白雪姫が城から姿を消して数日、城にいるは再び鏡に問い掛けた。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいものはだれかしら?」
絶対の自信をもって訊ねたは、自分の姿がそのまま映ることを期待して鏡を覗き込んでいた。
しかし鏡に映った像は揺らぎ、続いて以前と同じく金の髪、青い目をした美しい青年を映し出す。
「ビッテンフェルト!卿は右側面の木を、ファーレンハイトは左を切り倒せ!ミッターマイヤーは二人が拓いた先の枝を落とすことに専念せよ!」
ラインハルトは生き生きとして誰かに指示を出しているようだった。


果報は寝て待たない(2)


床に両手をついて項垂れるの頭を、大きな手が慰めるように軽く撫でる。
「……生きてるし」
「生きてるね。確かに。とても生き生きしてる」
「そうだよ!城から追い出されたのになんで誰かを使役してんの!?」
「そこはほら、ラインハルト様だから」
鏡から青年に姿を変えたキルヒアイスのあっさりとした返答に、妙に納得してしまったはそのことも含めて二重に落ち込んだ。
「姫は殺したと言っていたミュラー提督の言葉はなんだったわけ!?」
の人選ミスじゃないかな。ミュラー提督は優しいお人柄だから、自然を愛する姫を殺すことなんてできなかったんだろう」
自然を愛すると聞いて、の脳裡には生き生きと木々を伐採する指示を出している白雪姫の姿が浮かんだ。
「……もういい。終わったことをとやかく言っても仕方がないし、こうなったらこの手で直接」
「直接?どう考えても腕力では敵いそうにないけど?」
キルヒアイスが軽く指を回すと、二人の前に小さな鏡が現れる。森の樵たちはラインハルトの命令に不満を見せることもなく従っている。
「……ジーク、わたしは魔女なんだから、魔女らしい絡め手でいくよ。当然じゃないの!」
「魔女らしい絡め手……か」
結果は見えているように思えたが、主の気の済むようにしてもらおうとキルヒアイスは黙っていることにした。


相変わらず片付かない狭い小屋の中で、七人の男と白雪姫はささやかな夕食の準備に取り掛かっていた。
「白雪姫が来てからというもの、仕事の効率が上がって助かっている。なあ、ワーレン、卿もそう思わんか」
「そんなことは確認するまでもなく、誰もが判っていることだ」
薪を割るビッテンフェルトの横で、狩ってきた獣を捌いていたワーレンは素っ気無く返す。
「しかしあれですね、姫はいつまでもこんな鄙びた場所にいるべき方ではありませんよね」
開いた魚を洗っていたフェルナーが顔を上げて話に参加すると、火を起こしていたケスラーも頷いた。
「姫のお話によると何者かに命を狙われたということだが、犯人は王妃と判っているのだろう?いつ城に戻られても不思議ではない、か」
「もし姫がここを出て行かれるというのなら、それに従おう。我等とていつまでもこの様なところで燻っているつもりはない」
井戸から水を引き上げたファーレンハイトが桶に手を掛け振り返ると、他の四人も深く頷いた。
「ミッターマイヤーとオーベルシュタインはどうだろうか」
ワーレンが家に視線を転じると、窓からチェスに興じているラインハルトとその相手になっているオーベルシュタインが見えた。ミッターマイヤーは食事前に荒れ放題の家の中でテーブルの上だけでも簡易的に片付けているところだ。
「ミッターマイヤーは同意するだろう。問題は何を考えているか判らないオーベルシュタインのほうだと思うが」
「あんな男、残るというのなら一人残しておけばいいのだ!むしろそのほうが願ったり叶ったりではないか!」
ケスラーの懸念もビッテンフェルトにかかると一蹴されて終わってしまう。
二人の相性の悪さが判っている面々は、それに苦笑して顔を見合わせるだけだった。
家の中では、そんな外の会話が聞こえていたわけではなかったが、ポーンの駒を動かしたオーベルシュタインも同じ話題を持ち出した。
「時に白雪姫はいつ城に戻るおつもりか」
「城に?さあな」
盤面を眺めながら指先で軽く顎をなぞったラインハルトに、熱の篭らない視線が向かう。
「このまま王妃の好きにさせておくと?」
「そうは言っていない。いくらあいつがうかつでも、仕事の仕上げくらいは確認するだろう。そうすれば俺が生きていることは判るはずだ。我慢というものを知らん奴だからな。放って置けばあいつから動き出す」
黙礼したオーベルシュタインの横で話を聞いていたミッターマイヤーは天井を仰いだ。
「救いの手が必要なのは誰なのやら……」


数日後、森の入り口に黒いローブを着たが仁王立ちしていた。
後ろには、自力で歩けと言われて人間に姿を変えたままのキルヒアイスが従っている。
「それで、一体ラインハルト様にどんな方法で対抗するつもりなんだい?」
黒いローブを翻し振り返ったが手にした籠に掛けた布を僅かにずらすと、つやつやとした赤い果実が見えた。
「一口食べればこれであの世行き!猛毒仕込みの毒リンゴよ。非力な身ではこれくらいしないと勝てないもの」
「非力な身なんて嘆く人は、普通毒殺なんて試みないよ……」
溜息をつくキルヒアイスは放っておいて、はローブのフードを引っ張り上げて目深に被った。
「見てなさいよラインハルト、たまにはギャフンと言わせてやるんだから!」
「無理だと思うんだけどなあ……」
は意気揚揚と森の小人……七人の樵たちの小屋へ向かって歩き出した。
「問題は、ラインハルトの場合は家で留守番してるわけじゃないことよね。どうして城で蝶よ花よと育てられたはずの姫が現場に出て行くのかしら。どうにか周囲と引き離さないと、いくらなんでも全員同時にリンゴを食べさせることなんてできないし……」
、いえ王妃様。無関係の者まで巻き込むのはどうかと」
「そんなこと気にする人間が毒殺なんてやろうとするはずないでしょ!?悪役に良心を訴えるな!」
「いや、王妃にはこうやって諌めてくれる存在がいなかったのだろうと思うと、言わずにはいられなくて」
「ジークには勧善懲悪とカタルシスについて一から考えてみてもらいたいわ」
自分で懲悪と言ってしまうのはどうだろう、とは心の中だけで思うことにした。
森を歩くこと数時間、優雅に周囲の景色を楽しみながら後ろに従っていたキルヒアイスの目から見ても、主の王妃は疲れきっていた。
城の奥でゆったりと暮らしていたということでは、も白雪姫ラインハルトも同じなのだ。
おまけに、森を散策するつもりで身軽な格好で踏み込んだラインハルトとは違い、は正体が知られないようにと歩きにくい長いローブをずるずると引き摺るようにして歩いていて、顔を隠そうと目深に被った黒い布は熱を吸収してさぞかし暑いことだろう。
ぜーぜーと肩で息をする主が気の毒になって、キルヒアイスは手を差し出した。
「後は僕が行ってこようか?は城で待っていてくれたら……」
「ミュラー提督で失敗したのは、人任せにしたからよ!人がいいという点では、ジークも提督といい勝負だもん。自分で行く!」
どうしてこの情熱が毒殺などという後ろ向きな行為に繋がるのが、キルヒアイスには非常に謎だった。
森で仕事中の樵達を探すつもりだったのだが、道なりに歩いたはまっすぐに七人の樵の家に到着してしまう。
「……しまった。今は無人なんじゃ」
道なりに歩けばこういう結果になることは判っていたが、あえて口を噤んでいたキルヒアイスはとぼけて木々の間から空を見上げた。いっそ毒殺計画なんて失敗すればいいと思っていたのだ。
「あ、来た!しかも上手い具合に一人だわ!」
そんな良心的な鏡の思惑とは裏腹に、一人先にラインハルトが小屋に戻ってきてしまった。


「今日も悪くない収穫になりそうだな」
本日は狩りの方へ同行していたラインハルトは、満足げな足取りでまず井戸に向かう。
狩りで走り回った心地良い疲労を感じながら水を飲もうと井戸の水を汲み上げ始める。
そこに人の気配を感じて振り返った。
「誰だ?」
「もし」
現れたのは、こんな森深くではいかにも不向きなローブをまとった小柄な人物だった。低く抑えた声は老婆を演じているのかもしれないが、張りがあって本来は歳若いのだとすぐに判る。
いかにも怪しい。
「喉が渇いているのなら、リンゴはいかが?」
「急に現れた不審な相手から渡されたものを口にするほど愚かなつもりはない」
「ああ、ああ、なるほど。これはね、森の向こうの村に住む、親戚のうちへ持っていくリンゴなんだよ。けれど数を多く持って来すぎて籠が重くて疲れちゃってね。捨てるのはもったいないし、せっかくだから誰かに食べてもらえればと思ったのだけど」
「森へ捨てても無駄にはなるまい。森にはいくらでも獣がいるし、木の根本にでも置いておけば、やがて朽果てて肥料代わりになる」
「そういうことを言ってるんじゃなくて!あ……いや、せっかく甘くて美味しいリンゴを腐らせるなんてもったいないだろう?」
ラインハルトは溜息をついて井戸の桶を繋いだ弦から手を離した。
「ならばあなたも一緒に食べるといい。森を歩いてきたなら疲れただろう」
「え!?ああ、そ、そうだね。じゃあこれはあんたにあげるから、わたしはこっちのリンゴを食べ……」
手にしていたリンゴをラインハルトに押し付けて、黒いローブの人物は籠の中の別のリンゴを手にする。
「二つも消費することもないだろう。まだ歩くというのなら、あまり腹一杯に食べてしまうと堪えるぞ。半分に分けよう」
「わ、わたしはいらない!そ、そっちのほうが甘くて美味しいからそれはあんたが!」
「甘くて美味いというのなら、なおさらこれを食べて元気になるといい。さあ」
「いら、いら、いら、いらない〜っ!!」
口元までリンゴを押し付けられたが悲鳴を上げると、森のほうから蹄の音が聞こえた。
「悲鳴が聞こえたから来てみれば、一体何をしている!」
茂みを蹴倒して馬に乗って現れたダークブラウンの髪の青年は、リンゴを手にした絶世の美男子と、そのリンゴを押し付けられて海老反り状態まで反り返っているフードで顔を隠した人物に眉を潜めた。
「……本当に何をしているのだ?」
「む、卿は隣国の王子か。宴席で見たことがあるぞ。確かロイエンタールとか言ったな。これは過度な悪戯を試みる愚か者に罰を与えていたところだ。趣味だと思われては心外だぞ」
ラインハルトはリンゴを引くと、素早く黒いローブのフードを取り去った。
「あっ」
慌ててが抑えようとしてもすでに遅い。森歩きでくたくたになってほつれた黒髪が零れ落ちて、は片手で顔を隠しながら後退りした。
「気付いてたの!?」
「同じ城で暮らしていたのというのに、多少声を変えただけで判らんはずがなかろう」
「……兄妹喧嘩か?」
「親子だよ、一応!」
ロイエンタールは眉を潜めた。隣国の姫と後妻の王妃なのだから親子には違いないが、王妃のほうが年下の少女で、どう見ても悪戯をした妹を叱る兄の図にしか見えない。
ラインハルトはの籠の一番上にリンゴを置いて、呆れたように溜息をつく。
「とにかく、これで判ったか?お前は暗殺などという区々たる策略には向かない性格だ。なにしろ、やることなすこと大雑把すぎる。キルヒアイスは止めなかったのか」
「失敗すれば判ってくれるかと思いまして」
森で様子を伺っていたキルヒアイスも姿を見せて、三人から呆れた視線を向けられたは疲れてきって地面に座り込んだ。
「なによ、もー!全部バレてたなんて、馬鹿みたいじゃないのー」
「……最後まで待たされて、役が兄妹喧嘩を止めるだけという俺よりそれは不満なのか」
「親子だってばっ!」
怒鳴り返したは、籠の中のリンゴを掴んだ。
「馬鹿馬鹿しくて疲れたよ」
「あ、おいそれは毒リンゴなんじゃ」
ラインハルトが止める前に一口かじったは、軽く手を振って否定した。
「毒を仕込んだのはラインハルトに渡した一個だけだから、残りのこっちは全部大丈夫だよ。もしも毒味しろって言われた時のことも、一応は考えてたんだよー」
「……それは今、俺が籠に戻したやつだぞ」
「え!?うそっ!いつの間に戻し……っく……苦し……」
短い悲鳴を上げてすぐに喉を抑えて苦しみ出したに、それまで呆れていた三人の男たちは蒼白になってその背中を叩いたり口に指を突っ込んでリンゴの欠片を吐かせようと試みる。
「馬鹿!お前は本当に最後まで馬鹿だ!」
!吐いて!早くっ」
「指を噛むな!喉の奥まで届かんだろう!」
どうにかにリンゴを吐かせようとする三人の後ろに、ぬっと人影が現れる。
「白雪姫といえば、口付けで蘇生というのが一般的な通説ですな」
「オーベルシュタイン!」
人影を振り仰いだラインハルトは、さらにその後ろから慌てて駆けてくるミッターマイヤーの姿を見つけた。
「何をしているロイエンタール!それは卿の役目だろう!」
「俺が!?閣下の前で俺に何をしろというのだ!」
「卿がいまさら人前であることに照れる柄か!卿は一体誰を助けるのかと思ったが、そうかを助ける役だったのだな!」
「勝手に納得するな!それに問題は人前ということではなく、閣下の前ということで……」
「ロイエンタール!卿は私の前でなければに口付けしたというのか!」
「そういうわけではっ」
「キルヒアイス提督、そのまま口を開けておくように押さえておいてもらいたい」
口付けをする、しないでもめている三人を余所に、瀕死の王妃は忠実なる鏡の手によって口を大きくこじ開けられ、オーベルシュタインに喉の奥まで指を突っ込まれてリンゴの欠片を取り出された。
「………も、もうこりごり……」
九死に一生を得たは、キルヒアイスに背中をさすられて、涙ながらにえづきながら自らの行いを反省した。
これ以降、深く反省した王妃が白雪姫の暗殺を試みることもなくなり、王妃の策略で逆に七人の優秀な人材を手に入れて城に戻ったラインハルトは、末永く国を平和に治めたという。








童話、白雪姫……もどきでした(^^;)
だれが気の毒って、たぶんミュラーが一番可哀想……(苦笑)
本当は7人の小人にはメックリンガーが入るはずが、不潔な家は嫌だとフェルナーに役が
移ったとか、後妻に好き勝手させているダメ王様がフレーゲルだとか、他にも決まっている
ことはあったんですが入れ損ねましたorz


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