったが、代わりに帰宅すると必ず部屋に挨拶に訪ねて来るようになった。 鬱陶しいがそれまで邪険にするとまるでロイエンタールの方が悪いようで、適当にあしらっておくことにする。 機嫌など取らずとも、放り出さないと言ってあるというのに。 いわゆる実戦部隊に籍を置くロイエンタールは、開戦が近い時期でなければ特に忙しいということはない。もちろん大佐の地位に相応しくそれなりに仕事は存在するので暇というわけでもない。 それでも、ちょうど夜を共に過ごす相手がいなかったこともあってほとんどの夕食はと共に食卓についた。 ただし、会話など一切ない静かな食卓ではあったが。 執事は少女が寂しいのだとか緊張しているのだとか言っていたが、ロイエンタールから手を差し伸べるつもりはない。 ある日突然、妹だと告げられてそれを受け入れる気になれるものか。 父親の人形遊びの後始末に養育するのだから文句はないだろう。 大体、亡き妻を連想させる少女を連れ帰って娘にするという父親の病んだ精神構造に嫌悪こそすれ、奨励も同調もする気も起きない。 むしろ黒く長い艶やか髪も、ガラス玉のような瑠璃色の瞳も、白く美しい小さな手も、母親を連想させるものは、吐き気すら覚えた。 ナイフを置いて向かいの少女を見ると、それに気付いたように少女も顔を上げてロイエンタールをじっと見つめる。 この瞳に、嫌悪や傲慢の色が浮かんでいれば、親の財産などうち棄ててでも少女を引き取る気にはなれなかっただろう。 母をより鮮明に思い出させたのならば。 その日は風の強い夜だった。 そろそろ寝ようと読んでいた本を閉じてテーブルライトを消して書斎を出る。廊下でも窓はガタガタと風に揺れてうるさく鳴っている。 窓の外を眺めた目を廊下に戻すと、向こうの端に白い影が横切った様子が見えた。 あちらは死んだ父の寝室のあった方だ。 幽霊などというものの存在は露ほども信じていないが、こんな夜中にメイドが掃除ということもあるまい。住人がいないのにベッドメイクということもあるはずもない。 邸の者ならどうでもよいが、それなりの邸であるから侵入者ということもありうる。 書斎に取って返しブラスターを腰に挟み込んで、廊下の端にある部屋へと足を向けた。 無人のはずの寝室のドアは僅かに開いていて、誰かこの部屋にいるということは確かだった。僅かな隙間から気配を探るが、誰かか活動しているらしい動きもない。 そっとドアを押して音もなく隙間を広げると、暗がりのベッドの上に月明かりの元、白い塊があった。 なんだと疑問に思うよりも早く、その塊が僅かに動いた。 頭からシーツを被った人間がこちらに背を向けている姿だとわかる。 そうなると回答はすぐに出た。 どうやら塊の正体はだ。 メイドがこんな夜中に元主人の部屋でシーツを被ることなどありえないだろう。 あの娘が寂しいのだろうと評した執事の言葉を思い出した。 だからなんだ、俺には関係ない。 ロイエンタールはそのまま踵を返して部屋に戻ろうとした。 娘が寂しがっていようと、亡き養父を恋しがっていようと関係ない。泣いているなら余計に関わりたくないし、縋り付かれるのも厄介だ。 あるいは感傷に浸っているところを邪魔することもないだろう。 廊下を数歩歩き、溜息を吐いて髪に手を突っ込んで頭を掻いた。 寒々しい部屋で、ベッドに丸まっていたシーツの塊を思うと、せめて暖炉の火でも入れればいいだろうという気になったのだ。 放っておいて風邪を引かれても気分が悪いと、故人の寝室へ取って返す。 今度は音を立てることも気にも留めずに扉を開いてシーツの塊に声をかけた。 「おい」 白い塊がびくりと震える。 「暖炉の火でも入れればよかろう。こんな寒い部屋で病気になられるのも迷惑だ。火の入れ方がわからんのなら部屋に戻れ。感傷に浸りたければ昼間にしろ」 だが白い塊はベッドの上から動かない。 一応声は掛けたのだから、義理は果たしたとも思ったが、無視されるというのも癪に障る。 無言でベッドまで歩み寄ると、シーツごと膝を抱えていた腕を吊り上げるようにして引き上げた。 「いい加減にしろ、部屋に戻……」 先ほど寂しがっているという執事の言葉を思い出した。 感傷に浸っているのか、故人を恋しがっているのかと思いもした。 それなのに、引き摺られるようにして顔を上げた娘の瑠璃色の瞳から零れ落ちる涙を見たときは呼吸を止めてしまった。 ガラス玉のようだった瞳は悲しみに染まり、ロイエンタールと視線を合わせるとすぐに俯いてしまう。 彼女の方から視線を逸らされたのは初めてだと気付くと、何故か酷く衝撃を受けて、その衝撃を受けたことに苛立ちを覚える。 いつでもじっと正面から見返して。 見ることも疎むように目を合わせたことのなかった父親とも、嫌悪と恐怖をはらんだ瞳で見下ろしていた母親とも違う。 ガラスのように、何の感情も含まない純粋な瞳。含んでいなかった瞳が。 少女は俯いて涙を拭いながら、消え入りそうな声で小さく謝罪した。 「すみません……戻ります」 葬儀の当日ですらはっきりとした声で受け答えしていたというのに、震える声も、細い腕も、小さな少女が更に小さく見える。 耐えていたのだろうか。 泣かないように。 寂しさを見せないように。 この娘は綺麗に笑うのだと執事は言っていた。 義理の兄に会うことを楽しみにしていたというのに、一度もそんな素振りを見せたことはなかった。 ないのだと、思い込んでいた。 邪険にされようと、適当にあしらわれようと、まるで存在そのものを無視していようと、毎日朝と夜には挨拶に訪れ、必ず食卓を共にしたのは、身元引受人に対するただの機嫌取りだとそう勝手に思い込んでいた。 「……あの男は、そんなに惜しむほどお前を寵愛したのか?」 「か……家族だと、言ってくださいました」 ロイエンタールが手を離すと、少女はまたシーツを被ってベッドの上で丸くなった。 「何もない……身寄りも……わ、わたし自身さえ……何もないわたしを………」 そんな博愛精神の持ち主だっただろうかといぶかしむが、最愛の妻には盲目的だった男だ。妻に似た娘をわざわざ探し出したというのならば、可愛がることもあるだろう。 だが、娘の声が奇妙に裏返る。 「何もないから……」 これでは自分が泣かせてしまったようだと居心地悪く、慌てた声は冷たい響きを含んでいた。冷たかったはずだ。 「わかった。わかったから部屋に戻れ、」 叱られたはずの少女は勢いよく起き上がり、肩から落ちたシーツを背中に残しながらロイエンタールのナイトガウンを握り締める。 「もう一度呼んでください」 「……なに?」 「もう一度呼んで……」 「わけのわからぬことを……」 ロイエンタールが眉を寄せて呟くと、少女はガウンから手を離して力なくぱたりとベッドに落とした。 「すみません……」 大体、ロイエンタールは女という存在が苦手だ。 女はずる賢く計算高く、欺くことを得意するものだという偏見がある。偏見だという自覚はあるが、訂正する気のない偏見だ。 涙にくれていたまだ幼い少女が、肩を落として落ち込む姿というのはそれこそ同情を引こうと計算され尽くしているように見えて、苛立ちを覚えるというのに僅かな罪悪感も覚える。それこそが女の計算だろうに。 ロイエンタールは湧き上がる不快感に、名前を呼ぶくらいで得も損も生じるわけでもないと自らに言い聞かせて少女の願いを叶えてやることにした。たかが一言だ。 「、部屋に戻れ」 だが願いを聞き届けられた少女は、弾かれたように顔を上げると、ゆっくりと微笑んだのだ。 嬉しそうに微笑みながら、瑠璃色の瞳から涙を零し、そして頷いた。 「はい。戻ります」 確かにその微笑みは、儚く消えてしまいそうなほどに美しかった。 |
ロイエンタール義妹、出会い編の前編。 ロエンタールが大佐ということで、27歳のときだと判明していますが、 この話は原作とは時間軸くらいしかリンクしないかと思われます。 |