演習から生還したヤンは、教官たちからの訓告から解放されると、医務室で日が暮れるまで暖かいベッドの中でひたすら睡眠欲を満たしていた。 目を覚ますと外は日が暮れていて、我ながらよくもここまで寝たものだと苦笑をもらしながら、いつまで眠っていても叩き起こされない幸せを久々に噛み締めていた。 「ヤン、やっと起きたか」 医務室の扉が開いて、制服姿の友人が入ってきたときはまだ半分寝ぼけていて、好き放題に色んな方向に跳ねている髪を掻きながら手を上げる。 「やあラップ。こんばんは」 「雪山の演習で行方不明になったっていうのに、呑気なやつだよ」 「助かった後に慌てても仕方がないだろう」 あくびをしながら大きく伸びをして、少し眠りすぎてぼんやりとした脳に酸素と刺激を送り込む。 「寮の門限は大丈夫かい?」 「お前は何時まで寝ているつもりだったんだ。まだ時間はある」 ラップは椅子を引いてきて、ベッドサイドに腰を降ろした。 「まあ、なんだ……無事の生還でよかったよ」 「ああ」 真面目に向かい合うと急に気恥ずかしくなって、お互いどこかしら照れた様子で拳を軽くぶつけて無事を祝う。 「の様子は見に行ったかい?」 「女性のベッドルームだぞ。本人が目を覚ましているときでなければ立ち入りは禁止されてる。俺はどうも間が悪いらしい。まだ会ってない」 「そうか……とりあえず、彼女も怪我らしい怪我はないと報告しておくよ」 「とっくに知ってる」 ヤンは肩をすくめて苦笑した。 「またワイドボーンと揉めたらしいな」 「揉めたというか……」 「が突っかかったんだろう?話はもうほとんど広がってる。目撃者は多いからな」 ヤンは溜息をついて、寝癖のついた髪を掻く。 「彼女には悪いことをした。私のせいで彼女もワイドボーンに随分ケチをつけられてね」 「だが自分のことは何を言われても我慢していたのに、お前のことだと我慢できなったんだよな」 「ああ……彼女には申し訳ないけど……でも、少し嬉しかったよ」 ヤンが小さく微笑んで、ベッドの上に落とした掌に視線を向けた。 「それに、彼女がいたから冷静になれた。去年、戦史研究科廃止の撤回を訴えて運動をしたときにシトレ校長が我々に言っただろう『守るべきものがあるとき、人は主体的に動くよい見本になった』とね。あのときは上手く庇ってくれたとしか思わなかったけれど、今度のことで実感できたよ」 「を守るために、冷静になれたって?」 「うん。彼女が不安そうに私を見ているとね、しっかりしなくてはと思えたんだ。私が冷静でいなければ、彼女の不安が増すと思ったら、自然に振舞えたよ」 顔を上げたヤンは、にやにやと頬杖をついて笑う親友に驚いて、少し眉を寄せる。 「何かおかしなことを言いたそうな顔をしているな」 「いや、別に。随分と親密になれたようだな」 やはりおかしなことを言うつもりじゃないかとヤンが顔をしかめると、ラップは笑って椅子に深く座り直した。 が実はずっと昔の知り合いだったことが判った……と説明しようかと思ったのだが、そうするとラップがそれこそ運命だとか言い出しそうな気がして黙っていることにした。 いずれにもラップにその話を漏らさないように言っておこうと決めながら、さてその口実はなんとしようかと考える。 「しかしヤン、お前はもう少し強気にアピールしないといけないと思うぞ」 「ラップ……私は別に」 「校内ではすっかり、はアッテンボローと付き合っていると思われている」 「だけどそれは違うとが力説していたよ……私は別に関係ないけど!」 ラップの意味ありげな笑みに、ヤンが慌てて最後の言葉を付け足すと、親友は肩をすくめて隣室の女子学生用のベッドルームの方を見た。 「さっき、本人の目が覚めていなければ立ち入り禁止されていると言ったよな」 「……ああ」 「例外はいたんだぞ」 腕を組んでにっこりと笑うラップに、答えは知れたものでヤンは頬杖をついて溜息をついた。 「アッテンボローか」 「軍医殿ですらそう思っているらしい。だから俺にもに怪我もなく元気だと判ったんだけどな」 教官や職員も例外だということは伏せてラップがそう言うと、ヤンは眉を寄せて首を振る。 「だから私は別に……」 関係ないと繰り返そうとしたところで、ノックの音が聞こえた。 「失礼しまーす……あ、先輩、起きたんですね。よかったー」 入ってきたのは鉄灰色の髪の後輩で、あまりのタイミングの良さにラップは笑いそうになって口を押さえて顔を背けた。 ヤンとしては、タイミングが悪いと言わざるを得ない。 ひょいひょいと軽い足取りで医務室に入ってきたアッテンボローは、ラップとヤンの様子に首を傾げながら、すぐに気を取り直したようにヤンに頭を下げた。 「がご迷惑をおかけしました」 「別にアッテンボローが謝ることじゃないだろう」 何故か少しムッとして、ヤンは慌てて僅かな不愉快を押し殺してなんでもない声で答える。 「いえ、でもあいつは俺の妹分ですから。すぐにキレるなって忠告してたのに、短気を起こした挙句に先輩を巻き込んで。俺が殴っときましたんで」 「女の子を殴ったのかい!?」 大声で驚くヤンに、アッテンボローも驚いて目を瞬く。 「え、いえ、平手で頭を叩いただけですけど……もう少しキツ目にやっとこうかとも思ったんですが」 顔を背けたラップは、肩を震わせて今にも笑い出しそうな雰囲気で、ヤンはその背中をちらりと見ながら咳払いをする。 「アッテンボローが叱らなくてもいいよ。彼女は十分反省しているし、罰が必要なら教官から下るだろう」 「あいつがそれで反省すりゃいいんですけどねー……」 のことを随分と判っているアッテンボローの発言に、ヤンはまた僅かに不可解な気分を味わうことになる。 「……そういえばアッテンボロー」 「はい?」 遭難した夜にから聞いた話を思い出して、話を変えようとしたヤンは、だが話より考えを変えた。 確実にアッテンボローの気が逸れる女装させられたという話をしたかったのだが、が証拠品を持ってきてから出したほうが効果的な気がしたからだ。後輩にはたまったものではないかもしれないが、子供のころの他愛もない話を引っ張り出すだけの、ちょっとした悪戯だ。 「いや、何でもない。それで、アッテンボローの演習は上手くいったのかい?」 「俺ですか?俺は上手く行ったと思ってるんですけど、点数をつけたのはラップ先輩ですから。先輩、どうですか?」 「それはまだ内緒だ」 にんまりと笑うラップに、アッテンボローは気になるなあと声を上げたが、ヤンとしてもその笑みの意味が非常に気になるところだった。 |
ヤン側の話でした。男同士の会話が楽しかったです(笑) |