ユーリが日本に帰りたいと落ち込んでいる。
眞王廟へ使者を送ったものの、返答は訪問するにあたわずということだった。
言賜巫女でも送り返すことができないというのだ。
ユーリはこの世の終わりかというような表情で真っ青になり、ギュンターはユーリの手前大っぴらに喜べずに微妙に口を曲げ、ヴォルフラムは遠慮もなく高笑いして胸を張った。
は。
は、落ち込むユーリを毎日励ましていた。
自身があまり落ち込んでいないように見えるのは、俺の願望なんだろうか?



EXTRA3.想いの狭間で



「え?だってそんなに落ち込んでないし」
夜、ユーリを寝室に送り届けてからの部屋を訪れて、差し向かいでソファに座り、恐る恐る聞いてみると答えはとてつもなくシンプルだった。
両手でカップを持ち、そろえた足先をソファに上げて、は上機嫌だ。
無理をしているようにも、嘘をついているようにも見えない。
「だけど、ニッポンに帰りたくないのかい?」
「帰りたくないと言えば嘘になるよ。家族も友達もいるし、別に日本が嫌いになったわけじゃないからね」
は膝の上に位置するカップを僅かに傾けて、一口紅茶を飲むと天井を見上げる。
「シアンもリビングに伏せさせたままなんだよねー。部屋に戻ったはずなのに行方不明なんてことになったら、お兄ちゃんがきっとすごいことになりそうだし……帰らなくちゃね。えっとね、それに……」
「帰らなくちゃ?帰りたいじゃなくて?ユーリがいるから、まあいいかってところ?」
話の途中で割り込んでしまったけれど、は特に気分を害した様子もなく、それどころかどこか挙動不審にびくりと震える。
「それはあるけどー。有利がいる世界っていうのが絶対条件だし……でも、そのー……」
は右に視線をやり、左を見て、それから天井を仰ぎ、最後に立てた膝の中に顔を埋めた。
「……コンラッドの側に、いたいし……」
照れたりして、なんて可愛いのだろう。
俺は緩む頬もそのままに、ソファから立ち上がるとテーブルを迂回しての隣に腰を降ろした。
が、膝から少しだけ俺に視線を向けて、またすぐに下を向く。
顔を隠しても、耳が赤いと意味ないよ、
膝に顔を埋めたままのの手からまだ紅茶の残るカップを取り上げてテーブルに置く。
肩に腕を回して抱き寄せると、逆らわずにゆっくりと俺に身を委ねてくれた。
「嬉しいよ、
唇で赤い耳を軽く挟んでみると、後退りながら弾かれたように顔を上げる。
「こ、ここ、コンラッド?」
耳を押さえて、真っ赤な顔。
初々しくて可愛らしい。
「いいじゃないか。だって俺たち、婚約しているだろ?」
にっこりと有無を言わさず微笑むと、なにか言いたげな口を塞いでしまって、そのままソファに押し倒す。
「え?あ、ちょ、ちょっと待っ…ん……や…」
は精一杯抵抗してるようだが、いかんせん力の強さというのがまるで違う。
暴れる手を掴んで、頬に口付けをする。
そのまま唇を滑らせて、耳朶を緩く噛んだ。
の身体が小さく震える。
耳の形をなぞるように舌を這わせると、僅かに詰まった小さな悲鳴が聞こえた。
ぎゅっと強く目を閉じて、震えているのは照れているからだけではない。
ああ、しまった。性急過ぎた。
俺のことは特別とはいえ、もともとは男が怖い。こういう事態はすべてが初めて尽くしだろう。
俺が気をつけないと。
己の我慢のなさを反省しながら、の髪を混ぜるようにして頭を撫でた。
がそっと目を開けて俺を窺う。
やっぱり、少しだけど怯えた様子が見える。
「ごめん、無理強いはしないから」
安心させるように笑いかけて、頬に軽くキスをすると身体を起こした。
「ちゃんと、がいいって言うまで待つよ」
不思議そうに目を瞬いて、一拍置いて俺の言った意味がわかったのか、それともようやく信用できたということなのか、ほっと息を吐いて少しぎこちなく笑った。
ああ、可愛いな。
そんなに、少し不埒なことを考えながら、の手を引いて起こす。
肩を抱き寄せて、耳元で囁いた。
「キスしていい?」
「……そういうの、聞かないでよ」
「じゃあ、不意打ちでもいいんだ?」
「TPOにもよる」
頬を真っ赤に染めて、初々しいに微笑が漏れる。
といると、忍耐力だけは鍛えられそうだ。


は、ニッポンに帰れなくとも元気だった。
ユーリの手前ノーコメントで通しているが、俺と過ごす日々を喜んでくれた。
だがユーリはそうはいかない。
俺のことは信頼してくれているし、という存在がいるから絶望とまではいかないようだが、日に日に焦燥が募っていく。
それはそうだろう。ユーリはほどさっぱりとしていない。
は自他共に認めるユーリ至上主義だ。ユーリが存在すれば、あとのことは大抵が妥協できる。
だからといって、ニッポンや家族がどうでもいいわけではない。
俺が途中で遮ってしまった話を改めて聞いたところによると、自身、なにがどうという説明まではできないが、ニッポンにはまた戻れるという確信めいたものがあるらしい。根拠のないものだから、それを気軽にユーリには言えないのだと困っていたが。
だが、だからこそは帰れないことに対してはそれほどこだわらず、気楽に俺と共に過ごす日々を楽しんでくれる。
「ギュンターさん、今日も輝いてるねえ」
そろそろユーリの執務の時間が終わり、勉強の時間が近付いてきたため、ユーリと一緒に学ぶことになっているは執務室のテーブルでお茶を飲みながら仕事の区切りを待っていた。
それに付き合いながら、俺は思わず苦笑を漏らす。
「陛下が帰られる気配がないからね」
「………だけど有利は顔色が悪い」
「もうあれから一週間だからね」
つまり、ユーリが眞魔国へ来てから二週間が経過した。ユーリは我慢しきれず、眞王廟へ何度か使者を出したが、答えは同じだった。取り付く島もない。
俺としてもユーリとがこちらにいてくれることは願ったり叶ったりの状況ではある。
ではあるが、ああもやつれた様子を見ていると、心が痛むのもまた当然だろう。
のように、嬉々として(ユーリの前では笑顔も自重しているけど)側にいてくれたら、それこそ薔薇色なのに。
「なんとかできるものなら、してあげたいけど……」
もさすがにそろそろ帰りたい?」
さすがにね、とか、ちょっとはね、という答えを予想していたら、はユーリを横目で窺って、それから俺を上目遣いでちらりとだけ見て、カップに視線を落とした。
「わたしは、コンラッドの側にいたいなぁ………」
これがユーリの目の前でなければ、抱き締めているのに。
は、生まれ育った世界よりも家族よりも友達よりも、俺がいいと言ってくれる。
もちろんそれは、期間限定だと思っていることと、ユーリがいるからこそ言える言葉だとはわかっているが、裏を返せばユーリさえいれば選べるなら俺のいる世界に長くいたいというわけで。
実質、ユーリに次ぐ想いを俺に寄せてくれていると考えて自惚れではないと思う。
ユーリには申し訳ないし、地球へ帰して上げられたらと思う反面、このままこちらに留まり続けてくれたらいいのにと、少し考えてしまう。
あくまで少しだ。俺は、ギュンターほど盲目になってはいないと思うし、なによりふたりの父親であるショーマとも言葉と約束を交わしている。
このままユーリもも帰らなければ、ショーマも母親も半狂乱になってふたりを探し回るだろう。それはあまりに胸を刺す光景だ。
そうして、同じだけユーリも地球へ帰りたがっているに違いない。
ユーリをこちらに呼ぶ基準も、あちらへ帰す基準も、すべては眞王陛下の御心のまま。
それは、なんと不確かな基準なのだろう。
こうして幸せを噛み締めているのに、明日にはふたりともいなくなってしまうかもしれないのだから。








有利も最愛の恋人も側にいる幸せを噛み締めながら、ちゃんと相手の心情を
考えるくらいの理性はまだ残っています。
色々ダメ大人な部分もありますが……。


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