は瓶の形に包装された荷物を片手に、街灯のついた道を歩いていた。
今日はにとっての特別な日で、それは別の人物にとっても特別な日だ。
いやむしろ、そちらの人物にとっての特別な日なので、にとっても特別というべきだろう。
春先の気候は暑くもなく、日の落ちた今でも寒くもない。
見えてきた家の窓から漏れる暖かな明かりに、自然と表情が綻んだ。


笑顔の贈り物


妙に低い位置から聞こえたノックの音にキャゼルヌが端末から顔を上げると、山のように積み上げたファイルを両手で抱えたが入ってきた。
「失礼しまーす」
「これはまたすごい荷物だな」
「ドーソン教官の遣いです」
事務室に入ってきたは、足で蹴ってドアを閉めた。
「……ノックが妙に下から聞こえたと思ったら……足か、年頃の娘」
「この状況でノブを自分で回したことを誉めてくださいよ」
デスクの空いている場所にファイルを積み上げると、は肩を揉みながら首を回す。
「なんだって士官学校の扉って自動じゃないんですか」
「さあ?俺は校舎建設の頃からここに関わっていたわけじゃないからなあ。ご苦労さん、飴食うか?」
「……いただきます」
両端を捻った薄桃色の袋をひらひらと振られて、安い駄賃に子供のお遣いみたいな気分になりながら、はデスクを回ってキャゼルヌの横に移動した。
差し出した両手の上に落とされた包みを開けて、赤い粒を放り込んだら人工的なイチゴの味が広がる。
「ミルクいちご……事務官って随分甘党ですね」
「俺のじゃない。事務長の娘さんからの差し入れだ」
モニタから目を離さずに答えるキャゼルヌに、覗くつもりではなかったのだがつい一緒に画面を見てしまった。
チェックなのか、何かの入力なのか、学生データが目で追える速度で流れている。その一点をの目は逃さなかった。
「先輩の誕生日って四月四日なんだ……」
「ん?あ、こら!データを見るんじゃない!」
慌ててモニタを回しての目から遠ざけたキャゼルヌを気にも留めずに、デスクの上の卓上カレンダーに視線を向ける。
「……四月四日……今日……だ…」
がくりとうな垂れたに、キャゼルヌは目を瞬いて軽く手を振る。
「ど、どうした突然落ち込んで」
「いきなりすぎて何も用意できないー!」
「んー?ああ、ヤンの誕生日か」
の先ほどの呟きを思い出して、椅子を横に移動させながら方向を変えたモニタを見たキャゼルヌは、その嘆きの意味を理解して苦笑した。
「どうせ寮と校舎の往復生活なんだ。事前に判っていても用意する暇なんぞなかっただろう」
「そりゃそうですけど……」
「手編みの何々だとか、手作りでこれこれだとか、贈りたい年頃か」
「手作り……だとオブジェくらいしか」
ポケットから出したドライバーを握るに、それまで微笑ましいと頷いていたキャゼルヌは急に溜息をつく。
「ケーキとかマフラーとかじゃないのか」
「ケーキなんて調理場所がないじゃないですか。マフラーとかは季節外れだし」
「じゃあどんなものを贈りたかったんだ?」
時間があれば用意したのはなんだと訊ねると、はドライバーを握ったまま首をかしげた。
「何を贈ったら喜んでもらえると思います?」
「考えてないのか!」
「さっき知ったばかりで、どう結論を出せと」
思わず二人でにらめっこのように見つめあったまま沈黙が降りる。
「……確かに。しかしヤンのやつが喜ぶものねえ」
「ぱっと出てくるもので……紅茶」
「休日」
「歴史書とか……でも先輩が読んだ本と未読の本が判らない……」
「昼寝用枕」
「真面目に考えてくださいよ、事務官!」
デスクを叩いて詰め寄るに、キャゼルヌはキャスターでごろごろと椅子ごと後ろに移動する。
「真面目に考えてるぞ。ヤンが喜ぶといえばそんなものだろう」
反論の言葉も出ない。
椅子ごと移動したキャゼルヌは、戸棚の引き出しから何かを取り出して戻ってくると、に手を差し出した。
「これをやろう」
反射で手を出すと、量販の紅茶のパックが二つ渡される。
「……事務官」
「あと特別サービスだ」
さっきくれた飴もふたつ掌に乗せられて、は溜息をついて引き下がった。さっさと出て行けということらしい。確かに相手は仕事中なので正論だ。
「……ありがとうございます」
「おー、頑張れ」
キャゼルヌはモニタに戻りながら、軽く手を振って見送った。


プレゼントの用意なんて、どう考えても学内では不可能だ。用意できて精々、学内の購買店で食料品か学業品などの消耗品くらいだろう。
腕を組んで廊下を歩きながら、は乾いた笑いを漏らす。
「実用的といえば実用的だけど……」
明らかに、好きな人に贈る誕生日のプレゼントとは思えない。
「せめて半月前に気づいていれば……お母さんに頼んで寮に送ってもらうって手もあったかもしれないのに……」
とは言うものの、そもそも『何』を買って来てもらうかも問題だ。
たかだか学校の後輩の身で、そんな高価なものを贈っても迷惑なだけだろう。先ほどはケーキもマフラーも理由をつけて無理だとはいったが、それ以前には料理も編物も不得手だ。
「いや、でも編物もただの後輩からはいらないよね……プロ級の腕前とかならまだしも」
「廊下で何ぶつぶつ言ってるんだ?」
後ろから声を掛けられたのと同時に、頭に手刀が落とされた。
「痛いな、ダスティ!そっちこそ、いきなりなにすんのよ!」
「ぶつぶつ独り言を言ってる不気味なやつがいるから、校内の平和のために立ち上がったんじゃないか」
「あんたね」
睨みつけるから顔を逸らし、アッテンボローは軽く手を振った。そちらを見ると、向こうからも手を振っている人物がいた。どうやらそれまで一緒にいた友人と、ここで別れたらしい。
「で、どうしたんだ?」
改めてと並んで歩き始めたアッテンボローに正直に悩みを話すと、幼馴染みは指先で軽く頬を掻きながら引きつった笑いを浮かべた。
「ヤン先輩の誕生日プレゼント……ねえ」
「ダスティのほうが先輩と一緒にいる時間長いでしょ?何かいいもの思いつかない?」
「いやー、いきなり言われてもなあ……あ、そうだ。この間先輩が欲しいって言ってたものがあった」
「え、なに?」
「下着。パンツのゴムが伸びて新しいのが欲しいなって話を洗濯所で―――……」
「贈れるかーっ!」
真っ赤になったの拳が幼馴染みの脇腹にめり込んだ。
「乙女になんて物を勧めるのよ!」
「お、乙女はボディーブローなんて繰り出さないと思うぞ……」
「えらく賑やかだな」
「ラップ先輩!」
振り返ったの横で、アッテンボローはよろよろと廊下の壁に手をつく。
脇腹を押さえて悶える幼馴染みは放って置いて、ラップにも同じことを相談すると、有益な情報どころか至極驚かれた。
「へえ、ヤンは今日が誕生日だったのか」
「知らなかったんですか!?」
「ああ、まあ。男同士だし、こんなものだろう」
「そ、そういうものなんですか?」
男同士って、淡白な付き合いだ。仲の良い先輩たちだっただけに、少し意外な思いでは考え込んだ。


有益な助言を得ることもできないまま、最後の講義が終わってしまった。
機関学の実地講義が終わり、いよいよ時間がなくなってきたと考え込みながら工場から出てきたところで、入学式の日に教えてもらった例の近道で寮に帰るところだったらしいヤン本人とばったり出くわした。
「やあ、
「せ、先輩!」
顔を合わせただけで驚くに、理由を知らないヤンは軽く首を傾げる。
結局、まだ何も用意できていない。けれどここで知らない顔をして別れて、今日中に贈り物が用意できる自信もない。
は意を決してヤンの前で姿勢を正した。
「先輩、単刀直入にお聞きします」
「うん?なにかな?」
緊張した様子のに、ヤンも少しだけ表情を改める。
「今、先輩が欲しいものってなんですか?」
の様子から、一体どんな質問がと思っていたヤンはぱかりと口を開けた。
「一体どうしたんだい、急に」
「いえ、その……えーと、いいものが何も思いつかなくて。それならもういっそのこと本人に聞こうかと……」
「いやだから……」
困惑するヤンに、は少し落胆して軽く息を吐いた。やっぱり、ただの後輩からいきなり贈り物をと言われても、何を言えばいいのか判らないだろう。
唐突すぎたのは確かなので、緩く笑って祝いの言葉だけでも贈ることにする。
「誕生日おめでとうございます、先輩」
「え………」
首を傾げて意味が判らないような様子で目を瞬いたヤンは、先ほど会ったラップと同じように手を叩いて頷いた。
「……そうか、今日は四月四日だったのか」
「気づいてなかったんですか!?」
「うん」
こくりと頷いたヤンに、は頭を抱えてしゃがみ込む。いくらなんでも自分で自分の誕生日だと気づいていないとは思わなかった。
「ああ、それで何が欲しいか聞いたのか」
「ええ……先輩には日頃お世話になっていますし、せめて何かと思ったんですが、実は先輩の誕生日を知ったのが今日のことで、何も用意できてなかったので……」
「そんなに気を遣うこともないのに」
「気を遣うというより、わたしがしたかっただけなんですけど……」
何がいいかと聞いても今日中に用意はできないだろう。だがせめて後日に渡すことはできるかもしれない。
「いやいや、本当にそんなに気を遣わなくていいんだ。まさか祝ってくれる人がいるとは思わなかったから、十分驚いたし、嬉しかったよ」
照れくさそうに頭を掻きながら笑うヤンは、少し首を巡らせて工場のほうを見る。
「それに、半年前はからそんな言葉がもらえるようになると思ってもみなかった。それだけでもなんだか感慨深いなあ」
ここはとヤンが初めて会った場所でもある。
何もいらないと言われて少し残念に思いながら、けれどその笑顔を見ることができて、そしてとの出会いを懐かしく振り返るヤンに、それだけでのほうが嬉しくなる。
「じゃあせめて、紅茶だけでもどうでしょう?キャゼルヌ事務官からもらったティーパックがあるんですが」
「それはいいね。ぜひ飲みたい」
「それなら購買で何かお茶菓子になりそうなものも付けますね」
ヤンは踵を返してと一緒に食堂に向かって歩き出す。
今はまだ、ただの先輩と後輩で、学内で買える駄菓子と紅茶で祝う程度の仲でしかない。
時間があればもう少し凝ったものが用意出来たかもしれないが、金銭をかければヤンが気を遣うし受け取ってももらえないかもしれない。手作りの品はキャゼルヌに呆れられたオブジェくらいしか自信を持っては作れない。
「そうだ、の誕生日はいつなんだろう?」
ポケットにねじ込んでいたベレー帽を被りながらヤンが振り返り、は笑って人差し指を立てる。
「内緒です」
「どうして」
「だってお返しを催促するみたいじゃないですか。これは日頃の感謝を込めてのことなんですから、わたしのほうは内緒でーす」
「私だっての誕生日を祝いたいのになあ」
溜息をつくヤンに、言葉に詰まったは、ちらりと伺い見るような視線に気づいて小さく笑う。拗ねて見せたのはわざとのことらしい。
「その言葉で十分です!」
祝いたいと思う気持ちで十分だと、先にそう言ったのはヤンだ。
「まいったな、そうきたか」
ヤンは苦笑しながらベレー帽の上から頭を軽くかいた。


「我ながら、あの頃は可愛かったわ」
は呼び鈴を鳴らして、頬に手を当てて小さく呟いた。
好きな人に喜んで欲しくて、ヤンの誕生日を知ってから決着がつくまで講義が手につかないほどプレゼントに悩んでいたのは、古い話だ。
あのときはせめて半月の時間があればなんて思っていたけれど、もし半月前に知ったとしても、悩みの時間が伸びただけのような気もする。
今では、毎年種類を変えてブランデーを贈る。恐らくヤンもあてにしていることだろう。
十代だったあの頃とは違い、ヤンは最近では誕生日があまり好きではないらしい。
誕生日おめでとうございますと言うと、「今日は厄日だ」と呟くようになった困った先輩も、からの贈り物を受け取るときだけは素直に顔を綻ばせる。
代わりに、彼の被保護者があまり良い顔をしないのだけど。
家の中から足音が聞こえて、鍵を開ける音に続いて扉が開く。迎えに出てきたのはヤンの被保護者か、あるいは料理で手が離せない彼の代わりに家主本人か。
今年はあの笑顔を、玄関で見ることできるか、それともリビングで会えるのか。
時が経ち、あの頃とはさまざまなことが変わっていても、があの笑顔を心待ちにしていることだけは変わらない。







ラップも誕生日を知らないくらいだったということで、家族を亡くしてから初めての
祝いだった……という話だったんですが、その辺りが弱くなった……。
三十路にこだわってやたらと誕生日を毛嫌いしていたヤンも、若い頃は嫌う理由も
なかろうということで、素直にお祝いを喜んでくれました。。
今では「おめでとう」の言葉が嫌味になりつつあるようで、困った人です。素直に
祝わせてあげてください(^^;)


短編TOP