「陛下ー!陛下ーっ!!いずこにおいでなのですかーっ!!」 城から聞こえてくる絶叫に、は魔王陛下の特設球場へ向かう道すがら溜息を落とした。 声だけ聞いていればすぐに姿を消す王を悩ましく求める王佐のものだが、実際近くで見ていると色々な汁が飛び散り、肝心の主を見つけるとそれもう更に手がつけられなくという、魔王が見つかっても見つからなくても傍迷惑な状態となっている、かつての教官。 「あんな人じゃなかったのに……」 ほんの一年前までは、見目麗しく能力に優れた有能な王佐だったのだ。にとっては、剣の師匠でもある。 尊敬、していたのに。 「陛下ぁ〜!」 とうとう声までひび割れた。今ごろ執務室に残してきたダカスコスは大変なことになっているだろう。気の毒に。 早々に主を見つけなければと急ぎ足のままで球場に踏み込むと、思ったとおり城の惨状とはかけ離れた楽しげな声が聞こえてきた。 「うん、コンラッドの制球力もなかなかましになってきたんじゃないかな」 「そうですか?陛下に誉めてもらえると本当に嬉しいな」 「また陛下って言った!」 「すみません、ついくせで」 会話の合間に、革のグローブにボールが投げ込まれる音が混じっている。楽しそうに陛下は趣味の「きゃっちぼーる」に夢中だ。お供はいつものごとく、兄のコンラート。 「いつもながら……ずるいわ、コンラート」 聞いているだけでもなんとはなしに腹が立ってくる兄の幸せそうな声色に、は小さく呟いて球場に踏み込んだ。 「見つけましたよ、陛下!」 「げ、!」 「ユーリ!危な……っ」 怒鳴りながら踏み込んだに驚いた有利が振り返り、その瞬間にボールから手を離したコンラートが注意を叫んだ……時には遅かった。 名付け親の悲鳴に振り返る間もなく、側頭部にボールを直撃させた有利の身体が揺らぐ。 「陛下!」 「ユーリ!」 駆け寄る二人の手が届く前に、有利はそのまま地面に倒れ込んだ。 頭が痛い。ズキズキするというか、ガンガン殴りつけられてるみたいというか、とにかく頭が痛い。 男女二人の慌しい声は聞こえていて、あまりの慌てように思わず笑いそうになった。 大丈夫だと言ってあげたいのに、頭は痛いし意識はふわふわとするし、上手く言葉が話せない。 ああ、これ脳震盪だ。 やっちゃたなーと上手く纏まらない思考の中で、有利は額を押さえたい気分で心の中で呟いた。 きっとボールを投げたコンラッドは反省するだろう。声を掛けたも気にするかもしれない。別に二人のせいじゃないのに。 ぐにゃぐにゃと歪む思考が、一気に覚醒したのは冷たいものを側頭部に当てられた時だった。 「冷てっ」 「陛下!お気づきになられましたか?」 覚醒した視界に最初に映ったのは、茶色の服だった。コンラッドではないことは、一目で判る。 「……?」 側頭部にボールをぶつけたからか、横向きに寝かされていた有利は首を伸ばして視線を上げた。 いつもは頼もしい姉のように毅然とした表情をする彼女が、ひどく心配そうな顔をして有利を覗き込んでいた。 「いけません陛下。今コンラートがギーゼラを呼びに走っています。ギーゼラが来るまではあまり動かれませんよう」 「平気だって……」 いつもはコンラッドと同じように茶色の軍服を着ているのに、今日は白のシャツのみの姿で、ひょっとすると休みのところを自分を捜索するために駆り出されたのだろうかと思うと申し訳ない気持ちになる。 「頭部の傷は甘く見てはいけません。陛下、どうか安静になさってください」 起き上がろうと地面に手をついていた有利は、懇願するように念を押されて渋々と起き上がることを諦めて手を倒した。 「ちょっとした脳震盪だと思うけどな」 「申し訳ありません……わたしが声を掛けたばかりに」 「のせいじゃないって。硬球を扱ってるのに目を離したおれが悪い。ったく、こんな失敗、野球を嗜む者にはありえない。フライを太陽で見失うとか、ライナーに反応が遅れたとかならまだしもさ」 あとイレギュラーバウンドのボールとか、バットにチップしたボールがキャッチャーマスクに向かって飛んでくるとか……ああ最後のはマスクがあるから平気だけど、と一人でぶつぶつと呟いて反省していた有利は、それでも眉を寄せて自分がボールに頭をぶつけたかのような顔をする女性に苦笑する。 「だからのせいじゃないってー。コンラッドも悪くない」 「ですが、過失で陛下にお怪我をさせてしまったことに変わりはありません」 「こんなの怪我のうちに入んないし。とコンラッドが大袈裟なんだって」 「頭部の怪我は……」 「判ってる、甘く見てないよ。ただ別に血も出てないし、もう目も回ってないし、吐き気もしないし。無理はしないけど起き上がるくらい平気だ」 いっそ元気に跳ね起きるくらいのアピールがしたいくらいだったけれど、そんなことをすればが悲鳴でも上げかねない様子だったので、有利は手をついてゆっくりと起き上がった。 「陛下」 すぐに背中に手を添えられて、有利はずれ掛けた濡らしたタオルを手で押さえて苦笑する。 「って人当たりのいいグウェンダルって感じがしてたけど、案外コンラッドのほうに似てるのかな。心配性なんだなあ」 「人当たりのいい兄……ですか」 複雑そうな顔をされて、冗談交じりの軽口を叩いた有利は慌てて手を振る。 「違う、別にの眉間にしわが寄ってるとかいう意味じゃなくて!」 「眉間に、しわ……」 女の人なのに、あの強面に似ていると言われて嬉しくはないかとフォローしたつもりで、なぜかが更に落胆した様子で、フォロー失敗かとますます慌てる。 「違っ……その、見た目で言えば似てるのはコンラッドのほうだろ!?そういうことじゃなくて、ほら、ってグウェンダルと一緒で生真面目っていうのかな、そういうこと!」 「はあ……」 気の抜けたような声色で、納得したようなしていないような様子で頷くに、有利は地面に畳んで枕代わりにされていた茶色の軍服を手にしてしわを伸ばすように引っ張る。 慌てていると意味の無い行動に出てしまうものだと頭の端でぼんやりと思いながら、だけどコンラッドに返すときにしわは伸ばしておいたほうがいいかとも思う。 「生真面目が悪いって言ってるじゃなくて!ヴォルフみたいな我侭とか、コンラッドみたいに甘やかすとか、ギュンターみたいにおかしくなるとかそういうこととは無縁でさ、いつも落ち着いててお姉さまって感じがしてたから、コンラッドみたいに慌てる様子が意外っていうか」 「陛下の御身に事が起きて慌てないでいることのほうが難しいです」 真剣に、茶色の瞳にまっすぐに見詰めて言い切られると、少し気恥ずかしくなって有利は赤い顔をしながら手にしていた軍服を広げて顔をから隠した。 綺麗なお姉さんに心配されて嬉しくないはずがない。 人当たりのいいグウェンダルのようだと言ったけれど、どちらかといえばは無闇やたらと有利を甘やかさないコンラッド、といったほうが実情に近い気もする。 「いや、でもおれ、丈夫なのが取り柄だし」 だから心配いらないと、軍服を顔に当てて心配する視線から逃れていると、遠くから慌てた様子のコンラッドの声が聞こえてきた。 「急いでくれギーゼラ!」 「言われなくとも急いでいます!」 名付け親の到着に、有利はほっと軍服で隠していた顔を出して入り口のほうに目を向けた。 今更と二人きりにされて困るはずもなかったのに、急にいつもとは違う表情を向けられて妙に緊張していたらしい。 コンラッドの大袈裟に慌てた様子を見ていると、ようやくほっと息をつけた。 「コンラッ……」 「陛下!起きて大丈夫ですか!?、お前がついていながらどうしてそんなことをさせているんだ……っ」 「どうしてそこでを怒んの!?」 過保護も行き過ぎだと、すぐ目の前まで駆けつけておろおろと心配する保護者を一喝すると、コンラッドは途端に眉を下げた。 「すみません……」 「おれに謝ってどうすんだよ」 「いえ、陛下……兄の言うこともっともですから」 「全然もっともじゃねーよ」 溜息を零した有利の傍らに膝をついたギーゼラは、ここまで全力疾走で来たのかさすがに少し息が上がっている。 診察を受けている間、大した怪我ではないのに申し訳ないことをした気分で、有利は膝に置いた軍服を指でいじっていた。 「……どうやら頭部の衝撃も一時的で済んだようですね。少し瘤になっているようですが、冷やしておけば問題ないでしょう」 コンラッドとが同時に胸を撫で下ろした。やっぱりもコンラッドと一緒で過保護なんだと苦笑しながら有利は指で弄っていた軍服のしわをもう一度伸ばす。 「ほらな、二人とも心配しすぎ。コンラッド、これ返しておく……」 枕代わりにしていた軍服を突き返そうとして、コンラッドの服が上下揃っていることに初めて気がついた。いや、下を枕にされたらすごく嫌な気分になったに違いないが、上着もちゃんと着ている。 「あれ……?」 「それはの服ですよ」 あっさりと隣の妹を指差しながら訂正されて目を向ける。 白いシャツを着た。 下はちゃんといつもの、コンラッドと同じ色の軍服のスラックス。 「……え、あ!?これ、のだったの!?」 枕にして、顔を押し付けて、指でいじってと好き勝手にしていた服が、同性の名付け親のものではなくて、綺麗なお姉さんのものだった……。 かっと頬を染めた有利は、軍服を握り締めて立ち上がる。 「ご、ごめんっ!洗って返すっ!」 「いえ、そんな……」 気にしないでくださいと断ろうとしたの話なんて聞きもしないで、有利はそのまま受け取ろうとするの手から逃れるように軍服を抱き締めて走り出した。 「陛下!いきなり走らないで!安静にっ」 コンラッドが弾かれたように追いかける。その間、は呆然と手を伸ばしたままだった。 足の長さや速さの差で、有利は球場の入り口でそうそうに名付け親に捕まっている。 陛下、あまり無茶をしないでください。 だってこれの、の服……。 遠くから聞こえてくる妙に上擦った有利の声に、それまでなんとも思っていなかったはずのことに、急に恥ずかしさが込み上げてくる。 「……」 膝についた土を払いながら立ち上がったギーゼラは、のろのろと見上げたににこりと笑った。 「あなた、洗ったりせずにそのまま返していただきたかったんじゃないの?」 「ギーゼラ」 友人の性質の悪い笑顔に、それでも否定の言葉を出せずには咳払いしながら視線を逸らすことしか出来なかった。 |
「眩しくて、羨ましくて」の続編。 意外と純情な彼女と、純情そのものの陛下(笑) ギーゼラとは悪友みたいな関係ということで。 今回題名が思いつきませんでした……。 いつかひっそりと変わっているかも(^^;) |