毎回、毎回、あちらに呼ぶときに水を媒介にするのはやめて欲しい。 熱っぽい身体をぐったりとベッドに預けながら、村田はぎゅっと眉間にしわを寄せて握っていた携帯電話をベッドの端に放り投げた。 週末のとの勉強会は、今や大きな楽しみなのに。 風邪気味となれば受験生の彼女と締め切った部屋で二人きりだなんてわけにはいかない。 風邪をうつしてしまったら大変だと、今週は来ないように電話をしたところだ。 看病に来ると言った彼女に、まだひき始めだから看病なんていらないし、受験生の自覚を持って病人には近付かないように、とようやく言い聞かせた。 眉間のしわを指先で捏ねながら、少しだけ口元が緩みそうになる。 看病に来るなと言い聞かせたことを、彼女は最後まで不満そうにしていた。 「会いたいのに……」 その一言が嬉しかった。 目を閉じながら、彼女のその言葉をじっくりと噛み締めた。 風邪気味だからといつもより養生しているつもりだったのに、村田は翌日の土曜日に高熱を出した。 ぼんやりする意識で、さすがに仕事に行くのはやめておこうかと言い出した母親を事務所に送り出したことは覚えている。 傍にいてもらっても治るわけでもないし、薬飲んで寝てるから行って来なよ……そう言ったのに、高校生にもなって母親に傍にいてほしかったのだろうか。 額に冷たいタオルが置かれる夢を見ている……。 夢うつつで目を開けると、そこにいたのは母親ではなくて恋人の従妹だった。 「……?」 声がひび割れて掠れている。 傍にいて欲しいのは母親ではなくて彼女だったらしい。それなら納得だ。 土曜日だから、本来は彼女と勉強会をしているはずで、こんな夢を見るほど会いたかったのかと妙に感動していると、は心配そうに覗き込んできた。 「健ちゃん、起きた?何か欲しいものはある?」 起きた? 閉じようとした瞼をもう一度開き、を見た。 長い髪を後ろに三つ編みにして括り、制服姿なのは礼拝帰りだからだろうで……。 「本物!?」 驚きで叫んだ声は、やはりひび割れていた。完全に喉をやられている。 「喉を痛めるから無理に声を出しちゃ駄目だよ」 の細い指が汗で濡れた前髪を軽く横に流して、村田はその手を掴んだ。濡れタオルを絞った手は冷たくて、熱が上がった身には気持ちがいい。 「……どうして来たんだ。風邪がうつったら大変じゃないか」 「ちゃんと後でうがいも手洗いもするから大丈夫だよ。健ちゃんこそ、どこが大丈夫なのよ。おばさんが連絡をくれて本当によかった!」 余計な真似をと舌打ちをしたけれど、それも上手くいかなかった。 母親には、外部受験を決めたに勉強を教えていることは話してある。以前、勉強会をしているときに家に帰ってきたからだ。恋人同士になったことは、話していないけれど。 従兄妹同士で仲がいいなら、病気の息子が気がかりで姪に看病を頼んだとしても不思議ではないけれど、が受験生だと判っているはずなのに。 「お茶飲む?喉が痛いならホットレモンのほうがいいかな。何か食べられそうなら、おかゆとかスープとか作ってくるけど……」 「いいから帰るんだ」 だるい身体で起き上がり、額に乗せていたタオルが腹の上に落ちてきた。 掴んでいたの手を引いて、帰れとドアを指差す。 「心配しなくても、ただの風邪だから寝てれば治るよ。それよりにうつったら大変だ。この部屋は風邪の菌だらけだから早く―――」 「いやっ」 熱で力の入らない手は、あっさりと振り払われた。 「熱でつらそうな健ちゃんを置いて帰るなんて、絶対いやだよ。わたしは体調も万全だし、うつらないようにするから追い出さないで!」 「追い……」 ただでさえ病気の時は弱気になって人恋しくなる。それが恋人ともなれば、本音を言えば傍にいて欲しい。 だけどは受験生だから。 ぎゅっと目を閉じて自分を戒めようとした村田は、唇を塞がれる感触に驚いて目を開けた。 その拍子に唇を噛み締めていた力も緩んで、の舌がするりと入り込んでくる。 キス、を。 「ん……」 熱だけでなく、口腔をゆっくりと辿るその口付けに頭がぼんやりとする。 引き離さなければと彼女の肩を掴んだ手は、気がつけば彼女の頭に添えてしまっている。 はキスを繰り返しながら、ゆっくりと村田の身体をベッドに押し戻して寝かしつけた。 「………はっ……」 ちゅっと湿った音を立てて唇が離れると、村田はベッドに寝転び天井を見上げている元の体勢に戻っている。 「な……………な、なにを……」 思わずキスに溺れて応えてしまったけど、風邪がうつるから帰れと言っていたのに、これでは風邪の菌の口移しだと赤くなるやら青くなるやらで口を押さえて震える村田に、布団を掛けながらはにっこりと微笑んだ。 「これならもう今から帰っても無駄だと思わない?うつるときはうつっちゃうし、うつらないかもしれないし」 「……」 頭が痛い。 目を閉じて額を押さえていると、は再び軽く唇を重ねた。 「!」 「だって、健ちゃんが倒れているのに傍にいられないのなんていやだよ。風邪にならないようにちゃんと気をつけるから、傍にいさせて?」 彼女を押し戻そうとした手を逆に握り締められて、更に頬に寄せられて目眩を覚える。 これ以上、彼女を突き放せと言われてもできない。 だって本当は傍にいて欲しい。 「……今すぐうがいをしてくるんだ」 「健ちゃん……」 これでも駄目なのかとつらそうに震えて掠れる彼女からの呼び掛けに、表情を緩めて苦笑する。 「それから……何か食べたいから、作ってくれるかい?」 悲しそうに、心配そうに曇っていた表情がさっと晴れた。 「うん!おかゆとスープとどっちがいい?湯豆腐も作れるよ」 「任せるよ」 「じゃあ待っててね。すぐ作ってくる」 落ちていた濡れタオルをもう一度水に浸して絞り直してから病人の額に乗せると、はひらりと身軽に部屋を出ていく。 が掛け直してくれた布団に潜りながら、村田は苦笑しながら目を閉じた。 「母さんに……感謝かな」 |
「掠れて呼ばれる名前」 配布元:capriccio サイト開設一周年感謝企画第五弾小話でした。 相変わらず積極的な子です(^^;) 彼女といるといつも大賢者も押され気味。 お持ち帰り自由ですので、よろしければお持ちくださいませv |