「水生、手を貸して」 部屋に入ってくるなり突然そんなことを言われて、水生は目を瞬いた。 「ああ、何か用事?いいよ、何をすれば」 手伝って欲しいことがあるのかと思えば、目の前の少女は首を振って水生の右手を握る。 「違うよ、手を握らせてって言ってるの」 まず両手でぎゅっと握り締めたかと思うと、次に掌全体を撫でるようにして指先で辿り、それから指の一本ずつを確かめるように撫でていく。 「?」 何がしたいのか判らなかったので、されるがままになっているとは感心したように息を吐いた。 「ふうん、やっぱりみんな違うんだね」 「何が?」 「手だよ。ほら、手はその人の人生を物語るとかよく言うじゃない。水生の手は志筑さんとか咲宮さんや、天生さんと比べて小さくて柔らかいなあって」 「……それは鍛錬不足だと言いたいの?」 何気に失礼だと水生が声を低く言うと、は驚いたように瞬きをして、それから急に吹き出した。 「違うよ。だって水生は咲宮さんたちとは修行してきた年数が違うし、身体だってまだ小さいんだもん。それにね、前刀くんと比べるとずっと硬いよ」 「……信田にもこんなことしたの?」 「うん」 他意などないように頷いたに、水生は頭痛を覚えて額を押さえた。 はこうやって何かと相手の身体に触ることが好きだ。 果たしてそれが最初からの癖だったのか、それとも咲宮家に来てからの癖かは判らないが、彼女を預かる志筑や交流の深い咲宮家の面々はもう慣れている。 だけど水生の幼馴染みで、道場の門下生であるだけの信田は違う。 こんな風に同い年の女の子にじっくりと手を触られて、果たしてあの幼馴染みはどんな気分だっただろう。 「じゃあ信田は、今日は道場に来てるんだね?」 「うん。さっき別れてきたところ。来たときは元気だったのに、なんだか俯いちゃって具合が悪そうになってね、大丈夫かなって天生さんに言ってきた」 「ああ……」 可哀想に。 今頃あの友人は蛇に睨まれた蛙状態だろう。 天生はのことを実の妹のように可愛がっていて、判りにくい表現ながらも大切にしているから。 水生はそっと息を吐いて、急いで道場に出るために、着替えるからと部屋からを追い出した。 後ろで障子が閉まり、部屋を追い出されたは軽く息を吐いて歩き出した。 ちらりと庭のほうを見ると、空気の揺らぎが見える。 「海市は手がないから、人生自体が見えないね」 『俺は人間じゃないぞ』 「そりゃそうだけど」 何もない空間から聞こえる声に肩を竦め、ブラブラと目的もなく長い廊下をゆっくりと歩く。 『今日は何しに来たんだ、お前』 ゆっくりと歩くの横を蜃気楼のような揺らぎがついて動き、それを横目で見ながら廊下の板を靴下を履いた足の裏で軽く擦った。 「志筑さんはごつごつして固くてぶ厚い手だったよ。咲宮さんも同じだったけど、もうちょっと薄かったかな。二人とも、肉刺だらけの剣術家の手だった。天生さんも指が長くて、でも固くなった肉刺だらけで、前刀くんも水生も、咲宮さんたちよりは柔らかいけどやっぱり剣術家の手だった。でも、みんな全然違う」 『だからお前は何が……』 「それでも、みんなの手はすごく優しい。温かくて大きくて、傍にいるのが実感できる」 沈黙が降りた。 だけどゆらゆらと動く気配は横にあって、海市が立ち去っていないことは判る。 「海市も手があればよかったのに。そしたら、触って海市がどんな人か少しは見れたのに」 『………だから俺は人じゃねーって』 「そうだね……あ、藤香さんだ」 廊下の突き当りを横切った女性に、は軽く爪先立ちになって前のめりに歩き出した。 「藤香さんの手はきっと、『お母さん』の手だよ。長年水仕事に親しんできた、みたいな。楽しみだなあ」 が軽い足取りで新たな人物に握手を求めに駆け出したとき、その後ろで水生の部屋の障子が開いた。 「!廊下を走らないで」 「はいはーい!」 ヒラヒラと手を振った元気な少女の後ろ姿に、袴に着替えた水生は軽く息をついて道場に向かって歩き出す。 ふと、人の気配を感じた気がして庭に目を向けたが、視界には誰もいなかった。 |
「優しい手の造作」 配布元:capriccio サイト開設一周年感謝企画第四弾小話でした。 すっかり続きが止まっているのに、先に馴染んでからの話を……(^^;) 手はその人の人生を物語るとはよく聞く言葉ですが、どんな手でも傍に いると実感できることは優しい励ましかな、と思いまして。 触れなくてもどかしい人も約一名いますけれども。 お持ち帰り自由ですので、よろしければお持ちくださいませv |