談笑と緩やかな音楽の流れる華やかな会場を見て、はぎゅっと眉をひそめて手に持っていた絹の手袋を握り締めた。
「最悪だよ」
見たくもないおかっぱ頭が、会場で揺れているのを真っ先に見つけてしまったからだ。
これだから貴族の宴会には来たくなかった。
後見人夫妻から、彼らと縁のある貴族主催というこのパーティーには出るよう厳命されていたのだが、こうなるとそれが本当だったのかも怪しい。
促されてホールに入ると主催者と挨拶を交わし、の危惧のとおり後見人夫妻は会いたくない男のほうへと足を向けようとする。
「……おじさま、おばさま」
なるべくなら挨拶などしたくないと夫妻を止める何かがないかと見回して、その目立つ男を見つけた。
ダークブラウンの髪と青と黒の瞳。私的なパーティーだからだろうか。軍服ではなく通常の礼服に身を包んでいる長身の男は、この場で誰よりも目立っていた。
「おじさま、おばさま。あちらに知り合いがいるの。行ってもいいかしら?」
「まあ、それは後になさい。今はフレーゲル男爵にご挨拶よ」
やっぱりか。
は毒づきそうになって辛うじて舌打ちを堪えた。あの男と会うことが今回の目的だったらしい。
どこか既視感を覚える事態に目眩を感じたところで、顔見知りの男の横に連れの女性がいることに気付いた。どうやら貴族の令嬢のエスコート役で来ているらしい。
だったら挨拶は控えたほうがいいだろうと諦めたとき、ようやくあちらもに気付いた。
目を瞬く男に軽く肩を竦めて苦笑いで手を振ると、後見人夫妻に連れられて友人と談笑を交わしていたフレーゲルの元に進む。
「ご機嫌よう、フレーゲル男爵」
「ああ……これはこれは」
の後見人に声をかけられて、にやりと笑ったフレーゲルが軽く手を振ると、周りにいた友人たちがすぐに遠くざかっていく。
友人というより腰巾着だ、とがそれを視線で追っているうちに後見人夫妻も即座に同じ行動に出た。
「さあ、。男爵にご挨拶を。我々は他の方々へ挨拶に行ってくるよ」
そうして、が反論する前に二人揃ってさっさと会場の中央へと戻っていく。
いつものもったりとした動きが嘘のような素早さだ。
「……挨拶を……だそうだぞ、?」
夫妻を目で追っていたは、正面からかけられた声に露骨に舌打ちをする。
「コンバンハ、男爵閣下」
やる気のまるでない抑揚のない挨拶に、にやにやと笑っていた男の眉がぴくりと跳ねる。
「まったく、いつまで経っても反抗的な!」
「反抗的だなんてそんな。あんたが大っ嫌いだと態度で示してるだけよ」
左手に絹の手袋を握り、にっこりと笑って空いた右手の指先を軽く口に当てた。
「どうしてお前は……っ」
噛み締めた歯の隙間から漏れる憤りの声とともに、男の手が伸びてきた。
それを避けようと一歩後ろに下がり、誰かにぶつかる。
「失礼しま……」
「こちらこそ失礼」
振り返ったは、見下ろしてくる異なる色の双眸に目を瞬いた。
「なん……」
連れはどうしたと聞こうとしてホールを見ると、傍にいたはずの女性はこちらを見て壁際にいる。
「ロイエンタール!」
フレーゲルの瞳に一気に怒りの炎が上がり、ロイエンタールは自然な動作での手を取ると自分のすぐ脇に引き寄せた。
煽っている。楽しそうに煽っている。
後ろから歯軋りの音まで聞こえてくる。
「エスコートしていた女性を放っておいていいの?」
の援護にきたのか、フレーゲルをからかいにきたのか判らないが、同伴した女性を放っておいていいのかと小声で囁くと、ロイエンタールはその相変わらずの冷笑を見せて腰を屈めての耳元で囁いた。
「気にするな。知人がいたので挨拶をしてくると言っておいた。それ以前に彼女はちょっとした義理でエスコート役を引き受けただけだ」
どうしてこんなに近付くのかと、思わずロイエンタールの胸に手をついて少し距離を取る。
会話の内容を目の前にいるフレーゲルに聞かれないようにするためかと思ったが、それに加えて嫌がらせとして見せつけることも含まれていたらしい。
ロイエンタールは目の前の男を小馬鹿にするような視線を送ると、鼻先で笑う。
まったくもって芸が細かいと感心するの前で、フレーゲルが判りやすく怒りで床を踏み鳴らした。
「ロイエンタール!私の婚約者に何をする!」
「婚約者?フロイライン、小官の聞き違いだろうか。あなたの婚約者はまだ決まっていなかったと記憶しているが」
「ええ、婚約者なんていませんわ、閣下」
白々しい会話を続ける二人に、フレーゲルの顔は真っ赤に染まる。目まで血走っていて、他人事ながら血圧を測ってやりたくなってくる。
内心でいい気味だと笑いたくなっていたは、右手を持ち上げられて視線をロイエンタールに転じた。
「社交界嫌いのお前と今夜、この場で会うとは思わなかったな」
そう、皮肉げな笑みを見せた男はそのまま、持ち上げたの手の甲に口付けを落とす。
その柔らかく、冷たい感触にフレーゲルのみならずも絶句した。
「貴様!」
「な、なに!?」
思わず引こうとした手は、がっちりと掴まれて抜けない。
慌てるに呆れた視線を向けて、ロイエンタールは当たり前のことのように言った。
「やるからには、徹底的にやらなくてどうする」
フレーゲルへの嫌がらせのためには、骨身を惜しまないつもりらしい。こういうところはラインハルトと気が合いそうだ。
そう思うと、右手を掴まれたままはがっくりと肩を落とした。







「柔らかで冷たい唇」
配布元:capriccio


サイト開設一周年感謝企画第二弾小話でした。
果たしてロイエンタールの嫌がらせは本当にフレーゲルにだけ
向けられたものだったのでしょうか……?(^^;)

お持ち帰り自由ですので、よろしければお持ちくださいませv