「これは皇子殿下。急なお越しで驚きましたわ」
城のエントランスへ入ったところで、黒髪の妖艶な美女に迎えられてラインハルトは旅の間で少し汚れた外套を後ろに払った。
「国内を視察している旅の最中で、近くを通りかかった。侯爵夫人が王都を出てから、まだ会う機会がないままだったので、以前の誼もあるゆえな」
「まあ、たった二人しか供を連れずに、未来の皇帝が視察だなんて」
うっすらと額に青筋を浮かべながらも、扇を広げて笑みを浮かべる侯爵夫人と、にこりともしないラインハルトを、キルヒアイスの腕に抱えられたまま見比べていたは、頃合を見計らって腕から飛び降りた。
「あっ」
身軽に床に着地すると、掴もうと屈んだキルヒアイスの腕を避けて、素早い動きで侯爵夫人の横を抜けて城の奥へと駆けて行く。
「キルヒアイス!何をしている!」
「も、申し訳ありません、殿下。探して参ります」
キルヒアイスが慌てて黒猫の後を追おうとすると、侯爵夫人はピシャリと音を立てて扇を閉ざしてそれを振った。
エントランスの左右に控えていた兵士が、それを合図に黒猫を追って走っていく。
「構いませんわ、殿下。殿下の愛猫は我が城の者がお捜しして、丁重にお返しいたします」
「そうか、面倒を掛ける」
ラインハルトはキルヒアイスとオーベルシュタインを伴って、案内されるままに客間へと向かった。


侯爵夫人が皇帝の寵愛を受けて王宮で暮らしていたころから、ラインハルトと侯爵夫人の仲は良くなかった。良くないというよりは、悪かったというほうが正しいかもしれない。
穏やかなアンネローゼとは違い、気性の荒いラインハルトは自分を敵視する相手に、元より容赦がなかったからだ。
姉の行方不明中に視察に出るなどおかしな話で、ましてそんな仲の悪かった相手の元へ、用もないのに顔を出すはずもない。ラインハルトが訪れただけでも侯爵夫人は警戒しているだろう。
だが、正面きって訪問という形をとっている以上は、様子を見るはずだ。そしてラインハルトが供を二人しか連れていないことにも油断してこちらの出方を待つだろう。
ラインハルトは、ただ時間を稼げばいい。
他愛もない視察中の国内の様子を語るラインハルトに、侯爵夫人が警戒しているとすれば、気を許した隙に何か証拠になるようなことを零さないかということくらいだろう。
そんな時間稼ぎも、それほど時間を必要としなかった。まだ語る内容が尽きる前に、捕獲された黒猫が連れてこられたからだ。
「奥方様!無事に捕まえました!」
「ああ、よかった。殿下の愛猫に怪我などさせていませんね?」
「もちろんでございます。逃げるのに飽きたのか、最後には自らこちらに歩み寄ってきま したので」
侯爵夫人の部下の言葉に、ラインハルトは笑みを浮かべて席を立つ。
「そうか、面倒を掛けて済まなかったな。おいで
ラインハルトが手を差し出すと、兵士の腕から飛び降りた黒猫は、一直線に皇子ではなく魔道士の足元に擦り寄った。
その瞬間、キルヒアイスの剣が鞘走り、その切っ先が向かいに座っていた侯爵夫人の首元に当てられる。
「なっ……」
室内の侯爵夫人の部下達は誰一人その抜き打ちに反応できなかった。
「で、殿下!こ、これは一体、何の真似です!?」
「何の真似?それはこちらのセリフだ。オーベルシュタイン!」
ラインハルトの後ろでオーベルシュタインが杖を振ると、黒猫は数秒のうちに少女に姿を変える。
「なっ……なに!?なんなのお前は!?」
猫が少女になった瞬間を目撃した侯爵夫人が悲鳴を上げたが、それに掻き消されないほどの強い声で、は窓の外を指差す。
「姫様は西の塔の最上階にいたよ!」
「………っでたらめよ!」
「このの言葉が偽りだというのなら、もちろん西の塔の最上階を見せてもらえるな、侯爵夫人?」
息を飲んだ侯爵夫人の首元に、キルヒアイスの剣の切っ先が更に押し付けられる。
「それとも、この場でキルヒアイスに首を落とされることと、どちらを選ぶ」
侯爵夫人は力なく、床に座り込んだ。


「皇子の作戦は、皇子が時間を稼いでいる間にわたしが姫様を探し出してくることだったんです。わたしなら姫様の居場所が正確に判るからと。つまりわたしがいなければ成立しない作戦だったのです!」
助け出されたアンネローゼは、人間の姿のに驚いたものの、ことのすべてを聞いてからは帰りの馬車の中で、膝に甘えてくる少女の髪を優しく撫でてその話を聞いていた。
「そう……お手柄ね。あなたのお陰で誰の血も流れずに済んだのですもの」
真っ先に主を押さえられた侯爵夫人の部下達は早々に抵抗を諦めて、戦闘は一度も起こらなかった。
「作戦を立てたのは俺だ」
「でも実行したのはわたしだもん!追っ手を撒きながら姫様を探すのは大変だったんだから!」
「ありがとう、、ラインハルト。ジークとオーベルシュタイン殿にも、後で改めて御礼を言わないといけないわね」
本性が猫の少女と、同等の喧嘩を繰り広げる弟に、アンネローゼはくすくすと笑みを零しながら頷いた。




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