昔々、とある国に、雪のように白い肌をした美しい王女がお生まれになりました。 王様はたいそう姫を可愛がり、年頃に成長した姫はそれは輝くばかりの美しさを持つようになりました。 数年前に妃を亡くしたきりだった王様は、姫の成長に安堵すると、自らもまた妖艶な美しさを持つ美女を新たな妃に迎えました。 しかしその新しいお妃様は、実は魔女だったのです。 お妃様は、この世の真実を見通す鏡を持っておりました。 「鏡よ鏡、この世でもっとも美しい者はだれかしら?」 今までお妃様がその問いを投げかけると、等身大のその大きな鏡は必ず妃自身の姿を映し、「それはあなたです」と答えていました。 しかしその日は違ったのです。 鏡に映ったのは、妃の黒い髪ではなく美しいブロンド。紫色の瞳ではなく、青い瞳。 「それはこのラインハルト姫です」 「なんで姉さまじゃないのよ!」 は思わず鏡を蹴り倒した。 果報は寝て待たない(1) 「第一、わたしが意地悪魔女王妃ってのもミスキャストじゃないの!?」 「だってが、追い出されたら追い出されたらまま、人のうちに転がり込んだら転がり込んだまま、いきなりやって来たいかにも怪しい訪問販売のものをその場で口にするような馬鹿役は嫌だって言うから」 床に蹴り倒された鏡は赤毛の青年に姿を変えて自分で起き上がると、強かに打った腰を擦りながら、溜息をつく。 「アンネローゼ様に森をうろつくような役はさせたくないということで、白雪姫はラインハルト様が引き受けることに……」 「すでにのっけから暗雲が立ち込めているような気がするキャストだよね」 「でも王妃をベーネミュンデ侯爵夫人、白雪姫をアンネローゼ様にしてしまうと冗談ではすまないから……」 「はいはい、判りました。判りましたよ」 「ミスキャストと言えば、妖艶な魔女がお前というところが一番のミスキャストだろう」 幕の向こうから聞こえた馴染みの男の言葉に、はヒールを投げつけた。 「出番まで黙らっしゃい!えーと、次。姫を森で殺害するように命令。従者を呼びつける、と。えー、従者は……ミュラー提督!」 「はい、王妃様。お呼びでしょうか」 幕の後ろから現れた青年は、片膝を床につき、砂色の髪を揺らして頭を垂れる。 「お前を見込んで、大切なことを命じる。必ず成し遂げるように」 「はい、なんなりと」 は満足げに微笑み椅子に座りながら、扇を広げて口元を覆った。 「白雪姫、ラインハルトを森に連れて行って事故を装って殺しておしまい」 「そ、そんなっ!」 蒼白になった青年に、が扇を閉じて軽く振ると、鏡から変じたキルヒアイスが大きな袋を差し出した。 ミュラーが受け取った袋は両手で持ってもずしりと重く、括った口から金の輝きが見える。 「病気の妹がいるんですってね。どうしても入用ではないかと思ったのだけど」 にっこりと微笑む王妃に、ミュラーは言葉もなく金貨が詰められた袋をじっと見ていた。 ミュラーが黙って、深く頭を下げて退出すると、は声を上げて笑う。 「これでこの世で一番美しい女は、再びわたしになるんだわ!……悪役も結構楽しいかも」 「だからあいつがこの世で一番美しいというのはどうかと……」 は片方残っていたヒールを再び幕に向かって投げつけた。 一方、城の従者ミュラーに森への散歩を勧められた自然と動物を愛する美しい白雪姫ラインハルトは、軽く眉を潜めて嘆息した。 「森で花摘み?面倒だな」 「あの……閣下……いえ姫。姫は動物と自然が大好きだと……えー……ある筋から伺ったのですが」 「ああ、そうか、そうだったな。では行かねばなるまい」 ラインハルトは億劫そうに椅子から立ち上がると、机の引き出しからブラスターを取り出す。 「閣下!いえ、姫!ブラスターはいけません、置いて行ってください!」 弓を肩にかけたミュラーの今にも泣き出しそうな懇願に、ラインハルトは再び眉をひそめた。 「最低限の武装は常識だろう」 「それは従者の常識です。姫は護られるべき方ですから、武器をお持ちになることはありません」 「ふむ……そうか。まあいいだろう」 森で散策と聞いて、ラインハルトは動きやすいように簡素なシャツとスラックスに着替えて、行くと決めた以上は颯爽とした足取りで歩き出す。 「………弓ではたぶん、返り討ち確定なのでは」 こうして何も知らない無邪気な姫と、悲愴な覚悟を決めた従者は二人で森へと出かけることになりました。 「しかし、一国の王女がいかに城の従者といえど、男と二人きりで誰もいない森へ行こうということ自体が軽率だな」 「はあ……」 「このような役を俺がするのは馬鹿馬鹿しいが、やるからには完璧にやろう。さあミュラー、弓を構えろ!」 「もうですか!?」 森の入り口で、両手を広げてどんどこいの姿勢で構えるラインハルトに、ミュラーは声を裏返して悲鳴を上げる。 「普通こういうことは、もっと森の奥で行うものでは……」 「王妃に殺されかけた以上、城に戻ることができないというのなら、見逃すのは森の奥でも、森の入り口でも同じだろう」 「いえ、見逃すと決めるのは、森で動物と戯れる姫の姿に不憫になるからなのですが……」 ミュラーは嘆息しながら弓を構えた。 「閣下、いえ姫。私はあなた様を殺すようにとの命を受けてここまで誘い出しました。しかしあなたを殺すことは、私にはできません。城に戻っても、あなたは再び命を狙われることとなるでしょう。どうかこのまま落ち延びて、お命をまっとうなさってください。あなたのことは殺したと報告いたします」 「いいだろう。卿には卿の立場があるだろうからな。このまま城には戻らん。ご苦労だった」 弓を構えられているというのに、どこまでも尊大な白雪姫は、悠々とした足取りで従者に別れを告げると森へと向かって歩き出した。 その背中が森の木々の間に消えると、ミュラーはほっと息をついて弓を納める。 「あの姫様ではいずれ宮廷闘争に発展しそうな気がするが……報告が済めば荷物をまとめて田舎に隠棲しよう……」 「しかし、考えてみれば白雪姫とは城の奥で育てられた、自分では何も出来ない小娘のはずだ。従者は憐憫をかけたつもりかもしれんが、これは自分の手を汚さなかっただけで野垂れ死にさせるだけのような気がするな」 妃の魔の手を逃れて森の奥へと入っていくラインハルトは、道を歩きながら腕を組んで周囲を見回した。 「まあ死ねばそれまでだ。木の根を噛り付こうと、泥水を啜ろうと、生きてさえいれば王妃への復讐もいつかは図れるかもしれんが……それにしても妙だな。人の住まない森のはずなのに、明らかに生活の痕跡がある」 踏み慣らされた道、刃物で切った木の切り口など、それらを手掛かりにラインハルトは迷うことなく森の奥へと入っていく。 城の奥で慎ましく暮らしていた割には健脚な白雪姫は、日が高いうちに森の奥の拓けた場所まで辿り付いた。 「やはりな……誰かいるとは思っていたが、家があるじゃないか」 ラインハルトは森の中にぽつりと建つ、一軒の小屋に近づくとその扉を叩いた。 「誰かいないか?申し訳ないが仮の宿を頼みたい」 扉を叩いてみても返答はない。 もう一度繰り返してみたが同じだったので、試しにドアノブを握ってみた。 「む、開いているぞ。無用心な。いや、誰もこない森だから鍵は必要ないのか……すまんが邪魔をする」 扉を開け、一応声は掛けたが返事はない。 無人の家に勝手に上がりこむことに罪悪感は覚えたものの、ひょっとすると小屋の持ち主は毎日ここへ帰ってくるのではなく、通いで森まで来ているのかも知れない。 家主の帰りを外で待ってみて、結局だれも帰ってこないなどとなったときの体力の消耗を考えて、家に入って家主の帰りを待つことにした。 「……いや、これはここで暮らしているな」 小屋一杯に散乱する汚れ物は、放置されたものというわけではなく日常の服や食器などだ。 激しい埃やくもの巣、それに長期間閉め切っていたようなすえた匂いもなく、少なくとも今日明日中には戻ってきそうな様子だ。 「ベッドも椅子も七つある。七人で暮らしているのか。この狭さ、果たして泊めてもらえるかどうか微妙なところだな」 床の洗濯物を蹴散らしながら進み、ラインハルトは壁際の椅子に腰掛けた。 「それにしても……どうしたものか。普通ならば妃をどうにかすべく策を練るべきだが、相手があいつだからな……あまり無体なことはしたくはないが」 排除できるのなら、とっくにしている。なるべく穏便にやっていこうとしていた結果がこれなのだ。 「むー……しかし、にはキルヒアイスがついているし、少々やり返しても滅多なことにはならなかったかもしれないな。甘やかし過ぎたか」 城に戻ったときにどうやって妃に反省を促してくれようかと考えていたラインハルトは、家の外から聞こえてくる人の話し声に顔を上げた。 「戻ってきたか」 組んだ足を降ろして椅子から立ち上がると、先ほど洗濯物を蹴散らして作った道を通って扉を開ける。 「すまない、邪魔をしている」 「おわっ!」 手を掛ける前に扉が開いて、扉の前に立っていたオレンジ色の髪の男が、肩に担いだ斧ごと後ろによろめく。 「うわっ!おい、ビッテンフェルト!危ないだろう!」 「おお、すまんワーレン。それより家の中から人が!」 「人?オーベルシュタインが先に戻っていただけでは……」 「いや、勝手に上がって悪かったが、誰もいなかったので少し休ませてもらった」 ビッテンフェルトの向こうから聞こえた青年の声に、やはり斧を担いでいたワーレンが目を丸める。 「客人か?」 ビッテンフェルトが横に避けると、戸口に金の髪も輝かしい美しい一人の青年が立っていた。その軽装といい、すべてが森深いこの小屋にそぐわない青年に、ビッテンフェルト同様ワーレンも絶句する。 「どうした、ふたりとも。そんなところに……」 後からやってきた蜂蜜色の髪の男も、ラインハルトの姿を見たとたんに足を止めて言葉を無くした。 「すまない、勝手に上がらせてらった……いちいち面倒だな。事情は全員揃った時に話すことにしても構わないか?」 勝手に上がりこんでいた上に、なぜか自分で仕切り始めたラインハルトだったが、その美しさに驚いた男たちは異論を挟まない。 だが、三人が帰ってきたのとは別の方向から低く静かな声が聞こえた。 「もしやあなたは、城に住むはずの白雪姫ではありませんか?」 「あ!オーベルシュタイン!貴様、また逃げただろう!斧を置いて消えるから、俺が二本も持って帰ってくるはめになったのだぞ!」 現れた半白の髪を持つ男に、ビッテンフェルトは我に返って食って掛かる。 しかしオーベルシュタインと呼ばれた男は、手にしていた魚を掲げて一言返した。 「適材適所だ」 「釣りに行くなら行くと、一言あるべきではないか!第一、森の小人は樵と相場が決まっているのだぞ!」 「実際問題として、木を切るだけで暮らしていけるはずがあるまい。第一、七人で暮らしているというのに、七人で揃って同じことをしていては効率が悪いことはなはだしい」 「ぐぐぐ……俺は、どうして貴様と一緒に暮らしている役をせねばならんのか、納得できん!」 「その件に関してのみは同意する」 「まあまあ、二人ともその辺で……」 蜂蜜色の髪の男が言い争う二人を宥めていると、更に三人の男が帰ってきた。 「どうしたミッターマイヤー。またビッテンフェルトとオーベルシュタインが揉めているのか?」 「ああ、ケスラー……ファーレンハイトとフェルナーも一緒か。いや、この二人のことより、客人が来ていて」 「揃ったようだな。邪魔をしている。そこのオーベルシュタインが言った通り、私はラインハルト。通称で白雪姫と呼ばれている」 小屋の住人が全員帰宅したところで、ラインハルトは一歩前へ出て名乗り上げる。 ウサギや鹿や、それぞれ獲物と弓矢を肩に担いで後から帰ってきた三人の男も、姫と聞いて唖然としてラインハルトを見上げた。 |