「これでいかかでしょう、姉様」
五度目の正直でチョコレートケーキを差し出したは、お菓子作りの師匠の裁定を待った。
一度目は膨らまず、二度目は焼きすぎ、三度目は生焼け、四度目は甘すぎた。
デコレーションは何もせず、パウンドケーキの型で作ったシンプルな長方形を薄く切り分けたそれを口に運び、ゆっくりと味わってからアンネローゼはにっこりと微笑んだ。
「いいと思うわ。これなら甘いものを好まない人でも、美味しく食べられるのではないかしら」
「そうねえ、ラム酒が効いていて甘さはほのかなものだし」
もう一人の試食人、ヴェストパーレ男爵夫人も太鼓判を押してくれた。シャフハウゼン子爵夫人も頷いている。
「やったー!」
は両手を上げて万歳すると、自分も一口食べてみた。
「……お酒で苦い」
三人の淑女はくすくすと声を立てて笑う。
には普通のチョコレートケーキの方がよさそうね。あなたから話を聞いて、私もラインハルトたちに作ってみたのよ。お一ついかが?」
「姉様のケーキ!いだだきます!欲しいですっ」
「じゃあ少し待っててね」
アンネローゼが席を外すと、本日偶然訪ねてきた為に試食につき合わされていた男爵夫人がバスケットを片付けているを振り返る。
「話を聞いてローエングラム公たちにって、何の話?」
「昔、地球で二月十四日に恋人同士で花やお菓子を贈り合っていた風習があるんだってものの本に書いてあったんです。ちょっと便乗してみようかなーって。もともと宗教的意味合いの日らしいんですけど、一部地域では女性から男性への告白の日で、チョコレートを贈るのが一般的だったって。花は柄じゃないですし……それならその地域にあやかってみようかと……」
「そうねえ、確かに彼は花を贈られるより、贈る方でしょうね」
扇を開いて意味ありげに微笑む男爵夫人に、は僅かに頬を染めて、子爵夫人は首を傾げた。
「男爵夫人は、の恋人をご存知なの」
「ええ、とっても魅力的な……」
「こ、恋人じゃないです!」
は慌てて手を振って否定する。
「恋人じゃないです……その……な、なんとなく、そんな感じなだけで……」
「まあそうなの?意外ねぇ、あなたにしろ彼にしろ、そういう曖昧なままで放っておくようなタイプには見えないのに」
「はう……」
が珍しく歯切れ悪くもじもじと指先を絡めて俯いているのを見て、男爵夫人は声を立てて笑った。
「そう、ある地域では告白の日だったわね。それで甘くないチョコレート菓子を作ったの?」
「まああ、そういうこと?じゃあ今度その話の続きを聞かせてね」
子爵夫人までにこにこと嬉しそうに言ってきて、は小さく溜息をついた。



今日は遊びに行くからと連絡を入れていたが、の方が訪ねたのに花束が用意されていたのは初めてだった。
仕事から帰ってきたロイエンタールは、邸を訪ねて待っていたに真紅の薔薇の花束を差し出してきて、受け取りながら驚いて目を瞬く。
「え、な、なに?」
一瞬、ロイエンタールもバレンタインの風習を知っていたのかと思ったのだ。
「貰いものだ。うちにあっても仕方がないからな。帰りに持って行け」
「……なんだ」
「何だとは?」
「う、ううん、何でも。ありがと。じゃあ帰りに」
受け取った花束をロイエンタール家の執事に預け、いつものように他愛もない話をしながら二人で食事をして……は困窮していた。
はっきりとしない関係が嫌で、いっそこちらからスパっと関係に名前をつけようと古い風習なんてものまで持ち出してきたものの、最終的に何と言って切り出すべきか、時間が経つほどにわからなくなってきたのだ。
好きだと言って菓子を差し出しても、風習を知らないロイエンタールには意味不明の贈り物だし、今日の日付はこんな日で、と説明するというのも回りくどい上に、ある意味では余計に恥ずかしい。
地球の一部地域の女の子たちはどうしていたんだろう。
食後のコーヒーを飲みながら、頭の中は混乱していた。
ちょっとは告白しやすい環境かと思いきや、結局することに変わりはないわけだ。
「さて」
その一言にの肩がぎくりと揺れる。
コーヒーを飲み終えたロイエンタールは、含み笑いでテーブルの上にカップを戻した。
「場所を移動するか?」
「り、リビング、リビングがいい」
「俺は寝室を希望する」
「で、でもあの……」
「今日はそういうつもりで来たのではないのか?」
「え……」
驚いて、テーブルの下でぎゅっと両手を握り合わせたに、ロイエンタールは他意もないように首を傾げた。
「半月ぶりの逢瀬だぞ。まさか食事をして終わりとは言うまいな」
「……ああ、そっちね……」
は思わず自分に舌打ちしたくなった。だからこの男は古い風習なんて知らないのに。しかも一部地域のなんて。
「あ、あのさあ、ちょっと聞いていい?」
「なんだ?」
席を立ちかけていたロイエンタールが再び腰を落ち着ける。取りあえず、性急にことを運ぶつもりはないらしい。
「わ、わたしとあんたの関係ってどんなのと思ってるのかなーって」
ロイエンタールの表情にあからさまに不審なものが浮かんで、恥ずかしいのか居たたまれないのかわからなくなってきた。
「あ、あんたは知らないだろうけど、今日は古い風習で恋人同士の日なの。わたしはそういう日にあんたと食事して、一緒にいたいって思ってる……けどあんたはどうなのかって、それを知りたいのっ」
ぐっと唇を噛み締めて睨みつけるに、ロイエンタールは目を瞬いて苦笑する。
「随分と今更なことを聞くな」
「だ、だって……」
膝の上で拳を握り締めて俯くと、軽く指先でテーブルを叩いて顔を上げるように示された。
恐る恐ると顔を上げると、腹立たしいことに目の前の男はいつもの冷笑を浮かべている。
「どういう答えならお前が満足するのかはわからんが……」
「どういうって!」
「落ち着け、先走るな。お前が欲している答えからは外れているかもしれんが……お前が勘違いや思い込みだけで夜を共にする女だとは、一度も思ったことはない」
「……それって」
ロイエンタールは苦笑しながら席を立つと、不安と期待が交差する表情のの手を取って立ち上がらせる。
「お前が言葉を欲するとは思っていなかった。まだ俺も未熟というところだろうな」
「ねえそれって……」
期待を込めたがつま先で立って詰め寄ろうとすると、ロイエンタールはその身体を受け止めながら脇に置いていたバスケットを指差した。
「ところであれは何だ?」
「そんなの後でいいから!言葉で言ってくれるんじゃなかったの?」
「誰が言うと言った」
「……は?」
男の服を握り締めたまま、は思わず間の抜けた声を上げる。
「誰が言うと言った?」
「だ、だって今、わたしが言葉を欲しがってるって……」
「そうだな、欲しがっているようだと初めて知った。ならば、言わせてみろ」
「なっ!?そ、そんなこと……」
ここまできてそう返されるとは思わなかった。
「い……意地が悪いっ!」
「今更だな」
ロイエンタールは涼しい顔だ。
段々腹が立ってきて、はロイエンタールから離れるとバスケットを手にして背中を見せた。
「帰る」
「短気な奴だな」
肩を竦める男を振り返って、その目の前にバスケットを突きつける。
「帰るけど、これはあげる」
「……なんだ?」
中身を聞きながらもロイエンタールがバスケットを受け取ったので、内心でほっと息をつく。
緊張のせいで、本来の目的の告白とはいかなかったが、それでもこれはこの男のために焼いたケーキだ。
「チョコレートケーキ。……だけどスポンジにラム酒を練り込んでさらに漬け込んであるから甘いの嫌いでもたぶん食べられると思う」
「……お前が作ったのか?」
バスケットを開けたロイエンタールが、いかにも驚いて見せるので、段々恥ずかしくなってくる。こんな女の子らしいことをするようには見えないだろうし、実際いつもはしていない。
「俺と食べるつもりだったのだろう?帰るな」
「元々わたしは食べるつもりないの。お酒ばっかりで甘さが足りないから」
「……つまり俺に合わせたものか」
ロイエンタールへの贈り物で、なぜ菓子なのか首を捻る思いだがここでは問わず、そのダークブラウンのひとかけを指で摘んで食べた。先ほど古い風習で恋人同士の日だとか言っていたから、端末を叩けば何かわかるだろう。
あまり問い詰めると、はこのまま照れて帰ってしまう。まるで子供だ。
ケーキは確かにラム酒の味が強くて、甘さはほんのりと感じる程度だった。これならロイエンタールでも美味しく食べられる。
「……食えなくはないな」
「いらないなら返してくれても結構だけど」
「お前は食べられないと言っていただろう」
「無理やり口に捻じ込んででも食べる」
拗ねてそっぽを向いたに、ロイエンタールは笑いを噛み殺してバスケットからまたひとかけ取り出して口に入れた。
それを咀嚼して飲み込むとの顎を捕らえ、強引に上を向かせると唇を重ねる。
「んっ!」
が驚いて反撃に出る前にすぐに離して、にやりと笑った。
「これならお前にも酒の味はきつくないだろう」
共に食べるか?
耳元の囁きにが頬を染めて俯くと、ロイエンタールは満足の笑みを浮かべて片手にバスケットを、片手にの手を引いて、今夜はリビングへ移動した。







甘いというべきかなんというか……。
ロイエンタールは改めて愛を囁くということが苦手ではなかろうかと。


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