「殿下からのお振る舞いだ!」
あちこちで酒樽が開かれ、杯をぶつけて合わせる音が響く。
戦地ゆえの簡易的な祝いとなっているが、それでも年明けの宴会は一年で一日限りのものであるだけに意気だけは盛大だ。
その浮かれる活気はにとって好ましく、アルフリードと杯を交わして微笑みあった。
「いいねえ、こういう雰囲気はあたし大好きだよ」
「わたしも。やっぱりこういうのが性に合ってるんだろうね」
二人でカチンと杯を合わせたその横を、盆を片手に通りかかったエラムが驚いて足を止めた。
「二人とも、酒を飲んでるのか!?」
杯に満たされた濃い青紫色を覗き込むエラムに、とアルフリードはやはり顔を見合わせる。
「飲んでるって言っても」
「葡萄酒だし、軽いもんだよ」
「軽いって……」
エラムはとアルフリードの周囲を見回した。
「……二人で酒瓶八つも空けたのか?」
杯に一、二杯程度ならエラムも嗜むけれど、まだ子供だということでさしたる量を飲むことはない。はアルスラーンと同じ歳だと推測されているのでエラムより一つ年上なだけで、その同年のアルスラーンと言えば、やはり酒ではなく紅茶で新年の祝いを過ごしているというのに。
「まーさーかー」
アルフリードは明るくケラケラと笑いながら手を振る。どうも酔っているなと思うエラムの後ろから、兵士の声が聞える。
「おーい、また酌してくれないかー?」
「はーい」
まだ笑っているアルフリードの横から身軽な動作で立ち上がったは、手を振っている兵士の方へと駆け寄り、その近くにあった酒瓶を手にして酌をする。そうすると、傍にいた他の兵士も我も我もと杯を突き出し、その一団に酌を終えると戻ってきた。その手には、先程酌をしていた酒瓶が下げられている。
「で、こうやってこっちに溜まってくるの。後でまとめて洗い場に持っていくよ」
瓶の底に残っていた僅かな酒を自分の杯に継ぎ足すと、は軽く杯を掲げてエラムに片目を閉じて見せた。
なるほど、それなら大した量は飲んでいないのだろう。それにしても、それなりに酒気が回っているアルフリードと杯を重ねているのに、にはその動きにも酔いは見えない。
「酌取り女の真似ごとなんかして。みっともないから引っ繰り返るなよ」
「これくらいで酔ってたら商売にならないわ。酒場なんかじゃ、注いで注がれて踊って注いで、なんてよくあるからね。それに酒場の酔っ払いは油断ならないのよ」
「酔った勢いで変なことしてくるとか?」
「まあね。それくらいなら可愛いものだけど。酔わせてよからぬことをしてやろうっていう性質の悪いのもいるから」
は手の中の杯に口をつけながら肩を竦める。
「その点、ここはそんな心配もないから楽しいわ。さすが殿下の治める軍よね」


「客からの酒は断れないそうで」
酒瓶を天幕に運び込んだエラムの話に、ダリューンは手ずから酒を注ぎながら軽く笑う。
「それは強くもなるだろうな。飲んでから動いても酔ってはならんとなれば」
「強くなるまでは大変だったみたいですけどね」
新しい酒瓶を天幕に置き、空になった瓶を回収していたエラムは、奥の席で手にした杯をじっと見下ろしているアルスラーンに気がついた。
「殿下、新しいお飲み物をお持ちしましょうか?」
アルスラーンはエラムが酒の調達に行っている間にナルサスを訪ねてきたために、彼が飲む紅茶や薔薇水といった飲み物がここには不足しているのだ。
「え……あ、ああ、いや、構わない。まだ残っているから」
反応の鈍い王子に、エラムは少し考え事でもしていたのだろうかと思うだけだったが、その場にいた大人たちは思わず視線を見交わした。
「だが上手く切り抜けていたわけだろう?何しろどう見てもあいつは生娘だ」
ギーヴの軽口に、エラムは盆を傾けて酒瓶を床に転がし、アルスラーンもまた手にした杯を取り落としてしまう。
ギーヴなりに王子の憂慮を軽くしてやろうと意図があったことは判るのだが、そこに悪ふざけを入れなければどうにも気が済まない男らしい。
ナルサスが額を押さえ、ダリューンは王子の前での発言に眉を寄せ、ファランギースは自分の杯に酒を酌むふりでさり気なくその脇腹に強かに肘を入れた。
悶絶するギーヴに気づいた様子もなく、床に転がる杯を見ていたアルスラーンの頬が赤く染まる。
「で、殿下、お召し物は濡れておりませんか!?すぐに代わりのお飲み物を用意いたします」
動揺していたことは同じでも、エラムが即座に王子の世話に回ろうとすると、アルスラーンは軽く手を上げてそれを制した。
「いや、いい。そろそろ私は戻るとする」
お供しようと腰を浮かしたダリューンとファランギースに苦笑して、これも軽く謝絶した。
「ここは我が軍の陣内だ。私の天幕に戻るくらいは大丈夫だよ」
二人の返答も待たずに即座に天幕を後にしたアルスラーンは、一般兵の集まる広場から聞える喧騒に目を細める。
はあちらにいるのだろうか。


酔ってきたアルフリードを置いて溜まった空瓶を洗い場に運び、喧騒の広場へ戻る途中で主の姿を見つけたは驚いて立ち止まった。
「殿下!お一人ですか?」
周囲を見回しても、ダリューンもファランギースもギーヴもナルサスもエラムもいない。
その他の兵士の姿も見えないというのに、喧騒の裏方に王子が佇んでいれば驚きもするだろう。
駆け寄るに、いつもなら微笑みさえ見せてくれるアルスラーンが珍しくばつが悪そうに眉を寄せてやや視線を逸らした。
その様子に、ひょっとするとひとりになりたくて護衛の目を誤魔化して抜け出してきたのだろうかと首を傾げる。だとすれば、主の心情を優先してこの場を立ち去るべきか。けれどいくら陣中とはいえ王子を一人にしていいものか。
どうするべきかと迷うの後ろから、一際はしゃいだ大きな歓声が上がる。
振り返ったのは咄嗟のことだ。
だが後ろから手首を掴まれたことには、反射ではなくどっと心臓が跳ね上がる。
まだ少年のものに違いない肉付きの薄い指は、の手首を軽く一周して包み込んでいた。
まだ子供の手だ。
けれどもう、街角を二人で歩いて繋いだ幼子の手ではない。
「広場に戻るのか?」
アルスラーンの声色には抑揚もない。単に疑問を口しただけだろうと思うのに、なぜか咎められているような気分になった。
「いえ……お許しいただければ、殿下のお傍に……」
護衛が誰もいないのなら、自分がその役目として傍にいる理由になるはずだ。許可はもらえるだろうかと少し不安な動悸に胸を押さえながら振り返ると、さっきは目を逸らしたアルスラーンの笑顔があった。
「そうか、一緒にいてくれるのか。からそんなことを言ってくれるのは珍しい。嬉しいな」
「え……ご、護衛です、護衛!」
友人として傍に上がるわけではないと慌てて付け足したけれど、身分を隔てようとするの発言にも、珍しくアルスラーンは機嫌よく頷く。
「判っている。だがそれでも構わない。広場には戻らず、私と過ごしてくれるのだろう?」
「ですから護衛です!」
「うん、判っている」
きっと判ってない。
そうが思うのは、アルスラーンが手首を掴んだ手をそのままに歩き出したからだ。
「殿下!」
「判っている。私の天幕でお菓子でも食べよう。おいで」
やっぱり判ってない!
嬉しいけれど困るアルスラーンの強引さに、は天を仰いだ。
一番の問題は、結局嬉しさに押されてしまうこの心に違いない。


「あの流れで菓子に行き着くのか……」
「おぬしと一緒にするな。殿下は純粋な方なのだぞ」
天幕の影から、こっそり護衛がついていたなんて、若い二人は知る由もない。






明けましておめでとうございます!
今更な日付ですが、年賀ご挨拶SSです。
新年の祝い中なので、みんな少しハメを外しがち(苦笑)
酌をしている方もされている方も他意はないんですが、
ちょっぴり判り易く嫉妬な殿下と、判っていない彼女の新年。



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