この手に掴めるもの(1) その巨大な門をくぐる時、は首を直角に曲げて真上を眺めていた。 「大きいねー」 ぽかんと大きく口を開けて呟く小さな少女がおかしかったらしく、立っていた門兵が笑う。 「そりゃあそうさ。なんと言ってもここはパルスが誇る、麗しの王都エクバターナだ!旅芸人だろうと、嬢ちゃんみたいな子供なら、きっとどこもかしこも物珍しくて目が回るだろうさ」 小さな子供と言われて、はむっと気分を害したように頬を膨らませる。 「小さくないよ!わたし今年で六つだし、笛が吹けるし、琵琶だって弾けるんだから!」 「!」 養母に叱りつけられてがびくりと小さく怯えると、周囲の兵士たちは笑って顎を撫でる。 「ほお、嬢ちゃんほど小さくても、もう芸ができるのか。妓楽とはまた楽しみじゃないか。 どの辺りで興行予定なんだ?」 兵士の気軽な質問に、隣にいた養父がすかさずにこやかに答えた。 「西の広場に。夜は西区のサルートという店に伝手がございますので、そちらでも無事に雇われましたら、日によって私と娘が演奏を、妻が踊りを披露しております。よろしければどうぞお越しください」 門を抜けると、母は美しい顔に渋い表情を浮かべての頭に拳骨を落とした。 「まったくもう、お前って子は」 「酷い母さん!お客が来てくれるかもしれないのに!」 「そうだそうだー、娘よ頑張れー」 「あんなのはその場の話。本当の客引きになったわけないでしょう」 「そうだそうだー。母さんの言う通りー」 甘いわね、と鼻で笑って手を振った養母の隣で、養父が顎を撫でながらうんうんと頷く。 「父さん……どっちの味方?」 「ん、父さんか?父さんはな、強い者の味方だ!」 「自信満々で言い切るなっ」 が拳で追いかけると、養父は軽く笑って逃げる。 後ろから母の呆れた溜息と、エクバターナまで一緒に旅してきた隊商の人たちの笑い声が聞こえた。 「あ……っ」 父親に釣られてそのまま走っていってしまうところだった。 旅をする間、同じ旅人同士が盗賊対策として道行を共にすることはよくある話だ。 今回はちょうどよい具合にエクバターナへ向かう隊商と会えたので、こちらが同行させてもらう形で一緒にここまで来たのだ。 は慌てて振り返って、この十数日を共に旅した大人たちに手を振る。 「今日までありがとう!」 「こっちこそ、の演奏は楽しかったよ。エクバターナにいる間はまた会えるかもしれんな!」 隊商の長の老人が答えて、他の者も手を振ってくれる。 が大きく手を振って、父と母はの左右で深く頭を下げた。 隊商の人たちと別れ、両親の知り合いが経営するという酒場に向かって歩き出すと、養母は軽く息を吐いた。 「店で演奏させてくれたら一番いいけれど」 「そうだなあ、けど、店は店で酔っ払いがいるからなあ……」 両親の目が揃って心配そうに娘に降り、当のは憤慨して拳を突き上げる。 「わたし平気だもん!もう小さくないもん!」 「じゃあ宿が決まればにはさっそく、この間どうしても弾けなかった英雄王の四行詩を竪琴で頑張ってもらおうかな」 「……せ、せめて笛ならどうにか……」 にこりと笑った養母にが泣きを入れたところに、向かう先から声が掛かる。 「ルハーラ!」 養父の名を呼ぶ声に顔を上げると、大きく前へ腹が出た初老の男が身体を揺さぶりながら歩いてきた。 「王都に来ていたのかい。久しぶりだね」 「これは……久しぶりです、師匠。お元気そうでなによりです」 「お元気なものかね。この腹が邪魔でとうとう旅芸人は廃業したよ。お前さんは細君も綺麗で結構なことだね」 「あら。ありがとうございます」 母が機嫌よくころころと笑う様子を見上げて、はやってきた恰幅のよい男に深く感謝する。機嫌がよければ母の指導もほんの少しは厳しさがましになるのではないだろうかと思ったのだ。 「師匠は旅芸人を辞められた……ということは、今はこの王都にお住まいで?」 「あちこちの店にしがみついて、老い先短い身に食うに困らん程度には稼いでおるよ」 「食うに困らんって……」 は初老の男を上から下まで眺めた。 脂肪が弛んだ顎といい、大きく前へ出た腹といい、どう見てもそれは控えめな表現だ。 その呟きが聞こえたらしく、男はその視線を養母の脇にいるに向けた。 「おや……子供ができたのか」 「いえ、養女です。知人に頼み込まれて預かった子でして。おいで、」 手招かれて仕方なしに前へ出たの肩を抱いて、養父は朗らかに笑った。 「物覚えの速い子で、笛と踊りはなかなかですよ。師匠にも見せたいくらいです」 「誉めすぎ」 母が後ろから呆れた声で訂正したけれど、は誉められて嬉しそうに養父の腰に取りすがる。 「、父さんと母さんはこの人と少し話がある。西区のサルートという店に、ひとりで来れるというのなら、このまま王都の探検に出てもいいぞ」 「ほんと!?」 珍しい品物が並び、賑やかな町並みに興味津々だったは目を輝かせて養父を見上げる。 「ルハーラ!」 母が声を裏返して驚いても、いつもおおらか……悪く言えば適当な父は軽く手を振る。 「大丈夫だ。俺のは頭のよい子だから、道なんて人に聞いて判るよな?」 「うん!お店のことは、お店の人に聞けばいいんだよね!」 店舗を構えている者は、道行く人より正確に教えてくれるだろうとの教えを覚えている娘に満足したように頷いて、養父は軽く押し出してくれた。 「行っておいで。暗くなる前に店に来るんだぞ」 「はーい!」 「あ、待ちなさい……!」 「あの子はしっかりしてるから大丈夫だって」 「ルハーラ!あんたって人はっ」 「おやおや、普通はせめて宿くらいは確保してから遊びに送り出すものだろうに」 激怒する養母と、呆れたような養父の師匠という初老の男の呟きに、は連れ戻されないうちにと慌てて細い路地に逃げ込んだ。 いくつもの細い路地を通り抜け、は再び大通りに出た。 道行く人が多く行き交い、パルスのみならず諸外国の特産品も取り扱う店が建ち並び、その華やかさは見たことがないほど豪華な眺めだ。 「すごーい!」 は目を輝かせてひとつひとつの店を覗いて行く。 人込みに跳ね飛ばされるどころか、小さい身体を生かして人の間を器用にすり抜ける。 店先に並べられたセリカ産の布の数々を触らないようにしゃがみ込んで見ていると、後ろを何かが駆け抜けた。 振り返ると、と同じ歳頃の子供が五人ほど走っていく。 それについて行ってみる気になったのは、もちろんただの気まぐれだ。 大通りから路地裏に入った子供たちの後を追ったに最初に気付いたのは、一番後ろにいた子供だった。 自分が最後なのに、後ろから足音が聞こえたからだろう。 振り返って、の黒い瞳と視線がぶつかって驚いたように目を瞬く。 「だれ?」 友人の声に全員が足を止めて、も慌ててその場でたたらを踏んで止まった。 「勝手についてきてごめんなさい。わたし、今日エクバターナに着いたの。こっちに走って行くのが見えて」 「何かあると思ったんだね?」 最初にに気付いた子供がくすくすと笑う。 その瞳は限りなく黒に近いほどに深い青い色だ。まるで、雲ひとつなく晴れ渡った夜空のような色。 五人の子供は正面から見てもみんなと同じくらいの年頃で、少年か少女か、体格や声では見分けがつかない。 だが、その服装からは全員男の子であることが窺えた。 「何もないよ。みんなで遊びに行くだけだから。よかったら君も来る?」 「おい、アル」 一人の少年が渋面を作るが、アルと呼ばれた少年は軽く首を傾げる。 「いいじゃないか。エクバターナに来たばっかりってだって言ってるし、旅の話も聞けるかもしれないよ?」 「旅の話……」 反対して渋面を作った少年の表情が興味を示して少し動いた。 「旅の話ならいっぱいあるよ。旅芸人だもん。南のギランなんかすごいよー」 は自慢には聞こえないように気をつけながら、にこりと微笑む。 エクバターナは大きな都市だから、できれば長期滞在するつもりだと両親が話していた。 それなら同じ歳頃の遊び友達は、作れるものなら作っておきたい。 「へ、へえ……ギランっていえば……」 「パルス一の港町だよ。色んな国の人がいっぱいいるって先生が言ってたじゃないか」 「アルみたいになんでも覚えてないよ」 反対していた少年は肩を竦めて降参をすると、今度は好奇心に満ちた目でに手招きをした。 「来いよ。一緒に遊ぼう」 「うん!」 滞在初日から友達が作れるなんてついていると、到着早々に遊びに送り出してくれた父に感謝しながら、は少年たちの後について行った。 「あの、ありがとう」 友達を説得してくれた少年にお礼を言うと、その綺麗な顔ににっこりと笑顔を乗せて、少年は首を振る。 「ううん。だって遊ぶならたくさん人がいたほうが面白いし、話が聞きたいのは本当だから。ねえ、君の名前は?」 「わたし、っていうの」 「ぼくはアルスラーン。みんなはアルって呼ぶから、もそう呼んで」 それがエクバターナでできた、初めての友達の名前だった。 |
幼い頃の出会いです。まだ養父母は最初の一組目で後の養父ではありません。 幼い頃の育ての親で、踊りと武器の扱い基礎は養母、楽器の基礎は養父から 教わっているということで。 |