その日は普通に読書をしていた。 の傍で。 城内の図書閲覧室にある書物から一冊選んで読書感想文を書くようにと、ギュンターの語学講義で宿題を出されたらしい。 その際、感想を書くために読む作品はユーリと二人で必ず違うものにすること、という条件が付けられたため、ユーリは泣く泣くにストーリーを説明してもらうという裏技を諦めて、手伝ってやると豪語したヴォルフラムに引き摺られて自分の部屋へ戻っている。 そしては俺と一緒にそのまま閲覧室に残った。 何か判らない語句や文字があれば俺が手伝うためだが、今はまだ読書中で感想文まではたどり着いていない。 部屋には俺とがページをめくる静かな音だけがするだけだった。 さすがに学習の邪魔をする気はなかったから黙って本をめくっていたが、ふと視線を感じて顔を上げると、が読書を中断してじっと俺を見ていた。 「どこか判らない文字があった?」 持っていた本を閉じてテーブルに身を乗り出すと、は本ではなく近付いた俺を黙って見上げてくる。 「?」 「あのね、ちょっと目を閉じてみて」 「は……?」 「お願い。ぎゅっと力を入れないでいいから、軽く瞼を下ろすだけで」 何のことだろうと疑問もあったが取り立てて難しいお願いでもなかったので、言われた通りにした。 言われた通りにしたのだが……の本を覗き込もうとテーブルに身を乗り出していたのが災いした。 何となく、キスされるのを待っている気分になってくる。 俺ならともかく、がそんな悪戯をしてくるとは思えないが、椅子を引く音が聞こえて、も身を乗り出したのが判る。そっと柔らかい両手が俺の頬に添えられる。 まさかとは思っていたけど。 ……すごいな、今更キスだけでこんなに気恥ずかしくなるものなのか。 からしてくれることだって、回数は決して多くないが皆無というわけでもないのに。 「うーん……」 だけどすぐにの気の抜けた呟きが聞こえて、頬に添えられていた両手も外された。 「?」 「あ、ごめん。もういいよ」 ……いや、判っていた。 がそんな悪戯をするわけがないとは判っていた。 今は普通に読書をしていたのだから。 「一体何だったんだ?」 許可を得て目を開けると、は読んでいた本を指差す。 「この本に『髪より睫毛のほうの色が濃い人物は長生きするんだよ』ってセリフがあって。あ、迷信……というか、作中フィクションだとは判ってるよ?でもちょっと気になって」 睫毛のチェックに夢中で、そういうことを少しも考えていなかったところがらしい……というか、少し寂しいというか。 「それで、結果はどうだった?」 あの不満げな声で判っているけど椅子に掛け直して訊ねると、は軽く肩を竦めて苦笑する。 「普通は髪と睫毛の色は一緒だよね」 「それはそうだ」 俺も一緒に少し笑って、もう一度テーブルに身を乗り出すとの頬に手を添えた。 「の睫毛も、髪と同じで深い黒だ。でももしかすると、もう少し深い色かもしれないな。調べてみていいかな?」 冗談だと思ったのだろう。は目を瞬いて、くすくすと笑いながら目を閉じた。 「はい、どうぞ」 身長差があるため、は俺に見えやすいに軽く顎を上げる。目を閉じてますますキスするときのようだ。 そっと唇を塞いでしまおうと更に身を乗り出したとき、突然が目を開けた。 「か、かかか、考えてみれば自分の顔なんて毎日鏡で見てるし!色なんて一緒だった!」 どうやら自分も覗き込まれてようやくこの体勢に気付いたようで、は急に赤くなって目に力を入れて瞬きすらしなくなる。 あまりにも判りやすい態度に思わず笑いそうになるが、懸命に堪えてもう少し顔を寄せる。 「そうかもしれないけど、そのつもりで見てなければ案外自分でも気付かないものじゃないかな?俺もの可愛い顔は毎日じっくり見ているけど、色の濃さまで同じかと聞かれると絶対とは言い切れないし」 「で、でもね」 「目を閉じて。確認なんてすぐ済むよ」 「ま、瞼を開けてても見えると思うな」 「閉じていたほうが確認しやすいから、も俺に目を閉じろと言ったんだろう?」 は困ったように、だけど瞬きしないようにしながら目だけで右を見て、更に左を見て、そして最後にまっすぐに俺を見る。 「ひょっとして………さっきの仕返し……?」 「は驚くほど焦らすのが上手いから」 「気付かなかったの!」 が悲鳴のような声を上げる。 「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか」 「だってここ図書室だもん!いつ誰が来るか……」 「誰も来ないよ」 そう言って更に顔を近づけようとして、睫毛とかキスよりも開いたままの目が気になった。 「……、ずっと瞬きをしないから目が乾いてきてるんじゃないのか?」 「だ、だからコンラッドが後ろに下がってくれたら……」 そこまでしても嫌なのか。 「仕方がないな」 ふと息をつくと、の頬から手を離す。 がほっと息をついたそのとき、彼女の頭に手を回して引き寄せながら、唇を塞いでしまう。 「んっ!」 キスをしてしまえば目を閉じても閉じなくても一緒だから、諦めて瞬きするだろう。 じたばたと暴れる手首を掴んで机に押し付けて、わざと音を立てるようにして唇を重ねる角度を変えていく。 一度目を開いて確認したけど、は目元を赤く染めながらちゃんと瞼を閉じていた。 湿った音を立てて唇を僅かに離したとき、勢いよく扉を開いて誰かが飛び込んできた。 「まったく!読めもしない本を持ってきてどうする!?」 「いたたた、引っ張るなよ!すっげー薄い本だから楽勝だと思ったら逆に……」 「これは哲学書だぞ。魚人王と共に山に篭るという、未だに誰一人真似をした者がいないよく判らない修行法を編み出した、修行僧の愛と青春の記録……」 ユーリとヴォルフラムが入り口で唖然として立ち止まる。 ちょうどを解放したところだったとはいえ、唇を離した直後だったから何をしていたかは一目瞭然だろう。 「な………なにやってんだぁーっ!」 ユーリが持っていた薄い本を放り出して駆け寄ってきて、ヴォルフラムがそれに続く。 もちろん怒りの形相だ。 「昼間から図書閲覧室で!お前たちには慎みというものが……!?」 ヴォルフの顔が怒りから戸惑いに変わり、ユーリも蒼白になる。 どうしたのだろうと目を瞬いてを見ると、も驚いたように目を瞬いて……乾燥した後に何度も瞬きをしたせいで、涙が一粒零れ落ちた。 「な……泣いて……」 ユーリが拳を握り締めてぶるぶると震える。 ああ、まずい。 「あ、ち、違うの、これは……」 が涙の真相を話そうとすると、それをヴォルフが大声で遮った。 「またお前はこんな男を庇って!無理やり襲われたんだろう!そうだな!?」 俺の手が、まだの手首を掴んで机に押し付けたままだったのも不味かった。 「待ってください、陛下……」 無理やりは襲っていないと言いかけて、そういえば結局キス自体は無理やり始めたかと、ふと考えて言葉に詰まってしまったのが運のつきだった。 「出てけっ!このエロ男!」 ユーリとヴォルフラムの二人掛かりでから引き離されて、そのまま閲覧室から追い出されてしまった。 「……まいったな」 勢いよく閉められた扉を前に、軽く溜息をつく。 はどうやらあのセリフを読んですぐ顔をあげたようだけど、あれには続きがあったのだ。 あのセリフの後、主人公は俺のように相手の女性にキスをする。 非常に簡単で子供騙しな誘導法だったのだが。 きっと必死にを慰めようとする二人に、が真相を説明するだろうとは思うけど、果たしてどこまで忠実に説明するだろうか。 の説明次第で、この扉が開いたときのユーリとヴォルフの態度が大きく違うだろう。 「さて、どう出るかな……?」 俺から入ると火に油を注ぐだけなので、扉が開くのを待っていた。 |
「瞬きと睫毛と涙と」 配布元:capriccio サイト開設一周年感謝企画第六弾小話でした。 相変わらず次男は次男でした……。 そして彼女の迂闊っぷりも相変わらず(^^;) お持ち帰り自由ですので、よろしければお持ちくださいませv |